01-15-03 秦八 孝公
「康公」「共公」「桓公」「景公」「哀公」「惠公」「悼公」「厲公」「共公」「躁公」「懷公」「靈公」「簡公」「惠公」「出子」「獻公」を経て、「孝公」の代のこと。いわゆる戦国諸国が出そろっており、他に小国が十ほどあった。どの国も秦を蛮族扱いしており、諸侯の会盟からもハブってくる。そこで康公は「国力を増進した者には褒美を取らせる」とふれを出した。
そこに衛から「商鞅」がやって来る。本名は公孫鞅。彼の説く政策は見事だったが、民の反対をも招きかねないものだった。そこに商鞅は「民に説明するまでもない。結果が付いてくれば納得する」と言い切り、施行させる。以下の通りのものだ。
1。民を十五世帯ひと組とし相互監視させ、悪事があれば連帯責任、悪事を告発しなかったら腰斬、告発したものには「敵を殺した」のと同等の報賞。
2。軍功があった者には、功に応じて爵位が付与される。
3。私的な争いは皆その軽重にかかわらず処罰。
4。収穫物や衣類を多く納めたものには勤労税を免除。怠惰な貧乏暮らしをする者は捕縛して、妻子もろとも奴婢に落とす。
5。父と子とにそれぞれ別の家に暮らすようにさせ、同居では一戸分しか取れなかった租税を二戸分徴収できるようにする。
これら政令が施行されて十年も経てば、道に落とし物があってもネコババする者もなく、山野に盗賊もいなくなり、人々の暮らしも豊かとなった。人々は喜んで戦争に出向いたし、私闘には及び腰となり、村落は大いに治まった。
はじめこの法令を不便だと言っていた者も、暮らし向きが改善されれば良い法令だ、と言う。商鞅は、そういう者こそが規律を乱すのだ、と発言者を遠くに飛ばしてしまった。これにより法令についてとやかく言う者もいなくなった。
こうして、秦は一気に強国となったのである。




