第43話(上):サラ・メイドル
ケヴィン・メイドル男爵は人誑しでした。
没落貴族と揶揄される家系に産まれながら、人柄と話術で社交界を席巻し、成り上がった傑物、それが私の父です。
父の人誑しは性別を問わなかったようで、権力を持った男性に取り入り社会的に成功しただけでなく、多くの女性にも好かれました。
有り体に言って、モテたのです。
父は五人の妻を娶り、子供の数は……確か十六人でしたか。私は四人目の妻から生まれた、第八子の五女です。歳の離れた兄弟姉妹とはあまり面識もありません。
一代で成り上がった父の地盤は貧弱であり、多くの子供を満足させられるほどの財産はありませんでした。したがって、大人になったら適当なところに働きに出され、その先で一生を終えることになる。そんな将来を私は幼い頃から当たり前のように受け入れていました。
ですから、15歳の冬、イジャール公爵家の長女にレディースメイドとして生涯お仕えすると決まったときも、然したる感慨はありませんでした。
「あんたがわたしのしもべね!」
自分の腰ほどしか背のない小さな女の子に開口一番そう言われたときは、流石に少し驚きましたが。
はじめてお会いしたエリザベット様は、8歳の身で既に『小さな暴君』と使用人たちに囁かれる問題児でした。
イジャール御夫妻にとっては四人目にして初めての女子。よほど可愛かったのでしょう、御夫妻とお兄様方はエリザベット様を節操なく溺愛し、叱る人間の居ない屋敷の中で、お嬢様は正に女王でした。
使用人にキツく当たり、罵詈雑言も日常茶飯事。毎日世話をしてもらっている相手の名前すら覚えないお嬢様の暴君振りに辞めていくメイドも少なくなく、彼女の周りで私が一番の古株になるのにそう時間はかかりませんでした。
私が長く続けられたのは、他に行き場がなかったこともありますが、きっと無関心だったからだと思います。
望めば全てが手に入る御身分、公爵の娘であるお嬢様は私とは別世界と言っても過言ではないほど隔絶した存在です。
別世界の人間が何を言っていても何をしていても、私の世界には無関係なのだから気にしなければいい。
そう思えばどんな仕打ちを受けても痛むことはありません。ただ粛々とかお嬢様の隣で業務をこなしていれば公爵令嬢の御付きとして一生の生活が保障されるのです、安いものでしょう。
ああ、ですが、一つ。
一つだけ胸が痛むことがありました。
カルバン様に袖にされて涙ぐむお嬢様を見ると……いえ、すげなくあしらわれているのにも関わらずカルバン様に諦めず向かっていくお嬢様の姿を見ると──無感動な私の胸が、何故か、少し痛むのです。
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いつの間にか閉じていたまぶたをゆっくりと開きます。
少し、うとうとしてしまいました。
メアリー様がエリザベット様を食堂に誘導している隙にクローゼットへと潜み、それから何時間ほどたったのでしょうか。
隙間から漏れる一筋の光を除いて真っ暗な世界。幸い、閉所も暗所も平気な質だったようで辛くはないのですが、やるべきこともなく音も光もわずかな空間に留まっているのはいささか退屈です。
おかげで、昔のことなどを思い出してしまいました。
「ふぅ」
吐くため息はお嬢様に聞こえないよう、小さく。
メアリー様は、エリザベット様のためにどうしても必要だから、と私にここでお二人の話を盗み聞きするようおっしゃいました。
正直、買いかぶりではないかと思っています。
わたしはメアリー様が思っているほど、エリザベット様のことを深くは知りません。
お嬢様の機嫌を損ねないために、必要な諫言もしてこなかったのです。
倒れられてからの態度の変わり様を気にかけない振りをしています。
エリザベット様を騙すような盗み聞きにさして罪悪感を覚えない程度の従者です。
そんな私が、一体お嬢様の何になるというのでしょうか?
答えは出ぬまま、メアリー様がお見えになりました。
寝室にお二人が入られたのが、見えずとも音と気配で分かります。
耳をそばだてていると、どうやらエリザベット様が紅茶を淹れられたようです。
驚きました。エリザベット様が自ら紅茶を淹れることなど初めてのはずです。だというのに、メアリー様をもてなすために用意するとは。口では邪険にしていてもメアリー様のことを気に入っているのかもしれません。
しかし、そんな些細な、微笑ましい驚きは、メアリー様の次の言葉でかき消されてしまいました。
『私たちは、前世の記憶を思い出した転生者です』
は?
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「サラ・メイドルさんに、全てを聞いてもらいました」
混乱した頭で、メアリー様に促されるままにクローゼットから脱け出します。
メアリー様は私に聞かせるために、お二人の素性を詳しく説明されたのでしょう。
しかし、別世界からの転生などという荒唐無稽な話を一度聞いただけで飲み込めというのは無理があります。
別世界、というのは母にして恋人なるレアノ様がご覧じたと言われているあの世界のことのようです。しかし、全知の女神たるレアノ様でもご覧になる、観測するに留まる世界の壁を越えて、この世界に生まれ変わる。そんなことがあり得るのでしょうか?
あまつさえ、この世界が『乙女げーむ』なる物語の中の世界であるなどとそんなことが……。
「サラ? 大丈夫?」
声を掛けられて、自分が口を開くどころかお二人の顔すら見られなくなっていることに気が付きました。
「長時間クローゼットに閉じ込めてしまったので体調を崩されたのかも……。サラさん、お辛いのようでしたら一度休憩にしますか?」
「いえ、お構いなく。情報の処理が追いつかなかっただけで御座います」
大丈夫、大丈夫です。私は冷めた人間です。
この世界がなんであろうと、この二人が何であろうと、私の人生、私の世界には関係のないことです。そうでも思わなければ受け止め切れません。
「ふぅ……」
細く長く息を吐いて、はたと思い出しました。どうやら私は今からエリザベット様に助言をしなくてはいけないらしいのです。
メアリー様も無茶をおっしゃる。
世界を揺るがすようなお話を聞かされた後にその様な考えごとが出来るとでもお思いなのでしょうか。一向にまとまらない思考、少しでもよく整理するために、まず、考えることを減らすことからはじめたいと思います。
まずは、私に回復魔法を掛けようかと準備をはじめだしている、不可解な御方を除くことから。
「メアリー様。少し、エリザベット様と二人にさせていただけませんか」