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訳だけ! 十八史略+蒙求  作者: ヘツポツ斎
02-04 文景の治・呉楚七国の乱

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02-04-01 漢二 文帝劉恒 上

 文帝《ぶんてい》、劉恒《りゅうこう》。母は「薄《はく》氏」だ。彼女は龍が胸に寄りかかる夢を見、間もなく文帝を生んだ。前 180 年に文帝が即位すると皇太后とされた。陳平《ちんぺい》を左丞相、周勃《しゅうぼつ》を右丞相とした。

 あるとき千里馬を献上するものがあった。しかし文帝は言う。

「余の行幸に際しては多くの者を付き従え、一日に五十里を行き、行軍であれば三十里をゆくくらいのもの。千里も走る馬に乗り、一人どこへゆくというのだ」

 そして旅費を渡した上で馬を返却、さらには献上品を受け取るつもりはない、と大々的に表明した。


 文帝は政務について懸命に学んだ。そこで周勃に一年の裁判の数、金銭食料の出納について問うた。周勃は何一つ答えられず、恥じ入り、背中に冷や汗を流した。同じことを陳平に問うと、陳平は答えた。

「物事には責任者がおります、裁判について問われるのであれば廷尉に、金銭食料は治粟內史にお問い合わせなされませ」

「では、貴公は何を司るのだ?」

「陛下はかたじけなくも、罪人たるこの身を宰相におつけくださいました。宰相とは上は天子を補佐し、人材を適所に配し、四季のもろもろごとに従い、下はあらゆるものが適切に運用されるよう整え、外においては四方の蛮族を寧撫し、內には民を心服させ、卿大夫にそれぞれの職務を全うさせることを司ります」

 文帝はこの発言に満足したが、一方の周勃は何も答えられなかったことに恥じ入り、間もなく病と称して引退した。


 河南《かなん》を守る「吳公《ごこう》」の統治は天下で最も優れたものであった。そこで文帝は廷尉とすべく召喚したのだが、呉公は洛陽《らくよう》人の「賈誼《かぎ》」を推薦した。わずか二十才ほどの人物であったが、一年も経てば大中大夫にまで飛び級出世を果たした。

 陳平が死んだ。

 前 178 年、年貢を半減させた。



蒙求《もうぎゅう》:

賈誼忌鵩《かぎきふく》 莊周畏犧《そうしゅういき》

 賈誼は早熟の天才で帝よりの覚えもめでたかったのだが、あるとき不幸を呼ぶ鳥、鵩を目撃してしまった。その後三十三才の若さで夭折した。

 荘子は田舎で悠々自適の暮らしをしていたが、あるとき宮廷よりの召喚を受ける。荘子はそれを蹴った。いわく、「何が悲しゅうて生贄の牛になりにいかにゃあかんのだ」と。

 共に抜群の知恵を備えた天才。そして動物の姿に、己が凶兆をみたわけだ。



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