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第57話(下):紅薔薇の情熱よ

 舞踏会を抜け出し、エリザベットに手を引かれてやって来たのは学園の薔薇園だった。

 月明かりは白く、暗緑色の茨と葉には夜闇が溶け込んでいる。

 そして、花壇にアーチにと空間を埋め尽くさんばかりの赤い薔薇。力強い存在感を放って咲く薔薇は、なるほど、彼女が好みそうな花だ。

 そのの中心には月光を金の髪に煌めかせ、薔薇と同じ深紅のドレスを風に揺らすエリザベットが立っている。その姿は幻想的に美しく、この薔薇園そのものが彼女のためにしつらえたような舞台のようにさえ感じた。

 彼女は立ち位置を決めた後も、口を開いては閉じたり、視線を彷徨わせたり、自分の腕を抱いたり、物音に気を取られたりと独り芝居をしていた。

 緊張しているのだろう。私はそんな彼女の様子を好ましくも悪しくも思わず、ただ彼女の準備が整うのを待っている。


 はじまりは唐突に訪れる。彼女が突然叫んだのだ。


「カルバン様、大好き!」


「──」


 みじろきするほどの直球だった。ここまで策を弄してきたのは何だったのかと思わず言いたくなるほど、真っ直ぐな感情。


「あ、いや、その……」


 彼女もここまでひねりのない告白をする気はなかったのか、顔を赤くして恥ずかしそうに髪をいじっていた。

 彼女は居住まいを正し、コホン、と咳払いをする。仕切り直すことにしたらしい。


「カルバン様、ずっと、ずっとお慕い申し上げておりました」


「はい」


 それは、知っている。


「顔が好き、声が好き。体つきが好き、仕草が好き、志が好き、思考が好き、諦めの悪さが好き、ぜーんぶ好きです」


 彼女は目を閉じて胸に手を当て、大切に閉まった宝物を数えるように私の好きなところを数え上げていった。

 目を開く。恋する乙女を体現するように夢見心地にはにかんで、エリザベットが私を見る、


「でも、一番好きなのは、目です」


「目、ですか」


 目元に触れる。


「確かに、『綺麗だ』とか『澄んでいる』とか、褒めていただくことはありますが……」


 好きと言われて理解出来ない部位ではないと思い、しかし、エリザベットは首を横に振った。


「それだけですか? でしたら、それをおっしゃった人たちはカルバン様の良さを半分も分かっていない」


 彼女は意地悪そうにほくそ笑んで断言した。

 分かっていない、とは何のことだろうか?


「カルバン様、貴方の瞳は、アクアマリンのように綺麗に澄んだその奥に熱く(にぶ)く光る炎のような激情があるからこそ素敵なのです」


 目元に添えた指がピクリと動いた。

 自分の奥底にひた隠した嫉妬心。

 他人に見せたくない、気取られてはいけないもの、それを取るに足らないと軽んじた女性に見抜かれていた。


「……隠していたつもりでしたが」


「実際、ほとんどの人は気付いてないと思いますわ。カルバン様は演技がお上手ですもの。でも、わたしだって伊達に十年間片思いしていません。カルバン様のことなら他の人よりもよく知っています」


「──」


 言葉に詰まる。私は彼女のことを侮っていたのだろうか。

 いや、だが、ずっと見ていて気付いたということは……。


「幻滅、しなかったのですか? 貴女も最初は私の表装を見て、好きになったはずです。なら、良く出来た兄に嫉妬する浅はかさを知って幻滅したのでは?」


「幻滅なんてそんなこと! ああ、でも、そうですね……」


 エリザベットは否定しようとしたが、言い切る前にバツが悪そうに顔を背けた。


「わたし自身、つい最近思い出したことなのですが……わたしがカルバン様に惚れたきっかけってカルバン様の優しさだったらしいんです」


「優しさ?」


「ええ、まだ子供だったのに自分から孤独になろうとしていたロミニド様を見捨てなかった優しさです」


 弱冠6歳にして人間に見切りを付け、孤独に沈んでいたロミニド。私は彼を助けたかった。


「メアリーにも同じことを言われました。ですが……」


 だが、それも過去の話だ。


『私はもう、歪んでいる』


 頭に声が響く。そう、声が告げるとおり、今の私は兄を助けるどころか、恨んですらいる。

 そして、エリザベットはその暗い情動に気付いていたはずだ。ならば、余計に幻滅したのではないか、とそう言おうとして──


「ですが」


 エリザベットに遮られる。


「ですが、それは大した問題ではありません」


 彼女ははっきりと言い切った。

 それが、かんに障った。


「大した問題ではない? 私は初心を忘れ、兄に嫉妬して見当違いな敵意を向けてきたのですよ! 兄を助けたいと思ったあの子供の願いはきっと、何よりも正しかったのに!」


「きゃっ」


 身をすくめるエリザベットを見て正気に戻る。声が大きくなっていた、自分でも驚くほどに。


「あ……すいません、興奮してしまいました」


 彼女に向ける顔がない。代わりに地面を見る。そして、絞り出した言葉は、


「ずっと──間違ってきた」


 そんな自虐のような後悔のような言葉だった。


「『間違ってきた』ですか……。ええ、今までカルバン様のやってきたことは根本的に間違っていたのかもしれません。小癪なことにあの平民はそこまでも正しい女ですから、彼女が言うのならきっとそれが正しくて、カルバン様は間違っているのでしょう」


 エリザベットは私の吐露を否定しなかった。顔を上げ、彼女の様子を窺う。彼女はうっすらと目に涙を溜めながらも私から目をそらしてはいなかった。


「ですが、申し上げましたよね、わたしはずっと(・・・)カルバン様のことが好きです、と。同情を嫉妬が上回ったのが厳密にいつ頃だったのかは存じ上げませんが、最早嫉妬が主になってからの方が長いでしょう? きっかけはどうあれ、わたしが好きで好きでどうしようもないくらい焦がれていたのはロミニド様に対抗心を燃やし、そのために穏やかで完璧な王子様を装う強かな貴方です」


 エリザベットは微笑む。その笑みは大輪の薔薇よりも、むしろ野に咲く花のような柔らかで優しい笑みだった。


「十年、十年です。それだけの長い間、カルバン様は打倒ロミニド様のために努力を重ねてきました。その強い姿にわたしは憧れたんです。だから、その歳月が間違いだったなんて、言いたくない」


 はじめて、自分が認められた気がした。意図して周りに見せてきた偽りの姿ではなく、本当の自分が。しかし──。

 じゃり、と小石の擦れる音がした。足下を見ると、無意識に足が下がっていた。


「『憧れた』なんて……。私はそんな立派な人間ではありません。周囲の目に耐えかねて本来の(こころざし)を見失い、見当違いな憎悪を募らせるような愚かな男です」


 自分のやって来たことが認められた。喜んでもいいはずなのに、自己嫌悪が溢れてくる。


「いいではありませんか、それでも」


 だが、彼女は、あくまで私を肯定する。


「嫉妬して、劣等感にさいなまれて、それでもくじけずに見返すための努力をしてきたのでしょう? カルバン様は視点が高すぎるから気付かないのかもしれませんが、世の中には劣等感を感じても、そのまま何もせずにいじけて文句を言うだけの、どーしようもないやつもいるんです」


 エリザベットはきっと彼女自身のことを言っていた。私と自分を比較して、「だからこそ」と彼女は言う。


「そんな……誰かさんに比べて、劣等感や嫉妬を努力に変えられるカルバン様は、やっぱり、立派なんです。綺麗なだけじゃなくて負の感情を前向きな原動力に出来る人だからわたしの憧れなんです」


 彼女の声から、視線から、表情から、彼女が心の底から私を慕っているとわかってしまう。同時に気付く、自分は尊敬すべき兄を妬んでいることに後ろめたさのようなものを感じていたと。だから、醜い自分が肯定されるのに抵抗していたのだ。

 だが、良いのだろうか。私は兄を嫉妬しても。


『いいや、いいや! 良い筈がない!』


 声が五月蠅(うるさい)い。最後の抵抗のようなその声に押されて言葉をこぼす。


「それでも、(あやま)ちは、過ちです」


「まあ、確かに、正しくて優しい善人なら──」


 彼女は遠くを……いや、性格には私の少し後ろを見つめる。最初に物音がした辺りだ。


「そう例えば『他人と自分を比較しなくていい』とか『勝たなくても貴方には貴方自身の価値がある』とかそんなことを言うのでしょう」


 漠然とした『もし』の割に、やけに具体的なことを彼女は言う。

 相手を救いたいのなら勝負に拘泥する意味は無い。勝ちという結果だけに拘ると本当に大切なことを取りこぼす。

 それが正しい論理だ。


「ですが、わたしはそうは言いません」


 彼女は正しさを否定する。


「何故です。何故貴女は正しい答えが分かっていながら、それを否定するのですか?」


 彼女は私の問いに少し考えて、そして、意地悪く、しかし清々しさを感じる笑みを浮かべた。


「何故なら、ええ、わたしは悪役(・・)なのです。悪役は正しさを否定します。そして、自分の望みを一方的に押しつけるんです。カルバン様が、苦しくて、嫌で、本当はお兄様を恨みたくなんかないとしても、『戦って、勝て』ってわたしはあくまでそう言い続けます」


 露悪的な言い方だ。大体、それは押しつけではなく期待と言うのだ。

 そして……私はその期待に応えたいと思ってしまった。

 一度、目を閉じる。

 兄のことはきっと昔からずっと好きだった。だから手を伸ばして、届かなくて、嫌った。


『逆恨みも、嫉妬も認めると? それは卑怯な開き直りではないのか?』


 まぶたの裏、暗闇に紛れるようにして私を弾劾する声がする。

 まぶたを開くと、精一杯な表情でわたしに期待を寄せる少女がいる。


「勝ちましょう、カルバン様。息が詰まる劣等感も、身を焦がす嫉妬も、貴方の背を押す糧になります。わたしはそれを否定しません。そんな貴方が大好きだから」


 彼女の白い手が差し出される。


「勝ちましょう。勝って下さい。願わくは、私と一緒に」


 強い言葉とは裏腹に、彼女の手は震えていた。表情にもこわばりがある。彼女は今、どれほどの勇気を振り絞っているのだろう。

 彼女の勇気を想い、私はメアリーとの議論や、昨晩の自問自答を思い出していた。

 メアリーへの恋心も、兄への愛情も、顧みられることはなかった。

 そうだ、そもそも他人の想いに応える義理なんてものは想われる者にはないのだろう。だけど、私はそれでも、この手を取りたいと──


『いいのか、彼女たちの思いどおりになっても! 警戒はどこへやった? 思惑に流される意志の弱さは私が最も忌避するものではなかったのか!』


 仕方ない。

 思えば、弱音を吐露した時点で私はエリザベットの健気で純粋な想いに負けていた。


『……ちっ』


 舌打ちを残して、脳裏の声は消えていった。これは本当に私の声だったのだろうかという疑問が浮かんだが、そんなことは最早どうでもよかった。


「私の──」


 『私の負けです』と言おうとして、やめた。

 エリゼベットは私に『勝って欲しい』と期待している。ならば、負けを口にするのはこの場に似つかわしくないだろう。

 彼女の手を取る。膝を付きながら手首を返して、彼女の手の甲を上にする。

 そうして口にするのは最後の確認だ。


「君は、間違っている私の道行きに付き合ってくれるのですか?」


「はい、何処まででも。間違いだとしても歩んできたその道のりには価値があると、わたしは信じていますから」


 その言葉に、心が満ちるのを感じる。ただ自分に添い遂げてくれる人がいることがこんなにも心強いだなんて、知らなかった。

 嗚呼、自分が兄を孤独から救おうなんて出来るわけがなかったのだ。私だって、独りだったのだから。


「貴女との交際を謹んでお受けいたします。私の勝利の女神になってくれますか?」


「は、はい!」


 誓いを込めて彼女の手の甲に口づけをする。


「は、あう……」


 エリザベットの顔が一瞬で赤くなって、そのまま後ろへと倒れていきそうになる。


「おっと」


 倒れていくその身を止めようと手を引くと、力が抜けた彼女の身体は、今度は前に倒れてきた。彼女の身体が私に覆い被さる。


「エリザベット? 大丈夫ですか?」


 問いかけながらそっと立ち上がった。返事はない。完全に気を失っているらしい。手の甲にキスをした程度でいささか大げさではないだろうか?

 差し出された手は握ったまま、もう片方の腕で、彼女の身を抱き留める。静かに寝息を立てる彼女を腕の中に抱えながら、どうすることもなく立ち尽くす。


 静かな夜だ。遠く、かすかに宮廷楽団の演奏と舞踏会の笑い声が聞こえる。

 周囲に咲く満開の薔薇は告白を成し遂げた彼女を讃えているようだった。

 見上げれば、天上の月が私たちを照らしている。

 ふと思い立って、握った手を横に挙げてみる。

 月光の中で手を取り、寄り添い合う二人は、踊っているようだった。


「なんて、ちょっと美化しすぎですかね?」

 遂に、遂に悪役令嬢エリザベットは愛しの王子様と付き合うことが出来ました!

 ここまで非常に長くなってしまいました。お付き合い下さった皆様には感謝が尽きません。

 次回の更新は明日の19時頃になります。(分路)

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