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第30話:三叉槍

 キンコンカンコン。

 二限の終わりを知らせる鐘が鳴る。

 今日の二時間目は『王国史』、二階の特別教室を使う授業だ。この教室には地形模型などが置かれていて、前世で言う『社会科室』みたいな部屋である。正式名称は忘れた。

 三時間目は一階のクラスに戻って行われるので、周りのみんなは足早に教室を後にする。

 わたしはそれを、席に着いたまま頬杖をついて眺めている。


「エリザベット様」


 キンコンカンコン。

 チャイムは繰り返す。そういえばこの曲『ウェストミンスターの鐘』って言うのよね? この世界ウェストミンスターどころかイギリスもないけど。


「エリザベット様?」


 じゃあこのチャイムはどこから来たのかしら? あ、でも、神授遺宝(アーティファクト)の時計塔が出してる音楽なんだからそういう事情は全部すっ飛ばせるのかしら?


「エリザベット様! そろそろ行きましょう」


「……今現実逃避してるから話しかけないでくれる」


「心中お察ししますが、早くしないとイベントが起きなくなっちゃうかもしれませんよ!」


 メアリーに腕をぐいぐい引っ張られ仕方なく席を立つ。

 「はぁ……」とため息を一つ吐いて踏ん切りをつける。いつもより少し重たい鞄を持って、彼女と共に待ち人のいる階段に向かった。


 ────────────────


「こんにちは、今日もみすぼらしいわね? メアリー・メーン」


 大階段前のロビー、オリヴィエは仁王立ちしてメアリーを待ち構えていた。教室でぐずっていたことが幸いしたか、周りにはわたしとメアリー、オリヴィエの徒党以外誰もいない。格下のご令嬢をぞろぞろと引き連れて虚勢を張るその姿は、自分に自信がないことを白状しているよう。

 全く、どこかの誰かさんを見ているようで嫌になる。

 オリヴィエの挨拶はメアリーだけに向けられたものだった。ゲームの補正もあって彼女の後ろに立つわたしは見えてないのかもしれない。ならば、こちらから存在をアピールしてやろう。


「あら、わたしには挨拶もないの? 悲しいわ、最近疎遠とはいえ貴女とはそれなりに親しくしていたつもりなのに」


 毒には毒を、悪役令嬢には悪役令嬢を、というわけでもないけれど、なんだか嫌みったらしい言い方になっちゃった。昔の自分を思い出させられた所為かしら。


「エリザベット……イジャール、様。その、ごきげんよう」


 オリヴィエは少したじろぎ、言葉をつかえながら挨拶をしてきた。ちょっと罪悪感.八つ当たりしたようなものなので謝りたいところだが、今はそうもいかない。


「はい、ごきげんよう。それで、オリヴィエ貴女、こいつに何か用でもあるわけ?」


 メアリーを指さして言う。ちなみに、メアリーはことを起こすまで喋らない手はずになっている。だってこいつが口を開いたらなんかややこしいことになりそうだもの。


「いえ、その……」


 オリヴィエとその取り巻きは、より気まずそうになって口ごもる。まあ、「これからメアリーを突き落とすんです」なんて言えるわけないわよね。

 視線をふらふらさせながら考えることしばらく、彼女は覚悟を決めたようで、こちらを睨んで言い換えしてきた。


「ええ、そうです。ワタクシは彼女と少しお話がありますの。エリザベット様は先に教室に戻っていて下さりませんこと?」


「そうはいかないわ。わたしもこいつには用があるんだから」


 話しながら、鞄の中に右手を伸ばす。指先に触れる冷たくて硬い感触。


「用、とは……」


 左手を鞄の持ち手から離し、メアリーの髪をひん掴む。キューティクルの整った綺麗で長い茶髪。


「ええ、ちょっと、ね……」


 手を離した鞄が落ち、右手に握るものが露わになる。無骨に光るそれは、大きなハサミ。


「まさか」


 唖然としたオリヴィエの声を無視して、わたしは手の震えを必死で抑え、


「こう、するのよ……!」


 ヂョキン。

 乙女の命とも言える髪を無残に切り落とした。


「きゃっ」


 メアリーが小さく悲鳴を上げてうずくまる。どんな顔をしているのかは分からないが、これも彼女の提案だ、恐怖に打ち震えているわけではないだろう。

 階段から突き落とすのは嫌だとごねたわたしにメアリーが持ってきた代案、それがこの髪切りだった。この女は乙女の命を何とも思っていないらしい。

 確かに、ええ、確かに、長い髪を引っ張ってその中ほどを切るなら命の危険はまずない。うっかり手元が狂って耳とかが切れても、切り傷を治すのは簡単だから大丈夫とメアリーは言った。

 でも、この絵面はどうよ。無造作に髪を切られうずくまる少女と、片手にハサミ、片手に切った髪束を掴み笑う女。突き落とすよりもよっぽど猟奇的じゃないかしら? その証拠に、ほら、メアリーを突き落とすはずだったオリヴィエたちもわたしの所業にドン引きしている。

 そんな茫然とする悪役令嬢ズに見せつけるように、左手から髪束をはらはらと落とす。


「わたしの用は済んだわ。どうぞ、次は貴女たちの用事を済ませれば?」


 酷薄に笑って言うと、ざわめいていた取り巻きの中から引き攣るような悲鳴が聞こえた。


「わ、ワタクシの用は、ま、またの機会にいたしますわ、ごきげんよう」


 彼女らはメアリーに追い打ちはせず、さりとて助けもせずに尻尾を巻いて逃げ出した。

 にわか仕込みの半端者が、本家本元の悪役令嬢たるわたしと張り合うには十年早かったようね! 威張れることじゃないわね……。


「オリヴィエたちはどっかいったわ。ノエルは……まだ来ないようね」


 うずくまるメアリーに声を落とすと、彼女はゆっくり振り向きながら立ち上がる。


「そうですか。うーん、ゲームだとこの場面は一階でしたしね……。下に降りないといけな──え?」


 一瞬、思考が真っ白になる。

 こちらを向こうとしたメアリーが、地面に散乱した自分の髪に足を滑らせた。


「あ」


 傾いていくメアリーの身体にあわてて手を伸ばす、が、その手は空しく空を掻く。わたしの反射神経では全く間に合わなかった。そのまま彼女の体は段差に打ち付けられながらゴロゴロと転がっていった。


 階段から落ちた(・・・・・・・)のだ。



「ちょっ、あんた大丈夫!?」


 我に返ったわたしは三段飛ばしで階段を駆け下り、仰向けでダンゴムシみたいに丸まったメアリーの元へ馳せる。足側から丸めた顔を覗き込むと、彼女はうっすら涙を浮かべながらもへらへら笑っていた。


「あはは、結局こうなっちゃいましたね……。大丈夫です、背中をちょっと打ったくらいで、頭と首は守れました」


「そう、安心し、た」


 メアリーの元気そうな様子を見て得た一時の安堵、それはすぐさま消え去ってしまった。

 『メアリーが階段から落ちてくる』

 ゲームの状況はここに再現された。ならば当然、イベントの当事者もこの場に現れる。

 メアリーを挟んだ十メートルほど向こう、ノエルが立ち尽くしていたのだ。冷たい──ニコニコと笑みを絶やさない普段の彼からは想像できないほどの、冷たい怒気を纏って。


「エリザベット様?」


 わたしの様子を不審に思ったのか、メアリーが顎を上げてノエルの方を見る。


 突然ですが、ここで問題です。

 階段から髪を不格好に切られた女の子が転がり落ちてきました。その後を追うように、その子をいじめているという噂の女がハサミを持って降りてきました。

 それを見たノエルくんはどう思い、どんな行動に出るでしょうか?

 あまりにも明白な答え、それをわたしの頭がはじき出すよりも速く、事態は進行する。


 最初に感じたのは、衝撃。

 訳も分からず吹っ飛ばされた。数メートル飛ばされ、尻餅をつく。そのままもといた場所を見れば、丸まっていたメアリーの脚がピンと真っ直ぐになっていた。

 どうやら、彼女が縮めていた脚を思いっきり伸ばして、わたしを蹴り飛ばしたようだ。


「ちょっ」


 『なにすんのよ』という言葉は続けられなかった。

 わたしがいた場所、より正確にはわたしのかわいいお顔があった辺りを、鋭い水流が穿ったからだ。


「ひぃっ」


 ノエルの魔法だ。

 彼が放った水流は標的のいた場所を通過しても勢いが衰えず、突き当りの壁まで飛び、硬い石材の壁に穴をあけた。

 遅ればせながら、先ほどの答えを脳が認識する。

 『メアリーの身が危ないと考え、なりふり構わずエリザベットを排除する』

 その結果が、これだ。もしメアリーが蹴っていなければ、わたしは今頃……。


「エリザベット様、呆けてないで逃げて!」


 メアリーの声で我に返る。そうだ、すぐにでもここを離れないと。でなければ死ぬ。冗談抜きに、死ぬ。

 尻餅をついた姿勢から立ち上がろうとして、立てないことに気付く。


「こ、腰が抜けちゃったみたい」


「マジですか!?」


 メアリーの向こう、ノエルは右手を真っすぐ伸ばし、左手を添えていた。二射目を撃つ姿勢に入っている。


「ノエル様! わたしは大丈夫ですので、撃つのをやめてください」


 わたしに向けられた右の掌に魔方陣が生成され、その周りには小さな魔方陣が三つ浮かぶ。メアリーの叫びも虚しく、彼が魔法を中断する気配はない。


「メアリーは優しいね。自分を殺そうとしたかもしれない相手を庇うなんて」


 どうすることも出来ないわたしは、いっそ他人事のように、悠長な気持ちで彼の魔法を認識する。

 ノエルが発動しようとしているのは、水属性の魔法としてはポピュラーな水流による遠距離射撃、その改良版。三つの副流による三重螺旋で本流を囲むことで水撃の直進性と貫通力を上げる、彼自ら開発した得意魔法。

 ギリシャ神話の海神、ポセイドンが持つという武器になぞらえた、その名を──


「トリアイナ」

「渦巻いて!」


 ノエルがつぶやき、三叉槍(トリアイナ)を発射すると同時、メアリーも魔法を発動する。

 以前彼女は、自分の魔法属性を、属性“水”の性質“循環”と言っていた。

 床に寝ころんだまま斜め上に射出した水は、それを証明するように、勢いよくぐるぐると回って空中に渦巻きを作り出す。

 トリアイナの切っ先が渦の円盤に当たる。すると、真っすぐ走っていた奔流は、渦に従いわずかに進路を歪められる。上向きに逸れた水槍はわたしの代わりに天井を穿つ。

 た、助かった……!


「おかしいな。その程度の水流じゃ、僕のトリアイナは曲がらないはずなんだけど」


「渦を通ったものに私の“循環”の性質を付与するようにしました。とはいえ、攻撃が通過するのは一瞬、同じ“水”という親和性がなければ曲げられなかったでしょう」


 うわぁ、バトルものの空気だ……。というか、ノエルの魔法が水属性じゃなかったら死んでたのかしら、わたし.

 メアリーは渦巻きを保ったまま器用に起き上がり立膝をつく。そして、低い姿勢のままわたしの傍ににじり寄って来た。メアリーへの誤射を危ぶんでか、ノエルが追撃を放つ気配はない。

 渦を挟んだにらみ合いが続く……かに思われたが。


 キンコンカンコン。


 始業の鐘が、試合終了を告げるゴングになった。


「授業、行きませんとね」


「……そうだね。けど、これだけは言っておくよ。メアリー、僕は傷つけられたらちゃんと報復するべきだと思う。君自身がそれを望まなくとも」


「お気遣いには感謝いたします。しかし、この髪のことは本当に──」


 釈明しようとするメアリーの口を塞ぎ、ノエルに聞こえないよう小声で耳打ちする。


「いいから。誤解でもなんでもさせておきなさい。あんたの身が危険だとノエルに思わせる、それが今回の目的でしょうが」


 これだけ怖い目に遭わせられたのだ、目的くらいは達成しとかないと割に合わない。

 まだ何か言おうとするメアリーを抑えていると、渦越しに見えるノエルのぼんやりしたシルエットが遠ざかっていった。


「君は、優しいね」


 渦の向こう、表情の分からない彼は、最後にそう言い残して消えていった。

 それを確認しメアリーが魔法を解くと、渦に隠れていた大階段の上オリヴィエたちがいた場所が目に入る。

 まだバクバク鳴っている心臓を押さえ、思う。


 本当、悪役なんてなるもんじゃないわ。


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