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01-10-08 趙十 孝成王
恵文王ののちには「孝成王」が立つ。この頃になると秦は再び圧力を増し、韓に攻撃を仕掛けていた。その韓が秦よりはマシと趙に下ってくる。こうして秦の矛先が再び趙に向く。戦の舞台は、「長平」。
この地で守りを固めていたのは、かの廉頗である。万全の守りで秦の攻撃を跳ね返す廉頗。すると秦は金をばらまき、こんな噂を立て始めた。「秦が恐れるのは趙奢の子、趙括のみである」と。そこで孝成王は守将を廉頗から「趙括」にすげ替えた。
これに驚いたのが藺相如である。趙括では到底勝ち目がないと説くも、孝成王が聞く耳を持つことはなかった。結果が秦の名称「白起」による四十万余の穴埋めであった。
この戦いで大きくダメージを受けた趙は、更に秦よりの攻勢を受ける。ついにその軍勢が都、「邯鄲」の近くにまで押し寄せてきた。
この事態を受け、孝成王の叔父にあたる戦国四君のひとり「平原君」が楚や魏に援軍を求める。結果楚から「春申君」の率いる軍が、魏から「信陵君」の率いる軍がやって来、秦の撃退に成功するのだった。




