第57話(追):よき友人
「さて……」
夜の薔薇園。私の胸に頭を預け、エリザベットは立ったまま眠っている。
いずれ起きると思い眠るままにさせていたが、一向に起きる気配はなかった。正式に彼氏になったのだからこのまま抱き上げて女子寮まで運んでも問題ないとは思うが、付き合って早々にあまり無遠慮に女性の身体に触れるというのも体裁が悪い。
ここは、彼女に手伝ってもらうべきでしょうか。
「メアリー、いるのでしょう?」
「あ、バレてました?」
背後からメアリーの声と草の踏まれる音が聞こえた。
エリザベットのために振り返ることは出来ないが、そこには薔薇が重層に絡められた柵があったはずだ。彼女はその裏に隠れていたのだろう。
「エリザベットがそちらを気にしていましたから」
最初に物音をリスと誤魔化したときから怪しかったが、『平民』・『正しい』などメアリーを連想するワードを出す度に同じ場所を気にしていれば、見なくても誰がいるのか見当は付く。
「なるほど」
足音が遠ざかっていき、戻ってくる。
柵を大回りしたメアリーはこちらに着くなり頭を下げた。
「ご交際、おめでとう御座います!」
「……ええ、有り難う御座います」
未練があるわけではないが、彼女に告白して振られた身として、そう弾んだ声で祝われると複雑なものがある。
そんな私の気を知ってか知らずか、彼女はこちらに寄って胸元で眠るエリザベットの顔をのぞき込む。
「緊張の糸が切れて疲れが出てしまったのでしょうね……。ずっと気を張って告白に望んでいらっしゃいましたから。ふふ、かっこよかったですよ」
「苦労を、かけましたね」
多少の罪の意識を感じて見ると、当のエリザベットはそれはもう安らかな寝顔で安眠していた。無理な姿勢で気絶するように眠ったにもかかわらずだ。
メアリーは彼女のほっぺたをつつく。
「ふふ、幸せそう。かわいい」
「私のですよ?」
「あら、少し前まで私と迷っていらしたのに、もう焼き餅ですか?」
「からかわないで下さい」
メアリーは「はい」と素直に答えて、くすくすと愛くるしく笑った。
「本当に、エリザベット様の想いが実ってよかったです……」
その言葉には深い感慨が籠もっていた。私の経験上、他人の幸福を僻まず心から純粋に祝福するのは存外に難しい。
メアリーとエリザベットはきっといい相棒なのだろう。
「でも、カルバン様とお付き合いするエリザベット様ってどうなるのでしょうね? ずっと今のようにカルバン様が好きで好きで堪らない初々しいままなのでしょうか? あ、もしかしたら私に対してのようにいじわるになっちゃうかも」
「極端ですね……」
どうなるのかは私にも想像が付かなかった。そもそも、今までエリザベットに注意を払っていなかった自分は彼女について知らなすぎる。
それは私の瑕疵だ。ですが、これから徐々に知っていけばいいと、今なら前向きに思える。
とはいえ、
「いつまでも少しスキンシップを取るだけで気を失ってしまうようでは困りますね……。可愛い反応をしてくれなくなるのも、それはそれで寂しいですが」
「カルバン様」
メアリーは改まって私の名を呼ぶ。彼女の目は少し鋭く、真剣みがある表情をしていた。
「今のエリザベット様はこんなんですが、カルバン様におかれましては、いつまでも好かれていることに甘えてちゃダメですからね? ちゃんと大切にしないと、いつか愛想を尽かされちゃいますよ?」
「それこそ、想像しがたいものがありますが……」
「愛は有限なのです。ちゃんとチャージしてあげませんと枯れてしまいます」
冗談めかしてはいるが、その声にはエリザベットを思いやる強い気持ちがにじんでいた。
「忠告痛み入ります。ただ──」
メアリーの忠告はしっかりと胸に刻む、が、それとは別に思ったことがある。
「その言葉、エリザベットが聞いたら『わたしの愛は無限よ!』と言うでしょうね」
「あ、確かに! とっても言いそうです!」
二人して笑う。
しかし、
「本当に、エリザベット様はカルバン様のことが大好きなんですから……」
メアリーの面持ちが少しばかり憂いを帯びているように見えた。
私の勝手で彼女には迷惑を掛けた。不安があるならば力になりたいが、軽々しく触れることも躊躇われる。
なので、
「さて、おかげで無事に私たちは付き合うことになりました。次は貴女の番なのですよね?」
間接的に、自分たちの話題から派生した世間話として問いかける。
メアリーは少し迷うように間を取ってから、口を開いた。
「そう、ですね……。あ、ですが! その前に魔法大試合ですよ!」
勢いよくメアリーは言う。
はぐらかされましたね……。
まあ、いい。この場でどうしても詰問しなければならないことでもないし、彼女の抱える悩みはいずれまたゆっくり教えて貰うとしよう。そのときは、起きているエリザベットと一緒に聞くのもいいだろう。
それに、他人のことを気にかけるよりも、まず己の勝負を済ませろという指摘は至極正しい。
「ええ、無論。万全の準備を持って臨みます」
エリザベットを中心に多くの人から助力を得た。それを台無しにするわけにはいかない。
「ああ、そうそう」
トーナメントについてメアリーに聞きたいことがあったことを思い出した。
「エリザベットの告白をメアリーも聞いていましたよね? でしたら、確認させて下さい。貴女は、『私は兄に勝たなくてもいい』と本気でそう思っているのですか?」
正しい人なら、メアリーならきっとそう答えるとエリザベットは言っていた。だが、それはあくまでエリザベットの推定だ。私に『兄を救いたいのでは?』と忠告した彼女の真意は直接確かめておきたい。
「はい。エリザベット様のおっしゃったとおりですよ。カルバン様の本当の目的はロミニド様を孤独にしないことなのですから、勝負に固執しなくても他にもっと良い方法がある筈ですと、今でも思っています」
彼女は真っ直ぐ言い切る、眩しいほど真っ直ぐに。
性格か、信条か、あるいはもっと別の何かか。根拠は分からないが、メアリーのこういった姿を見ていると、彼女は確かに『正しい』のだと分からされるような感覚を覚える。
「胸に留めておきます」
しかし、それでも。
「私は勝ちます。例え、他に道があるとしても」
「何故ですか? それはきっと苦しく険しい道ですよ?」
何故だろう。
ロミニドを恨んでいるから?
もちろん、恨みや嫉妬もある。しかし、思い返せば、どんなことをしてでも勝つと意気込んだもののロミニドに一服盛るとか、いっそ暗殺しようだとか彼を害する選択肢は考えもしなかった。きっと、心のどこかで兄を敬愛する気持ちが残っていたのだろう。
ならば何故、勝負を降りて真っ当に仲良くしようという気になれないのか。
「勝ちたいから、ですよ」
多分それは、立派な向上心や高潔なプライドではなく、子供じみたちっぽけな意地から来るものだ。
「それに」
視線を落とせば、エリザベットの寝顔がある。
彼女がありのままの自分を受け容れてくれたおかげで、肩の荷が下りたような軽やかな心持ちで兄と自分のことを考えられている。
その彼女の願いに報いなければ、男が廃るというものでしょう。
「今は勝利を願ってくれる人もいる。戦う理由はそれで十分です」
私の答えを聞いて、メアリーは弓なりに目を細めて満足そうに笑った。
「流石です、カルバン様。それに、エリザベット様も。やっぱり、私たちは付き合えませんね」
「そのようですね」
私も笑う。嫌味も険も複雑さもなく、自分でも驚くほど自然に笑えた。
不思議なものだ。付き合いたいと思っていたときよりも、きっぱりと縁が切れた今の方が余程距離が近く感じる。
「あ、でも、これからも仲良くして下さると嬉しいです」
メアリーの言葉に肯く。
「ええ、よき友人として、お願いいたします」
「はい、喜んで!」
まあ、友人というよりは……すぐに、義姉になるような予感がしますが。
「では、早速親愛なる友人にお願いがあるのですが」
「はい? なんでしょう?」
腕にかかる柔らかなぬくもり。メアリーと話す間も、エリザベットは熟睡を続けていた。
「私の彼女を、お願いできませんか?」
「あっはい! そうですよね! カルバン様がお持ち帰りするのはまだ早いですよね!」
「……」
どういう意味で言っているのかは考えないことにした。
次回の更新は明日の20時30分頃になります。(分路)