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幕間2-3:休みの終わり

「なんとかなる、かもしれません」


 「アイスクリームが食べたい」というわたしの要望。

 それを聞いた彼女はしばし考えたが、最後には首を縦に振った。


「出来るの?」


 この世界には『アイスクリーム』は存在しない。公爵家の娘として美食の限りを尽くしてきたわたしが知らないのだから間違いない。

 だからこそ前世の知識があるこいつなら、と言ってみたのだけれど、正直本当に出来るとは期待していなかった。


「はい! 小学校のときの自由研究でやったことあります!」


 不安。


「うーん、まあ、何のとっかかりもないわたしがやるよりマシか……」


────────────────


 というやり取りがあったのが、半日前のことである。

 空のてっぺんに登ろうとする太陽は今日も絶好調なようで地表をギラギラと熱している。

 暑い。アイスクリーム日和だ。

 メアリーは今日一日試してみて出来たら呼びに来ると言っていたけど、さて。


「エリザベット様ー! 出来そうでーす!」


 ナイスタイミング。

 「出来た」ではなく「出来そう」なのが少し気になるけれど、まぁいいわ。


「今行くわー」


 手慰みにくるくる回していたペンをバニラのように真っ白なページを広げているノートの脇に置く。

 さあ、アイスクリームを食べに行こう。


────────────────


 メアリーに連れられてきたのは共用の調理場だった。

 入るなり、上品な甘い香りが鼻をつく。

 部屋を見渡すと、中心にある調理台の上には大小様々な鍋や包丁、おたまなどの調理器具が並んでおり、壁際には白土の炉や石窯が連なっていた。

 隅っこの炉に、中くらい鍋が掛けられている。


「学園の畜産部にお願いして別けて貰った新鮮な卵の卵黄と生乳の上澄み、あ、これは生クリームの代わりですね」


 メアリーは得意げに説明しながら、部屋の隅、鍋のある炉に向かって行く。

 付いていくと、甘い香りが強まった。あの鍋の中身が匂いの元のようだ。

 期待が高まるわね。


「それに砂糖を加えてよく混ぜ、軽く煮詰めて、仕上げにバニラビーンズを加えた物が──こちらです!」


 彼女が鍋を手に取ると中の乳白色の液体が揺れて跳ねる。


「なんだ、まだ原液なのね」


 まあ、炉にかけられていたんだから当然か。

 メアリーが木べらでゆっくりかき回す液体の表面には、よく見ると黒い粒々が浮いていて……


「ねえ、バニラビーンズの栽培って確かインドネシアとかで──」


「やめましょう、エリザベット様。気にするだけ無駄です」


 彼女は木べらを突きつけてわたしの疑問を静止する。

 付いた液が垂れそうなへらを「おっとっと」と鍋の上に戻し、コンコンと(ふち)で叩いて液を切った。


「この世界のイメージはおおよそ14世紀の欧州と思われます。降誕歴1328年ですしね。ですが、時代考証めいたことはかなりアバウトなようです。ジャガイモやトマトをはじめとした本来新大陸原産の食物はありますし、食べ物以外にもたくさんのことが……例えば食器だって」


 彼女は食器棚を、正確にはその中に入った白い皿を指す。


「あれがどうかしたの? 普通のお皿じゃない」


「普通、そうですね私たちにとっては──これは前世と今世両方を指しますが──普通のお皿です。ですが、あのような陶器のお皿が普及したのは前世では15世紀頃だったとされています。少し先取りです」


「ふーん」


 相変わらず、こいつはやたらと無駄な知識を持っている。


「ま、日本語で話す魔法使いがいるヨーロッパ風の何かに、だれもそんな細かいこと求めちゃないわよ」


 「それもそうですね」とくすくす笑いながら、彼女は鍋を調理台に置く。台上には鍋以外にも水の入ったバケツや白い粉が山になった皿などがあった。


「ああ、でも、逆もあるんですよ」


 逆?


「あるはずのものがないってこと?」


「その通りです。それこそ、これ(・・)もその類いですね」


「ほう」


「アイスクリームの起源は牛乳に蜂蜜などを混ぜて凍らせたアイスミルクで、紀元前の中国には既にあったと言われています。もっとも、生クリームを使った私たちのよく知る形になるのはもっと先ですが……」


 紀元前!

 そんな昔からあるのね……。

 しかし、記憶をあさってもアイスクリームはもちろん、彼女の言うアイスミルクのような類似品も食べた記憶はない。


「果実のシャーベットならあるけれど……。なんでないの?」


「さぁ……アイスクリームは中世っぽくない、とマジダムを作った人は思った、のでしょうか?」


「そうかしら……?」


 今ひとつピンと来ない理屈に首をかしげる。

 会話が途切れた。大人数の調理にも耐えうる広い部屋を、無音が支配する。

 これ、何の時間?


「ねえ、原液は出来てるんでしょ? 早く固めましょうよ」


「えっと、もう少し待ってください。もうすぐ来るはずなのですが……」


 どうやらメアリーは誰かを待っているようだった。

 そういうことなら仕方ない。

 まあ、無為に時間を消費するのは得意だ。

 暇つぶしに壁に掛かったおたまの数を大きさ別に数えていると、半分ほど数え終わったところで


「ごっめん! 遅れた!」


 謝罪の声と共飛び込んできたに茶髪の女生徒だった。

 よほど急いで来たようで、着くなり膝に手を突いて肩で息をしはじめた。三つ編みのおさげがぶらぶらと揺れる。


「アイリス! お待ちしておりました!」


「ごめ、んね、メイ。はぁー、ふぅ……。オッケー、落ち着いた。前の仕事が長引いっちゃっ、て……」


 息を整え、ようやく顔を上げた彼女とレンズ越しに目が合った。

 野暮ったい丸眼鏡。

 顔立ちは悪くないんだけれど、おさげにした茶髪と眼鏡が相まってどうにも芋っぽい。


「あ、貴女様は、もしかして」


「アイリスだっけ? どうも、もしかしなくてもエリザベット・イジャールよ」


 名前を告げてアイリスとやらと向き合っていると、彼女は折角整えた息を再び荒くしていった。もう我慢ならないというところでメアリーに飛びつく。


「メ、メイ! あたし聞いてない、聞いてないんだけど、イジャール公のご息女がいるなんて!」


「言いましたよ! 今回のパトロンになっているお友達と一緒だって」


 胸ぐらを掴まれてガクガク揺れる茶髪のショートボブ。

 こうして見比べると、同じ茶髪でもアイリスの方が明度が低く、地味な印象を受ける。


「誰が友達か」


 ボブの茶髪にチョップを入れると、それでようやく、おさげの茶髪もわたしの存在を思い出したようだ。


「も、申し遅れました、ミーティ男爵の一女、アイリス・ミーティと申します」


「ミーティ男爵……。知らないわね」


「その、一応土地持ちではあるんッスが、ろくな産業もない貧乏貴族でして、土地の運営も上の伯爵様に頼っているような有様で……」


「だからアイリスはご自分でお小遣いを稼いでいるんですよ! 魔法を活かして!」


 声が小さくなっていくアイリスの代わるようにメアリーが大きな声で言った。

 魔法を活かしたアルバイト。なるほど、読めてきた。


「この子が氷を提供してくれるってわけね」


 この世界には冷凍庫なんて便利なものは無い。

 それこそ前世の中世だったら、夏に氷が欲しければ、気温の低い高所からもってくるか、冬に作った物を氷室なんかで保管しておくしかなかっただろう。

 だが、この世界には魔法がある。


「は、はい! このアイリス、土・水属性、“冷”の魔力の使い手。ご依頼があれば即座に駆けつけ、瞬時に涼をお届けするッス!」


 返事は上擦っていたが、営業文句のような部分は流暢に言い切った。

 氷魔法デリバリーをするときの定型文なのかもしれない。


「そんなかしこまらなくていいから」


「そうです、エリザベット様は怖くありませんよ?」


「あんたはもっと敬いなさい!」


 二度目のチョップを食らわせて、咳払いを一つ。


「オホン、ともかく氷が作れるなら早くやって頂戴」


「「はい!」」


────────────────


 カタッ。

 アイリスが小さなカップでバケツの水を掬う。

 カップを持つ手が淡く光ったと思えば、次の瞬間、水は氷に早変わり。

 カタッ。

 中身の氷をボウルに空けて、次の水を掬う。

 氷の魔法使いというのは伊達じゃないようで、アイリスはテンポよく淡々と氷を生成していた。


「もうちょっと掛かるんで席を外してても良いッスよ」


 手を止めずに言うアイリス。彼女の言葉に甘えて、わたしは一時部屋を出る。

 メアリーの襟首をひっつかんで。


「え、私もですか!?」




 廊下を少し歩いて人気のない片隅で足を止めた。

 周りに誰もいないのを確認して、メアリーを問い詰める。


「で、彼女はなんなの? やけに親しげだったけど」


「アイリスは特に仲良くして貰っているお友達です! 『うちは貴族といっても弱小ッスから』と言って平民の私にも気さくに接して下さる奇特なお方なのです。敬語も出来るだけナシって」


 ふぅーん。

 まあ、こいつとの親密さはどうでもいい。うん。どうでもいい。だが、気になるのはメアリーとため口で話す同級生、なんて記憶に残りそうなキャラが『Magie(マジー) d’amour(ダムール)』にいたっけ、ということだ。

 全然記憶にないのだけれど……。


「彼女もゲームに居たキャラなの?」


「分かりません……。少なくとも私は知らない(キャラ)です……」


 煮え切らないのはメアリーとて『Magie d'amour』のキャラを全て覚えている訳ではないからだろう。メインキャラならともかく、いつぞやのクラリス・メイトのようなモブキャラだったら尚更だ。


「あ、そういう意味でもアイリスは特別ですね! 同盟の方々やクラリス様、エーヴ様にもよくしていただいておりますが、この皆様はゲームのときから主人公(メアリー)と仲がよかったですから。アイリスは、『補正』抜きのはじめての友達かもしれません!」


 ゲームと無関係な友達が余程嬉しいのか、くねくねしながらメアリーが言う。

 しかし、上機嫌のこいつには悪いが、彼女がゲームにもいたんじゃないかという根拠がわたしにはある。

 それは、名前だ。


「でも、アイリスって名前、使う魔法が(アイス)だからよね? このくだらないネーミングセンスはマジダムのじゃない?」


「ああ、やっぱりエリザベット様もそう思われますか……」


 やっぱり、ということはメアリーも同じ考えに至っていたのだろう。


「ですので、私は彼女は設定だけ存在したキャラなんだと思っています」


「と言うと?」


「はい。実は、マジダムの魔法を説明する際に『氷魔法は水と土の二重属性で出来る』という例は出されていました」


「ああ、あの子もそんなこと言ってたわね。氷って土属性なんだ」


「原料の水はそのまま水属性ですが、“固い・冷たい”は土属性の領分ですからね。


 メアリーは仕切り直すように一度手を叩いた。


「それでですね、例は出てたんですが、実際に氷魔法を使うキャラ、というのはついぞ出て来ませんでした。ですがもし、氷魔法キャラのイメージがスタッフの中にあったとしたら、あるいは没になった氷魔法キャラが存在したとしたら……」


 それがアイリス・ミーティの正体である。

 メアリーはそう言いたいらしい。


「没キャラだとしたら、わたしたちみたいに名字にも意味はあるのかしら?」


「それも微妙ですね……。必ずしもキャラの名字に意味があるわけでもありませんし、そもそもこの推論が正しいのかも不明です」


 ま、間違っていたらそのときはそのとき。

 そもそも合っていても大した利益はないのだ、この問答自体暇つぶしの一貫である。

 ミーティ、ミーティねえ……。


「実験の犠牲にでもされそうな名字ね……」


「縁起でもないことをおっしゃらないでください!」


 ごめん、ごめんと笑っていると、声が聞こえた。


「メイー、エリザベット様ー、どこッスかー?」


 氷が出来たようだわ。




「はい。それでは、ボウルの氷に塩を加え、その中に原液の入った小さな鍋を入れてかき混ぜながら冷やし固めていきます」


「メイ。冷やすのはいいんすけど、なんで塩を?」


 手順を説明するメアリーに、アイリスが口を挟む。

 この子、最後まで居る気なのね。


「凝固点降下よ。氷、液体に異物を溶かして混ぜると凍る温度が下がるの。結果的にただの氷水よりも塩を混ぜた方が冷たくなるって訳」


「エリザベット様……!」


 あ、しまった。この現象って、この世界でも知られてるんだっけ?

 言っちゃダメな奴だったかしら!?


「はぁ……さすが公爵家のお方は物知りですね……」


 よかった、セーフっぽい。

 というわけで、後は固まるまで混ぜるだけだ。

 テッテレーと擬音を口ずさみながらメアリーが銅の泡立て器を取り出す。


「エリザベット様! 見てください、この泡立て器! 私が金属を変成させて作ったんですよ! ノエル様の足枷をぐちゃぐちゃにしちゃった夏先からの進歩です!」


 はいはい、すごいすごい。


────────────────


 かき混ぜ続けて、数十分が経った。


「固まりませんね」


「固まらないわね」


「固まるんッスか? これ」


 鍋の中身は多少粘度が増しているように見えるが、固体とはまだまだほど遠い。

 アイリスの作った氷も半分以上溶けてしまっている。


「無理!」


 メアリーが匙を、いや、泡立て器を投げた。


「うーん。何がダメだったんでしょう?」


「脂肪分が多すぎたんじゃない?」


「生乳の上澄みを過小評価していましたか……。追加の牛乳を頂いてきますか?」


 ここからどう改善するかを二人で相談していると、


「あのぅ……」


 アイリスが控えめに手を上げる。


「メイとエリザベット様はこれを凍らして固めたいんッスよね?」


「ええ、その通りよ」


 きょとんとした顔で、心底不思議そうに言った。


「なら、あたしが直接凍らせるんじゃダメなんスか?」


 ……。


「「それだ!!」」


────────────────


「うわっ、なんですかこれ! もったりしてるけどしつこくないミルキーな甘さ! 口に広がる華やかなあまーい香り! 何より舌触りが最高ッス! 色んな物を凍らしてきたッスがこんなふわっととろける氷ははじめて! とにかく美味しいッス!」


「食レポ上手いわね、貴女。でも、本当、美味しいわ……」


「苦労した甲斐がありましたね……!」


 アイリスに鍋を持って貰って、彼女の魔法で直接冷やしながら中身をかき混ぜることで、アイスクリームは完成した。

 しかも、固まりにくいくらい乳脂肪分高めなこともあってか前世で食べたものと比較しても濃厚で美味。苦労したことと今世初のアイスクリームなこともあって、殊更に美味しく感じる。

 小さな鍋で作ったとはいえ、三人であっという間に平らげてしまった。

 なに、原液はまだある。

 次はちゃんとサラへのお土産分も残しておこう、と思っていると、アイリスがくわっと目をかっ開いた。


「はっ! この美味しさは商機ッスよ!?」


「……アイリス、ちょっとこれを見てください」


 せせこましいことを言い出した女に、メアリーが紙切れを見せる。


「これはエリザベット様に請求する今回かかった経費で……」


「うわっ。これに人件費と利益を合わせると一人前の値段は……」


 そろばんを弾く度に難しい顔になっていく二人。

 最終的に導き出された金額を聞くと……なんだ、そんなに高くないわね。


「あら、このアイスクリームがその値段なら安いもんじゃない?」


「流石です、エリザベット様!」


「あたしたちとは金銭感覚が違うッスね……」


 おしゃべりをしている内に外は暗くなって来た。

 まだまだ暑い初秋だが、日の落ちる早さが否応なしに夏の終わりを実感させる。

 ああ、(らく)(たの)しいだらだらとした日々。

 それも今日で終わってしまう。

 明日からは二学期。

 学校が始まってしまえば、わたしは現実と向き合わねばならない。

 眠たい講義に難しい実習。

 そして──カルバン様と、向き合わねばならない。

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