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第43話(下):サラ・メイドル

 お嬢様と私。二人きりになりますと、空気が弛緩するのがわかりました。

 エリザベット様に心を許しているとは言い難い身ではありますが、それでも共にいた時間の長さが二人だけの空間を身体になじませています。


「まぁ急にこんな話を聞かされても困るわよね? あの女、本当強引なんだから」


 先に口を開いたのはお嬢様でした。


「そうですね。不意打ち気味にお二人の事情をお話しするのは金輪際しない方がよいかと。特にこの世界が『物語』などと言うのは」


「そうよね、本当そう。分かった、あいつにはキツく言っておくわ。私、そういうの得意だから」


 得意げな顔をするエリザベット様が可笑しくて、


「ふふっ」


 つい、笑みがこぼれました。


「何よ」


「いえ、私ほどそのことを知っている者もいないだろうと、そう思っただけで御座います」


「なっ。わ、悪かったわね」


 使用人全員に──使用人個人の区別がついていなかったのかもしれませんが──キツく当たっていたエリザベット様。その被害を最も受けていたのはお世話役の私に違いありませんでした。

 それも、ここ最近、エリザベット様が前世の記憶を思い出したという時期からはめっきり無くなりましたが……。


「ねえ、サラ」


 物陰から外の様子を恐る恐る覗う子供のような、小さな声でした。

 今まで聞いたエリザベット様のどの声よりも、それこそ本当に十歳足らずの子供だった日のお嬢様よりも弱々しい声でした。


「貴女、メアリーの話を聞いて、どう思った? 結構大きな隠し事をしてたわけだし、わたしたち、異世界からの転生者なんて得体の知れない存在だったわけだけれども……」


「そうですね……」


 目を瞑り、閉じた視界の分まで意識を思考に割いて、よく考えます。

 最初は混乱してしまいましたが、冷静に振り返れば腑に落ちるところはあるのです。

 急に丸くなった言動。メアリー様と仲良くなり、怪しげな会話を繰り返していたこと。キメラ事件や誘拐事件に対し最初から事の発生と真相をご存知かのように動いていらしたこと。奇妙な甘味を作り出したこと。

 謎としか言いようのないエリザベット様の奇行に『転生』という理由が有ったと知れば、混乱するどころか、寧ろ納得がいきます。

 そうお伝えしようと決め、目を開けると、


「あ」


 黙考している時間が長過ぎたのでしょうか、エリザベット様は不安げな顔をされていました。そして、我慢するように結んでいた口を小さく開きます。


「わたしのこと嫌いになったりしてないわよね?」


「あ、はい。それは大丈夫です。元々好きでもありませんでしたので」


 予想外な弱々しいセリフに、つい、素で答えてしまいました。


「え!?」


「え」


 そんなに驚くことでしょうか?


「わたしのこと嫌いだったの?」


「いえ、嫌いというわけでは……あまり関心がなかった、と申しますか……。ああ、でも少し苦手ではありました」


「わたし、サラだけは味方だと思ってたんですけど!?」


 エリザベット様は目を大きく見開いて白黒させています。本気で狼狽えているご様子に、思わず半目になりました。


「エリザベット様、失礼ながら逆にお聞きしますが……これまでのお嬢様の接し方に、好かれるような要素がありましたか?」


「そ、それは……ぐぅ」


 何年もの付き合いでありながら先日まで名前も知らなかった相手にどうして好印象を持たれていると思っていたのでしょうか。


「で、でもみんな辞めてくのにサラだけは続いてたし……それに! 前世の記憶を思い出してからはわたしもサラのこと大事にしてたし! サラだって最近なんかいい感じだったじゃない!」


 使用人の区別がついていたことに少し感心しつつ、「おっしゃる通りです」と自分にも分からない心境の変化に首をかしげました。

 確かに、今のエリザベット様には親近感のようなものを感じています。

 エリザベット様の態度が柔らかくなったからでしょうか? それとも、漸く名前を覚えてもらえたからでしょうか?

 ですが、主人に認められたというのなら抱く感情は敬愛になるでしょう。

 親近感というのは、寧ろ自分に近い相手に抱くもので──、


「ああ、成程」


 そこで、話が繋がるのですね。


「────」


 エリザベット・イジャールという少女が苦手でした。

 それは高飛車な態度のせいではありません。

 望めば旦那様やお兄様方が何でも用意してくださる環境で育てば、我儘にもなるでしょう。

 手に入る物を欲するのは正当ですから、お嬢様の気性は気になりませんでした。

 ですが、ですが手に入らない物を──カルバン王子を、それでも諦めず求める姿は我慢なりませんでした。


「サラ?」


「倒れられた後、私はお嬢様がカルバン王子を諦めたのだと思ったのです」


 曖昧だった感情が言葉にしていくことで、形になっていきます。


「……怒るわよ」


 拗ねたようにお嬢様は言います。


「申し訳ありません。ですが……私はそのお姿を見て、安心したのです」


「安心?」


「はい。『お嬢様も漸く、身の程を知ったんだ』、と」


「……」


 王子との婚約は公爵家の権力だけでは達成出来ません。僅かとはいえ魔力があり身分もありますから土俵には上がれるでしょう。ですが、結局のところエリザベット様自身が王子に見初められる必要があります。

 そして、それが叶わないことは誰の目から見ても明らかでした。


 手に入らぬ物は欲さない、入る物で満足する。

 カルバン王子を諦め、どこか投げやりですらある姿は、自分の人生に見切りをつけ『それなり』に生きる冷めた私と同じように思えました。


「ですが、違ったのですね」


 クローゼットの中で静かな、しかし強い怒りを孕んだ声を聞きました。

 外に出さなくなっただけでお嬢様の想いは消えたりなどしていなかったのです。

 お嬢様は、やはり、私などとは違のだと、そう思い知らされて──、


「サラ、なに笑ってんの」


「──私は笑っていますか」


 おかしなことです。

 諦めないお嬢様が苦手でした。

 諦めたと思って安心し、親近感がわきました。

 なのに、本当は諦めていなかったことを、嬉しく思っている。


「エリザベット様。まことに勝手ながら、私はお嬢様に諦めて欲しくないと望んでいたようです」


 鈍感なことに七年も一緒にいたお方への気持ちをようやっと自覚しました。私もエリザベット様のことは言えませんね。


「私はお嬢様のことが苦手で──羨ましかったのです」


 身分や金銭ではない、もっと内面的な部分で私にないものを持っているお嬢様のことが眩しかったのです。


「お嬢様の高慢さは周囲を傷つけるかもしれません、疎まれるかもしれません。ですが、今までも、これからも、必ず私は隣におります」


「────」


「ですから、お嬢様はどうか我儘に、身勝手に、がむしゃらに、欲するがままに全てを求めてください。その光を、その熱を、私に見せていただきたいのです」


 頬が熱くなる感覚。少し、話し過ぎてしまったかもしれません。恥ずかしい、などと感じるのはいつぶりでしょう。

 ただ黙って私の話を聞いていたエリザベット様は、


「そう」


 と一言だけ呟きました。

 そして、頬を綻ばせて穏やかに微笑まれました。


「だったら──やっぱり貴女、わたしの味方じゃない」


「……はい」


 たった二文字の短い返事が、なかなか出てきませんでした。

 私はお嬢様が期待されているほどお嬢様のことが好きでも忠誠を誓っているわけでもありません。ありません、と思っていました。

 なのに、お嬢様に微笑まれて胸に熱いものを感じています。

 感動、しているのでしょうか。


「うん、よしっ、なんか元気出て来きた!」


 お嬢様は勢いよく立ち上がり、動きたくて堪らないといった様子で腕や肩を回します。そして、扉の方に向かって、


「おーい、平民女! あんた、どうせ聞いてるんでしょ」


 お嬢様の呼びかけに答えるように、入り口の縁から茶髪の頭がひょっこりと生えてきました。


「バレてました?」


「あんたの野次馬根性はよく知ってるもの。そんなことより──」


 お嬢様はめいいっぱい胸を上下させて深呼吸をし、私を一瞥した後、メアリー様に向かってはっきりと宣言しました。


「わたし、明日カルバン様に自分から話しかけるわ、絶対。約束する」


「お? おお! 素晴らしい意気込みです! ですが、どういう心境の変化ですか?」


「サラがね、わたしが諦めないと嬉しいんだって。だったら、頑張らないと」


 結局メアリー様の疑問は解消されていません

 お嬢様がどうして消極的になられたのか、私にはとても推し量ることなど出来ず、それはきっとお嬢様ご自身にしか分からないことでしょう。

 ですが、それでもお嬢様が前を向くための何かを贈ることが出来たのなら、それは侍女の誉れ、と思っていいのでしょうか。


「サラ!」


「はい、お嬢様」


 席を立ってお嬢様と目線の高さを合わせます。


「い、今更、なんだけど一度ちゃんと言っておくわ」


 言いながら、視線を外されてしまいました。

 お嬢様は横を向いて、ご自慢の金髪縦ロールを伸ばしては縮めと弄んでいます。


「サラ。馬鹿で、自分勝手で、意気地無しなわたしを見放さずに支えてくれて、ありがとう」


 お嬢様はぎゅっと力を込めて目を瞑り、今度こそ私と目を合わせてくださいました。

 深紅の寝間着にあたった光が照り返しているのか、そのお顔は少し赤らんで見えます。


「それと、これからもよろしくね」


 周囲の人間を傷つけながらも、自由に煌めく炎のような乙女。

 その小さな可愛らしい火を尊いものだと、私は思っていたようなのです。


「はい、エリザベット・イジャール様。貴女の一の侍女、サラ・メイドルは生涯貴女のお傍に」


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