第55話(下):特訓ダイジェスト
「エリザベット様を見ているのですか?」
後ろから明るい響きのある少女の声がした。
「ええ。久しぶりですね、メアリー」
身を隠していたかのように木の裏から現れたメアリーは私の横に立った。隣に座ってくれる気はないらしい。
「教室で毎朝顔は合わせていましたが、お話しするのは自重させていただきました」
「構いませんよ。そういう契約でしょう」
秋翠祭まではエリザベットのことを気にかける、というのが彼女との約束だった。それでも付き合う気にならなければメアリーと付き合う、とも。
「エリザベット様とご交際される気にはなりましたか?」
「告白もされていないのに付き合うも何もないでしょう」
譲歩は『付き合っても良いという心持ちでいる』ところまでの約束だ。『付き合おう』とエリザベットの口から聞くまでは、交際の可能性を考慮する必要も無い。
「あー、エリザベット様、まだなにも言ってないんですね……」
メアリーが苦笑する。
告白。エリザベットからのアクションは未だない。ここまでにしてこないということは、おそらくは期限ぎりぎり、秋翠祭の最後にある後夜祭か、明日の前夜祭のどちらかに仕掛けてくるつもりだろう。
「カルバン様にとっても悪いお話ではないと思うのですが……」
メアリーはグラウンドの中央に手を向ける。そこではセレストとノエルが棒で地面に何かを描きながら話し合っていた。曲線を重ねているところを見るに、魔法の軌道についてでしょうか?
「ノエル様やセレスト様、それにここにはいらっしゃいませんが裏方で働かれているローラン様やテオくん、ミリア様。皆様がカルバン様の勝利のためにご尽力下さっているのは偏にエリザベット様のためです」
メアリーの言葉にはエリザベットへの敬意が籠もっていた。単なるお世辞ではないし、私へのアピールにでまかせを言っているというわけでもない。
「エリザベット様は『彼女のために協力したくなる魅力』があるのです。王妃に相応しいと思いませんか?」
「セレスト様の受け売りですけどね」と付け加え、メアリーははにかんだ。
「そうですね……」
少し、考えてみる。ロミニドとの戦いにおいてエリザベットが果たす役割を俯瞰し、彼女がパートナーになった将来を想像する。
そして、メアリーに答えようと──
「あっ!」
開きかけた口は左方から飛んできた声によって閉ざされる。
エリザベットだ。グラウンドの一周を終えようというところで私とメアリーに気付いたのだろう。彼女は勢いを増して向かってきた。
険のある表情のエリザベットに対して、メアリーは暢気に手を振っていた。
「エリザベット様! 一周出来るようになったんですね!」
「はぁはあ……うっさい! そんなことより、なんであんたがここにいるのよ!? まだわたしのターンで──」
「エリザベット」
長くなりそうだったので遮らせて貰う。
「ひゃ、はい!」
「随分と体力が付きましたね。素晴らしい成果です」
「あ、ありがとうございます」
「ですから──」
彼女には悪いが、もう少しメアリーと話したい。
「もう一周、いけますね?」
「は、はい! もちろん!」
我ながら雑なフォローだったが、エリザベットは嬉しそうにまた走って行った。
「うわぁ、カルバン様、鬼……」
メアリーの好感度は、少し下がったかもしれない。
さて、答えるタイミングを逸してしまった。
メアリーもまた私と同様に口を開くことはない。遠ざかっていくエリザベットの背中をしばらく二人で眺めていた。
風が吹く。
秋を感じさせる涼やかな風だ。
「ねぇ、カルバン様」
メアリーはこちらを向いていない。風になびかないよう短い髪を押さえつける横顔が、妙に様になっていた。
「カルバン様は本当にロミニド様に勝ちたいのですか?」
「それは、どういう」
「本当は、勝ちたいのではなく救いたいのではありませんか?」
「何を────」
『言っているのですか』、という言葉は続かなかった。
昔、物心ついた頃、人々に囲まれながらもひどく孤独そうだった兄を見て、私はどう思ったのだろう?
そうだ、私は、きっと今でも……。
『私はそんな綺麗なものか?』
頭の中で、声がした。
自分の声だ。
胸の奥底にいる自分自身が、明るい結論に飛びつきそうになった己に釘を刺す。
「……」
相反する考えが浮かぶ。気持ちが悪い。
少なくとも、この場で軽々に答えを出す問題ではないと感じた。
だから、話を逸らす。
「それは……エリザベットに言わせなくて、よかったのですか?」
私は兄を救いたかったのかもしれない、真偽はともかく、この指摘はなかなかに芯を食っていた。それこそ、エリザベットの口から聞いていたなら、彼女のことを見直す一助になっていたかもしれないと思うほどに。
「ご自分の心の内に関わる愚見を受け、一瞬で何故私がそれを申し出たのかまで考えが及びますとは。流石です、カルバン様」
過剰な褒め言葉を口にしながら、メアリーは感心したように頷いていた。
「ええ、確かにはじめは私もこのことはエリザベット様がカルバン様に伝えるべきだと考えていました。ですが、問題ありません」
ずっと横顔を見せていた彼女が、私の方へと向く。
「カルバン様は、私があの夜言ったことを覚えていますか?」
覚えている。
『あの夜』、とは私がメアリーに告白し、倒れたエリザベットの介抱から戻った彼女と約束を交わしたときのことだろう。
自分から言い出したことではあるが女子寮の離れで日が落ち切るまで待たされ、さらに交渉の結果としてまた一ヶ月結論を待たされることになった。
メアリーとの別れ際、幼稚なことに私は少し不機嫌になっていた。だからだろう、彼女との別れ際に「どうせ結果は目に見えていますが」といったことを口にしてしまった。
だが、メアリーはそれを聞いても気を害した様子はなかった。それどころか、笑みを濃くして言ったのだ。
「『エリザベット様をあまり舐めない方がいいですよ?』でしたか」
「はい!」
彼女は笑う。
あのときと同じ、お気に入りの玩具を自慢するような、愉快そうで誇らしげな笑顔で。
「私なんかよりももっと素敵な答えをエリザベット様は見せて下さいます。あの御方はそれはもう、すごいんですから。ちょっと素直じゃないから伝わりにくいだけで」
彼女の性格は『ちょっと素直じゃない』という程度ではないとは思う。
だが、本気で彼女がエリザベットのことを信じていることは伝わった。
故に、私はただ微笑みを返す。
「ええ、楽しみにしていますよ」
その後も一言二言メアリーと言葉を交わしていると、エリザベットが二周を走り終え今度こそ戻ってきた。
「はぁ、っはあ、っん! はーぜー、けほっ」
エリザベットは屈んだメアリーの肩に手をついて荒い呼吸を整えている。
「大丈夫ですか? トレーニングの意味はなくなってしまいますがどうしても辛い場合は回復魔法をおかけしますからね」
「いい。だれの、せいで、コホッ、こんな、に、急いだ、と……」
エリザベットは私とメアリーが話す時間を短くするためにペースを挙げてきたらしい。その結果が息も絶え絶えなこの様子だと思うと、さしもの私もエリザベットに申し訳なくなってくる。
「エリザベット。よく頑張りましたね」
木陰に置いてあった彼女のタオルと水を差し出す。ええ、いつもとは逆ですね。
「す、すいませ、あ、いえ、ありがとうございます……! カルバン様、のっ、努力には遠く及びませんが」
エリザベットの息が落ち着いてくる。
メアリーは自分の肩から手を放して自立するエリザベットを見て安堵の表情を見せたが、その後頬を膨らましてむくれる。
「そういえばエリザベット様、まだ前夜祭のことカルバン様におっしゃってなかったのですか?」
「それは、そうだけど……」
「早く……って、もうギリギリですが。アポを取っておかないと機会を逃してしまいますよ。今しましょう、今!」
「はぁ? ちょ、こっちにもタイミングが」
タオルを顔に押し当てていたエリザベットがおそるおそる私に向く。目が合ったので笑いかけてやったが、彼女は顔を背けてしまった。
「ちょ、やだ。髪も乱れてるし、汗も──」
「エリザベット。私は努力した姿を笑うような人間ではないつもりです」
外見を整えようとする気持ちは理解出来るが、そうさせたのは私である手前、必要以上に恥じる必要は無い。それに、泥臭く不格好でも努力する姿を好ましいと思うのは本心だった。
私の言葉を聞いて、彼女は素直に手を止め、姿勢だけを軽く正した。
汗で張り付き、走る振動で乱れた髪もそのままにただ私を見つめ、言う。
「カルバン様、明日の前夜祭の途中少しお時間を頂きたいのです。わたしと一緒に舞踏会を抜け出しませんか?」
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【Tips】
『回復魔法をかけるとトレーニングの意味がなくなる』
メアリーの回復魔法は水属性の性質『循環』、つまり『元に戻る』という概念を本質としています。そのためトレーニングで疲弊した人間に回復魔法をかけると元気にはなるのですが、それは『トレーニング前の状態に戻る』ことになるためトレーニングの効果は失われてしまうのです。
【予告】
次回更新は8/8(火)です。
そして! 8/8(火)~8/14(月)のお盆期間は毎日更新します!
悪役令嬢エリザベットの恋路もいよいよ佳境。
第三章『第二王子と悪役令嬢』、どうか最後までお付き合い下さい。(分路)