三部 第2話
次の日。数日身体を休めると話を決めていたが、ベサイアに関わる事を決めた四者は情報を待つために朝から酔わない程度にアルコールを嗜み、女性が作るつまみを口にしながら、カウンターで時間を潰していた。
今日はダルデスが休みの日らしく、部屋で寝ているらしい。
目の前のカウンターに居るのは時々見掛ける恰幅の良い女性だ。豪快に笑いながら、灰猫と白竜相手に何か話をしている。女同士話題が尽きないのだろう。
その姦しい三者をエルが優しい眼差しで見守っている。いや、その様子を肴に一杯引っ掛けていると考えた方が良いかもしれない。
その柔らかい視線に気づいた女性がエルにウィンク。虎が頬を指先で掻いた。
ダルデスと昔から付き合いがあるエルであれば目の前の女性とも面識はあるとは思う。だが、何かそれだけではないような雰囲気を感じ取っていた。
「もしかして、ダルデスの奥さん?」
「そうさ。この《竜の吐息》を支え続けて十数年。訪れる客を虜にし、明日への活力の源。永遠の看板娘アディさ。いつも亭主が世話になってるねぇ~。あの人は今日休みにしてるから、好きなもの頼みなよ。内緒で大盛りにするよ」
前口上は使い慣れているのが良く分かる。淀みなくすらすらと出てくるだけに酔った傭兵相手に毎回使う挨拶みたいなものなのだろう。
とても元気が良い女性だ。それに酒場で働くだけあって耳が良い。九十九の呟きを耳にし、エルに聞いているのに答えてくれた。母親よりも上の年齢かもしれないが、九十九の母親も目の前のアディも若作りで、実年齢が謎だ。
謎なのだが、おばさん臭さが実年齢を匂わせている。
「それにしてもエルほどの力があるのにどうしてこの子の下にいるの? 逆なら納得出来るんだけどねぇ。もっと大きなクラスから何度も声が掛かってたんだろ?」
「確かにな。だが、見た目でツクモを甘く見ると痛い目に合うぞ。見た目に反して凶悪なんだ」
ポンと虎の手が九十九の頭に乗せられた。褒められたような、からかわれたようなむず痒い気持ちだ。いや、からかわれているのだが、エルが相手では別段否定しようとは思わない。
「ふぅ~ん…………。この子がねぇ~……。まぁ傭兵なんて切り札いくつも持ってるような異常者の集まりみたいなもんだからねぇ~。この子がねぇ~……」
珍獣でも見ているような視線だ。毛穴の数を数えられているような視線を受け、さすがに九十九もむっとなる。
「しかし、異常者は酷い例えだな」
「あたしら一般庶民からすりゃ、傭兵なんて全員異常にしか見えないもんさね」
それは庶民全員が持つ傭兵へのイメージそのものだろう。確かにランクCの魔獣や妖魔を個人で倒す力を持っているのは異常だ。九十九の周りに居る仲間が異常であり、傭兵という職業が本当に特殊だと思い知らされた。
アディが九十九を見て狼狽えた。
「ちょ、ちょいと口が悪いのは酒場じゃ挨拶みたいなもんじゃないのさ。落ち込まれたら困っちゃうよ」
〝この子〟と自分が口にしている時点で九十九を子供だと認識している。アディがいつも相手にしているのは、もう少し傭兵家業を続けてすれて捻くれた者ばかり。だから、いつも通りに対応してしまったのだろうが、子供相手に異常者などと面と向かって言えば落ち込むかもしれないと考えてくれても良いとは思う。それなりに年齢を重ねた女性ならば。
ちなみに九十九は落ち込んだわけでもないし、怒っているわけでもない。少し気になった事があったのだ。
「いや、落ち込んだんじゃないよ、アディ姉さん。傭兵になって日が浅いからね。アディ姉さんが言う事に色々考えさせられてるんですよ」
「そ、そうかい……。それより、あたしの事はおばさんでいいさね。そんな気遣いはもう少し若い娘にしてあげな」
二人で笑い合い、ゆっくりしてな、とフライパン片手に調理を始める。何か作ってくれるのだろう。
並々と注がれたワインを片手に白竜が九十九にもたれ、灰猫もエルにもたれて一息を付く。
「ちょっと気になったんだけど、傭兵って仲間に自分の力を全て教えるもんなの?」
「……いや、教えないな。ある程度の力がある者は全員切り札を持っていると考えた方が良い。必勝、必殺などとは言わないまでも状況を引っくり返すくらいの技を持っているだろう。仲間でもいつかは敵になるかもしれないと用心深く考えている者ならば、全ての手の内を晒してしまう事はしないだろうな。
俺でもミルに教えていない切り札がある。たぶん、ミルも──」
「ボクも切り札いっぱいあるよー」
灰猫が手を挙げて元気一杯に答えた。無邪気にも見えるが、目が笑っていない気がして、九十九の背筋に寒気が走った。
「そ、そんなもんなのか。頼もしい気もするけど、なんか哀しいね」
「そうだな。血生臭いと思うかもしれない。だが、一般論の傭兵であって、俺とミルに関して言えば、たまたま見せる機会が無いだけだ。隠そうとしているつもりは無いのだよ。必要であれば惜しむつもりは無い」
エルが柔和な表情を浮かべた。目が弧を描き、笑っていると一発で分かる表情だ。
「そうだねー。でもでもー、ツクモとレミュも友達だからボクは二人にも隠したりしないよー」
ミルの頭を虎の手が撫で回し、同意するように頷くエル。
「ありがと。でも、用心深くならないと生きられないってのは確かにそうだな~と納得する話だね~」
ミルの頭は虎の手が占領しているため、九十九は喉を撫でてやる事にした。嬉しそうに目を横線一本にして喉を鳴らす灰猫。
九十九の服がくいっと引っ張られ、下へ視線を向けると白竜がすがるような眼差しを向けていた。
仲間であっても嫉妬しているのかもしれない、と考えると嬉しくなってしまう。九十九はひんやりとした鱗を撫で回してあげた。
撫でながら、九十九は考えていた。
(用心深く……か……)
虎がジョッキを空にして、おかわりを注文しようとして気づいた。
九十九の手が灰猫と白竜を撫で回しているが、視線はどこか一点を見たまま動いていない。何か思い詰めているようにしか見えなかった。
「他にも何かあるのか?」
「ちょっと考えてみたんだけどね……」
そう話し出した九十九に三者は聞き入っていた……。
──九十九の語る話にはまったく根拠が無かった。今まで得た情報を元に憶測と推測で補強し、張り合わせた妄想とも取れるストーリーだ。
聞き終わった三者もどう反応すべきか悩む、といった感じだが、それを否定する根拠も無く、一つの指針として思い留める事にした。
夜も深け、傭兵達も三々五々思い思いにテーブルを囲み、酒と肴の注文が怒号のようにアディへ向けて投げられ、書き入れ時に休むのは落ち着かないと、休みのはずのダルデスも参戦し、熟練の技を駆使して客を捌いて行く。
最も酒場が混む時間帯だ。
九十九達は混み具合を察してカウンターの端側に座り、先ほど九十九が考えていた事をそれぞれが『もしも』『だったら』という単語を頭に置きながらそれぞれが話をさらに補強していく。
数時間ほど経っただろうか、陽気に憂さ晴らしをしていた傭兵達が一人、二人と自分の宿へと帰っていく……。
店の中はすでにダルデスとこの店を定宿としている四者だけがカウンターで飲んでいた。
だいぶ飲んだ白竜と灰猫はカウンターの上で無防備に仰向けで寝そべり、小さな寝息を立てている。
酔った勢いがあったのだろう。九十九が投じた話の種は太い幹となり、枝葉を伸ばし続け、様々な可能性という葉を付け、青々と茂った。酔っ払いによる、いくつか歪な枝も伸ばしていたが、そこは剪定してしまえばいいので考えない。
「ツクモの話は本当に面白いな。確かに先々を予想し備える必要はあると思うが、そこまで具体的に考える事はした事が無い」
「そうなんだ。前の世界じゃ小説……個人が書いた創作物語の本をたくさん読んでたからね。こういう話を考えるのは好きなんだよ。ただ……」
「どうした?」
「まさか創作物語に出てくるような世界に来るとは、まったく想像出来なかったよ」
エルと九十九が小さく微笑んだ。前の世界と呟いても互いに気を回す事はしない。エルの心遣いには本当に嬉しく思う。
ふと視線を前に移すと、店を片付けて疲れたアディが椅子に座って船を漕いでおり、それに気づいたダルデスが優しく起こして部屋で寝るように促していた。
さすがにこれ以上店の中に居るとダルデスにも悪いだろう。
九十九とエルが懐から銀貨と銅貨を数枚取り出し、カウンターに置くと、ぐっすりと眠っているお互いの相棒を抱き寄せて部屋に戻る事にした。
部屋の前でエルと別れると、九十九はベッドにレミュクリュを置くと、もう一度階下へ降りた。
待っていてくれたのか、ダルデスが小さな瓶を投げ渡してくれた。
先ほど頼んでおいた物だ。
部屋に戻った九十九は窓辺に椅子を置いて、外を眺めながら小さな瓶に口を付けて直接飲んだ。
口の中に広がる甘み。そして、飲み込むと同時に喉と胃に熱を感じた。
久しぶりに飲むアルコールだった。
カルローデの酒という名で、南方にある果物を醗酵させて作るらしい。口当たりは甘く、飲み易いために女性にも人気で余りアルコール度数は高くないらしい。
それでも久しぶりにアルコールを受け止めた身体は芯まで熱を持った感じがした。小さな瓶であるために、近くで寝ている白竜のように酩酊までしないだろう。
酒を口にしながら、外を眺める。
月明かりを受け、寝静まる街を見ながら、九十九はため息を付いた。
小さなため息と自嘲するかのように肩を竦める動作。どうにもこの世界に来てからというもの、ため息が多くなった。心労が増えたのが理由だとは思うが、もう一つ問題が浮上してきたのだ……。
元の世界に戻る。
当然、常に考えている事だ。だが、もしも戻れなかったらと考えてしまう。
ここ一ヶ月と少しの間に何度も考えた。馬車に揺られながら、毛布に包まれながら、白竜を撫でながら、灰猫の喉をくすぐりながら、虎の毛皮に抱き付きながら……。
戻れないかもしれないという不安に深夜に目を覚まし、頬を伝う涙に驚いた事も両手で数えられないほどある。今思い出しても赤面するしかないが、その時に見張りで一人起きていたレミュクリュがそっと肩に乗って頭を撫で、別の日では灰猫が膝の上で寝転がり、また別の日には虎が黙って隣に座ってくれた。
それぞれがそれぞれの方法で慰めてくれたのだ。
ただ、戻りたいと考え、願い続けているが、一方で今は戻れなくても良いかもしれないと考える事がある。
それは突然頭に浮かんだ選択肢だった。おそらく、今まで接してくれた仲間の優しい気持ちを受け続けた積み重ねもあっただろう。しかし、決定的だったのは一昨日のレミュクリュとの出来事が原因だと思う。あの時に感じた事がもしかしたら本当に好きという感情なのかもしれない。
そして、さらに考える……。
戻る事が出来た場合、帰ろうとすぐに思えるのか……。
帰らないと判断するならば、このまま旅をする必要が無くなる……。
今決断する必要は無い。無いのだが……。もしも……。だが……。けど……。
九十九は頭を振って考えていた事を消した。
今は遠い先の事を考える必要は無いのだ。
目の前の事を乗り越えなければならない。ベサイアには単なる同情で助けるなどと思ったわけではない。
最初は近寄るつもりすらなかったのだが、何となく感じたのだ。危険だと、近い未来に不意を付いて巻き込まれるかもしれない、と。ならば、最低限の情報を握っておけば予測出来なくても回避する手段になり得るかもしれない。
そう考えての行動だったのだが、ベサイアの事を調べようとして胡散臭さが鼻に付いたのだ。
そして、知った。
理不尽に対して抗う力を持っていても逆らえないと悟った女性がそこには居たのだ。それも女性の感情を無視して、利己的な考えが押し潰そうと迫っていた。
少し、自分の境遇に重なる部分がある気がしたのだ。
受け入れるしか出来ない状況。
抗う力を持ちながらも、手が届かない現実。
今の九十九には、その二つが当てはまる気がするような……その二つ以外の理由のような……よく分からない。
外を眺め、木枠に額を当てて冷やそうとするが、熱を奪ってくれそうもなかった。
小さな瓶はすでに空になり、それでも九十九は一滴も逃さないとばかりに瓶の口に吸い付いていた。
頭ではもう無くなっていると認識したが、数秒でその認識が霞んで消えていった。
頭の重さを支えられないのか、頭が揺れる。
九十九は最後に残った理性で空の瓶を木枠に置き、ベッドに倒れこんだ。反動でレミュクリュが飛び上がったが、こちらもすっかり熟睡しているようで起きる気配は無く、ボフッと元の場所に落ちるとそのまま寝入っていた。
九十九は睡魔に襲われる瞬間に思った。
カルローデの酒は強く無いとダルデスが言っていたが、誰を基準にしていたのだろう、と。
それとも、酒を求める九十九の心情を慮ったのだろうか……。
それなりに歳経たダルデスの事だから、もうろくした可能性も否定出来ない。
結局、どれが正解なのか分からないまま、意識が底なし沼にはまったように、抵抗出来ずに途切れたのだった。




