第54話(下):転職しよう!
「カルバン様の調子は如何ですか?」
訓練の邪魔にならないようグラウンド端の木陰で体育座りをしているわたしに、後ろから声を掛けてくる小娘がいた。
メアリーだ。
「あんた、生徒会の仕事は?」
「一段落、といったところです。明日からはまた急がしくなりそうですね……」
「ちょっと、カルバン様のお手を煩わすつもりじゃないでしょうね?」
「カルバン様が特訓に集中できるように、ノエル様とテオくんが手を打って下さってはいます。そちらの成果次第ですね」
「ふーん」
突っかかってはみたものの、わたしにはどうすることも出来ないことなので適当に相槌を打つしかない。
「それで、カルバン様は順調そうなのですか?」
「そうね……」
グラウンドの真ん中では、今もカルバン様とセレストが話している。カルバン様の服は肩や膝など至る所に砂が付いていた。
何度も転倒した証拠だ。
「最初はね、順調だったのよ。剣の振り方や足運びの基本的なところは」
魔法杖から剣への転向ということで、最初は魔法を使わない基礎の確認からだった。
優秀なカルバン様はそつなく剣も使いこなしていたが……。
「雲行きが怪しくなってきたのは『軽化』した状態での走行トレーニングに入ってからね」
自重を限界まで軽くした状態でのダッシュ。
一歩目の伸び、初速は素晴らしく速かったのだけれど、二、三歩でバランスを崩して転んでしまっていた。
「身体が軽くなると相対的に空気抵抗が大きく感じます。風船を振り回すようなものです。それに身体が浮きがちになると地面への足の付き方も変わるでしょうから、バランスを保てなくなるのも無理はありません」
「そ。それでもカルバン様はセンスの塊だからチャレンジするごとに長く、速く走れるようになったわ。それで、グラウンドの真ん中から端までいけるようになった辺りで二人が話し込み出したんだけど……」
グラウンドの中央、ここからは距離があるので声は聞こえないが、カルバン様が何かを要求して、セレストさんが渋っている様子だった。
「あっ」
だが、それもようやくまとまったらしい。セレストさんが折れたようだ。彼女は仕方なさそうにカルバン様の前に手をかざす。すると、彼の前に一枚の魔法陣が描き出された。
「細かい文様は見えませんが、おそらく『加速』系の魔法ですね。魔法陣を通過したものに速度を付与するタイプです」
メアリーが予想を証明するように、カルバン様はスタート姿勢を取っていた。そして、その魔法陣に躊躇無く飛び込み──
吹っ飛んだ。
「カルバン様!?」
え、なに!? 何が起きたの!?
カルバン様がすごいスピードで跳んだ、いやむしろ飛んだように見えた。あまりのことにカルバン様を見失っている。
「あちらです! なんて速度!」
メアリーが指さしたのはグラウンドの縁になっている茂みだ。
カルバン様はそこに突っ込んだらしい。
セレストさんもそっちに向かっていた。わたしたちも急ぐ。
「カルバン様!! ご無事ですか!?」
カルバン様は木にもたれかかって座り込んでいた。先に着いていたセレストさんは彼の隣に膝を付いて怪我をしていないか確かめている。
幸い、茂みが勢いを削いだようで、カルバン様に目立った外傷や出血はなかった。
「問題ありま──つっ」
カルバン様が左腕を抱えて顔をゆがめる。木に打ち付けたのか、そこが痛むようだ。
「ほら、あんた、早く治療を!」
「はい! カルバン様、腕をこちらに!」
回復魔法が得意なメアリーの背を叩いて治療行為を促す。
メアリーも進んで治療を申し出るが、カルバン様はメアリーに掌を突き出して治療を拒否した。
「大丈夫、軽く打っただけです。少し痛みはありますが、失敗の痛みがあった方が覚えは早くなるでしょう」
「でも……」
「本当に必要な大怪我をしたら言いますから、今はこのままにさせて下さい」
カルバン様はセレストの手を借りながらよろよろと立ち上がる。その表情は少し固くて、お労しかった。
「ちょっと、セレストさん。貴女の監督責任じゃありませんこと? カルバン様の身に何かあったら──」
「やめて下さい、エリザベット。渋る彼女に私が無理を言って魔法を使って加速の補助をして貰ったのです。彼女が批判される謂われはありません」
カルバン様は庇ったが、セレストさんは苦々しい顔で首を横に振る。
「いや、エリザベットの言う通りだ。私の想定が甘かった。まさかここまで急加速するとは……。『軽化』の効果を甘く見ていた」
「おそらくカルバン様の魔力は『軽化』だけではなく『激化』の性質も強いのでしょう。水の『循環』、風の『直進』のように、属性にはそれぞれしやすい運動があります。火属性は『激しさ』を内包しますから、その影響で動きが『激しく』なりやすいのではないかと」
解説好きのメアリーが一息で喋る。
「制御は難しいけど、爆発力はあるってこと?」
「流石エリザベット様、ご理解が早い。面白い特性ではありますが、短期の修得に向けては……」
メアリーの懸念を受けてセレストが頷く。彼女はカルバン様に肩を貸しながら言う。
「難題だな。やはり『軽化』の度合いを落としませんか? トップスピードは落ちますが制御はしやすく──」
「いえ、それではいけません。半端な速度ではロミニド王子に対応されてしまいます。トップスピードは維持するべきです」
カルバン様は毅然と言う。そんな苛烈さも素敵だが、わたしは先ほどの痛そうな顔が忘れられない。
「で、でもカルバン様それで御身を傷つけては……」
「最終的な目標は変えない、というだけですよ。私もそこまで無謀ではありません。段階的に、今日はまず自分の足で走れるようにすることに注力します」
彼は「ありがとう」とセレストの肩を離れ、一人でグラウンドの方へ歩き出す。
「少し、自主練習させてください」
「む、無理はしないで下さいね!」
一度振り向いて笑顔を残し、彼は一人練習に戻った。
グラウンドの外には女三人が取り残される。
「セレスト様、カルバン様は大丈夫でしょうか?」
「なんとも言えんな。剣と魔法、共に筋はいい。が、焦りが見える」
焦り。
特訓期間が短いことへの焦りもあるだろうけど、きっと、お兄さんのロミニドに対する複雑な感情がそれを後押ししている。
不安を感じていると、セレストさんに肩を叩かれた。
「そう心配するなエリザベット。まあ、悪いことばかりでもない。制御は難しいだろうが、さっきの速度は目を見張るほどだった」
わたし、そんなに暗い様子だったのかしら?
ともかく、事故のような出来事だったけど、確かにさっきのカルバン様はものすごく速かった。
「初速、瞬発力で言えば私以上になるかもしれん。そうだな……あれを活かして突撃、初撃で勝負を決める。現状は、それがベストだ」
「そうですね。実戦では加速にはアフターバーナー──魔法で炎を放つ反作用を利用する想定です。魔法の同時展開は難易度が上がりますし、動きは単純な方がいいと思います」
セレストの提案にメアリーも同意する。
メアリーが提案した想定、つまり外伝で描かれたという未来のカルバン様の戦闘スタイルは、自身に『軽化』を施し、今まで遠距離攻撃として使ってきた『炎』を加速に転化して高速自在の変速軌道で敵を翻弄し切り倒していく、というものだった。
しかし、さきほどの様子からすると、さしものカルバン様でも一ヶ月でそこまで魔法を使いこなすのはいくらなんでも無茶だ。
「ま、詳細はカルバン様の修得状況を見ながら修正していくしかないな。私も似たような魔法を持つ友人に『軽化』を使った戦闘のコツを聞いてみるよ」
結局、それしかないのよね。
どれだけ計画を練ってもそれは机上の空論、最後はカルバン様次第だ。
だから、わたしは自分に出来るサポートを精一杯しようと思う。
なんとなく話に区切りがついたところで、わたしたちもグラウンドに戻ろうとしていた。
「しかし、自主練を希望されると、私は暇になるな……。よし、エリザベット」
前を歩いていたセレストさんが振り返る。青みがかった黒髪のポニーテールがなびいて綺麗ね。
「君も特訓するか」
「は?」
何を言ってるんでしょうかこの人は。
「いいですね! やりましょう!」
「なんであんたが答えるのよ……!」
何を言ってんだろうかこいつは……!
「いい機会だと思いますよ、それに」
メアリーは息を一杯吸い込んで、今も自主練に勤しんでいるカルバン様に向かって叫ぶ。
「カルバン様ぁー! カルバン様と一緒になる人は体力があった方がいいですよねー!」
カルバン様は足を止めて、少し考えると、こちらに走っていらっしゃった。軽く『軽化』を入れているのか、速い。
「そうですね。公務で各地を査察して回ることもありますし、王族ともなればトラブルに巻き込まれることもあるでしょう。体力はあるに越したことはありません」
「ほら、カルバン様もこうおっしゃっていますよ? それに」
メアリーはちょっと背伸びをしてわたしの耳元で囁くように言う。
「カルバン様は努力出来る、頑張る女の子が好きです。そういう姿勢を見せることはきっとプラスになりますよ」
ぐぬぬ。
わたしは、しっしとメアリーを追い払って言う。
「わかった、わかりました! 特訓でも何でも、やります! やればいいんでしょ!」
他ならない、カルバン様に好かれるためならば……!
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「はぁ、はぁ、は、はああ……」
決意を固めた、わずか数分後。
わたしは死にそうになりながら、「やる」と言ったのを後悔していた。
「これは酷い」
わたしの全力。
腹筋、0回。
腕立て伏せ、0回。
背筋、3回。
グラウンド一周、半周でバテたためタイム測定不能。
ええ、惨憺たる結果だわ。まったくもってセレストさんの言う通りである。
「え、えっと……そう、伸びしろ! 伸びしろがありますね!」
「うるさい」
フォローのつもりなのか知らないが、煽ってるようにしか聞こえなかった。
「はぁ……」
こういう結果が目に見えることをすると痛感する。
うわっ、悪役令嬢のスペック、低すぎ……?