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第3話

 数時間かけて洞窟を抜けるとやっと地上に出た。目の前には見た事が無い樹木から似ているような樹木まで、様々に生い茂り、九十九が居た世界では田舎でしかお目にかかれないほどの自然に囲まれていた。

 ふと、背後の洞窟を見て思う。

 契約を結んで、加護を受けてさえ数時間かかる道程だった。途中には地割れや絶壁があり、明らかに通常の身体能力では越えられない自然の要塞だった。おそらく、契約もせずに出ようとしていたならば数日かけても出られない。そもそも越えられない壁を見て絶望し、レミュクリュの元へ戻る事になっていたはずだ。

 走り幅跳びで、五メートルも飛べればよかった自分の身体が、楽に倍は飛ぶ事が出来た。本気になればもっと遠くまでいけるだろう。この能力があれば垂直飛びも二メートル以上は余裕だ。

 ロッククライミングも初めて経験した。三点で身体を支えて上るというテレビや本の知識は持っていたが、実際にやってみると難しいと実感した。

 だが、小指で身体を支えるだけでは無く、小指の力だけで身体を持ち上げられると知ると難しいとは思えなくなった。それこそ垂直の壁でも小指さえどこかに引っかかれば身体を持ち上げられるのだ。ゴキブリの如くすいすいと登れた。


 じっと振り返っていると、頭に顎を乗せた白竜が髪をツンツン引っ張る。

『何カ感慨深イモノデモアッタカ?』

「いや、むしろレミュクリュさんの方がそうなんじゃないんですか?」

『敬語ハ好カン。普通ニ接シテクレナイカ?』

 ん、と大きくは頷けないので、了承を声に出す。

 正直、敬語は苦手だったのだ。レミュクリュの提案は有難いの一言に尽きる。

「そう言えば、三回くらい魔法使った?」

『ウム。最初ハ九十九ノ言葉ガ解ラナカッタカラナ。《疎通》ノ魔法デ会話ガ出来ルヨウニ。次ハ《白き光》ダ。最後ハ……《伸縮》ダナ』

「……そか」

 耳障りだと思っていた音は魔法言語らしい。魔法を使うための準備、手順のようなものだと言う。細かく言うと四大魔法言語、精霊魔法言語、竜魔法言語などと魔法言語という括りでも違いがあるようだ。

 九十九は歩きながら様々な疑問をぶつけた。レミュクリュも嫌そうな素振りは無く、時には嬉々として、時には誇らしげに、時には済まなそうに項垂れながらも答えた。

 たくさん話した。九十九は異世界へ来た不安を隠すように。レミュクリュは孤独を癒すように。




 レミュクリュの指示するままに丘を二つほど越え、三つ目の丘の上まで来ると、目の前に大きな街というよりも都市が見えてきた。

 《フルテナ王国》の王都ブリューラド。背の高い建物が多く、規模も大きい。商業地区、工業地区、歓楽街など区画整理もしっかりとされているようだ。端には霞がかかっているような暗がりの地域もあり、そこは工業地区に隣接する貧民街などと言われるスラムのようだ。

 王都の名はこちらの言葉で白き竜という意味らしい。やはりレミュクリュが守護すると言う意味合いがあるからだろう。

 今立っている場所はそれを見下ろす丘だった。

 このまま丘を下っていけば街に到着出来るだろう。ひとまず街へ向かうのは良いとして、この周りの状況はどうしたものか。


 獣に囲まれていた。魔獣と呼ばれる種類で一角狼と言うらしい。その名の通り額からは一本の螺子くれた角が生えており、突かれたら痛いで済まないと思う。体格は大型の犬より、もう一回り大きく、四肢が太い。

「やる気満々の動物に囲まれるのは初めての経験なんですが」

『我ノ加護ヲ信ジルダケデ良イ。加護ガアレバ農夫デモ一流ノ戦士ニナルノダゾ』

 そう言いながらレミュクリュが羽をパタパタさせて近くの木に飛んでいく。高みの見物でもするつもりらしい。

(いきなり実践で試せと……鬼軍曹でももう少し優しい気はするぞ。あぁ、竜軍曹になるのか……そりゃ厳しいか)

 わけの解らない納得をした九十九はため息を盛大に吐き出す。

 覚悟を決め、拳を握り、肩幅まで足を広げて腰を落とす。

 周囲の気配を少しでも多く感じ取るために意識を全方位に広げるようなイメージを持ち、警戒と迎撃体勢を整えた。

 その様子にレミュクリュがほぉ〜と声を漏らした。それなりに強く見えたのかもしれない。


 正面の狼が飛んだ。そのまま喉に角を刺そうとでもしているようだ。

 九十九が半歩斜め前に歩を進め、角の軌道が反れてから掌底を槍のように突き出す。狼の腹部に刺さった掌底がボコッと嫌な音と感触を九十九に伝える。

 肺が潰されて無理やり吐き出した呼気は呻く声でも蚊ほどに小さく、糸が切れたように地面に落ちる狼。その腹には九十九の掌の形でへこんでいた。

 自分の力に驚いていた。狼という相手なのでスピードで翻弄されると思っていたが、眼はしっかりと動きを捕らえていた。そして、身体も緊張から動けないと思っていたが、練習通りに動く。

(ん。いけそうだな)

 九十九はすぐに構え直し、意識を広げる。

 左右から同時に狼が飛び掛かった。それを一歩下がる事で攻撃範囲から逃れる。掌底が当たる距離まで待ち、射程に入った瞬間に両掌底を突き出した。また声も無く落ちる狼。

 構え直そうとする瞬間、タイミングをずらした狼が背後から迫って来ていたが、なぜか後ろの気配に気づいた九十九が振り向き様に角を裏手で外へずらし、狼の体勢が崩れたところを胴体に蹴りを叩きこんだ。

 体勢を整える。迎撃。体勢を整える。迎撃。

 特に深く考えず、機械的に淡々と作業をこなしていく。

 数十分ほどで、九十九の周りには一角狼が数十体、折り重なっていた。

「ふぅ……。こんなもん……かな?」

『洞窟カラ出ル時ノ動キ方デ、何カヤッテイタト思ッテイタガ、コレホドトハ……』

 感嘆のため息と共に枝から離れる。

 いきなりの実践で放任主義のように思えた行動だったが、ある程度裏付けのある行動だったようだ。ただ、予想していた以上に動ける事に九十九自身が驚いている。

 レミュクリュが肩に戻るとよたよたと後頭部に回り、頭を抱きかかえるように髪を掴んで身体を固定する。お気に入りの場所になりつつあるようだ。

「まぁ、我流も混じってるけど、武術は習ってたからね。やっててよかったってとこですな」

『デハ、ソヤツラノ角ヲ折レ』

 ん、と理由を聞こうとするとすぐに続きが返ってきた。

『王都ダケデハナイガ、傭兵ギルドト言ウトコロニ持ッテイケバ金ニナルラシイゾ』

 手持ちが何も無い状況の今では重要な情報だ。

 ただ、攻撃されたので反撃したという九十九からすると、死体から身体の一部を奪うという行為に忌避と嫌悪がある。

 元々殺すつもりは無かったのだ。実際は狼達が敵わないと感じて逃げ出してくれる事を期待していたのだが、魔獣と冠されているだけあって、闘争本能が萎える事は無かった。さらに竜の加護による運動能力、攻撃力の向上も原因となる。

 予想以上の力は一撃必殺を実現し、感覚も鋭くなったために無傷で済んだ。

 良い事だとは解っている。この力は確実にこれから先も必要不可欠なものだからだ。だが、命を奪う事に慣れるとは思えない。

『九十九、ドウシタ? 九十九』

 レミュクリュの気遣わしげな声に、なんでもないと苦笑で応えておく。

 硬い角を根本から折るのは中々に大変な作業だった。狼の頭を踏み、テコの原理で折る。黙々とこなす作業は暗く重い気持ちを心の片隅にずっしりと残す事になった。




 丈夫な蔦を利用して大量の角を縛ると肩に担いだ。それなりに重量があるが、今の九十九には造作も無い事。担いだ荷物と肩車する白竜をものともしない力があるのだ。

『九十九……。怒ッテイルノカ? コレデモ信頼シテイタカラ任セタノダガ……』

 レミュクリュが髪を撫でる。顎を頭頂に擦り、慰めているような、甘えているようで、九十九としてはむず痒い。

「いや、怒ってるんじゃないよ。ただ……」

『タダ?』

「期待と不安だけじゃ生きていけないとやっと実感出来たからね。少しでも早く覚悟を決めないとなぁ〜と言い聞かせてたんだよ」

 レミュクリュの足を掴む手に力が入った。

 元の世界では動物を殺すという事は忌避する事だと刷り込まれる。例え害獣だと言われても自らの手で命を奪おうとする者はいない。必ず道具を用いるのだ。

 自分の手に残った感触が重く圧し掛かっていた。

『ヨホド九十九ノ世界ハ平和ダッタノデアロウナ』

「そうだなぁ〜。文化としてはもしかしたら俺の世界の方が豊かで平和だったかもしれないね。けど、争いがまったく無いわけじゃなかったし、どこも一緒だとは思うよ」

 レミュクリュが感心して何度も頷く。

 十数年しか生きていない人間が、まるで世界のことわりを知ったような言葉を吐く。それは背伸びをしている子供のようにも思える行為で、強がりなどがあるならば噴飯ものではあるが、九十九からは老成と言うか達観したような雰囲気を感じたのだ。

 世界は違えど、苦楽は多かれ少なかれあると。

 そう思わせたのは何か。そう思わせたのは誰なのか。レミュクリュの興味は尽き無かった。


 街に近づくと大きな壁が見えてきた。丘から見た時は城を三重にも囲む壁でとても大きなものだと思っていたが、目の前にするとその大きさが実感できた。

 大きさとしてはレミュクリュの元の背丈くらいで、厚みはかなりある。石造りというのも考えればどれほどの年数と金を使ったのか想像出来なかった。

 ただ、それほどの規模であっても、本気になったレミュクリュならばどうにでもなるのだろうなぁと思う。九十九のドラゴンという種族への憧れと評価はそれほどに高い。だが、今は肩車されて九十九の髪を掴み、ギャワギャワ楽しんでいる姿を見ると下降修正しなければならないのではと思えてしまうが。

 それは極端な例として。

 先ほど戦った一角狼などの地を歩く魔獣ならば十分だ。それだけで街の中での脅威は格段に減るだろう。

 外壁の出入り口には武装した兵士が数人立っていた。洋風の騎士鎧を身に付けた兵士が外壁の大きな門の脇に立ち、訪れる者を審査している。

 出入りする人々に声を掛け、持っている荷物の確認をしていた。

 九十九はじっと見ていた。まるで学校の校門で早朝から待っている体育教師のような……。

「お、おい……」

 門に近づくと誰もが九十九を指差し、隣り合う人に声をかけていた。何事かと視線を向けると逸らし、他人の振り。

 居心地が悪かった。学校で虐められればこういう気持ちになるのだろうか……。

「おい! 貴様っ!」

 騒ぎを聞きつけた兵士の一人が九十九を指刺しながら近づいて来た。周りに居る大人達は勇者を見るような眼差しで兵士を見送る。

 状況が解らないが、何もしていないのに蔑みや恐れ、怒りの混じった反応を向けられ、九十九は苛立っていた。

「貴様、そのような派手な兜を脱いでもらおう。子供とて知っているであろう。ここは白竜レミクル様を守護神とし、賢王が治めし王都ブリューラドである。早々に脱いでもらおう」

 高らかに吼える。騎士として、と言うよりも、周りに居る大人達に喧伝するためのものだ。

 相手が誰であれ、舐められたら治安を守る職務を全うに出来ない。

 そのために子供であれ誰であれ、高圧的な態度を取るようになっていた。子供相手ならば反撃などもありえないと甘く見ているとも取れるが。

 それが威圧にもなっているし、たかが番兵如きと嫌悪の対象にもなっている。

 兵士の口上を聞いても九十九はじっと見ていた。いや、睨んでいたのかもしれない。

「言葉が通じているならば早々に脱げっ!」

 子供にバカにされていると思われるわけにもいかず、短気な性格でもあった兵士が九十九の肩を掴もうと手を伸ばして止まる。そして火傷でもしたかのように引っ込め、一歩退く。

 兜と思われた竜が羽を広げたのだ。さらに牙を見せ付けるように欠伸をする。

 兜では無く、幼竜だと解ると剣を抜いた。

「ま、ま、魔獣使いっ!」

 剣の先がぷるぷると震え、足元がおぼつかない。兵士の叫び声に反応した大人達が全員遠くへ離れる。

 まるで油断すると殺されるとばかりに兵士がゆっくりと震える足で後退していく中、毒気が抜けた九十九が頭頂に居る知恵袋に問う。

「魔獣使いってのは魔物やら妖魔やらを使役する人で合ってる?」

『ウム。卵ヤ子ヲ親カラ盗ミ、幼イ頃カラ人間ガ飼イ慣ラシテ使役スルラシイ。余リ楽シク無イ話ダ』

 へ〜と新たな情報を聞き、感心する九十九をよそに兵士がやっと安全な距離まで離れたと判断したのか、後方に居た同僚と上司に泣き付きにいった。

 いよいよ大騒動になりそうな雰囲気になり、どうしたものかと頭を悩ませていた九十九。

 物々しい雰囲気の兵士達五人が武装を固めてこちらへ向かおうとして、立ち止まった。

 二十メートルほど離れた位置ではどちらも決め手は無いはず。

 とりあえず、逃げた方がいいかな〜と思っていると後ろから声をかけらえた。

「ほぉ、珍しいな。子供の魔獣使いとは」

「しかも、幼竜なんてレア中のレアね」

 九十九が振り返ると幻想の世界に迷い込んだ喜びに打ち震えた。


 二人──と表現していいのか解らないが──立っていた。

 一人は二メートルほどの巨体で、筋骨隆々。ボディビルダーを見る機会が一度あったが、彼等が貧弱に見えるほどの肉体。腕が女性の胴回りほど。身に付けているのは動物の毛皮と一瞬思ったが、良く見ると違う。自前の毛皮なのだ。頭部は虎そのもので金色の瞳。毛皮は白地に黄と黒となのか、黄色地に白と黒なのか解らない。その立派な毛皮の上に申し訳程度とも思える大きな革鎧を身に付け、長剣を二本背負い、腰には短剣を下げている。

 頭虎体人の異形が興味深げな金色の眼差しを九十九に向けている。

 もう片方はその頭虎体人の肩に乗った灰色の猫だ。毛並みが柔らかそうで、こちらも興味津々な眼差しを向ける金色の猫眼。だが、二足歩行なのか、赤いお洒落な長靴を履き、白い鳥の羽が付いた赤い帽子。赤地のマント。ベルトの脇に釣り下がっているのは、豪華な宝石があしらってある刺突剣。大きさは身体に合わせているようで、短剣よりもちょっと長め程度。

 九十九の頭に浮かんだのは長靴を履いた猫。そのものだった。

 愛嬌のある二対の猫眼が九十九を無遠慮に見ていた。

「あんたは誰だ?」

 少しだけ険のある言葉遣いだったが、頭虎体人は動じる事は無かった。

「おぉ、これはすまなかった。俺は見ての通り頭虎族の戦士エルーム・トラッド・ガイゼムだ」

「ボクはケット・シー族のミルラド・ケット・ケイン。ミルでいいよん」

 大きな虎の手が差し出される。九十九は反射的に握り返す。肉球は硬かったが、毛皮がもこもことして気持ち良かった。

 見た目は人を萎縮させ、存在が威圧的だが、目の前にして一言、二言話すと暖かさと優しさが感じ取れた。

 握手していた虎の腕を滑り台にしてミルが降りてくると、小さな手を差し出してくれた。今度はこちらの手で隠せるほど小さく柔らかい肉球が感じられた。幸せだ。

「それでキミは誰で何してるの?」

 興味津々な眼差しでミルが九十九を覗き込んだ。和む……。

「あ、あぁ、俺は平守九十九。ツクモでいいよ。んで、どうもこの白竜が気にいらないらしくてね。あの兵士が勝手に物々しい状況を作り上げちゃって」

 人を指さしてはいけません。そんな母の教えはすでに忘却の彼方へ。

 無礼な兵士を親指で指し、声を若干大きめにする。

 抗議の意味を多分に含めたつもりだったのだが、指された兵士は腰を抜かし、一緒に集まっていた兵士も後退る。

「ふむ。時々居るのだよ。守ってやっていると思い込んでいる人間が。この国の平和は王族のフルテナ王八世の仁政によるもので、そこの人間が偉いわけでは無いのだがな。

 さらに言えば、そこの人間のような振る舞いがフルテナ王の信頼を失いかねない行動だと気づいていないのだ」

「ボクらが本気出せば人間の版図なんてすぐに引っ繰り返るのも知らずに大きい顔しているよねー」

 辛辣な批評だ。だが、それは事実だろうと思う。ここに居る大人達が全員で襲いかかっても目の前に居る頭虎族一人で全員を退けるだけの力はあるだろう。目の前に居るだけで、それだけの力を秘めているのが伝わる。

 そして無邪気に黒い発言をしているケット・シー族も曲者だろう。肉体的な強さはまったく感じないが、雰囲気が違う。殺気があるわけでもなく、敵意や悪意があるわけでもない。だが、なぜか小さな身体から感じる圧力は九十九を不安にさせるのに十分だった。

 にっと異形の二人に笑顔を見せた九十九が、振り返って兵士達の元へ歩いて行く。

 彼等を巻き込んではいけない。

 武力に訴えればそれなりに結果は出るだろう。負ける可能性は無いだろうし。だが、彼等が手を出せば様々な問題が起こるのは十分に予想される。首筋に感じるのは、この世界に来た時に感じた違和感。この感覚には実績がある。

 それに、望む望まないに関わらず、原因は完全に九十九側にあるのだ。まったく意図していないとしても。

 歩み寄る九十九に対し、四人が扇状に広がって警戒する騎士達。

「白竜の兜でもなく、俺は敵意を持っているわけではない。おっさん達は俺に何を求めてるんだ?」

 両手を広げて敵意が無いと強調する。

 子供が無抵抗に近づいている。だが、それでも魔獣使いと思えば素直に話し掛けられない。

「抵抗はするなよ……」

 一人だけ腕章が付いた騎士が恐る恐る近づいた。剣も構えたままで、少しでも刺激すれば斬りかねない。それほど警戒していた。

 九十九の腕に触れ──。

「何をしておるかっ!」

 身体を揺さぶるほどの大音量。固唾を飲んでいた周りの大人達がびくりと震えた。

 剣を構えていた騎士の背後、上背のある男が立っていた。

 蓄えた髭は胸鎧まで垂らし、色は白。老騎士である。だが、老人としての弱々しさがまったく無く、眼光鋭く存在感が強い。

「何をしているのかと聞いている!」

 腕章を付けた騎士の手が泳ぐ。ぎゅっと拳を握ると意を決したように後ろを振り向き、拳を胸に当てて片膝を折った。

「不審な者が居たので、詰問しておりました」

 剣を抜いて警戒していた他の三人も剣を納めて片膝を付いた。

「少年相手に騎士が四人……五人も集まるほど不審だったのか?」

 老騎士がちらりと背後を見る。後ろに居て安心感から腰から座りこんだ部下も数に入れたようだ。

「はっ! この少年、王都ブリューラドに白竜レミクルを模した兜を付けて入ろうとしていると思いきや、白竜を従える魔獣使いと解り、武装解除と捕縛を求めました」

 腕章を付けた騎士の言葉に九十九が眉根を細めた。

 老騎士がふむ、と声を漏らし、髭を撫でる。思案する時の癖かもしれない。

「少年、この者の話は本当か?」

 怒声を上げた時とは違い、柔らかな雰囲気。子供相手だからなのか解らないが、人の良い優しい老人に見える。だが、優しそうに微笑む表情の中で、眼だけが値踏みするようにじっと見ていた。

「突然詰め寄られ、挙句に勝手に仲間を呼ばれただけです。武装解除と言われても武器は持ってないし、捕縛される理由も分かりませんよ」

 ふむ、と髭を撫でながら回りに視線を送ると周りの大人達が微かに頷いているのを見つけた。

「少年、ワシと共に参れ。お前らは通常業務に戻れ。いいな」

 老騎士の言葉に返事を返す面々がそそくさと門へと戻っていく。

 九十九は促されるままに老騎士の後を付いていき、門の脇にある小さな──おそらく詰所だろう──建物の中へと入った。


 詰所は殺風景な部屋だった。簡素なテーブルと椅子が数脚。調書を取るための部屋なのだろう。奥に扉があるが、そちらは仮眠室らしい。

 老騎士が椅子に座るよう促すと、九十九は素直に従った。

 テーブルの脇に一角狼の角の束を立て掛け、頭の上のレミュクリュをテーブルの上に置く。

 九十九がレミュクリュの頭を指で撫で、レミュクリュが喉を鳴らす。

 その様子は魔獣使いというよりも、犬や猫を拾った少年にしか見えない。幼竜なので大きな被害は無いが、成竜となれば人語を操り、竜魔法などを使う恐るべき魔獣となる。

 だが、竜族の中で最も知能が高いとされる白竜ならば害になりえないというのが、老騎士の祖父、祖母から言い聞かされているこの国の常識だったはずだ。

 しかし、祖父や祖母からそういう話しを聞いてきていない若い騎士達が増えてきている。そのほとんどが魔獣であれ、妖魔であれ反射的に嫌悪しているのが実情だった。

 老騎士は視線を詰所の窓へと向けた。今見えている光景の中にはゴウバと言われる魔獣が大型の荷台を引いて通っていくのが見える。

 野生であれば恐るべき魔獣であるが、若い騎士達に嫌悪は無い。幼い頃より見慣れた魔獣に関してはまったく関心を持たないのだ。魔獣であるが、荷物を運ぶだけの獣という考えがあるらしい。危険と思いつつもそれを正そうともしない老騎士の落ち度でもある。

 余り綺麗とは言え無いカップに水を満たし、少年の前に置く。

 ありがとう、と礼儀正しく頭を下げて飲む様子はしっかりと教育を受けている証拠だ。

 老騎士はじっと見ていた。服装には民族色が無い。だが、特殊な素材のようで街でも王侯貴族の使う素材とも思えない。魔術師や錬金術師関係かとも思ったが、魔術師特有の人を拒むような服装でもなく、錬金術師特有の薬草臭さが無い。

 正直、まったく解らない。

 が、危険とも思えない。

 向かい側に座る老騎士がふっと息を吐き出した。

「さて、少年はどこから来たのだね?」

 そう問う老騎士の態度は騎士としての言葉だった。

 人懐っこい微笑みは浮かべず、相手の意中を探る老獪な態度。

 九十九が少しだけ逡巡した。ありのままを話すにはどれだけ時間がかかっても信じてはもらえないのかもしれない。それに下手に刺激してしまっては拘束されてしまうかもしれないと考えた。

「傭兵になろうと思って山を越えてきました」

 嘘では無い。山も越えたし、レミュクリュの助言でとりあえずの生活費を稼ぐには傭兵がベストだろうと判断したのだ。特に様々な理由で若いうちから傭兵になる者も多く、違法でもない。己の意思で判断するのであれば、それを止める者はいないのだ。

「ふむ。理由としてはどこにでもあるものだ。だが、ワシが聞きたいのはそれでは無い。どこから来たのだと問うているのだ」

 老騎士の視線は九十九の内面を見透かしているような眼差しだった。テーブルで丸くなっていたレミュクリュが首を上げて老騎士を見る。

『九十九。ソヤツナラバ正直ニ応エテモ良イカモシレン。下手ナ答エハ押シ問答ニシカナランダロウシ、警戒サセテ街ニ入ル事スラデキンカモシレンゾ』

 レミュクリュの言葉に九十九は眉根を潜めた。目の前で言葉を交わしているのに、老騎士はまったく反応が無いのだ。白竜が人語を話すという知識があったとしても、驚くと思われたのだが、視線は九十九から離れる事は無いのだ。

『今ハ直接九十九ニ話シカケテイル。契約トハ魂ノ繋ガリナノダ。契約者トダケ意思ノ疎通ガ出来ルトイウノハ当タリ前ノ事ヨ』

 首を持ち上げ、くわぁ〜と鳴いた。少しだけ逡巡するが、心を落ち着けるために喉を撫でてやる。

 思案気に首を傾げる九十九。説明するべき事を整理していた。

「簡単な説明をすると、助けてと呼ばれたんだが、気づいたらここに居たんだよって説明で解ってもらえます?」

「なにも伝わらないな。残念ながら」

「ですよねー」

 整理するつもりが無いような説明にレミュクリュが小さな頭をぶんぶん振って丸くなった。呆れたようだ。

「他言無用でお願いしますね。どこから話せば良いかなぁ〜……」


 一度、レミュクリュに説明はしてあるので要点をまとめて話すのは多少楽になっていた。

 そして、レミュクリュについては触れないようにした。本人が拒否の意思を伝えてきたからだ。九十九も異論を挟むつもりは無かった。

 老騎士の反応と言えば最初は驚いていたものの、徐々に表情が険しくなっていく。

「つまり、少年は別の大陸から来たわけでは無く、別の世界から来たのか? それにしょうかん……じゅつ?」

 すぐに納得出来る話では無いだろう。それでも冗談と受け取らないのは九十九の服装をじっくりと見ているからだ。

 光沢のある服を見た事あっても目の前の学生服は珍しいだろう。

 九十九もまた、視線から何を考えているかを察して、首元にあるプラスティックのカラーと呼ばれる部分を手渡す。

 素材や触り心地を確かめると納得するように老騎士は唸った。

「まぁ、召喚術ってのは便宜上の名前です」

 苦笑は浮かべるが、それほど苦悩が無い様子に老騎士が訝しげる。若い身で突然異世界に来たならばもう少し動揺していても不思議ではないからだ。

「気落ちしてないのだな」

「それはもう十分してきましたよ。けど、それだけじゃ何も進展しないですから、動くしかないんです」

 そのための傭兵だ。

 髭を撫でつけ、上を見上げた老騎士。

「ならば、ここで働くか? ワシの口添えで少年くらいならば入れるぞ。真面目に働いてくれれば安定収入は約束出来る。それに騎士ならば貴族に会う機会は多いだろう。もちろん、警護などの仕事をしながらになるがな。それでも一般人として生活するよりならば格段に多いぞ」

「お気持ちだけで。怪しい人間を登用したとなれば、あなたに迷惑が掛かると思います。それに傭兵になるのも悪くは無いかなと思っているんですよ。色々と見てみたいとも思ってますし、騎士と違って自由度が違うでしょう。嫌だからと仕事を拒否出来るとも思えませんしね」

 九十九が微笑んだ。それに老騎士がつられた様に微笑む。

「そうか、ならばがんばってみろ少年。もし困った事があればワシを頼って来い。少年ならば何時如何なる時でも迎え入れるぞ」

 立ち上がって手を差し伸べた。それに九十九も立ち上がって固い握手を交わした。

「ちなみにその白竜はどこで仲良くなったんだ?」

「召喚されて出た場所がこいつの棲み家だったみたいです。興味本位で喉を撫でたら懐かれまして」

 老騎士はそれだけの言葉で納得すると、おそるおそる頭を撫でてみた。冷たく柔らかい感触と共に嫌がっていない様子に頬を緩ませていた。


 では、と手を挙げて詰所を後にする九十九を老騎士は見送った。まるで孫が旅立つ様を見ているような優しい眼で。

「将軍。あの者を通すのは反対です。見た目は少年の身ではありますが、あの若さで魔獣使いとなれば話しはがらりと変わります。どんな問題を起こすのか……」

 さきほど、うろたえて仲間を呼び、後に腰を抜かして醜態を晒した騎士だ。その言葉にじろりと視線を向けた老騎士──将軍が口を開いた。

「相手を知ろうともせず、先入観のみで行動した挙句に醜態を晒しただけでも厳罰に処するに十分なのだが、去り際にあの少年が何と言ったと思う?

 あの騎士の行動は正当ではあるので不問にしてくださいと進言したのだ。自分の身の上だけでも大変な状況の最中、他人を気遣う優しい少年と自分の落ち度を転嫁して少しでも助かろうとする。その浅慮な判断。ワシはおまえに何をさせれば良いのだろうな……」

 将軍の迫力に騎士が数歩下がり、泡を吹いて倒れてしまった。最後にとどめの一言を吐き出そうとした矢先、耐えられずに失神してしまったのだ。その様子に将軍は苛立たしげに頭を掻いて他の騎士に運び出すように命令するしかなかった。




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