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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-15 秦

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01-15-05 秦九 武王

 惠文王《けいぶんおう》が死ぬと、子の「武王《ぶおう》」が立つ。


 武王は「甘茂《かんも》」に韓《かん》の重要拠点「宜陽《ぎよう》」を攻撃させようとする。しかし甘茂は語る。

「私は外様将。宜陽を攻撃すれば、外征している間に、王の元に「樗里子《ちょりし》」や「公孫奭《こうそんせき》」よりの誹謗が飛んで参りましょう。それを王が信じてしまうのが心配でならぬのです」

 そのようなことをせぬという確約を得てから、甘茂は出立。そして宜陽攻めが五ヶ月ほど経った頃、案の定樗里子らが譴責のために甘茂を呼び戻した方が良い、と言う。武王もそれを聞いて、いちどは甘茂を呼び戻そうとしたが、甘茂から「あのときの誓いをお忘れか?」と返され思いとどまった。むしろさらなる援軍をよこし、ついに宜陽を抜いた。


 ところで武王は相撲好きであった。そのため力士の「任鄙《にんぴ》」「烏獲《うかく》」「孟說《もうせつ》」らを高官に取り立てていた。

 あるとき孟說とともに思い鼎を持ち上げて遊んでいたところ、プッツンといって死んだ。



 惠文王《けいぶんおう》が死ぬと、子の「武王《ぶおう》」が立つ。


 武王は「甘茂《かんも》」に韓《かん》の重要拠点「宜陽《ぎよう》」を攻撃させようとする。しかし甘茂は語る。

「私は外様将。宜陽を攻撃すれば、外征している間に、王の元に「樗里子《ちょりし》」や「公孫奭《こうそんせき》」よりの誹謗が飛んで参りましょう。それを王が信じてしまうのが心配でならぬのです」

 そのようなことをせぬという確約を得てから、甘茂は出立。そして宜陽攻めが五ヶ月ほど経った頃、案の定樗里子らが譴責のために甘茂を呼び戻した方が良い、と言う。武王もそれを聞いて、いちどは甘茂を呼び戻そうとしたが、甘茂から「あのときの誓いをお忘れか?」と返され思いとどまった。むしろさらなる援軍をよこし、ついに宜陽を抜いた。


 ところで武王は相撲好きであった。そのため力士の「任鄙《にんぴ》」「烏獲《うかく》」「孟說《もうせつ》」らを高官に取り立てていた。

 あるとき孟說とともに思い鼎を持ち上げて遊んでいたところ、プッツンといって死んだ。



蒙求《もうぎゅう》:

樗里智囊《ちょりちのう》 邊韶經笥《へんしょうけいす》

 樗里子は秦の恵王の弟。甥の武王の宰相として活躍し、ユーモラスな語り口でありながらも大変な知恵者であったそうだ。死に妻子、墓の場所を選定すると「後の世に、天子の宮殿がこの墓を挟み込むのだろうな」と語った。事実漢の時代に、樗里子の墓を長楽宮と未央宮が挟む形になったという。

 邊韶は後漢のひと。非常にふくよかな体格で、またとても口が回るひとであったそうだ。あるとき昼寝していたところを弟子に「あの体格だからいろいろだるいんだろうなwww」とからかわれる。そこに対して「俺の腹は書庫。眠っているときに周公と論じあう、これは孔子もなしていたこと。で、師匠を嘲るのは何の典拠に基づくのかね?」と言い返したのだとか。

 論者ふたりといった感じだけど、それ以外には何の繋がりがあるんだろう……?

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