01-05-04 越六 范蠡
范蠡と大夫の種について書いておく。
越が呉を滅ぼして間もなく、范蠡は種に書き置きを残して国を立ち去った。そこにはこうあった、「越王は苦難を共にはできるが、安楽を共にできるお方ではない。あなたも立ち去るべきだ」と。
種は病と称して参朝しないようにしたが、そのせいで却って「反乱を目論んでいる」との讒言を受け、自殺を強要された。
范蠡は身軽な旅支度に持ち運びのしやすい宝玉を持ち、湖や長江を越え、斉の国に脱出。「鴟夷子皮」と偽称し、貨殖に励んだ。その手腕を見た斉の人たちは彼を宰相に、と推薦。
推薦を受け、范蠡は嘆息する。
「財産を稼ぐだけ稼ぎ、政務に就けば宰相にまで至った。平民としての極みに達した、と言っていい。この座に長く居続けるのは危ういだけだ」
すぐさま宰相の印綬は斉に返還、家財一式も周辺に分けて回り、再び身の回りのものだけ持って「陶」の地に脱出する。そして陶の地でもまた財を築いた。
魯人の「猗頓」が范蠡に、どうしてそんなに金持ちになれたのか、と聞く。すると范蠡は牛を五頭飼え、と答えた。
アドバイス通りにしたら、十年もするうちに猗頓も大金持ちとなった。こういったこともあり、大金持ちの代名詞と言えば陶朱猗頓と挙げられるようになったのだ。
蒙求:
仲連蹈海 范蠡泛湖
魯仲連は戦国時代の優れた論客。戦国四君の平原君に重んじられたが、その後ふらりと失踪した。失踪前に「秦に仕えるくらいなら海に飛び込んで死んだ方がマシですよ」と言っている。ここの范蠡と知謀の士であること、亡命によって陰謀から逃れたことを同じくし、更に「水」をキーワードにして結びつけているわけだ。




