第37話:最終日~説得~
「やあ、早かったね」
「そう? 学園中の人間が探して1週間も見つからなかっんだもの、むしろ遅いくらいよ」
やはり、牢の中にノエルはいた。ベッドに腰掛けるメアリーの隣、簡素な椅子に座る彼は、どこかスッキリしているような、自棄を起こしているような、諦観を感じさせる面持ちだった。
それにしても、牢の扉は開きっぱなしだし、囚人を繫ぎ止めるための鎖の先にはメアリーではなく謎の捻れたオブジェが繫がっているし、なんというかやる気の感じられない監禁模様である。
気を削がれる中、生真面目なローランが勧告する。
「メアリーを解放しろ」
「うん、いいよ」
二つ返事で要求を飲むノエル。まあ、どう見てもメアリーがその気になれば出てこれるような状況で、その承諾がどの程度の意味があるのかは疑問だけれど。
それにしてもやけにあっさりとしている『Magie d'amour』だと説得失敗ルートはもうちょい苦戦してたと思ったけど。
このままだとノエルとの対話もなしに事件が解決してしまう。
「待って」
ミリアは外に出るようメアリーに促してたノエルを止めて、逆に自分からのその内に入っていく。ベッドに留まっていたメアリーはようやく腰を上げ、彼女と入れ替わるように牢を出──出ないわね。彼女はミリアの後ろに立った。
ミリアは背後のメアリーを一瞥し、
「メアリー、大丈夫?」
「はい、酷いことはされてませんし、ちょっと運動不足なくらいで心身共に健康です!」
メアリーは両腕で力瘤を作るポーズを決めて、眼前のミリアに元気をアピールした。
「だから、私のことは気にせず、ノエル様を──」
「うん」と頷き、ミリアはメアリーから視線を切る。対峙すべき相手に集中する。
「どうしたの? 他の人にももう妨害しないようデボラに伝えさせたからさ、早く行きなよ」
「ダメ、わたしはノエルと話しに来た」
わたしたちを逃そうと、いや逆か。わたしたちから逃れようとするノエルの提案をミリアが断る。ノエルは毅然とした彼女の態度を見ても何も言わない。
しばし無言の間を置いて、ミリアがおもむろに、丁寧に、言葉を紡いだ。
「ノエル、わたしは貴方のことが、好き」
「は?」「うおっ!」「ん?」
思わず声が漏れた廊外の三人を、メアリーがしーっと指を口に当てて咎める。
そんなわたしたちとは対照的に、牢の中の彼は突然の告白にも動じていなかった。
「知ってる。でも、なんで今?」
「うん、これが一番大事なことだから。結論を最初に述べる。論文と、一緒」
あー、あるわよね、そういうテクニック。大学のレポートを思い出すわ。
結論をまず出して、そこに至る根拠を並べていく。理路整然としたミリアなりの告白を行うと、これはその宣言だ。
「まずは、ノエルのことを聞かせて。なんで、こんなことしたの?」
あれ、話が戻った。
「……なんでって、メアリーを匿うためだよ。彼女を傷付ける者から」
飛ぶ話題にさしものノエルも詰まったが、それも一時、すぐに居直って平然と答えた。彼の視線がチラリとこちらを向いて無駄に肝が冷えたことを追記しておく。
「本当に? ノエルはこれで解決出来るって思ったの?」
ミリアは問い詰める。
こんなやり方が長続きするわけない、そして賢い貴方がそれに気付いていないはずはない、と。
「そうだね。そうだよね。ちょっと考えればわかることだよ。ホント、なんで僕はこんなことしちゃったんだろ?」
足をぶらつかせて少年は自嘲気味に笑う。艶のないた銀髪がくたびれた白髪に見えた。
それを見て気付く。ああ、そっか、ある意味で、ノエルはわたしと一緒なんだ。
この世界の役割として望まぬ悪行を強制されている。
エリザベット・イジャールは特に違和感もなく自然とメアリーをいじめていた。だって馬鹿なんだもの、その行為が及ぼす将来の不利益になんて、頭が回らないわ。
でも、ノエルはわたしとは違う。
「僕さあ、演技とか色々、嘘を重ねた人間だけどさ、『自分が賢い』ってことにはちょっと自信があったんだよね」
ミリアの言った通り、彼は気付いていたはずなんだ。自分がやっていることの無意味さに。
それでも自分の凶行を止められなかった。
世界の『補正』なんて知らないノエルは、自分にあるまじき不合理をどう感じ取ったのだろう?
「僕さ、もうわかんないや」
母と共に時間を止めた彼にとって、ありし日の幼さを演じ続ける彼にとって、積み上がる知識と成長する頭脳だけが今の自分を定めていた。
その唯一の依代を、ノエルは失った。
過去に囚われた矛盾した心。ゲームと同じ問題が、ゲーム以上のインパクトで表面化している。
「ねえ、ミリア。僕を好きだって言うならさ、答えてよ。本当の僕って、『ノエル・アンファン』ってどんな人間なの?」
『本当の自分』なんてあまりにも陳腐で、あまりにも深刻な命題。
問いかけるノエルの表情はますます自嘲の色を濃くしていて、最早泣いているようにすら見えた。
きっとここが分水嶺。
この問いに対する答えが全てを決めると、そんな予感に皆が固唾を飲む中、ミリアの出した答えは──
「本当のノエル? 分かるわけないよ、そんなの」
無表情な少女はそんな当然のことをしれっと言ってのけた。
「はぁ!? なんだよ! そんな──」
声を荒げるノエル・アンファンを見るのは、ゲームではともかく、リアルではこれが初めてだった。
らしくない、いやその『らしさ』が今の問題かしら……。ともかく、珍しい彼をメアリーが静止して、ミリアに続きを促す。
「わたしね、知ってたよ。ノエルがそういうことに悩んでるの」
ミリアはあくまで淡々と述べる。
「だからね、集めておいたの。説得材料を」
今朝の問答、あんなことをミリアはわたし以外にもしていたのかしら?
「エリザベットとメアリーにはもう、聞いた。だから、セレスト? 本当の貴女って何?」
「え、あ、いや、そうだな……。ええっと……」
突然話を振られてしどろもどろになる蒼の戦乙女。
「ローラン、貴方は──」
「わからん。それに答えを持っていたらセレストたちに迷惑をかけることなどなかった」
次に呼びかけられた翠の騎士は問いを最後まで待たずに断言した。
当然よね、『本当の自分』なんて理解している人の方が珍しい……いや、そんな人はいないんじゃないかしら?
「ノエル、貴方の悩みは、普遍的で、答えのないもの。考える意味はあると思うけど、深刻になる、ほどのものじゃない」
「だから思い詰めるなって? ふんっ! ぼ……オレとみんなは違う」
ぎこちない一人称でノエルは語る。
「言語化出来なくても、みんな『自分』を感覚的に分かってるだろ? オレはずっと自分を偽ってた。何にも知らない、無邪気なフリして、年相応の17歳の男らしい感情を押し殺して! ずっとガキのままでなんて演じて来た! それが」
「ローラン」
堰を壊したように吐き捨てるノエルの告白を、ミリアはただ他人の名前を呼んで遮った。
「貴方は、何かを演じてる?」
「そうだな。俺は、俺の思う理想の騎士を演じている」
当意即妙。ローランはミリアが期待しているだろう答えを返した。
「ま、私も似たようなもんだな」
「私もです! 善い人であろうとか、正直思っちゃってます」
他の二人もローランの後に続く。
わたしは……どうなんだろう? 公爵令嬢らしくというのは演じているという程のことでもないし、悪役令嬢になりたくてなったわけじゃないし……。
「ね? みんな、成りたい何かを演じてる。それも、特別じゃない」
「……エリザベットは?」
「少数の、例外は、何にでもある」
おいコラ。
「でもまあ、セルフプロデュースなんて、みんなやってることよね」
「だね」とだけこぼして、ミリアはノエルのレスポンスを待つ。
「……何にしても、それは根拠にならない。だって、程度を無視して有るか無いかだけで話を押し通そうとしている、一と百じゃ意味だって全然違うのに。詭弁だ」
「そうかも」
ノエルの反論を受け、拍子抜けするくらいあっさりとミリアは引き、
「じゃあ、違う根拠で、貴方の悩みを否定する」
次なる手を繰り出した。
「ノエルは演じている自分は『本当の自分』じゃないと、思うんだよね?」
「違うとでも?」
「そう。それは違う。演技でも演じられている事実、そのものが貴方の個性」
ミリアは一度目を伏せた。遠いかつてに想いを馳せるように。
「だって、わたしは、ノエルみたいになろうと思って、出来なかった。子供らしく、天真爛漫に、なんてみんながそう振る舞えるわけ、ない」
誰にでも出来ることは個性にならない。なら、出来ない人もいることが『出来る』のは演技であっても個性であると、ミリアは身を持って伝える。
「それに、『経験』。騎士を目指した努力が、強いローランを作った。善い人であろうとした日々が、優しいメアリーを作った。演じた日々は、本人の糧。そこに嘘はない、と思う」
まとめ掛かる。
「『本当の自分』がノエルの全てを、表わすなら、『成りたい自分を選ぶ意思』と『成りたい自分を演じられる素質』、それに『演じてきた経験』。これを、含まないなんて、あり得ない。含まないなら『本当』になんて、意味は無い」
ミリアははっきり言い切った。
なるほどねー。『本当の自分』とやらがノエルの全ての要素を含んでいるなら、その要素の中には『演じている自分』も含まれているはず。『演じている自分』も『本当の自分』の一部なのだから、両者を区切って『本当』が分からないなんて悩むのはバカバカしい。
今朝のわたしとおおむね同意見だ。
更に、内容だけじゃなくて、小さな、けれど震えも上擦りもない確かな声が、彼女の主張の説得力を増していた。
わたしなんかはすっかり感心していたけれども、ノエルはまだ折れないようだ。
「ミリアは、仮面を見て素顔を判断するの?」
「どんな仮面、を選ぶか。それも、その人の個性、だよ?」
彼のカウンターを、ミリアがすかさず潰された。
そして、追い打ちをかけるように三本目の矢を射かける。
「三つ目、最後。ノエルは子供の仮面を被ってると、思ってるんだよね?」
「……そう、だけど」
「でもね、ノエルはさ」
ふわふわの髪を揺らして小首をかしげるミリア。口の端をほんの少し上げた表情は悪戯っぽくも見えた。
「割と、素で子供っぽいよ?」
「ぷっ」
ミリアの後ろで大人しくしていたメアリーが吹き出した。
「ちょっ、ふふ、あんた。いくらなんでも、わ、笑っちゃ失礼で」
「え、エリザベットも、半笑いだぞ」
「君もだ、セレスト……」
なんかツボに入った女衆を堅物のローランが窘める。
ごめんなさいね、わたしたち、箸が転んでも可笑しい年頃なもので。
「すみませんでした……。でも、そうですね、ミリア様の仰る通りです。そもそもですね、好きなものを無理矢理独り占めしようなんて子供のやることですよ?」
「ふふふっ」
あ、だめ、またツボりそう。
そうだ、そもそもこの状況こそが、ノエルの無意識な子供っぽさを証明している。
「そ、それは子供っぽい演技の一貫で」
「でも、さっきからは、もう、演じてないんでしょ? わたしと話すノエルを見て、エリザベット、どう思った?」
ご指名が入ったわ。
そうね……最初は退廃的な雰囲気だったけど、討論が始まってからのノエルは、思い返してみれば、
「意地でも自分の負けを認めたがらないの、ガキだなーと思った」
「なっ!?」
「確かにな……」とローランがしみじみ呟く。
この男にまで同意されてちゃおしまいよ。
チェックメイト。ここまでの討論そのものが、トドメの一撃を作るための下準備だったのだ。
それが決まった今、ノエルに逆転の目はない。
「くっ、あ、待って! 狡いぞ! さっきから中立の聴衆みたいに話しかけてるけど、4人ともみんなミリアの味方じゃないか! 僕に不利でミリアに有利な集計になるに決まって──」
「ノエル」
「なに、まだ途中なんだけど」
「一人称」
「あっ」
隣からくつくつと押し殺しても漏れる笑い声がする。今度はセレストさんが耐えられませんでした。
ノエルは赤くなって頬を膨らまし、その仕草が子供っぽいことに気付いて更に赤みを強めている。こんなノエルは初めて見た。たぶん、原作の表情差分にもないんじゃないかしら?
緩みきった空気の中、もう何を言っても墓穴を掘るだけだと悟ったノエルが、ついに折れた。
「はあ……。降参、白旗だよ。僕の負け。認めるよ、僕はちょっと自分の悩みを過大評価してたみたいだ」
「うん。ほどほどに、ね?」
悩みすぎるのはよくないけど、悩み自体は否定しない。
そんなあやふやな線引きが、ミリアの勝ち得たちょうど良い距離間なのかもしれないわね。
「じゃあ、降参ついでにもう一つ。僕が最近らしくない……こんな不合理をしたのはどうしてだと思う?」
メアリーの顔がわずかにこわばる。自分じゃ見えないけど、わたしの顔もきっとそうなっている。
ノエルの不自然な行動、その原因はゲーム世界による『補正』のせいだ。それはわたしとメアリーしか知らない、他の人には知られてはいけない事実。
しかし、
「それは簡単」
ミリアは特に動じることもなく、堂々としていた。まさか、ゲームのことがバレて……。
「『恋は人を狂わせる』、それだけ」
…………そういうことにしておきましょうか! 恋ってすごいわね!
「そうかなあ、なんか違う気がするんだけど……。まあ、いいや。今は僕の負けだし、大人しく受け入れるよ」
ん?
「ノエル貴方、『今は』って言った?」
「うん。だって今回、僕は自分の悩みってことで冷静さを失ってたけど、ミリアはゆっくり考えて、武器も揃えて、仲間も連れて来たんだよ? 明らかに不利だよね? だから、今度は、僕もミリアと戦えるだけの武器を揃えてからリベンジする」
こいつ、負けず嫌いね……。
「楽しみにしてる、ね」
「ま、それが何時になるかはわかんないけどね。暫くはお勤めしなきゃかもだし」
……。
これだけの大事になってしまっては主犯のノエルがお咎め無しとは行くまい。
普通なら、ね。
「なんのことですか?」
拉致監禁の被害者はぽけーっとした暢気に言う。
「私はノエルくんのおうちで泊まり込みでお勉強してただけですよ? ほら、おかげさまで夏休みの宿題が八割方終わってしまいました! 開始一週間で!」
「でも、それは──」
「そうよ、あんたねぇ、わかってんの?」
ノエルを遮って口を挟む。今、あんたの意見は聞いていない。
「寮生が外泊するときは申請が必要なの。あんた、何にも出さず何にも言わず居なくなるもんだから外は大騒ぎよ」
「まあ! そうだったのですね、申し訳ありませんでした」
口に手をあてて目を必要以上に大きく見開き、そんなこと知りませんでしたとアピールするメアリー。
「……それで済むって、本気でそう思ってるの?」
白々しい猿芝居にノエルは苦しそうにコメントする。
「そうよ。ノエル、貴方メアリーの失踪に関する手紙、全部無視してきたんでしょ? 丁度良いじゃない。だったら、貴方もこの女も大事になってるのを知らなくても矛盾はしないわ」
悪意のある誘拐事件じゃなく、申告忘れの過失にする。メアリーとわたしの望む解決は、そういうことだ。
「でも」
「でももだけどもないの。被害者のこいつも、手間をかけさせられたわたしたちも、貴方が罰せられることなんて望んでないの」
「そういうことだ。メアリーが良いなら俺も異存はない」
ローランも同意する。
一方で、隣のセレストは、口を閉じ目もつむっている。不正を嫌う彼女だが、文字通り見なかったことにする、という意思表示だろう。
「……」
赦されたノエルはまだ不満そうに唇を噛んでいる。
「罰が欲しいならこれと一緒に迷惑かけた人たちに怒られてきなさい」
「それと、償いをするなら、私たちに協力してください」
ちゃっかりした女は、ついでにノエルを仲間に引き込もうとしていた。
「協力?」
「ああ……詳しいことはまた今度説明するわ。とにかく、この粗忽者が申請を忘れてて、筆無精な貴方騒ぎになってることも知らなかった。そういうことにするから。いいわね? 拒否権はないわよ」
「有り難う」
「別に、貴方が犯罪者になってもわたしたちに一銭の得もないってだけよ」
観念して礼を言うノエルに、「ふん」と鼻を鳴らした。
一息ついたところで、窓から入る細い光が明度を落とし色づいてきていることに気付く。もう夕方ね。
「じゃあ、一件落着ってことで。わたしもう疲れたわ。泊まってきたいんだけど、客室は余ってるわよね? あ、もちろん外泊申請は馬車と一緒にしてあるから」
気圧されたようにこくこく頷くノエルの様子を了承と捉え、長距離移動で凝った肩を回しながら、わたしは地下室を出ようとする。
他のみんなもそれに続こうとして、
「待って。まだ、終わってない」
待ったをかけるミリア。その後ろで、メアリーは「ああ……」と何やら訳知り顔だ。
「ミリア様、それは、私たちも要りますか? むしろノエル様とお二人がよろしいのでは?」
「……確かに」
「ですよね」とメアリーは微笑んで、わたしに続くようにローランとセレストの背を押し、退室しようとする。
「後はお若い二人でー」
あんたノエルより年下でしょうが。
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「どういうことよ。説明しなさい」
地下室のすぐ外で待ち構えていた女性に、各人の部屋の準備が出来るまでと通された応接間でメアリーを問い詰める。
一般的な調度品は揃っているものの、趣味や飾りの少ない部屋は、主人の無頓着さを表わしている。
「いいですかエリザベット様。ミリア様は最初に何と仰いましたか?」
「それは……『ノエルのことが好き』って」
「その通りです! それが結論と仰っていましたね?」
「そうね、それが……ああ」
さっきの話は、ノエルの悩みを解消しただけだった。ミリアの組み立てを考えると、最後はノエルへの告白に帰着しなければならない。
そうなっていない、ということミリアの話はまだ途中だと言うことだ。
「だから『まだ終わってない』なのね」
「流石です、エリザベット様」
彼女は生徒にはなまるを上げる先生のように、手を合わせてにっこり笑う。そして、ちらりと横を見た。
振り子式の置き時計。その針は18時半を指している。
監禁イベントの終了にはまだ少しだけ早い。
「ええ、ですから、ある意味ではここからが本題。お二人だけの第二ラウンドです……!」