01-02-02 夏 少康まで
以降の夏の王について。
子の「啓」。賢人であり、国をよく治めた。禹としては堯や舜の故事に倣って賢明なる他者である「益《えき》」を推薦したく思っていたのだが、息子が賢人であれば息子に継がせるべきだ、と臣下より言われたのだ。ただし、後に「有扈氏」が反乱を起こす。この反乱を鎮めて間もなく、啓は死亡。
子の「太康」が立つも、遊びほうけて政治を省みない。そこで臣下の「羿」が、太康の弟である「仲康」を推挙した上で政を専断、国政を荒らす。「羲氏」と「和氏」は羿に逆らって夏への忠節を示すが、最終的には偽の王命によって派遣された「胤侯」によって討伐された。
そうこうしているうちに、仲康が死亡。子の「相」が立つには立ったが、羿により追放される。すると今度は羿の部下であった「寒浞」が羿を殺害、王を自称した。
相の妃であった「有仍氏」は身重の身ではあったが何とか故郷に逃げ延び、相の息子である「少康」を産む。成長した少康は夏の旧臣らをとりまとめ、寒浞を打倒、夏を復興させた。




