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鉄骨とボロ切れの街

作者: 浜能来

 僕の街は、鉄骨とブリキ板とボロ切れで出来ている。モザイクアートみたいに鉄骨とブラキ板を継ぎ接ぎしたこの街は、立体迷路の様相だ。僕らはところどころに適当につけられた梯子を上ったり下りたりする。その梯子はもしかしたら果てしなく上まで続いているかもしれないし、ちょっと降りたところで行き詰まりになることもあった。

 風が吹く。鉄骨がぎちりと耳障りに擦れ、たたらを踏めばブリキ板が頼りなげに泣く。いつ崩れてもおかしくないのに崩れない、鼻の奥がむず痒くなるような世界。

 だから、せめてものためにボロ切れを貼っつけて、壁を作って、がらんどうな内部構造もボロ切れで仕切って。僕らの居住スペースは作られている。僕の家は十八階の鉄骨橋を渡った先の、五番梯子の下の窪みを布で囲って作られている。


 はっきり言って、僕はその穴蔵が好きではない。家と言っても、ボロ切れで区切っただけの明け透けな家は、周りの生活者の物音を一切遮断しなかったし、家の中には仕切りがないものだから、そこはむっつりした父とかりかりした母に支配されている。風通しが良いのに、そのくせ息苦しい家。

 だから僕はよく散歩をした。この街にはどこにでも行けそうな雰囲気がある。例えばそれは、ゲームの説明書を見て妄想を膨らませるような、あるいは、ガチャガチャのシークレットに巡らせる想いのような。きっとそういうものだろうという期待感。

 ボロ切れのせいで薄暗い道を、時には手探りで歩き、急に足場がなくなってあたふたしたりしながら、差し込んだ細い日の光に目を眩ませ。

 僕の毎日の作業は、しかし毎日同じ結末に終わる。ビビッドな色合いをかつてはしていたのだろう、塗装の剥げたブリキ板に挟まれるように、高くまで伸びる梯子。カンカンと甲高い音を立て、ちょっぴりささくれだった梯子の一段一段を手繰り寄せ、僕はその鉄塔を登りきる。


「あぁ、また来たね」

「別に、来たくて来てるんじゃないよ」

「それはまたご挨拶だ」


 いた。女の子。

 この女の子がいると、「あぁ、また来てしまった」という気持ちになる。僕の散策は結局、何の意味もなく。ただどこにも行けそうなだけのこの街に、やはり僕は住んでいるのだと。僕は結局、この街で生きているのだと思い知る。

 塔の頂上は円形になっていて、腰をもたれかけるのにちょうどいい高さの手すりがあるだけだ。女の子は大体その手すりにもたれかかって、肩越しに街を見下ろしていた。いつもスカートなので、下から登っていく僕はいつも彼女のパンツに返事をしていた。今日は白だ。


「いつもここにいるけど、何がそんなに楽しいんだ?」

「楽しいとかじゃないよ。ここにいたいからここにいる」

「でも」僕は手すりから下を見下ろしてぶるりと身を震わす。「こんな危ないところ、楽しくもなきゃいたくならないだろ」

「そうでもないんじゃない。結構いいと思うけどな、この街も」

「そうかなぁ」


 彼女が両手を上げて賞賛するこの街を眼下に見下ろす。ボロ切れじゃどうせ、雨は凌げないからと、上方は剥き出しの醜い街。この世界には地面があるのだと、誰かが言っていたが、結局どこまでも鉄骨が広がっていて、ガラクタじみたその中に、太陽が沈む。

 不意に強く風が吹いて、背筋が冷えた。女の子は多分、そんな僕を笑った。


「複雑に組み合って、面白いじゃない。ほら、今あそこから登ってきた人、さっきはあっちにいたんだよ?」

「それ、そんなに面白い?」


 むしろ、気味が悪いだろう。

 つまりは、どこに誰が現れてもおかしくないということで、さらに突き詰めれば、どこにでも誰かがいるということだ。存在可能性は、僕らにとって存在そのものと変わらない。

 僕が今、父や母の悪口を言えば、家に帰って殴られる。僕がそれで親を殴り返せば、次の日には僕を遠巻きにする白い視線があるのだ。そして、彼女の白いパンツをみているやつは、きっと僕以外にも大勢いる。


 だが、僕はこの腐臭を発する嫌悪感を、彼女に打ち明けたことはない。


「面白いよ、とっても」

「ふうん」


 だが、僕はとても嘘がうまい人間とは言えないから、きっと伝わってしまっているんだろう。

 彼女はそんな僕と多くを語ろうとはしなかった。趣味嗜好の合わない僕らだから、お互いに喋ることは特になくて、その場に居合わせるだけの他人になる。彼女は僕になんて目もくれず、ただ街を眺めている。望月みたいに影一つないその笑顔が、彼女の感情に裏表がないことを示していて。

 僕はまさに、月を見上げる心地になった。いい気分でも、悪い気分でもなく。正体不明のその感情。彼女の横顔の奥にそいつを見定めようとして、見定めきれず、歩き回って重くなった足が軽くなって、僕は家へ帰る。


 こんな一日を、ひたすら繰り返す。


 昨日右に行ったところを左に進めば一昨日通った道に出て、一昨日まっすぐ行ったところを下に降りればそのまた昨日に通った道に出た。ぐるぐると絡まる既視感は僕の諦めを悪くする。

 父と母が僕に聞く。毎日どこをほっつき歩いているんだ。僕だって知らないよと答えたら殴られた。

 女の子は、それでアザを拵えた僕を見ても笑っていた。大雨の日でも笑っていた。実は、君のパンツが見えているんだと伝えた日も笑っていた。


「なんで、そんなに笑っていられるんだ?」


 僕は君に聞いて。


「好きなものが一つ、あるからさ」


 君はそう答える。

 どんな時でも、あの子は真っ直ぐに街を見つめて言うから、僕はそれが本当なのだと信じられた。どうやら、世界に必要なのは、好きなものがたった一つでいいらしい。いっそう僕には理解できなかった。

 そして、理解できないからこそ理解できたこととして。僕は、この世界の何一つを好きになったことがないから、嫌いなのだ。


 それからは、街を歩くたびに好きなものを探した。

 鉄骨の錆模様、ボロ切れのほつれ模様に芸術を見出そうとした。赤茶けた雲母をじっと見つめ、月の海に名前をつけるようにして名前をつける。一日に同じ名前の鯖を何度も見つけることで、より閉塞感を覚えることができた。

 時折すれ違う人々に話しかけて、交友を持とうとした。すると、今まで全員同じに見えていた有象無象が、名前を持った個人になる。誰も彼もの表情に、『お前、くだらないことをしてるんだな』と書いてあった。


「はっはっは。不器用なんだね、きみ。それとも、真面目って言ってあげないと、機嫌を損ねてしまうのかな」

「……どっちでも」


 どっちでも、僕の機嫌は変わらない。

 様々な僕の失敗談を、例外なく楽しそうに笑う彼女の感想はいつもこれだ。そして、「でも、それもまた面白いと思うんだけど」と締め括る。好きなものを探したことなんてありませんという顔の彼女が、たまらなく恨めしかった。

 そう、もはや僕にとって、彼女は恨めしい。

 あらゆる失敗の果てに彼女がいる。僕の失敗を笑う彼女は、僕にその失敗を繰り返させる張本人であり、同時に、いつの間にやら僕の希望になっていた。あけっぴろげで窮屈なこの世界でも、あんな風にいられたなら、僕は満足できるんじゃないか。


 彼女の背景に、いつものごとく日が沈む。その光は全てを等しく赤く染めた。僕の嫌いな街も、僕の行き止まりであるこの塔も、僕を導く光である、彼女も。

 それは僕のかいた恥の色であり、僕が彼女に抱く感情の色であり、彼女が血潮として僕の街に溶けて行く、そんな抽象画。


 手段が目的にすり替わってしまう人がいる。それは大抵、嘲りの対象とされ、僕もどちらかといえば嘲る側であったと思うのだが。いつの間にか、僕の手段というものはゆっくりと目的に変わり始めていた。

 街の出口を探し歩いているのに、塔にたどりついても悔しさを覚えなくなったり。塔の頂上に吹く風にひやりとしたものを感じなくなったり。


 僕は街から出たいと嘯く半端者に成り下がった。

 だから、()()が当たったのだ。


 ある夜、家に帰ると家がなかった。

 雨ざらしの鉄骨の街では珍しくもない、錆びて腐って朽ち落ちる鉄骨とともに、生活の場なんてものは簡単に崩れてしまうなんてことは。ただ僕が、そんなことを考えてもみなかったというだけ。僕という人間が呑気だったというよりは、この街から出たがっていた僕が、つとめて街を客観視していた結果だろう。

 家に着くはずの鉄骨の道が途中でひしゃげて、そこの見えない暗闇に、ちぎれたボロ切れが手を振っている。僕は、呆然としていた。

 頭の中が白く萎んでいく。悲しんでいるわけではない。当然、父や母は死んでいるのだろうが、それを悲しむ僕ではない。

 だとしたら何故、自分は衝撃を受けているのか。


 わからなければよかったのに、わかってしまう。

 僕は別に、この世界を好きじゃないだけで、本当に嫌っていたわけではないのだ。

 だが、その世界における僕の居場所は、たった今なくなった。


 僕はいつの間にか走り出している。いつも、街を歩き回っていただけの僕が、咄嗟にできたことなんてそれくらいだった。もはやここにはいられない。

 夜の街は見通しが悪く、鉄骨が重なり合っただけの足場は、ひどく危ういものとなる。僕は何度も足を踏み外しては、無様にしがみつく。掌は鉄骨の荒れた表面に擦り切れて、ヒリヒリと痛む。

 それでも僕は走った。得体の知れない怪物にでも追いかけられているような心地で。顔を見知った誰それが声をかけてくれるけども、得体が知れないのだから、何を語るもできはしない。

 もう、この世界から出るしかなかった。今まで見つからなかった出口を、今日この日に見つけるのだ。


 そんなことを思ってしまったから、僕はまた、この塔にたどりついたのだろう。長い、長い梯子を一つずつ登って行く。何もわからなかったはずの発散していた思考が、その一つごとに整理される。

 果たして、塔のてっぺんに辿り着く頃には、僕はすっかり冷静だった。


「やぁ。やっぱりきみは、不器用すぎるね。それとも、まだ真面目だと言ってほしいのかな」

「いいよ、別に。僕がしょうもない人間だってことくらい、いい加減わかってるから」

「……いやしかし、本当に面白いと思わない? この街って」

「どう見ても面白くない顔をしてると思うんだけど」

「わかってないなぁ。その、面白くない顔をしてるのが、面白いんじゃない」


 夜空に浮かぶ満月が、猫の瞳みたいに光っている。きっと彼女は、僕の走り回る様をずっと見ていたに違いなかった。でなきゃこんなに楽しそうに、彼女が笑っているはずがない。

 ずいぶん不謹慎だねと、喉元まで言葉が出かかって。あんなに両親を嫌がっていた僕がそれを言うのが、ひどく滑稽だと気づく。後ろめたい気持ちで彼女を睨んだ。


「ほら、やっぱり面白い」


 すると、彼女はいよいよお腹を抱えて笑い始める。僕はそれを見て、すっかり何を言う気もなくなってしまう。


 羨ましいと思った。


 例え彼女がどれだけ配慮に欠けていて、自己中心的で、人間性や社会性というものを持ち合わせていなくても。ただ、自分の好きなものを持っていて、それをただ『面白い』と言って笑える彼女が、僕には羨ましい。


「うん? なんだい、その物欲しそうな目」

「いや、別にそういうわけじゃ……」


 そうだ。だからといって、僕は彼女になりたいわけでもない。こうして駆けずり回った後でも、結局両親の死に喜びの一つも見出せない僕は、彼女のような生き様が向いていないのだと思う。


「そんな遠慮しなくても。きみが居場所を探して走っていたことくらい、わかるつもりだよ」

「居場所……」


 居場所。

 彼女に言われ、感情でしかなかったものが形を得る。羨ましくても、そうなることはできなくて。僕一人では、この世界で生きるのは難しくて。

 ならばそう、居場所があればいい。


 彼女が僕の居場所になってさえくれれば、あるいは。


「いいよ」

「えっ?」


 そんな僕の内心を見透かすように、彼女の一言。間抜けな声が漏れてしまったが、一拍遅れて、口の端がつり上がってしまうのを感じる。

 僕がいつまでもここに導かれていた意味がやっとわかった気がした。この世界の出口は、ずっとここにあったのだ。いや、入口と言うべきかもしれないが。

 とにかく、彼女にお礼を言わなければならない。けれど返すべき言葉が思いつかない。

 そのうち、彼女がまた口を開いてしまう。


「いいよ、この場所。譲ってあげるから」

「ゆずる? 譲るって……」

「きみはほら、一人になれた方が性分にあってるでしょ。それで、ここからゆっくり街を見下ろして、面白いものでも探したらいい」

「でも、そしたらきみは」

「ボク? ボクはそろそろいいよ」


 ひゅうっと風が吹く。寒々しい風だ。僕や彼女にとっては慣れっこのはずなのに。

 手すりにもたれていた彼女が、風に煽られるように倒れてゆく。ゆっくりと感ぜられる景色の中で、しかし彼女は確実に姿勢を崩す。


 彼女が、塔から落ちた。


 僕の夢想が音を立てて打ち砕かれる。手すりに駆け寄って覗き込む。白いパンツが見えた。

 頭を掻きむしった。どうしていいかわからなかった。脚だけが貧乏ゆすりをしていた。考える暇が惜しかった。


 気づけば、僕は数歩下がっている。助走のためだ。


 手すりに向かって走り出す。僕にはそれしかできなかった。踏切り、手すりを飛び越して、一瞬の浮遊感。


 頭の中で理性が言う。

 モノは同じ速度でしか落ちれない。追いかけたって追いつかない。

 でも、そんなことはどうでもいい。僕は彼女に向かって手を伸ばす。他でもない、彼女が言っていたのだから。


 この世界には、好きなものがたった一つあれば、それでいい。

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