第24話:やみ属性
「結論から言うけど、あんたが消えれば良いんじゃない?」
「一理ありますが、面と向かって言われるとクるものがありますね……」
ノエルの研究室を後にしたわたしは、メアリーを連れて自室に戻っていた。
サラが差し入れてくれた旬の水菓子をつまみつつ、研究室で見たノエルたちの感想を語る。
「ノエルとミリアは普通に仲が良い、でもそれ以上にあんたと仲が良い。なまじっか関係は良好な分劇的な進歩も望めない」
「はい、そこがローラン様とセレスト様のときとの違いですね。一応、ゲームでは主人公と行っていた魔法の研究をミリア様も含めた三人の研究にしたりとゲームにはなかった接点を作る試みはしましたが、それも強いイベントにはなっていません」
ローランとセレストの場合、恋仲にならなかったのはセレストの姉感が強すぎたから、という明確な理由があった。だから、それさえ改善すれば良かったのだが、今回はそうも行かない。
ノエルはミリアのことを正しく異性として認識している。
それは彼がミリアに恋仲になる予定の主人公と近い接し方をしていることが証明している。ただ純粋にメアリーの方が好感度が高いから彼女に比重が向いているだけだ。
「だから、あんたさえ居なければミリアが繰り上がり一位になって丸く収まる、違う?」
「違いませんね。私もそれは考えました。ですが……あのノエルですよ? 私が強引に離れたら暴走なさらないか心配で……」
「まあ、そうよね……」
ノエル・アンファン。
彼には『Magie d’amour』プレイヤーから自然発生的につけられた愛称がある。
それは、
「ヤンショタ ノエル」
病んでるショタ、ヤンショタ。それが彼を端的に表わした異名だった。
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アンファン一家は幸福な家庭だった。
聡明な父と優しい母に利発な男の子。
家業の魔法研究も王に認められ、家庭も仕事もまさに順風満帆であった。
しかし、幸せは、ある日唐突に終わりを告げる。
「おかあさん、見てみてー! これ、ぼくがといたんだよ!」
「まあ! すごいわねノエル!」
「先生もね、ぼくの年でこんなにとけるなんてびっくりだって!」
嬉しそうに答案を見せびらかす幼いノエルと彼の頭をわしわし撫でて誉める母。温かな家庭のいつもの光景だった。
「ノエルはお父さんに似て──」
「おかあさん……?」
銀髪の女性は堪えきれなくなったようにゴホゴホと咳き込む。
止まらぬ咳にはびちゃびちゃとした水音が混じるようになり、白く美しい手は赤く染まっていく。
彼女は吐血していた。
「おかあさん!」
病床に伏したノエルの母、その病状は急速に悪化する。
ここは衛生観念が進んだ世界だけど、所詮は中世風、医療水準はそう高くない。
代わりに治癒魔法があるが、逆に言えば治癒魔法でも治せない病気は不治の病となるしかない。
1年も掛からず、彼女は余命幾ばくもない身となっていた。
そして彼女は、アンファン家は、ある決断をする。
「本当に、よいのじゃな」
ベッドの傍らにたたずむノエルと父、彼らに見守られ横たわる母に問いかけたのは土埃色の長衣に身を包んだ老人。
魔法の研鑽に費やした生涯が刻み込まれた皺だらけの相貌。柔らかい口調に腰の曲がった矮躯でありながら凄まじい威圧感を醸し出す男。
彼の名をウォルロック翁。
当代最高とうたわれ“天土”の称号を頂く土属性の魔法使いである。
「はい、夫とは何度も話し合いました」
「……子供には?」
翁が問うと、女性は静かに首を横に振る。
「そうか、まあ幼い子には酷な話か。よかろう、お主らがそれを選択したというのなら口を挟みはしまい」
「感謝します」
幼いノエルは、しかし利口であった。
故に、老人と両親の会話の意味は分らずとも、これが母との別れであると理解していた。
「おかあさん……」
「ごめんね、ノエル。お母さんの病気ね、治らないみたいなの」
母の手がノエルの頭を撫でる。在りし日と同じ行為だったが、その手つきは遥かに弱々しくなっていた。
「おかあさん、しんじゃうの?」
「死なないわ。でもちょっと長くお休みするの」
「おやすみ?」
「そう。いつかまた、目を覚ますから、そのときはいつもの元気なお顔を見せてね?」
「うん……!」
今にも途切れそうな優しい声に、ノエルは涙を堪え、出来うる限り元気に返事をした。
「お父さん、ノエルのことをお願いね?」
「ああ……任せろ」
ノエルの父は元来よく喋る男だったが、このときだけは短い言葉しか口に出来なかった。ただ、無言で今にも泣き出しそうな息子の身を抱く。
「翁よ、お願いいたします」
「うむ」
老人が床に杖を突くと、母を包むように幾重にも魔法陣が展開する。
ウォルロック翁は“土”属性の中でも“停止”の性質を極めた魔法使いである。
同じ“停止”の性質を得意とするローランは、その魔法で武器や自身を“停止”つまり“変化しない”ようにして硬化し攻防の底上げをしていた。
翁も基本は同じである。だが、その練度が桁違いだった。
眠ったように目を閉じた女性の周りを輪転し自転する数多の魔法陣は、ゆっくりとその速度を落としていく。
そして、全ての魔法陣が停止したとき、その中にいる彼女も停止していた。
息をしていると示す胸の上下も、もはやない。
翁の魔法は時すら止める。
「魔法は完了した。分っているとは思うが、儂の魔法は一度かければ外から解除するまで解けることはない」
通常、魔法というのは効果を発揮するために魔力を消費する。そして効果を発揮せずとも魔法を構成する魔力が徐々に漏れ出し、霧散する。よって、定期的なメンテナンス無しに効果が永続する魔法は存在しない、はずだった。
翁の魔法はその例外である。
“停止”を極めた彼の魔法は、魔法をかけた対象は勿論のこと、魔法そのものも時を止める。ゆえに、効果が薄れることも消えることもない。
停止したゆりかごで病の進行から守られ、しかし、停止した檻に捕らわれ目覚めることも出来ない。
『アンファン伯爵家の眠り姫』、それがノエルの母であった。
ノエルが5歳のときの出来事だ。
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「ノエル様の人格形成にはお母様が深く関わっています」
『アンファン伯爵家の眠り姫』
王宮に勤める貴族の間では有名な話だ。
ウォルロック翁の魔法は問題の究極的な先送りである。時を止めている間にノエルの母の病を治す方法が見つかれば良し、見つからなくても魔法の解除とかけ直しを繰り返すことで少しでも息子の成長を先まで見守れる。
だが、結局魔法が行使されてから一度もノエルの母は起こされていない。なぜなら、
「ウォルロック翁、9年前に死んじゃったものね……」
うっすら翁の国葬に参加させられたのを覚えている。
魔法の解除だけなら彼の弟子が出来るのだが、同じ魔法をもう一度かけることは出来ないらしい。
治す方法の見つからないまま魔法を解けばノエルの母はもうそのまま死ぬしかない、ということね。
「時間停止魔法を使わなければお母様は亡くなっていました。ですから、ご両親の選択に間違いはありません。ですが、眠り続けるお母様の存在はノエル様に暗い影を落としています」
すぐそこに居るのに話しかけてくれないし自分のことを見てくれもしない。そんな母親とともに、ノエルはどんな気持ちで過してきたんだろう?
ある意味、死んでしまって決して手の届かないところに行ってしまった方が楽だったんじゃないだろうか?
あるいは、最初から母親のぬくもりを知らない方が。
「その結果が、わざと子供みたいにふるまって、主人公に固執するノエルってことよね」
幼い自分しか知らない状態で母が停止したために、ノエルは変化を恐れている。思慮深いはずの彼が幼子のような無邪気を装っているのはそのためだ。
加えて、彼は幼いときに受け取っていた母の愛を今も無意識に求めている。自分だけに向けられる愛情への渇望は、強い独占欲となる。
その最大の発露が、ノエルルートにおけるキーイベント。
「『監禁イベント』か……」
夏休みのはじめ。主人公はノエルに拉致され、アンファン家の別邸に監禁されるのだ。
「はい……。もしノエル様の好感度が高い状態で彼から無理に離れれば、ノエル様は何をするか……。本来のイベント発生を待たずして監禁されるとか、ちょっとご遠慮願いたいですね……」
「「はあ」」
二人してため息をつく。
ノエル攻略には避けては通れないけれど、彼の母親関連の事情は正直重過ぎる。
病むのも仕方ないと思う。
「ねえ、根本的な解決としてあんたがノエルのお母さんを治すとか、出来ないの?」
「無理です」
メアリーはきっぱりと断言する。「それが出来たらもうやっている」と言うように。
「お母様の病気は作中の描写から末期の胃癌と推測されています。癌というのが厄介で、本人の細胞の一部であるため私の『正しい状態に戻す』魔法では癌を除去できません。他のタイプの治癒魔法ですと『自然治癒力を高める』タイプがありますが、これに至っては癌の増殖を促しかねないです」
メアリーは唇を噛んで言う。
「後は前世で行われていたような外科手術ですが、この世界の医療水準では不可能です。一応お聞きしますが、エリゼベット様の前世はお医者様だったりということは……」
「残念ながら、そんな都合の良いことはないわ。ただの大学生よ」
「ですよね……。色々言ってきましたが、そもそも胃癌という推測が正しい保証もありません。ですから、そんな不確かなことでノエル様のお母様の命を賭けることは出来ません」
ダメかあ……。
「まあ、この問題は棚上げにしましょう。とにかく、今はミリアさんへの好感度を上げて、あんたへの好感度を上回るしかないってことね?」
「そうですね。ノエル様の内面に深く踏み込む『監禁イベント』まではまだ一ヶ月ほどありますし、『監禁イベントを起こすか?』も含めて、考えるのは後でいいと思います。ミリア様がノエル様と付き合って彼の問題を上手くケアしてくだされば、私たちがどうこうする必要もありませんしね」
正攻法でミリアとノエルの仲を深める。
結局、わたしたちに出来ることはそれしかないのだった。