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01-11-04 魏十 安釐王
武侯が死ぬと、子の「惠王」魏罃が立つ。韓を襲撃したところ斉の孫臏に後ろから攻撃されて龐涓と太子の魏申を失ったのがこのときだ。その後更に楚に敗れ、張儀の策略によって秦に国土を奪われ、国力を落とした。そこで賢人を集めようとしたのだが、やって来た孟子を採用することもできなかった。子の「襄王」が立った時に、孟子は斉に去った。
やがて「安釐王」が立ったタイミングで、秦が趙を攻撃してきた。安釐王は救援として「晉鄙」を派遣しようとしたのだが、秦の昭襄王は「趙に味方するやつから先に攻撃するぞ」と宣言。
恐れた安釐王は晉鄙を「鄴」に留めさせ、別に「新垣衍」を趙王の元に派遣する。内容は、ともに晋を帝として仰ごう、と言う者だった。
すると、ここにいたのが魯仲連、斉で武威振るわずあえいでいた田単に発破を掛けた、あの人であった。
「秦は儀礼よりもいくつ首を上げたかこそを功績と考える国。そんな国に天下を取らせるというのであれば、私は海に身を投げて死んだ方がマシです」
魯仲連の言葉に、新垣衍は意を改め、秦にかしづかないことを誓うのだった。




