三部 第5話
クランドルの仕事はとても速かった。九十九達は戦闘準備を整えてカウンターで飲み物を注文していると、不穏な空気を感じて九十九は苦笑を。エルは身体の筋肉に張りが出て、ミルは毛を逆立てた。レミュクリュは忌々しそうに生肉に齧りついていた。
ベサイアを取り囲んでいる状況は皆知っている。常に殺意を纏って行動する事で、感覚を研ぎ澄まし、観察者を撃退しているのだろう、と理由を知る四者は気づいている。殺気を振りまく事で余計な事に首を突っ込んでくるお人好しが近づいて来ないようにしているのだろうとも。
だが、レミュクリュとエル、ミルそれぞれは数多くの実戦を経て、毎日休まずに習得した戦闘技術を反芻させ、身体に染み込ませているが、基本的には本能や感覚で闘う術を持つ者達だ。殺気を浴びればそれぞれに身体が反射的に反応してしまう。
エルは何が起こっても身体を動かせるように筋肉を撓ませる。
ミルは先手を打つために敵の動きを察知するために毛を逆立てて警戒している。
レミュクリュは……単純に殺気が食事の邪魔だ、と言っても違和感が無い態度だが、尻尾が不機嫌そうに動き、その小さな身体でも闘えるとでも言わんばかり。
九十九は本物の殺気に徐々に慣れつつあるので苦笑だけだ。足元が震えているので、手厳しい者であればまだまだと愚痴るかもしれない。
「それで、忙しいお姉さんを呼び出して、ボウヤは何したいの? 身体が空いたらいくらでも女性の事を教えてあげるから、今は邪魔して欲しくないのよ」
数日振りに会うベサイアは、店に入るなり不機嫌そうに口を開いた。腰に手を当て、苛立たしげに立つ。相変わらず殺意や敵意を隠そうとも押さえ込もうともしない女性だ。
すでに夕刻の酒場でちらほらと仕事終わりの傭兵達がカードや酒を引っ掛けていたが、突然現れた〝凶獣〟に身動き一つ出来ずに固まってしまった。
その様子にダルデスは情けないとため息を一つ披露しようかと思ったが、ベサイアの遠慮の無い敵意にダルデスもまた動けなかった。
「あんたの雇い主を調べさせてもらった」
九十九が開口一番に告げた言葉にベサイアの気配がより濃密に、体感温度が数度一気に下がった。
「……邪魔する気?」
吹雪だと勘違いするほど冷たい視線。それだけで、店の中で陽気に酒を飲んでいた傭兵達が酔い潰れたようにテーブルに突っ伏した。ベサイアの濃厚な殺気を受けて気絶したようだ。
それと同時にカウンターの内側に居るダルデスが震える足を押さえて蹲り、床に腰を落とした。元傭兵であり、荒くれ者が集う酒場を長年経営している男は気絶まではしなかった。だが、呼吸は荒く、足と胸を押さえている様子からすると、意識だけは保っているが、身体は混乱の極みであり、五感はぐちゃぐちゃ。何かを認識する事はままならないだろう。
それだけでも凄いと素直に九十九は思う。
九十九は一瞬で死を連想させるほどの殺気を以前に受けた事があり、最大値を知っていると言っても表向き平然を装う事が出来るだけ。ダルデスと同様に殺気に呑まれているのに変わりは無いのだ。いや、正確には平然だと思っているのは本人だけ、だろうか。
「逆だ。我らもお前の雇い主に用事が出来たのだ」
いい加減、濃厚な気配に慣れた歴戦の傭兵であるエルが立ち上がって告げる。
そう言われて、警戒心を解いてくれるようであれば、今頃ベサイアは命を落としているだろう。
基本的に誰も信用せず、己の力で退けてきたから今があるのだ。
「とりあえず、話だけでも聞いてくれないか?」
九十九はギクシャクしていると自覚しながらも、自分が座るカウンター席の隣を勧める。
ゆっくりとベサイアが近づいて腰を下ろした。はっきり言って生きた心地はしない。
まるで護衛を買って出たようにベサイアと九十九の間に毛を逆立てたミルが足を伸ばして座り、短剣よりも長いレイピアを抜いている。
レミュクリュは生肉を頬張り終え、指や爪に付いた油を舐め取ると、定位置である九十九の肩へ飛び、不機嫌そうな視線をベサイアに向けた。
とりあえず、聞く態勢になったと判断した九十九が、ゆっくりと唇を舐めてから口を開いた。
「……まずは俺の境遇から説明する必要があるから、聞いてもらうよ……」
九十九は包み隠さず語った。
元の世界からガルゼルク大陸に来る事になったきっかけを。そして、レミュクリュとの出会い。初めての実戦。エルとミルとの出会い。ギルドの登録など。
そして、九十九を不憫に思った三者が手を貸してくれる事を約束してくれた事。そのために元の世界へ帰れるのかどうかを調べ、色々と情報を集めた。
その中でギード子爵が九十九の境遇に関連している可能性が出てきた事を。
「──んで、今の状態……なんだけどね」
語り終わった九十九はジョッキに残っていた果汁入りの水を飲み干した……。
当初、話の始めは虚言としか思えなかった。だから、少年の半生を語られたら出て行くか、自分に必要な話が出てくるまで我慢するか、どちらかにしようと考えていた。だが、隣に座る少年の境遇が余りにも異常過ぎていて、どう反応したら良いのか解らなかった。
そもそも、単なる虚言に白竜や頭虎族、ケット・シー族が手を貸すわけは無い。
いつしか、不満を発散させているかのような殺気は鳴りを潜め、別の意味で重い空気が店を満たしていた。
「……苦労、したのね…………」
少年の身では受け入れられないと思わせるに十分な話だった。
思わず、ベサイアの手が少年の肩へ。
「……苦労は確かにしたけど、頼れる仲間が居るから楽しいよ」
照れ隠しをするかのような苦笑を浮かべる少年。ベサイアは胸が熱くなった気がした。
廃墟となった場所を住処にする子供達を相手にする時とはまた違った熱さ。どこか懐かしいような、優しい気持ち。
左手を肩から頬を撫でようとして……途中で止めた。
少年との間に座っていた灰猫がレイピアを上へ向け、刃先でベサイアの腕をちくちくと刺激し、白竜が尻尾で手をぺしぺしと払ったからだ。
二者は殺気を纏っていた時のような敵意はもう無い。だが、大事な玩具に触れるな、とばかりに抵抗したようなもので、不貞腐れた様子だ。
よほど少年が気に入っているのだろう。
ベサイアは苦笑を浮かべて腕を引く事にした。
そして、思うのだ。もし、少年に最初出会っていたのがベサイアだったとしたら、同じような反応を見せてしまうのだろうか、と。
いや、少年の仲間である三者には出来ない、人間の女性として大人の階段を早歩きさせるような事は確実にするとは思うが、今の自分がここまで信頼され、信頼する事は無いだろうとも思う。
それが少し哀しい……気がした。
「……いいわ。それでどうするの?」
湧き上がった不安と不満、羨む気持ちを隠すように先を促す事で誤魔化した。
九十九は大雑把にだが自分の考えた計画を伝えた。
基本的にはここに居る全員で乗り込む事を提案したのだ。守るべき子供達は九十九が手配したクランドルに任せるという形。さらに、今もクランドルは情報を集めてくれているはずだ。緊急だとは言いながらも、少しでも勝機を得るために行動しなければならない。
特に自分が提案した計画だけに尚更だ。
綱渡りのような状況なのだ。本当ならば数ヶ月、出来れば数年の歳月を費やして行きたいが、それほど時間があるわけでは無い。ならば、最低限はバランス棒と命綱程度は準備しなければならない。
この場に居る五者ならばバランス棒としては十分だろう。あとはクランドルが持ってくる情報という命綱が鍵となるのだ。どれほどの長さと強度を持っているか、それが重要だ。
「そうね……。少し行き当たりばったりな気もするけど、それが一番無難かしらね」
少しだけ思案するベサイアだが、異論を挟まずに了承した。いや、正直に言うならば異論を挟む余裕が無い事を知っているから言えなかった、と表現すべきだろう。ベサイアは守りに徹する事しか選択肢を持っていなかったのだから。
互いの立ち位置を確認し、後はクランドルからの情報だけだ、そう考えていた時だった。
「弱者が勝機を得ようとするなら妥当な考えだとは思うがな……大きな落とし穴があるぞ」
それは地中から響き渡ったように野太い声だった。五者が一斉に声のした方向、酒場の扉へ視線を向けた。
そこには異形のモノが居た。いや、正確にはどこか見慣れた姿だったのだが、九十九が持つイメージからかけ離れた姿であり、敵か味方かの判断が出来ずに混乱していた。
扉に腕を組んでもたれているのは筋骨隆々のモノだった。贅肉は一切無く、皮膚の下には鋼の筋肉が張り詰めているのが一目で解る肉体。腕の太さは成人男性の腹回りと言っても良いほどの太さ。眼光は鋭く、一瞬の隙を見逃さないだろう。
もっとも特徴的なのが見た目だ。その鍛え抜かれたモノは黒い体毛に覆われているのだ。黒い体毛に白い毛が幾重にも文様を描いていた。特注としか思えない大きな革のジャケットとズボンに黒と白のベルト。いや、先がピコピコと動いているので、ベルトでは無くて尻尾のようだ。足元は革靴かと思ったが、素足のようだ。
そして、鋭い眼光を放つ瞳は猫目。頭の上にあるのは一対の耳。鼻が前にせり出し、頬ひげが何対か……。
そう、現れたのは頭虎族だ。体毛が黒く、黒虎ではあるが、見た目は頭虎族で間違いは無いはずだ。
レミュクリュ、ミル、ベサイアも九十九と同様でどうしたら良いのか躊躇しているようだった。
だが、エルだけが違う意味で身体を動かす事が出来なかった。
「バカな……。すでに滅んだはずだぞ……」
小さく呟くエルに視線を向けずに九十九が小声で、
「し、親戚かなんか?」
見当はずれな問いだと解っていたが、整理を付けるためにどうしても何か口にしたかった。
「数百年も前の話だ。我ら頭虎族の先祖が我が身を捨ててやっと滅ぼした悪鬼羅刹の種族だ……。我らは武に誇りを持っていたのに対して、奴らは闘いに、弱者を蹂躙する事にだけ喜びを見出した。
当時、余りにも強大な力に腕に覚えのある人間やエルフ、その他の種族からも助けを借りてやっと倒したのだ……」
黒虎族。黒い体毛に白い文様が浮かぶ種族。頭虎族とは体毛の色が違うだけの親戚筋では無い。獰猛にして凶悪。生粋の戦闘狂だ。頭虎族の一部が邪神に魅入られた姿と言われていたが、今では確かめようが無かった。
この大陸から消え去った種族。各国の文献にのみ残る忌まわしい記録。
黒い厄災と記された。
当時、数万も居た頭虎族が半分以上も返り討ちになった。
その時の頭虎族長は苦肉の策として他種族に助けを求めた。応じたのは交流があった人間族を筆頭に、ドワーフ族、長耳族、手長族、小人族、ケット・シー族、鉄体族、蛮族王、竜人族、竜族と名だたる種族が同盟を結び、黒虎族に対抗した。
数年にも及ぶ戦いで多大な被害があったが、最後の一頭を倒す事が出来た。その後、同盟を結んだ種族には何かあれば頭虎族は命を賭して助力する盟約を結び、終幕とした。
「……ふん。そうらしいな。この世界に同種族が居た事に驚いたが、一番驚かされたのが歴史の闇に葬り去られていた事だな。不甲斐ない脆弱な奴ばかりだったようだ……この世界には俺だけしか呼ばれなかったが、どれほど楽しめるのか今から腕が血を求めてしょうがねぇ……。出来れば、お前に相手してもらいてぇな。俺の世界じゃ頭虎族は下等種族だ。この世界じゃどうなのかな?」
「さっきの落とし穴ってのはどう言う意味だ?」
エルが一歩前に出て問う。筋肉は撓み、張りが出ていた。すでに身体が臨戦態勢だった。
「簡単な事だ。不本意だが、先兵として俺が来たんだ。お前らが死ぬしか未来は無いだろ? 仮に退けるだけの力があるなら欠点にはならねぇだろうけどな」
頭虎族という見た目とイメージに反する獰猛な笑み。
黄と黒の虎がじっとにらみ合っている。一触即発の雰囲気に九十九達がそれぞれに武器を握ろうとして──。
黄色い体毛に覆われた手が押し留めた。
「これは俺が相手する」
援護を拒否するエルに対し、ミルは口惜しげにレイピアを戻し、羽を広げていたレミュクリュが折りたたんだ。ベサイアは拳を引きながらも態勢はいつでも動けるように構えている。
九十九は黒い虎に目を奪われていた。
内包する力は隣に居るエルと同等かそれ以上だろう。二者共に最大の力を見た事は無いが、ある程度は感じ取れた。戦えば無傷では済まない。いや、援護も無しでは勝機があるかどうかすらも怪しいかもしれない。
それほど力の底が見えにくい相手だ。
「エル……」
「すまん、ツクモ。これは頭虎族としての責務でもあるのだ。これだけは誰にも譲れない……」
「……ふん。どうも気負い過ぎてるようだなぁ。実力が発揮できねぇなら相手するのも面倒なんだがな……」
「お前には関係無い事だ」
「つまんねぇ。とっとと仕事片付けるか」
そういうと黒虎が背を向けて店を出ようとする。その背中にエルが剣を抜き放ちながら一歩踏み出した。
「どこへ行く気だッ!」
「人間のガキを殺せって命令なんでな。仕事終わって時間あったら殺しに来てやる。楽しみに待ってろ」
「ま、待てッ!」
エルが腕を伸ばし、扉を開け放ったが、すでに黒虎の姿は消え去っていた。
「ツクモ。子供達に護衛が必要になった。俺が行くぞ」
「みんなで──」
「時間に余裕があるのか? 召喚という魔術がどのようなものか解らんが、各個撃破しながらでも行けるのか? あいつに手間取っているうちに追撃が来る可能性は無いんだな? 違うなら奴が屋敷から出て来ている今なら警備に隙があるのではないか?」
エルには九十九が心配している事が十分に伝わっている。発展途上であろう少年の身で黒虎の力を見抜いたのだろう。
眼を伏せて思案し、ゆっくりと開ける。心配そうに九十九の瞳がエルを見た。
「俺と同じ力なら……魔力が尽きる事は考えなくても良いと思う……。でも、手順とか色々あると思うから召喚には時間が掛かると思うんだけど……」
「ボクもそう思う。けど、推測でしかないんだよねー」
困った困ったと腕組みをして頷くミル。
「確実では無いのならば、二手に分かれた方が良いだろう。さっきも言ったが、頭虎族としての責務でもあるんだ。負けはしないさ……」
鼻に皺を寄せ、口吻を吊り上げる。黒虎と同様に獰猛な表情だった。だが、先ほどと違うのは、黒虎はふてぶてしさがあり、黄虎は苛立たしげに歪ませている事だ。
(いざとなれば我が誇りにかけて相討ちに持ち込む……)
決意に満ちた瞳が今すぐ黒虎を追いたそうに店の扉を見ていた。
「……私が一緒に行くわ。子供達を守るのが私の役目だもの」
そこにベサイアが進み出て、両拳を打ちつけた。その行為だけでベサイアが本気になったと九十九は感じた。蜘蛛の巣のように纏わり付いていた殺気が鋭利な刃になったように感じたからだ。
エルは一人で行こうと考えていた。だが、ベサイアにも黒虎と戦う理由がある。エルとは異なる理由だが、邪魔する事が出来ない領域だとも知っている。
殲滅戦をした祖先もまた頭虎族としての誇りよりも、異種族に助けを借りて後の平和を考えた。ならば、勝つ事だけを考えなければならない。例え忌み嫌われた力を使おうとも……。
「……わかった。エル、ベサイア頼んだ」
「任されたッ!」
「ボウヤもがんばってね」
エルは気合の入った返答を、ベサイアはウィンクと共に投げキッスをして暴風のように店を出て行った。九十九は見送ろうと一歩前に足を踏み出して、止まる。
血が滲むのも構わずに唇を噛んでいた。
エルとベサイアの二者が居れば勝てるかもしれない。だが、黒虎の様子、雰囲気はただ事ではない。二者の実力が拮抗していると確信が持てないのだ。
だが、それでも止められなかった。エルの言う通りに目的地が手薄とまでは考えないが、強大な戦力が欠けているのは事実なのだ。
ならば、エル達が勝つと信じて行動するしかない。
「レミュ、ミル、行くぞッ」
「おーっ」
『おーっ』
威勢の良い返答と共に頭の上にレミュクリュが乗り、右肩にミルが陣取った。
簡易型キマイラである。
ちらりと鏡を覗いて、自分のシュールな姿に少し気が抜けた九十九だった。
宿で気を失っていた傭兵達はともかく、やっと色々な混乱から立ち直ったダルデスに一言だけ、行ってきます、と声を掛けると貴族地域へ向けて歩を進めた。
魔獣使いというのはとても珍しい職種である。
特に竜崇拝が根強いこの地域では白竜を肩車する少年は最も目立つ存在である。さらに傭兵として働き、実力が十分に示されているとなれば、他の傭兵達からも一目を置かれている。
その少年が右肩にケット・シー族を乗せているとなれば目立たないわけがない。
大人たちは恐れ怯んで道を譲り、子供たちは灰猫の愛らしさと白竜の神々しさに羨望の眼差しを向けている。共通しているのは大きく距離を取って近寄らない事だ。
おかげで少年の上に乗る二者の会話が耳に入らず、抱く幻想を幻想のままにしていた。
それが、互いに幸運なのか、不幸なのか誰にも分からない。
「れみゅ~。これ美味しいよー」
ミルの腰に吊るされた大き目の袋から、この辺りの地域で作られるお菓子を取り出し、自分と同じ視線の高さにあるレミュクリュの口に放り投げた。
レミュクリュは投げられたお菓子をしっかりと口で受け止め、咀嚼する。
「ウム。コレハ旨イナ」
むぐむぐと口を動かし、目が横線一本になるほどご満悦の様子だ。
だが、二者を乗せる九十九はとても困っていた。
一つは仲間が死地へと向かい、自らもまた死の危険がとても高い場所へと歩を進めているのだが、緊張感がまったく無く、宿を出る時に高めたテンションは下降の一途をたどっている事。
もう一つは向かうべき地域は知っているが、確実に目標に向かっているわけでは無く、目印も無い漠然とした範囲へ向けて歩いているだけなのだ。
その問題はこれだけ目立つ存在だと自認しているために、もう少し時間が経てば解決するだろうと思っているので、それほど心配はしていないのだが。
最後の一つは、頭の上に顎を載せている白竜がお菓子を咀嚼するたびにぽろぽろとお菓子屑をばら撒き、鬱陶しい事この上ない事だ。
「レミュ。俺の頭の上で食べるなよ。行儀悪いぞ。……てか、頭が汚れんだよ」
軽く頭を振ると、お菓子屑が髪から離れ、落ちた。
「ショウガアルマイ。人間ト違イ頬ガ無イノダ。マッタク落トサズニハ喰エンヨ」
「レミュは幼竜の姿になると見た目通りの性格になるよねー」
そう言いながらミルは袋から新たにお菓子を取り出して口に入れるとぽりぽりと音を立てながら咀嚼する。
「口からこぼしながら食べるなんて子供だよー」
母猫のような笑顔でレミュクリュの頭を撫でる。だが、言葉と眼差しとは裏腹に口腔内にお菓子を残しながら話した灰猫の口元から、お菓子屑がこぼれ落ちて少年の右肩が汚れた。
九十九は突っ込もうかと口を開くが、自分の右肩を指差す事で知らせてやった。
その指が示す先をミルはじっと見つめると。
「……なんだよーっ! お菓子屑が落ちたくらいでがたがた言うなー。器が知れるぞーっ」
「ソウダソウダ。キョーリョーダー」
両腕を上げて怒っている事を身体全体で表す。責任を放棄して権利を主張する態度に潔さすら感じるが、九十九にはさらに鬱陶しさが増しただけだ。
九十九は大きくため息を吐き出し、さらにテンションが下降していくのを感じたのだった。
人々が距離を取る事に慣れた九十九が歩いていると、一人近づいてくる人影を見つけた。
一瞬、誰なのか気づかなかったために警戒心が沸き起こるが、近づいてくる人影が鮮明になると頬を緩める。
クランドルだった。
「九十九様はすぐに見つけやすくて楽ですね」
「いつもは地味ですけどね。今回は目立つようにしてたんですよ。行くべき地域は知ってますが、詳しい場所は知りませんから」
そう、貴族地域に子爵の館があるとは知っていたのだが、詳しい場所までは知らなかったのだ。
打ち合わせをして教えてくれるように頼んだわけでは無かった。だが、九十九を尊敬していると口にしたクランドルの態度から、共に屋敷に行くだろうと思っていたのだ。
能面のような無表情と苦笑を交えた返答を交わす。挨拶のようなやり取りを終えると、クランドルが九十九の隣を歩く。そして、声のトーンを下げ、呟く様に告げた。
「ご要望の護衛は手配しました。子供たちは今のところ無事です。ですが、ベサイアとエル様がスラムの一角で大規模な戦闘を始めています。そちらの方へは我々の仲間は手を出しておりません」
「クランドルさん。情報屋なら正確に教えて欲しいな」
薄く笑みを浮かべる九十九にクランドルは面食らったように一息、間を空けるとわずかに笑みを浮かべたように口元が弧を描いた。
「我々のギルドで最も腕の立つ者を向かわせましたが、まったく手が出せないほどに苛烈な戦闘だったようで、急遽近隣住民の避難誘導をしております」
九十九は盗賊ギルドの実力を見下し、甘く見ているわけでは無かった。
それぞれの特性を考えて言っただけなのだ。
盗賊ギルドは情報戦と隠密行動に特化しているだろうし、傭兵ギルドは総合的な、もしくは特化した戦闘能力に秀でていると考えている。
だから、盗賊ギルドで最も強いと言われても、最年少Aクラス認定者と戦いに秀でている頭虎族、さらにその頭虎族が恐れる黒虎族を相手にどうにか出来るとはまったく思えなかったのだ。
「ま、今更心配しても意味無いしな。俺達は俺達の戦いの場所へ向かおう。クランドルさん、案内よろしく」
「こちらです」
クランドルに案内され、九十九達は目的の場所へ歩いていく。
「……そういえば、さっき珍しいナマモノに会ったんだけど、首筋に紋章みたいなのあったんですよ。こういう……」
宙に指で描く文様をクランドルはじっと見ていた。
「紋章官では無いですので、確実とは言えませんが、ギード子爵家のものに近いと思います」
クランドルの返答に九十九はただ頷くだけだった。