二部 第7話
九十九が向かった場所は盗賊ギルドだった。
イメージとしては犯罪者集団を囲うように思えるのだが、それは業務の一部であり、一つの側面でしかない。
仕事は多岐に渡る。情報の売買、古代遺跡の探索、盗賊技術の講習、歓楽街の運営など。これは表側にも認知された仕事である。
傭兵ギルドに登録している盗賊も居る。冒険者と呼ばれる集団には盗賊の技能を持っている者が居るのだが、それは野外活動のプロフェッショナルでもあるし、夜間戦闘にも手慣れた者でもあるからだ。
盗賊ギルドはさすがに表通りには無いが、二本ほど通りを過ぎたスラムに近い通りに建物はあった。
扉を開けると、護衛なのか、入り浸っているだけなのか、人相が悪い男達とキャッキャとはしゃぐ女性も見受けられる。
そこへ鋼の棒を持った少年が頭に白竜を乗せて現れた。
ロビーが鎮まり、奇異の目と不審な眼差しが集中する。
九十九は気にせずにカウンターに向かうと、グラスを片手にカウンターに突っ伏した男の目の前に立つ。
「情報が欲しいんだけど」
九十九の言葉に受付の男はじろりと視線を向け、グラスをちびり。
少年を相手にしないと言わんばかり。舐められているのだ。
「ヘィヘィ。坊ちゃんはお家に帰ってママに甘えてな」
酔っているのだろう。九十九の隣にかろうじて立つ男が酒臭い息を吹きかけながら絡んできた。それと同時にどっと笑い声が響く。
九十九は男の顔を見て、回りも見渡す。
「おいおい、あんまり子どもを虐めんじゃねぇよ。びびっちまってるじゃねぇか」
下卑た笑い声がさらに重なった。普通の慣れない少年がこの場に居れば泣き出すだろうか。小さな矜持を振るって怒鳴るだろうか。
だが、九十九は興味深げに回りを見渡すだけだった。頭のレミュクリュは念話で罵詈雑言を並べているが。
九十九はちょっと嬉しかった。盗賊というイメージ通りの見た目と発言、行動をしているのだ。やっぱりどこの世界でも酔うと似たような行動しかしないんだな~と関心すらしていた。
しかし、だからといって平然としているだけでは無い。イラッとはしているのだ。
だから、極上の笑顔を浮かべた。
「酔っ払うのは自由だが、酒臭ぇんだよ。近寄るなヴォケ」
表情と言動が一致しない事が認識をさせないのだろう。絡んだ男は目をぱちくりとしながら、しばらく呆け。
「ガキはとっとと帰れって言ってんだッ!」
怒鳴り、力任せに肩を掴んだ。まったくイメージ通りの反応にさらに笑顔になる九十九。
転ばそうとしているのか、投げ飛ばそうとしているのか、男は腕にさらなる力を加えているが、微動だにしない。
そして、そっと男の手首を握ると、最大の握力を加えてやる。
「あ、あがっ……あ……」
手首を握られているだけで腰から力が抜けたように座りこむ男。その様子をさっきまで見ていた男女が驚きを持って見ていた。
何が。なぜ。冗談ではないのか。その表情だけで見守っているのだ。
「迷い込んだなら、おっさんの言う事に従ってもいいかもな。ただ、仕事の依頼に来たのに追い返すってのはどういう事なんだ。説明しろ」
元々敬意を払う相手でも無い。九十九自身が少年の身である事は自覚している。相手と同じ目線で会話しても大人気無いとは言われないだろう。
『ヤッチャエ。九十九ッ!』
物騒な念話が飛び込むがさすがにそれはしたくない。盗賊は情報を得るのを最も得意としている。だが、闇で動くのも得意だ。前回の竜の吐息での出来事を思い返せば落ち着かなくなるが、あの実力者が闇から報復に来られてはゆっくり寝る事が出来なくなる。
念話によってその部分を話す。
『我ガ九十九ヲ守ル』
嬉しい申し出が返ってきたが、苦笑と共に首を振る。それに合わせて白竜もぶんぶん揺れた。
『安心して寝るのと、緊張して寝るのじゃ疲れの抜け具合が違うでしょ』
『我ガ守ルノデハ不安ダト?』
『そうじゃない。極力面倒は避けたいって事だよ。守られてばっかりってのも心苦しいしね』
九十九の言葉に理解を得たのか、ぽんと頭に手を置いて了承してくれる。
ふと、目の前の状況に思考を戻す。すると、手首を握られて悶える男が泡を吹いて気絶した。
「あ、わりぃわりぃ」
念話に集中していて失念していた。手首がだらりと下がっているのを見ると、関節が外れたようだ。
「ま、それはそれとして……。情報が欲しいんだけど?」
一連の出来事を見ていた受付の男は無愛想な表情を浮かべながらも聞く体勢にはなった。
「ランクAのベサイアについて聞きたい。特に噂になっている仕事の詳細と裏話があれば良いんだけど」
ぴくりと眉を動かした受付の男。
「子どもが知る必要は無い。そこの馬鹿と言う事は一緒だ。家に帰って平和に暮らせ」
口を開いて吐き出した言葉は呆れているというよりも止めておけというニュアンス混じり。
どうしたものかと九十九が思案しようとすると、背後にある出入り口の扉が開かれた。
視線を向けると男が一人入店。回りのロビーに居る男女に軽く手を上げて挨拶を交わし、カウンターに居る客らしき少年を見てぎょっとした。
鋼棍を持ち、白竜を背負う少年。足元には泡を吹いた男が気絶している。
男はすぐに驚きから脱して近づいた。
「何かようか」
「おっさんは?」
「この建物を任されている者だ」
九十九は用件を伝えると、止めておけとしか答えない。
「情報が無いのか? それとも裏に貴族が控えているからか?」
少年の口から漏れた言葉に男は驚きを隠そうともしなかった。
「そこまで知っているなら、俺達の対応も理解出来るだろ?」
「知らないならそう言えよ。自分達の力が足らず、情報を入手出来ませんでした、と。そう言えば大人しく引くよ?」
あからさまな嘲笑だった。ロビーで話を聞いていた男女が立ち上がり凄むが、目の前の男が手を挙げて制する。統制は出来ているようだ。
男はじっと九十九と頭部の白竜を見ていた。
実は、男は一ヶ月ほど前の白竜強奪事件でレミュクリュを麻袋に入れて運んだ男だったのだ。
その後の顛末も耳にしている。暗殺を生業とする部署から数名さらに雇われたようだが、還って来なかったとも。
おかげで失敗したとされ、降格する事になったのだ。
だから戸惑っていた。
傭兵には目の前に居る少年のような者も多い。実力も高ランクというのも居る。だが、男は噂でしか聞いた事は無く、実際に目にしたのは初めてなのだ。
そして、それだけの実力を持っていても少年が求めた情報は危険過ぎた。
少年の身を案じているわけでは決して無い。金を支払うのであれば誰であれ情報を売るのが今の仕事なのだ。だが、その噂の出処を探られたら自分の身が危うい。少年に嘲笑されても自制して対応しなければならないほどに。
「考えは纏まったか?」
「我々の返答は変わらない。他の仕事を探しな」
「腰抜けばかりか……。ろくな情報持ってねぇならそう言えよ」
肩を落として帰ろうとする九十九の肩を男が掴んで引き止め、耳元にそっと呟く。
「舐めるなよ。クソガキ。根無しの傭兵と俺とじゃ守るモノが違うんだ」
「正直に言えよ。てめぇの保身だけが守るモノだろ。仕事に矜持がねぇなら引退しな。牙が抜けた犬に用はねぇ」
「クソガキは自分の身を守るつもりはねぇようだが、早死にするぜ」
「おっさんになるには自分の殻に閉じ篭るのが極意ってか? 早死にした方がマシだね」
んべっと舌を出して九十九は帰っていった。
小さな背中を見つめながら、男はため息をそっと吐き出す。
が、周りに居る部下の手前、肩を竦めて苦笑を浮かべた。
「命知らずなガキだが、世間の厳しさをやっと知ったようだ」
酔っている勢いもあるようだが、全員笑って遊びに戻った。
それを眺めて頷くと、足元の気絶した男を運ぶように指示しながら自分の部屋に戻った男が窓から外を、色々な意味で薄汚れた通りを眺めた。
少年がこちらを見ていた。いや、ただ建物を見上げただけかもしれない。だが、視線が合ったと感じたのだ。さらに嘲笑としか思えない笑みすら浮かべて……。
「クソったれがっ」
舌打ちをして悪態付くが、保身のためだと断じた生意気な少年に対してなのか、それを理解しながらも納得していない己に対してなのか解らなかった。
『アレデイイノカ?』
「良いも悪いもどうしようも無いだろ。うやむやになっちゃうが、これで良かったとも思うしな」
肩を竦めて来た道を戻る。
手を出さなくて良くなった。そう考えても良いはずだ。だが、腹の底にもやもやと疼くものがあった。
歩みはゆっくりとしつつ、心は逸る。
他愛も無い会話でもしていれば気も紛れるだろう。だが、今は互いに無言になり、九十九に至ってはもう終わったと口にしながらも、どうしたら良いか、どうすれば良いかと思案してしまい、そのたびに頭を振って思いを散らしている。
そのたびにレミュクリュがぶんぶん振られているので、九十九が悩んでいるのを身体で実感していた。
九十九の頭に顎を乗せぽふぽふと叩き、
『……フムゥ……あれニ手ヲ貸スカ?』
大きなため息。火球を吐き出しそうな勢いだ。
嫌っている相手なので手を貸すつもりは無かったようだが、九十九がここまで思い悩むのであれば、と妥協したのだ。
「ありがと。だけど、分かれ道はまだ先だと思う」
『分カレ道?』
「時間の限界。行くか戻るかの判断の限界かな。分かれ道は必ずある。ただすぐそこにあるか、かなり歩く必要があるかはまだ解らないからね。
最後ってわけでもないんだろうけど、子どもに会いに来る時間があるようだし、ツヴァイって男を探索する必要もあると思う。だから数日中とは思えないんだよ。まぁ、誰か解らないが裏に居る貴族様がどこまで我慢出来るかって事かもなぁ」
呟く。だが、当然現状でベストな解答は得られない。
どうしたものかと腕組みをして歩く九十九と、頭頂に尻尾でバランスを取りながら立つレミュクリュもまた腕組みをして思案に耽る。
すれ違う人達が同じ仕草をして歩き去る人間と白竜の芸に奇異と好意の眼差しを送っていた。
後もう少しでダルデスの店へ到着すると言う距離だった。
ふむ~、と唸っていた二人がふいに立ち止まり、店とは反対方向へと向かう。
『フム。サスガニ気ヅイタカ』
「まぁ、殺気というか、敵意というか。粘っこい気配したからねぇ」
通りをどんどん奥へと進む。
目的地は余り人目につかない場所だ。
「暗殺というか、人を襲うにしてはちょいと張り切り過ぎだねぇ。もしかして威嚇してんのかな?」
『カモシレン。ソレヨリモ……』
「どったの?」
『人間ヲ相手ニスルノダ。モウ大丈夫ナノカ?』
「……わかんね。出たとこ勝負かな」
通りを歩くと少しづつ剣呑な雰囲気が強くなり、同時に危険を察知しているのか、もしくは向かっている場所は人が立ち入らないのか、人の気配が目に見えて減っていく。
「いちよー人の目は気にしてる連中みたいだのぉ~」
『敵意ガ露骨ニナッタナ』
「盛り上がって参りました」
九十九が微妙なテンションのまま、右手に廃屋が見えたので当然のように足を向けた。
すでに屋根というものは無くなって久しく、雨ざらしになっている壁面は脆く崩れている。
女性でも体ごとぶつかれば崩せそうなほどだ。
おそらく元々はホールだったと思われる広い場所で九十九が立ち止まると、先回りしていたのか、人影がすっと音もなく現れた。
すでに囲まれているようだ。
目に見える数は十八人。
それぞれが皮の鎧を着込み、ショートソードを両手に抜き持っていた。すでに戦闘態勢に入っている。
まだ日が昇っている時間だけに服装はそこらへんで見る傭兵のようだが、気配がまったく違っていた。
おそらく、ダルデスの店で襲いかかってきた黒装束の仲間だろう。
「とりあえず、どのような用件でしょうか」
九十九がおどけるように問うが、返答は無く、ただ間合いを測るように円を描くように取り囲んでいた。
レミュクリュがホバリングして周りを見渡し、九十九を見下ろした。
ざっと見た感じ、一対一では九十九を脅かすほどの力を持っているようには見えなかった。
だが、目に見える相手だけでも十八、レミュクリュが気配を探ったところ、さらに十人が隠れている。
空中で腕を組んで、ふむ、と一考すると、九十九の足元へ降り立った。
「ドウニモ不安ダナ。手ヲ貸ソウ」
人前では念話でしか話さないレミュクリュが言葉を話したのに少しだけ九十九は驚いた。
「……いや、別にひと──」
断ろうとしたが、じっと白竜が睨む。
「手ガ震エテイルデハナイカ。前ナラ見物シテテモ良カッタガ、今回ハ不安ナノダヨ」
指摘を受けて唸るしかなかった。
確かに克服したと自信を持って言える状態では無かった。
むしろ極度の不安に嘔吐感すらこみ上げていたのだ。
「分かった。なるべく俺が相手するけど、手に余ってると思ったらお願いするよ」
「ウム。任セロ」
心強い援軍を得た九十九は、腹に力を入れた。正確にはへその下を意識して力を込め、強く息を吐く。
そして、鋼棍を中段に構えた。
それだけの動作で身体が、心が完全に戦闘態勢になった。
気合いの入れ方は人それぞれだ。九十九の場合はその動作をすると一番しっくりくるというだけの事。
追跡されていた時は楽観的に考えていたが、実際に敵意を向ける人達の目と身体の動きを見て、力量が似通っているのを感じた。負けるとは思わないが、楽に勝てるとも思えない。
それと不安があった。相手の男達の雰囲気が人を殺し慣れている、と思ったのだ。さらに九十九自身の問題も合わせると、完全に危機的状況であった。万全な体調であっても退けるのは容易では無いだろう。
すっと、目の前に立つ男二人が横へ避け、後ろから一人が前に進み出た。二十歩ほど離れたところで止まる。
武器も持たず、左右に立つ男達が警戒を強くしているところを見ると統率している人間なのだろう。
ふと、気づいた。
苦々しい顔をしている男は盗賊ギルドで建物を任されていると言った男だったのだ。
「おや、また会ったね。おっさん」
不敵に笑う九十九に、男はじっと睨むような、値踏みするような不躾な視線を向け、唾を吐き捨てた。
「これが俺の牙だ。それにおっさんじゃねぇ。ビトーと呼びな」
「どうせ偽名だろ。それで?」
どこまでもふてぶてしい少年だった。見た目はどこにでも居る少年。だが、前回は周りに居る者と同程度の男達が少年達に葬られている。ちなみに偽名だ。
「嘗められたままじゃ俺らの世界じゃ生きていけねぇんだ。落とし所は必要だろ」
「だから袋叩きに来たのか? 恥の上塗りだろ」
「言ってろ。最後まで立ってたら情報を売ってやる」
ビトーが手をあげて後ろに下がった。
左右の二人が護衛するように前を塞ぎ、
「やれ」
一言、ビトーが呟いた。
九十九の目の前に居た二人の男はアイコンタクトも無いままに飛びかかってきた。数に物を言わせようとしているのかもしれないが、それを黙って見ている九十九では無かった。
込み上がるモノを感じながらも鋼棍を突く。
男が右手の剣で払い、左手の剣で突き返す。さらにもう一人が跳ねて頭上から狙いを定めた斬り下ろし。
九十九は払われたのに逆らわず、逆の端で左剣を打ち据え、突きに使った端を即座に頭上へ跳ね上げた。
予想外の対応だったのだろう。空中で攻撃態勢に入っていては避ける事は出来ず、前転宙返りの要領で全身を使った斬り下ろしよりも速い、斬り上げられた鋼棍が男の股間を痛打させ、背後に投げられた。
そして、股間を打った反動で戻ってきた鋼棍が目の前で腕を痺れさせていた男の肩口を打ち下ろし、またも跳ね上がる逆端を顎に受けた。
目の前の男は仰向けに倒れ、口元から血を流して倒れた。顎が割れているので血は止まらず、付近に落ちた肉塊は顎を打った拍子に自らの舌を噛み切ったのだろう。
背後に投げられた男は壁にめり込み武器を取り落とし、股間を抑えて痙攣していた。
ビトーは何が起きたのか理解出来ていなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。
真偽は定かでは無いが、倒したのは頭虎族とケット・シー族だと聞いていた。あの種族が相手ならば手馴れが集まっても全滅の憂き目に合うだろう。もし、魔獣使いとして白竜を用いたのであれば、酒場は燃えていただろうとも報告を受けていた。
魔獣を用いてこその魔獣使いだが、単体で二人を仕留めるほどとは想像出来なかった。それも刃の無い棒によって。
驚きに声を失っているビトーを余所に、九十九は喉を鳴らして何度も唾液を飲み込んでいた。
飛び上った男の股間を打ったのはそれほど気にしていない。だが、目の前の男については〝やりすぎた〟と思った。
舌を噛み、顎を割られ、口腔内の出血は酷い。さらに仰向けでは飲み込まないと呼吸が出来ないはずだ。苦しくても気絶していては身体を起こす事もままならない。
気づいた時には九十九は行動していた。
乱暴ではあったが、折れている右側を鋼棍で起こし、身体を横にしてやる。口腔内の血液が溢れ出したが、これで呼吸は出来るはずである。
なんとか安堵出来ると思ったところで我に返った。
警戒していた男達の間に何とも言えない空気が流れ、先ほどまで衝撃を受けて言葉を失っていたビトーですら呆れているようなのだ。
ビトーはどこか落胆しているような雰囲気すら発しながらも、じっと九十九を見ていた。
連携による攻撃を辛くも、としか取れない動きで撃退した九十九を見て、配下の男達はさらに警戒心を強くして取り囲む。
九十九は視線だけで周りを見渡し、込み上げる酸味を飲み込みながら鋼棍を構えた。
読んでいただきまして本当にありがとうございます。
長短ありますが、残り4話ほどで二部完結かな、と二部の先がやっと見えました。
全体の話としては五部か、六部で終了予定でございます。
今現在は絶賛三部に取り掛かり中でございます。
予想以上に難産を極めておりますので、時間は空くかもしれません。
気分転換にまた外伝を注入するかもしれません。
予定は未定ではございますが、これからも読んでいただける皆様には変わらぬご愛顧のほどをよろしくお願い致します。
PS
誰か、オラに元気と時間を……orz