第48話:その言葉は受け容れ難く
目を覚ます。
見慣れた天井、嗅ぎ慣れた匂い。学園寮に拵えたわたしの部屋だ。
当たり前か、他にどこで寝起きするというのかしら。
「んっ」
疲れが取れていない気がして少し伸びをする。
わたしはあんまり朝が強い方じゃないから、ほぼ毎朝サラにせっつかれて起きるのだけれど、今日は珍しく自分で起きられたようだ。
けれども気分は全然爽快じゃない。
と言うのも──
「お嬢様、お目覚めですか」
部屋の入り口にサラが立っていた。起こしに来たのかしら?
「あ、サラ。おはよう」
「……お早う御座います」
「ねぇ、ちょっと聞いてよ。わたしったら酷い悪夢を……」
モヤモヤした気分を愚痴って軽くしようと思ったのだけれど、サラは気まずそうに俯いてしまっていた。
なんだろう。目を合わせてくれない。
「エリザベット様! お目覚めですか?」
サラの様子に悪い予感を高めていると、寝起きの頭にキャンキャン響く元気な子犬のような声が耳に入ってきた。
メアリーだ。ここはわたしの部屋なのに、何故あんたがいる。
……いや、当たり前か。
だってわたしが寝込んだのはメアリーに、カルバン様、が──
「エリザベット様、不躾ながら進言いたします」
表情に乏しいサラがいつもよりも一層暗い、もはや悲痛ささえ感じさせる面持ちで言う。
「カルバン様がメアリー様に告白されたのは、悪夢ではなく紛れもない現実かと」
「きゅぅ」
「エ、エリザベット様!? またですか!?」
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「エリザベット様? 大丈夫ですか?」
本日二度目……朝も含めれば三度目か。三度目の目覚めを向かえたわたしに、ベッドの横の椅子に陣取ったメアリーが開口一番問いかけてきた。
「全然大丈夫じゃないけど、まあ、多少は落ち着いたわ」
二回も気を失えばいくらわたしだって少しくらい現実を受け入れる準備が出来るというものだわ。
カルバン様がメアリーに告白した。
それが否定しようのない現実だ。
「って、そうよ! あれからどうなったの? あ、あんたまさかOKしたんじゃないでしょうね?」
「ご安心ください。エリザベット様を裏切るようなマネはしませんから」
「はぁ!? じゃああんたカルバン様の寵愛を突っぱねたって言うの!? 何様のつもり!?」
「どうあっても怒られるんですね! 理不尽!」
仕方ない、恋心とは理不尽なものなのだ。
メアリーに非がなくても、道理としてはわたしに振り向いてくれないいけずなカルバン様に怒るべきであっても、怒りの矛先は好かれた女に向くものだ。
「それで、結局わたしが倒れてからどうなったのよ」
「どうにもなってない、というのが回答になります。倒れてしまわれたエリザベット様の救護が優先となりまして、告白の答えは有耶無耶になっています。怪我の功名ですね」
それなら倒れた甲斐もあったというものね。ものかしら……?
「そう、そうなのです! ああ、やっとこの話が出来ます。あの空き教室では有耶無耶で終わりましたが、エリザベット様の様態が確認出来たら告白にお答えするという約束になり、カルバン様には今、離れで待ってもらっているのです」
『離れ』というのは女子寮の隣にある小屋のことだ。
男子禁制の女子寮に代わって男性の来客をもてなす役割がある。ちなみに、男子寮の隣にも同じ小屋が建っている。
「じゃ、早く行きなさいよ」
「え……?」
メアリーは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で目をぱちくりさせていた。
出て行く気配はない。
「なに。見ての通りわたしは起きたし、ピンピンしてるのも確認出来たでしょ? カルバン様をお待たせするのもよくないわ。ほら、さっさと行けば」
「いえ、あの、ですが、カルバン様にどうお返事をすべきかエリザベット様と考えようと思っていたのですが……」
「そんなのあんたが決めなさいよ」
「……エリザベット様、拗ねてます?」
「ああん? そんなわけ……、まあ、あるけど」
拗ねてるかって? ああ、そうですとも、拗ねていますよ。大好きな男の子が気にくわない女に告白したんです。そりゃ拗ねますとも。
けれど、それだけじゃなくて、
「いい、脳天気なあんたにはわかんないかもしれないけど、『告白する』って勇気の要ることなの。わたしが何度この溢れる想いを伝えようとして断念したか。だから──」
カルバン様は素晴らしい御方だ。その精神力はわたしなんて及びも付かない。けれども、それでも、告白するにはそれ相応の勇気と覚悟があったはずなのだ。
だから──
「あんたには告白に誠実に答える義務がある」
「じゃ、じゃあ、もし、もしですよ? もし私がカルバン様の告白を受けても良いと思っているなら……」
もじもじとわたしの様子を伺うように問いかけるメアリーの姿に、ふと、彼女と手を組んだときのことを思い出した。
『わたしをカルバン様とあんなことやこんなことをしちゃっても良いのですか?』
お互いが転生者であると知った後、こいつはそう言ってわたしを焚き付けたんだったわね。
あのときのわたしは、反射的にその未来を否定した。
けれども、カルバン様とメアリーが交際する未来が現実味を持って再びわたしの前に現れた今、わたしは、それを……否定出来なかった。
「受ければいいじゃない。それでカルバン様も幸せ、あんたも幸せ。カルバンルートでMagie d’amourも締められて、めでたし、めでたし。よかったわね」
皮肉げに言うのはせめてもの強がりだ。
強気で投げやりな言葉とは裏腹に目尻からほほには熱いものが溢れていた。
「全く、なんでそう、肝心なところで健気なのですか」
無礼な物言いにメアリーを睨む。けれども、煽るような言葉を言ってきた癖に、その表情はどこまでも優しく、柔らかかった。
彼女は腰を上げベッドに乗り出して、わたしに手を伸ばす。平民のくせに労働を知らないような白く細い指が、そっとわたしのほほに流れていたものを拭った。
「分かりました。確かに、告白にはちゃんと向き合うべきですよね。私もゲーム感覚だったのかもしれません。反省、反省です。そこに気付かせてくださるとは、流石エリザベット様」
メアリーはそのままベッドの上、わたしに寄り添うように座る。
顔が近い。近いって。
「ですが、私の本命はロミニド様です!」
呆然とするわたしの手をメアリーは両手で包んだ。
「カルバン様には誠実に、実直に、素直に、私の想いを伝えます。カルバン様のおっしゃることもちゃんと聞いて、お話してきます。ですが、これだけはお約束します。エリザベット様がこれ以上涙を流すような結末にはしません。絶対に、しません」
「だって」と彼女は控えめな胸を張る。
「カルバン様も一人のご友人として好きではありますが、エリザベット様のことも、私は大好きなのです。『みんなハッピーな大団円を目指す』。それが私たち『互射のキューピッド同盟』の目標です! エリザベット様もハッピーにして見せます! 主人公として妥協は致しません!」
メアリーの声は決して大声ではなかったけれど、芯が通っていて、力強かった。
「何様よ、あんた」
発した呟きは、小さく震えていた。泣いているんじゃない、笑っている。
ああ、ホント、この女は、なんて身の程知らずで、なんて頼もしいんだろう。
「分かったから。もう行きなさい。カルバン様が首を長くしてお待ちよ」
「はい、いってきます」
サラをお供に寝室から去るメアリーの背を、わたしはずっと眺めていた。
二人の背が壁に隠れて見えなくなって、玄関の扉を開閉する音が聞こえた。メアリーには絶対に聞こえないと確信してから、わたしは祈るように呟いた。
「頼んだわよ。わたしの主人公」
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メアリーが戻ってきたのはそれから1時間ほど後、夜もすっかり更けてきた頃だった。
「ご報告いたします」
軍人の真似事か、ピシッと敬礼してメアリーは言う。
「カルバン様との協議の結果、『1ヶ月後に私がカルバン様とお付き合いする』ということになりました!」
「………………へ?」
前言撤回。
やっぱり、こんなやつに、頼るんじゃなかった……!