第41話:初顔合わせ
クレマチスにセージ、コスモス。
黄に色づいたカエデを金の台座に、アメジストのような花々が飾る秋の庭園。
その中に、景観を邪魔しない控えめなデザインのテーブルセットあった。
二席ある椅子の片方に座るわたしは、まさに今この瞬間のために一年間整備された庭園の最盛期を鑑賞することもなく、一枚の紙にかじりついている。
『秋翠祭で振る舞う食品の提案』と題された企画書の上を視線はもう何往復もしているが、その内容は一向に頭に入ってこない。
対面の空席がどうしても気になって、ちらちらと見てしまっているせいかもしれない。
「お待たせしました」
来た……!
秋に吹く風の爽やかな響きを思わせる美声が、わたしに、このわたしに掛けられた。
優美な所作で椅子を引き、柔和なほほえみをたたえてテーブルにつく、王子様という概念が具現化したような金髪碧眼の美青年。
カルバン・アーサー様、わたしの懸想するその人が、今、目の前にいる。
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「用事があればいいんですね!!」
カルバン様に話しかけるのを渋ったわたしにずずいと迫って、メアリーは言った。
翌日の放課後、呼び出されたわたしは、テオフィロと共に西棟の廊下で彼女を待っていた。
他の面々は新しく会計補佐に就任したミリアも含めて生徒会のお仕事中だそうで、今日のミッションは最低限の人員で行われる。
当事者としては、野次馬が少ないのはいいことね。
「エリザベット様ー! テオくん!」
左手を大きく振って急ぎ足に歩いてくるメアリー、彼女は右手に何か箱のようなものを抱えている。
「遅い! というか……」
そして、その横には見覚えのある三つ編みのおさげが付いてきていた。
野暮ったい丸眼鏡の彼女に声を掛けようとして、
「やあ、スノー・プリンセス」
テオフィロに先を越された。
彼は片膝をつき、さながらジュリエットに想いを訴えるロミオのように、右手を自分の胸に添えて、左腕を彼女に伸ばす。
「教室ですれ違うことはあっても、まともに顔を合わせるのは初めてだね? 僕はテオフィロ・キアーラ、イータから来た伊達男さ。こうしてエリザベット様の恋路をともに助ける仲になったのも何かの縁、いや運命だ。どうかな、この後一緒に食事でも」
流れるようにキザなセリフを浴びせられたアイリスはしばし呆気にとられていたが、
「……なんスか、この人」
そう呟いてメアリーの後ろに隠れてしまった。
テオフィロは芳しくない反応を見ると、振り払われることすらなくスルーされた手を引っ込めて、残念そうに立ち上がった。
フラれた後の動きも、なんだか慣れている。
「あんた、出会う女性みんなにこんなことしてるの?」
「まさか。いくら僕でもそこまで節操なしではないさ」
どうだか。
緩く首を振るテオフィロに怪訝な視線を送る。
一方のメアリーはそんなわたしたちに背を向けて、引っ込んだアイリスを説得していた。
「アイリス、テオくんはいつもあの調子ですが、嫌がっている人に無理強いするような方ではないので怖がらなくても大丈夫ですよ」
「メイの友達なんだから悪い人ではないんだろうけどさあ……。あたし軽い男は好きじゃない」
こちらに聞こえるようにわざと言ってるのだとしたら、アイリスも結構いい性格しているわね。
「だ、そうよ」
「ふふ、人にはそれぞれのペースがあるものだからね。急ぐのが好みでないのなら、相手のペースに合わせるのも紳士の嗜みさ」
「めげないわね……」
こいつはもっといい性格をしているようだった。
閑話休題。
とりあえずアイリスに配慮して、テオフィロは一歩下がらせ、わたしの後ろに置いた。
「アイリス・ミーティ」
「あ、はい。エリザベット・イジャール様。名前を憶えていただき光栄ッス」
メアリーの陰から出てきたアイリスはぺこりと頭を下げる。
「この度は長期契約も視野に入れた、アイリス・アイスサービスのご利用まことに有り難う御座います」
「長期契約? なんのこと?」
そもそもわたしはなんでアイリスがここにいるのかも知らないんだけど。
状況がわかってないわたしに、メアリーが「一応昨日も説明したのですが」と前置きをし、一枚の紙を渡してきた。
「『秋翠祭で振る舞う食品の提案』?」
「はい、それが私のご用意したエリザベット様からカルバン様に話すご用事です」
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秋翠祭。
それは文字通り秋にエメラルド学園で行われるお祭り、要は学園祭である。
秋の実りを祝う収穫祭に端を欲する催事で、メインイベントである大魔法試合をはじめとして、学生により様々な催し物がなされたり、学生・民間入り混じった多くの出店が出たりする。
この世界における一番の貴族学校で行うだけあって、国中のVIPや他国の貴族も訪れる一大イベントである。
学生主体のイベントなので、その取りまとめは生徒会の仕事になっている。
そこで、わたしたちが先日開発した『アイスクリーム』を振る舞いたい、というのがこの場の名目だった。
現代知識無双だ。無双というにはあまりにもささやかだけど。
「それでは、早速こちらの企画についてですが」
「は、ひゃい!」
カルバン様の手元には、わたしの持っているのと同じメアリー手製の企画書があった。
ひっくり返った声を咳払いで誤魔化しながら何度となく確認した内容をもう一度見る。原材料や作り方、一人前あたりの値段などがつらつらと書かれており、特筆すべきことに企画の責任者はわたしになっていた。
わたし何も知らないのに。
「そうですね、具体的な実現可能性などについては後で考えるとして、まずは肝心な『あいすくりーむ』の味についてなのですが……」
「は、はい! それでは、ここちらを」
テーブルの上にはメアリーの抱えていた箱がある。
これがアイスクリームの試供品というわけだ。
箱の中は二重構造になっていて、アイスの入った小さな箱の周りに氷が敷き詰められている。
中の箱を取り出して、付いていたスプーンでアイスクリームを掬う。少し硬い。
やや手こずって掬ってから、取り分ける皿がないことに気づいた。
やだ、どうしましょう。
「え、えっと……。どうぞ」
どうしようもなかったのでそのままスプーンの先をカルバン様に向ける。
「では、有り難く」
カルバン様の形のいい唇が、わたしの差し出したスプーンを食んで、アイスクリームを持って行った。
あーん! あーんしたわ!
わたし、カルバン様にあーんした!
「確かにこれは美味ですね。来賓の方に振る舞うに値します。問題は──」
これを見越してスプーンは一つだけで、取り皿もなかったのだとしたらいい仕事をしたと言わざるを得ない。
グッジョブ、メアリー!
「──ことですね。生産性にも不安があります。こちらはアイリス以外の、例えば他の氷系の魔法使いでは……。エリザベット? 聞いていますか?」
「は、はい! 申し訳ありません。えっと」
いけない。舞い上がって話が耳に入ってなかった。
えっと、何を聞かれたてたんだっけ。
「あ、大魔法試合や人ごみの熱気がありますから、冷たいのはいい、と思います」
「……そうですね。ええ、それも懸念の一つではありましたから大丈夫です。秋翠祭は十月末ですが、例年冷たい飲み物は好評です。こちらの『あいすくりーむ』も受け入れられるでしょう。それで、生産性についてなのですが──」
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庭園の生垣に隠れた私たち三人は、テオくんの魔法の補助を受けて、エリザベット様とカルバン様のお話を覗き見していました。
「なるほど、これは重症だ」
「エリザベット様……。見てるこっちが恥ずかしくなって来るッスね……」
狭いスペースの中で、並んで言うテオくんとアイリス。
この友人二人ですが、ファーストコンタクトこそあまりよくなかったものの、エリザベット様を鑑賞しているうちにいつの間にか壁は薄くなったようでした。
物理的な距離の近さもよかったのかもしれません。
それは大変好ましいことなのですが、肝心のエリザベット様の有り様は二人の言う通りもう酷いもので、カルバン様の言うことを聞いていないような場面が散見される上に、話すときも緊張のためか三語文しか話せない幼子のようになっていました。
解せません。
「うーん」
「どしたの? メイ?」
「いえ、その、エリザベット様はどうしてあんなにカルバン様と話せないのかなって」
「十年来の思い人だよ? 前にすると緊張してしまうのはそう不思議なことじゃないんじゃないかい?」
「そう、なのですが……」
好きだからこそ上手く喋れない気持ちはわかります。私自身はそういうタイプではありませんが、理解は出来ます。
それに今のエリザベット様のご様子も『Magie d’amour』のエリザベット通りではあるのです。
ですが、いえ寧ろ、だから余計に……。
「本格的に作戦を進める前に、一度よく話してみた方がいいかもしれませんね」
首をかしげる二人の前で、私は決心したのでした。