幕間2-1:帰郷
「ふわぁ」
かっかとした強い日差しで目を覚ました。
暦は九月、夏も終わろうというのに照り付ける太陽は弱まる気配を見せない。
「お早う御座います、エリザベット様」
「お早う、サラ。こういう朝もなんだか久しぶりね」
メアリー誘拐事件の後は実家に戻って貴族らしく挨拶回りに勤しんでいた。そして、ノエルの家を経由して学園に戻ってきたのが昨日のことである。
実家には執事もメイドも沢山いたから、こうしてサラか一人が身の回りの世話をしてくれる生活はちょっと久々だ。
あと一週間もすれば学園の授業が始まる。
初っ端の事件をはじめとして夏休み中もなんだかんだやることがあったから最後の一週間くらいはのんびり過ごしたいものね。
「エリザベット様、ご起床の直後で申し訳ありませんが来客があります」
のんびり、したかったわね……。
「お早う御座います! エリザベット様!」
「やっぱり、あんたか……」
ドアの前には、案の定、朝から快活なメアリー・メーンがいた。
無駄に元気なのはいつものことだが、今日の彼女は珍しい服を着ている。
「どうしたのよ。休日だっていうのに、制服なんて着て」
エメラルドを思わせる青みがかった緑の布地を金のボタンや飾り紐で軍服のように仕立てた正装、それがこの学園の制服だ。
しかしこの制服、しっかりとした作りや装飾が仇となって、「重い」「硬い」「動きにくい」「何よりダサい」と生徒諸君には大層不評であり、着用義務のある行事でもない限り着る生徒はほとんどいない。
わたしも一応持ってはいるが寝室のクローゼットの奥底で眠らせている。
「えへへ、この服を見せたい人がいまして……」
メアリーは服を引っ張って調子を確かめながらはにかむ。
「エリザベット様、聖地巡礼、行ってみませんか?」
──────────
「おお……」
メアリーに連れられて──といっても実際の足は馬車だったけれど──やってきたのは二階建ての四角い建物だった。箱のようなシルエットの上からは三角屋根がちょこんと伸びていて、その先端にある十字架がここが宗教施設であることを主張している。
大きさも控えめだしさして見るべきところもない凡庸な建物だが、わたしは感嘆の声を漏らしていた。なぜなら、
「ここが私のお家、シルブ孤児院です!」
「マジダムまんまね……」
主人公の実家、『Magie d'amour』からそのまま飛び出して来たかのような姿にはちょっと感心してしまう。
押しかけて来たメアリーの用件は里帰りに付き添ってほしい、ということだったらしい。
「そういえば、キリスト教でもないのにシンボルは十字架なのね」
「正確には“太陽十字”ですね。ただの十字じゃなくて交差点を中心に円が重なっていますよね? アレは太陽とその光を表わしていて、前世の世界においても救世主が磔にされる前から信仰の対象になっていました。レアノ様は全てを愛し、全てを見る神であらせられますから、全てを照らし恵みを与える太陽と同一視もされています。太陽十字は、まさに偉大なるレアノ様を祀るミルチェン教に相応しいシンボルと言えるでしょう」
教えたがりの解説を大人しく聞く。
なるほど、考えられてるのね……。
「まあ、実際のところ『教会っぽいから屋根に十字架を描いてみた、そのままではなんなので円も足してみた』というだけな気もします」
「おい」
こんな調子で雑談しながら、しばらくゲームの背景に近いアングルを二人で探っていると、
「あ、メアリー姉ちゃん!」
建物の左横にある庭から、元気な少年の声が飛んできた。
孤児院の子供がメアリーが帰って来たことに気付いたらしい。
「おねえちゃん」
「おかえりなさい!」
「きゃー!」
わいわいがやがや。
一人が気付いてからはあっという間で、ぞろぞろと出て来た子供たちにメアリーは一瞬で取り囲まれ、庭の方へと引っ張られていく。
「みんな、ただいま。えっと、エリザベット様──」
メアリーは夏休み前は何度か帰る予定と言っていたが、誘拐されたり謝罪行脚したり他人の家に行ったりしてるうちに自分の家に帰るタイミングを見失っていたらしい。従って、孤児院の子供たちがこいつとあ顔を合わせるのは約五ヶ月ぶりのはずである。
見れば、メアリーに群がっている子供の中には五つに満たない小さな子もいる。彼らにとっての五ヶ月は大人以上に長いことだろう。
「わたしのことはいいから。帰って来るの久しぶりなんでしょ? 遊んであげれば」
「有り難う、御座います!」
言うが早いが庭の中に連行されていくメアリーを追って、わたしも孤児院の敷地に足を踏み入れる。
生垣で囲まれた庭は子供が走り回れる程度の広さがあり、簡単な遊具やベンチが置かれいる。ちょうど幼稚園の外庭のようだ。
その隅、外からの入り口のすぐ横に、座れればそれでいいと言わんばかりな丸太のベンチがあった。そこにハンカチを敷いて座る。
ベンチは固いが、木陰になっていて居心地は悪くない。
「メアリー姉ちゃん、みてみて!」
「おれ、こんな字も書けるようになったんだよ!」
「お貴族様たちの学校ってどんな場所でした? お話しが聞きたいわ!」
「……ごほん」
絶えず話しかけて来る子供たちに対し、メアリーは、誉めて欲しそうな子の頭を撫で、話をせがむ子には「また後でね」と笑いかけ、何かして欲しそうににもじもじしてる子には目線を合わせて話を促し、と年齢も性別もバラバラな相手に器用に対応していた。
落ち着きのない彼女のことだから男子たちと一緒に走り回りでもするのかと思っていたけど、思いの外落ち着いた対応だわ。
学園の姦しいメアリーとはかけ離れた姿だったが、わたしは不思議と驚いてはいなかった。
むしろ、なんか異様にしっくり来る。
これは……
「マジダムのメアリー・メーンだわ……」
寡黙ながら優しく誠実。無個性な理想の主人公。
やかましいこの世界のメアリーのせいで忘れかけていたがゲームのメアリーはそういうキャラクターだ。
穏やかに、丁寧に子供たちと接するメアリーの姿は、まさにその主人公そのものだった。
あー、そっか。
よく考えたら、それも当然だ。
「記憶を思い出したのは学園に来てからだから、孤児院に居た頃のメアリーはその影響を受けてないんだ……」
四歳くらいの女の子が持ってきた本の朗読をはじめたメアリーを見ながら、一人で深く納得していると、
「お隣、よろしいですか?」
縁側に注ぐ気持ちのいい日差しのような、柔らかな声が掛けられた。
声の主はご年配の女性だった。
暑い中だと言うのに肌を見せない修道服をきっちりと着込み、歳の割に背筋がしゃんと伸びている。
この孤児院の管理者かしら?
「ええ、どうぞ。むしろ、許可を取らないといけないのはわたしの方じゃない?」
「そうかもしれませんね」
彼女はころころとチャーミングに笑ってわたしの隣に座る。
「エリザベット様でしたらいつお出でになっても歓迎いたします。かわいい子供のお友達を追い出す理由なんて当院には御座いません。ただ、なにぶん貧しい孤児院ですのでご足労いただいてもおもてなしが出来ないのが心苦しいですが……」
「別にもてなしなんて──」
この人、名告ってないのにわたしの名前呼んだな……。
警戒心を隠さずに老婆の顔をのぞき込む。
「ご警戒なさらないでください。あの子からの手紙で貴女様のことを存じ上げていただけで御座います」
「それならまあ……。あ、でも、一つ訂正しておくけど、わたしはアレのお友達なんかじゃありませんから」
「そうなのですか? あの子はよく『エリザベット様』のことを手紙に書いてきますから、私はてっきり……」
「あいつがどう書いてるかは知らないけど、わたしたちは友達じゃなくて──」
友達ではない。そんな甘くてぬるい関係ではない、それは確かだ。
じゃあ、わたしとメアリーの関係はなんなんだろう?
恋敵、というには協力的。
同盟者、は淡泊すぎる。
前世の記憶を持つ共犯者、いい線行ってるが、この人に話せるわけがない。
黙りこくってしまったわたしに、老婆はにっこりと微笑みかけた。
「ええ、ええ、お答え出来ないのであれば、構いません。この老木、言葉に出来る関係が全てではないことはよく存じております。お若いというのはよいことですね……」
「あ、はい、もうそれでいいです……」
なんか、負けた気がする。
老婆とともに庭で遊ぶ子供たちを眺めてぼんやり過す。
ゆったりとした穏やかな時間だ。悪くない。測らずしも、当初の予定通りの一日になってきた。
気が付くと、当のメアリーの姿はなくなっていた。
室内の方へ引き込まれていったようだ。
だからだろうか、老婆がふいに口を開いた。
「メアリー、あの子の前後は、院に運ばれる子が少なかったり、貰い手がすぐに見つかったりと孤児の少ない珍しい世代でした。それ自体は喜ばしいことですが、おかげであの子には寂しい思いをさせてしまいました」
「そういうことになってるのね……」
メアリーは孤児院暮らしで同世代と交流した経験が薄い。ゲームではそういう設定だったが、広く人口の多い王都の中で、同世代の孤児がメアリーだけというのはちょっとおかしい。どうも偶然の連続ってことになっているらしいが、これも『補正』のひとつだろう。
「?」
わたしの呟きに首をかしげる老婆に、なんでもない、と手を振って続きを促す。
「あの子がここに来てから数年が経つと、保護を求める子供がまた増えて来てしまいました。結果的に、下の子の面倒を見て貰ったりと、年長のメアリーに私たちも頼ってしまい……。あの子は文句の一つも言わず、よく私たちを助けてくれましたが、我慢を強いていたのではないかと、今でも後悔することがあります」
「ふんっ、主体性がないだけでしょ」
「あの子がそう育ってしまったとしたら、それも私の責任で御座います」
老婆は目を閉じてうつむいた。口元は微笑んだままだが、許しを請うような哀愁を漂わせている。
「そんなつもりじゃ……。まあ、アレよ、心配しなくてもあいつ、学園では結構好き放題やってるわ。年長者らしい落ち着きなんてさっきはじめて見たくらいよ」
「ええ、有り難う御座います。きっとエリザベット様のおかげで御座いましょう。院の前で楽しそうに話すメアリーを見て、私めは心底安心いたしました」
この人、そんなときから見てたんだ……。
一度は解いた警戒を再度強めていると、老婆は立ち上がり、わたしの前に立った。
訝しむわたしに、彼女は腰を深々と折る。
「エリザベット様、メアリーをどうか、よろしくお願い申し上げます」
美しい所作だった。
隔絶した身分の差があるわたしに彼女が礼儀を払うのは当然である。それでも、一市民だった前世を思い出したわたしにとっては、年配の彼女から向けられる敬意はいささか重く感じられた。
気圧されたのを誤魔化すように、大きく息を吐く。
わたしとメアリーは友達でも何でもない。それでも、まあ、このお茶目なご夫人に免じて、
「はぁ……。まあ、適当によろしくしてやるわ」
────────────────
「私の、マジダムの主人公の育った場所はいかがでしたか? マザーともお話しされていたみたいですが」
帰りの馬車の中、いつもよりさらにご機嫌なメアリーが問うてきた。
マザーと呼ばれたあのご老体とした話は、こいつには言いたくない。
「そうね、まあ一つ言うなら……」
だから代わりに、今日一日メアリーを観察した感想を言ってやる。
「あんた、本物の主人公だったのね」
「偽物だと思われてたんですか私!?」
マザー、心配なさらずとも、こいつはいつも無駄に元気だわ。