第49話(下):約束
カルバン様と一ヶ月後に付き合うなどと言い出したメアリー。彼女の釈明を聞き、わたしと付き合う気が皆無なカルバン様の目を一ヶ月の制限時間付きでわたしに向けさせるという試みらしいと分かってきた。
「はい」
そんなとき、わたしとメアリーの会話に割り込む形でサラが手を挙げた。
珍しい。基本的に主人を邪魔しないことを第一として空気に徹しているサラが能動的に発言するなんて。
「それは、お嬢様に不利ではありませんか? 心の内など他人には見えないのですから、カルバン様が本当にエリザベット様を受け入れようとしたか確認が出来ません。口先で誤魔化し、一月流されて終わりではないでしょうか?」
サラはカルバン様の誠意を疑っていた。私的な場とはいえ、『不敬罪』というならこちらの方が危ない。サラは学生じゃないのだから。
「サラ……」
それでも、彼女は疑いを口に出した。わたしの不利益を見逃さないために、だ。
本当、よく出来たメイドだわ。
「大丈夫です」
わたしの感動を他所に、勇気ある疑念をメアリーはきっぱり否定した。
「だって、この一ヶ月をないがしろにしてしまったら、今後一生、私はロミニド様のことを忘れず、真にカルバン様のものにはならないことになります。そんな不合理をカルバン様はされませんよ」
「同意するわ、根拠になるトロフィーがあんたなのは気にくわないけれど」
カルバン様は王に相応しい先を見通す目を持った御方だ。目先の利益に飛びつくような真似はしない。
疑問に答えたメアリーは、「出過ぎた真似を」と言って下げたサラの頭を、気にしないでくださいと上げさせた。
そして、わたしに正対する。
「いいですか、エリザベット様。期限付きではありますが、これは大きなチャンスです。とりつく島もなかったカルバン様の心に向こうから港を作って招き入れてくれるのですから」
「……具体的には?」
彼女の言っていることは正しい。
あのままでは、いくら時間があっても芯が強いカルバン様を心変わりさせることは難しかっただろう。
だから、制限時間を設定してでもその態度を緩めた彼女の選択はきっと正しいのだ。
けれども、一月というのは短すぎる。短期間でカルバン様と懇ろになるには何か秘策が欲しいところだわ。
「具体的に、方策はあるの?」
「はい! ノープランです!」
「お馬鹿!」
曇りのない笑顔で無能を晒すわね……!
「だって、エリザベット様、まずはまともにおしゃべりできるようになりませんと」
「うっ」
そこを突かれると痛い。
「で、でも、最近は少しはお話出来るようになったし……」
「一言二言ではまともな会話とは言えません。せめて相手の目を見て自然体でお話出来るくらいにはなって貰いませんと」
「……はい」
それが出来なければ交際なんて夢のまた夢だ。
わたしに、出来るかしら?
未だにお会いするだけで舞い上がってしまうようなわたしに? 後一月足らずで?
考えれば考えるほど不可能に思えてきて気分が沈んできたわ……。そんなわたしと対照的に、メアリーの表情はどこか明るかった。
「あんたは良いわね、他人事で」
「違いますよ、私は信じているのです」
楽天的な雰囲気のまま、彼女はわたしを見て目を細める。
遠い夜空に輝く星を見つめるような、楽しげで、でも何故か少し儚げな目だった。
「エリザベット様はこーんなに! カルバン様のことが大好きなのですから! その想いはきっと伝わります」
「ストーカーの発想ね」
「も、もう! 自分のことなんですから茶化さないでください。エリザベット様ほど一途に、強く、長く、誰かを想えることは本当にすごいことだと、わたしは思います。だから、きっと大丈夫です」
「はぁ……。ふふ」
溜め息と共に笑みが漏れる。
何の根拠もないのに、こいつが言うと、それが正しいような気がしてくるから不思議だ。主人公の魔力だろうか。
「むしろ──」
「ん?」
雲行きが変わった。
メアリーの表情に、見たことのない色が混ざっている。
「むしろ、不安なのは私です。本当、エリザベット様を見ていると自信をなくしてしまいます。私のロミニド様への好意なんてちっぽけな気の迷いみたいなものなんじゃないかって」
それは、わたしには馴染み深く、しかし、メアリーはあまり見せない類いの感情だった。
自嘲。
自らをあざ笑う自罰的な悪感情。
無駄に自信に溢れたメアリーにしては珍しく、卑屈と弱気がにじみ出ていた。
「ねえ、エリザベット様。カルバン様と上手く行ったら、ちゃんとわたしを助けてくれますか」
わたしはカルバン様と付き合えさえすれば、後のことはどうでもいい。
だからって、わたしがその過程に尽力した人間に何も返さない恩知らずだと思ってるのかしらこいつは。
「あいたっ」
微妙に腹が立ったのでデコピンしてやった。
「言われなくても助けるわよ、絶対。約束してあげる」
顔が光った。
たった一言で、そう錯覚するほど、メアリーの表情はぱーっと明るくなった。
単純なやつ。というか、そんなに嬉しそうにされるとこっちが恥ずかしくなってくるじゃない。
「ああ、えぇっと、そう、そうそう。だって竜の餌にはなりたくないもの」
わたし、エリザベット・イジャールは『Magie d‘amour』でメアリーをいじめた罪によって東部辺境の塔に監禁され、続編の『竜の心臓』の冒頭で竜に食われる。
なんかもう忘れかけていたが、わたしとこいつの関係はこの未来の回避に端を発しているのだった。
メアリーへのいじめなんてとうの昔にやめているが、このゲーム世界のいい加減さを思うと、たぶんこいつはその気になれば今からでもエリザベット断罪イベントを起こして私を辺境送りに出来る。
もし約束を破ったら、報復として無理矢理にでも断罪イベントを起こされるかもしれない。
それは怖い。だから今後もメアリーに協力しないといけない。
うん、完璧な理論だ。決して、こいつ個人に情を感じているとかではない。
「あ、そうですか。やっぱり、エリザベット様は……」
メアリーは何やらぶつぶつ呟きはじめた。
気落ちするのはわかる。人寂しい彼女のことだ、好意に俗物的な理由があると言われたら萎えるでしょう。
でも、急に独り言を言いながら考え込むのは、よく分らない。不気味だわ。
「ねえ、どうしたのよ」
「あ、はい、すいません。えっと、とにかく、そういうことになりましたので、これからは短期集中で頑張りましょう! 今日はもう遅いですし、残りのことは明日の放課後に」
つつくと、言葉をまくしたててまとめに入ってきた。
考え込んでいた内容について話す気はないようだ。
まあ、わたしも今日は疲れたし、解散に異議はない。
メアリーが背を向ける。
「あ、ちょっと待ちなさい」
けれど、これだけは言っておきたい。
カルバン様の告白をどうするか自分で決めろと言ったのはわたしだ。
そして話を聞く限り、メアリーは自分の我を通しつつも、最大限わたしのことを慮ってカルバン様と話し合ってきた。内容に批判するような瑕疵はない、と思う。
だから、理論上文句はないはずだ。ないはずなのだけれど、自分でも上手く説明出来ないんだけど! 「何してくれてんのあんた」という漠然とした苛立ちがさっきから心の中にどんどん積もっていた。
それはもう、限界なくらいね。
「はい、どうかされましたか?」
だからわたしは、振り向いたいつもの能天気な笑顔に向けて、思いっきり叫ぶの。
「こんの、馬ぁぁああ鹿!」