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02-01-01 秦十 秦王政・呂不韋
昭襄王が死ぬと「孝文王」嬴柱、「莊襄王」嬴楚を経て、嬴政が立つ。そう、始皇帝である。
始皇帝は趙の都「邯鄲」に生まれた。昭襄王の時に、後の荘襄王は人質として趙に送り込まれていた。そこに近づいてきたのが、当時大商人であった「呂不韋」だ。荘襄王を見るなり「奇貨居くべし」と語り、秦に潜り込むと孝文王の妻である華陽夫人の姉に取り入り、庶子にすぎなかった荘襄王を後継に立てるようそそのかさせる。
また荘襄王には邯鄲いちの美姫をめあわせた。なお彼女は事前に呂不韋の息子を妊娠していた。そうして生まれたのが始皇帝である。つまり始皇帝は、実は呂氏だったのである!
昭襄王が死んで孝文王が立つも、三日で死亡。莊襄王が立つ。しかし荘襄王も四年で死亡。始皇帝は13才で王位に就いた。
始皇帝は母を太后に据えた。呂不韋はすでに秦の宰相として君臨していた。しかし太后と呂不韋の不義密通が発覚。この頃の始皇帝は既に成長していたため、呂不韋を自殺させ、太后も廃位する。その後幽閉したのだが「茅焦」の諫めにより、母子の関係は元通りとなった。




