第49.5話:どうしたものか
「ふぅ」
追い出されるようにエリザベット様の部屋を出た私は、今し方閉じたばかりの扉に背を持たれかけていました。頭上、『エリザベット・イジャール』と刻まれたネームプレートが振り子のように揺れるのをなんともなしに眺めながら、先刻のことを思い出しています。
『こんの馬ぁぁ鹿!』
「怒られちゃいましたね」
呟く声は自分でもどうかと思うくらい軽い調子でした。
エリザベット様に見られたら、「反省してないわね?」ってまた怒らせてしまいそうです。
「ふふっ」
そんな様子を想像したら、おかしくて、余計に笑みがこぼれました。
エリザベット様のことは好きです。
あ、もちろん、同性の友達としてですよ?
かわいくて、綺麗で、一途で、健気で、ちょっと……いえ、かなり素直じゃありませんが、いい人だと思います。
だからこそ、
「ちゃんと、恋を成就させてあげたいのです」
扉にそってずるずると落ちていた身を起こします。
廊下は暗く、しんと静まりかえっていました。
消灯時間が定まっているわけではありませんが、ロウソク、特に臭いのない蜜蝋は高価なので、特別な日以外はこの世界では太陽が沈んだらみんな活動を止めて素直に寝てしまうのです。お貴族様ばかりとはいえ、この学園も例外ではありません。財力とは別に習慣的なものがあるのでしょう。
「夜中まで勉強しているとポートさんの目が変なものを見る目になるのもそのせいですかね……」
現代人感覚で夜更かししてはいけないということです。
そういうわけでして、帰りの廊下は灯りのない暗い道行きです。
大きな窓から月と星の灯りが差し込んでいるおかげで、人口の灯りがなくても足下を見失わないのは幸いですね。
前世では確か昔は大きなガラス板を作るのは難しかったと聞きますが、この窓はどうやって作ったのでしょうか? やっぱり魔法かな? そんなことを考えながら大窓の前で足を止めました。
学園の女子寮は四階建てで、おおよそ爵位が高いほど上の階に部屋が用意されます。公爵令嬢のエリザベット様の部屋は当然、最上階の四階です。
四階の窓から見上げる空は、一階にある私の部屋から覗く空よりも近くて星がよく見えるような気がします。
「綺麗……」
地上に光が少ない分、この世界の夜空はとても綺麗です。
誰もいない暗闇の中、一人夜空を見上げる。
考え事をするには絶好のシチュエーションです。
さて、
「どうしたもんですかね……」
カルバン様にはしてやられました。
告白で先手を取られ、その後の交渉はベストは尽くしたつもりですが、今月中に意思の硬いカルバン様を落とさないといけなくなってしまったのはやはり厳しい結果です。
秋翠祭が期限ということは本来のカルバンルートで重要な魔法大試合後に再起へ向かう一連のイベントも使えないことになります。
ローランやノエルの攻略には大いに役立ってくれたキーイベントには頼れません。
「うーん」
そして、それよりも大きな問題はエリザベット様自身です。
カルバン様限定のあがり症の改善、カルバン様に訴えかけるための気持ちの言語化など、エリザベット様に頑張って貰わなければいけない課題は多いです。
「どうしたもんですかね……」
譫言のように同じ言葉を繰り返してしまいます。ですが、同じ言葉でもさきほどとはそこに込められた意味合いが少し異なります。
カルバン様へのアプローチはノーアイデアで困っていますが、エリザベット様に関してはむしろ逆。
問題の答えが分かっているから困るのです。
これらの問題は、エリザベット様が自分を顧みて、トラウマに向き合い、その上で今の自分に自信を持って頂ければ解決するはず……いえ、解決します。
断言出来る根拠があるのです。『Magie d’amour』の続編として出版された小説、大罪シリーズの一作目『竜の心臓』に、そのような内容が書かれていました。
でも、
「エリザベット様、大罪シリーズ読んでないっぽいんですよね……」
読んでいるにしては『エリザベット・イジャール』という人物の分析が出来ていないようでしたから、前々からそうじゃないかと思っていました。それに加えて、『竜の餌にはなりたくない』とおっしゃっていたので確信しました。
『竜の餌』は事前情報で発表された内容でしたが、最後まで読めば事件の真相は全く違うことが分かるはずです。
エリザベット様は前世で『竜の心臓』を読んでいません。
困りました。
「どこまでネタバレしていいものでしょうか……」
半端に原作の知識があるとこの世界では返って上手くいかないことがあるのはキメライベントの際に痛感しました。
今後『竜の心臓』と同じ、あるいは似たようなことが起こる可能性も考えるとエリザベット様にお伝えする情報は慎重に選ばないといけません。
それに、伝え方も考えないといけません。
『竜の心臓』ではエリザベットが意識が混濁した夢現の特殊な状態で自信のトラウマと向き合うことになります。
理性の効かない、魂がむき出しになったような状態で過去に触れたからこその改心です。
仮に、私が『竜の心臓』の内容を語って聞かせたとして、それと同じ効果が得られるとは思えません。
「どうしたもんですかね……」
溜め息を吐くように自問すると、窓に小さな曇りが出来ました。
白いモヤが跡形もなく消えていくのを見届けて、私はもう一度夜空を見上げます。
地上の私にはどうしたって手の届かない天上の光。
「どうしたら、何もかもが上手く行ってくれるんでしょう……」
何度問いかけても、星々は美しく輝くばかりで何も答えてはくれませんでした。
次回更新は07/04(火)になります(分路)