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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
01-06 魯(孔子老子)・衛・鄭・陳

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01-06-06 衛六 出公・子路

 衛《えい》。


 武王《ぶおう》の弟「康叔《こうしゅく》」が封じられた地だ。前 496 年、「霊公《れいこう》」の時代に夫人の「南子《なんし》」が乱を起こした。子の「姫蒯聵《きかいき》」が南子を倒そうとしたが失敗、国外に出奔した。霊公が死ぬと、姫蒯聵の子の「出公《しゅつこう》」が霊公のあとを継いだ。姫蒯聵はそれを聞いて衛に戻ろうとしたが、出公は拒否。


 これが礼に合ったものではない、と非難した者がいる。孔子《こうし》の高弟「子路《しろ》」だ。そのため出公は子路を殺害。このとき子路の冠の紐が切れたのだが、「君子は死しても冠は脱がぬものだ」と紐を結び直してから死んだ。

 子路はその後塩漬けにされた。それを聞いた孔子は、自宅の塩漬けをすべて捨てたという。



蒙求《もうぎゅう》:

毛義捧檄《もうぎほうげき》 子路負米《しろふべい》

 毛義は後漢の人。孝行者で知られ、顕職に推挙され喜びを顔に浮かべたが、それは親の暮らしのためだった。親が死ぬと即辞職した。

 子路もまた親のために重い米袋を抱えて遠路はるばる移動した逸話を持つ。

 親のために全力を尽くす、ふたりの孝行者が並べ讃えられている。

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