二部 第6話
次の日。思わぬイベントが発生し、意地の張り合いは自然消滅していた。だが、さすがにそのままというのも落ち着かない九十九は謝罪を口にし、それを受けた灰猫と白竜から仲直りの頭部サンドイッチという荒業を披露してもらい、解決とした。
口の中に残る灰色の毛を取り出す九十九は苦笑しながら隣に座るエルにこっそりと囁いた。
(そういえば、頭虎族ってその……雄の本能的な部分ってどうしてんの?)
九十九の恐る恐るといった単語。
エルはすぐに気づいてくれた。
(街に戻れば異種族でも歓迎してくれる店が数軒ある。街へ戻ったら案内してやろう)
男同士の密約はここに成った。
ふと視線を前に向けると、新たな発見があったのか、二頭のゴウバの背に白竜と灰猫が座り、何か話をしている。ゴウバもまた拒否する事無く、尻尾をゆっくりと動かしながら進んでいた。
順調な旅はすぐに終焉を向かえ、王都ブリューラドに到着となった。
馬車とゴウバを返却するために、気の良いおばちゃんの居るレンタル屋へと入った。
おばちゃんは馬車を細部まで見渡し、二頭のゴウバの首を撫でて労う。
特に問題は無かったようで規定通りレンタル料の一部が返金となった。
一ヶ月もかからない旅路だと予想し、予定通りに帰って来られた。買い込んだ食料は慎ましく生活すると三ヶ月は食べて行けると太鼓判を押したおばちゃんだったが、大食漢の三者により、戻ってきたら残り半月分ほどしか残されていなかった。おばちゃんはそれに驚きつつ、豪快に笑って余った食料を買い戻してくれた。
そして、仕事完了の報告へと向かっている。
九十九は一段落出来ると考えていたのだが、どうにも落ち着かなかった。
首筋にチリチリとした静電気が走る。
悪い兆候だ。この感覚を受けて、今まで良い事は一切無い。
九十九が脚を止めると、全員がその場で止まる。
「なぁ、悪い予感がするんだけど……」
目と鼻の先に傭兵ギルドがある。仕事の報告をするためだけに向かっていたのだが……。
そこでぽつりと呟いたのだ。
九十九は否定して欲しかった。そんなわけは無いと。考え過ぎだと。
だが、三者が九十九の問いに答えなかった。いや、答えられなかった。
つまり、皆が感じていたのだ。これから向かう先に不穏な空気を感じると。
「少し、遊びにいかない?」
「ボク、お菓子買いたいなぁ~」
「干シ肉ハ飽キタ。血ノ滴ル肉ガ食イタイ」
それぞれが時間を潰す方向へと話を進める中、
「気持ちとしては同じだが、報告は迅速に行わないと支払いが難しくなる可能性があるぞ? 報告完了までが仕事だからな。信用を失うとまではいかないが、不審に思われて良い事は無い、とは思うが。
それでも遊びに行くのか?」
強制では無い。命令でも無い。一番落ち着いたリーダーとも言える立場の言葉でも無い。
最後の確認なのだ。皆が本当にそうしたいと言うのであればそうしようと。
…………。
皆、押し黙るしかなかった。
が、九十九が諦めたように口を開く。
「トラブルに飛び込むのは好きじゃないんだけどなぁ……」
「誰デモソウダ」
「どっちにしてもお菓子は買うからねー」
ミルののどかな、というか空気を読んでいない発言は場を和ませる効果があると思っていた。だが、今回ばかりはまったく効果が無かった。
四者が傭兵ギルドの前に立つ。だが、誰も扉に手をかけようとは思わなかった。
明らかに傭兵ギルド内から重圧が放たれている。
ギルド内が魔界に繋がったと言われても驚きもしないだろう。
扉から瘴気が漏れ出していると言われても納得出来る。
意を決して扉に手を当て、押し開ける……。
傭兵ギルドの中に入ると不穏な空気が一際強くなっていた。
今の時間は仕事を求める傭兵で溢れ返る時間帯だ。昼飯を食べ終わって午後の仕事を探しに来る傭兵も多く、活気のある時間帯のはずだ。
だが、ギルドの中は閑散としており、カウンターに座っているはずの受付嬢の姿が無い。
ただ一人。ロビーのテーブルに客が居た。一人座る者はまるで復讐を決意したかのような表情。
そこからこの空気を送り出しているのだ。
《狂獣》ベサイア。
最年少ランクA取得者であり、ランクS取得に最も近い者。そして各国から賞金が掛けられ、総額で首だけでも金貨千五百枚、生かして捕獲すると金貨六千枚という破格の女性である。
九十九は彼女の姿を見つけて頭を振って嘆息する。予想を裏切らない結果に暗澹たる思いだ。
レミュクリュも威嚇するように翼を広げ、陽気なミルですら気を引き締め、いつでもレイピアを抜ける体勢になっていた。
エルもまた両腕から力を抜き、武器を抜ける状態にしている。
ベサイアは最初にここで会った時のような危険な雰囲気の中でも陽気さと淫靡なピンクの空気を纏っていたのだが、今は隠そうともしない露骨なまでに殺気と闘気を放ち続けている。
確かに普通の者であればこの空気に耐えられないだろう。頭では逃げ出す事だけを命令するが、身体が動く事すら危険だと警鐘を鳴らすはず。相反する状況に意識を失うか、精神にダメージを受けるとしか思えない。
だが、四者は落ち着いていた。
今回の仕事の帰り道で今以上の殺気を浴びたのだ。だからと言って鼻で笑えるほど余裕があるわけではないのだが、それ以上の状態を知っているのと知らないとでは心構えが違う。
鋼棍で肩を叩きながら、九十九が少し声のトーンを下げ、
「受付嬢がいないし、出直そうか」
「そうだな。居ないのであればしょうがあるまい」
「お菓子買いにいこー」
『決マッタナラバ、スグ行動ダ』
それぞれが快諾する。
踵を返して出ようとすると、
「あらあら、待ってたのよ。ボウヤ」
遅かった。と言うよりも待ち伏せされていたようだ。
苦笑を浮かべようとして、苦いままの表情を向けると、剣呑とした表情を和らげ、陽気さと淫靡さが生まれた。だが、殺気と闘気は衰えず、むりやり混ぜられた空気にどう反応して良いのかまったく解らない。
猛毒に墨汁とガソリンを混ぜ、そこに砂糖とミルクをたっぷりと入れたモノを笑顔で差し出している。
飲めと言われて飲めるわけが無い。
「なにか、ごようで、しょうか」
棒読みの返事に何を期待しているのか、艶然と微笑んだ。
「お姉さんと二人っきりでお話したいんだけど、時間あるかな~?」
「ナイワッ!」
思わず頭上のレミュクリュが叫ぶと面食らったように目を丸くし、それでも微笑みを絶やさなかった。
「……まぁいいわ。あなた達もまったく関係の無い話でもないし、こっちで話ましょ」
「いや、俺達も時間に余裕があるわけでは無いのでな。ここで済ませたい」
エルの答えに苦笑を浮かべたベサイア。
そして語り出す。
「この前あなた達と劇的な出会いを果たした後に、とある筋から仕事を請け負ったのよ」
(まぁ、劇的と言えば劇的だわな……。演出企画は全部あんただがな)
苦い顔のまま九十九は黙って話を促す。
「順調に仕事は進んで後一歩ってところで邪魔が入ったのよ。おかげで初めて仕事をしくじった……」
肩を落として落胆しているのであれば、少しは同情しても良いかもしれない。だが、その言葉を吐きながら、笑みを深くし、殺気の度合いが強まる。
「その相手を一緒に探して、一緒に殺したいのよ。お姉さんの身体を好きにしても良いから手伝ってくれない?」
どう反応したら良いだろう。組んで仕事をしたいという誘いではあるのだろうが、内容が物騒過ぎる。いや、後半の報酬はちょっと欲しいが。
「良いよね。ねッ!」
懇願交じりなのだろう。少女にも思えるほどに純真な笑みで九十九の腕を豊満な胸で挟んだ。が、すぐにバックステップで離れた。
それは幸せを運ぶ柔らかさを堪能させずに、今の感触はッ! と頭がはっきりと認識する前。
離れて良かったとは思う。後々の事、数日前の馬車での出来事を踏まえると良かったはずだ。
だが、健全な十代の男の子としては……。
一秒にも満たない思考。
「気安ク、九十九ニ触レルデナイワッ!」
「近寄るなッ」
ベサイアを退かせたのはレミュクリュの毎日生肉を引き千切って鍛え上げた頑強な顎。そして、振り下ろされたのはナイフよりも若干長いレイピア。ご丁寧に魔力がしっかりと纏わり付いており、殺傷力が高められている。
そして、レミュクリュが人間の言葉を話した事には驚きがあるようだが、触れない。気にしないのかもしれない。
「もう……。お姉さんはボウヤとだけでお話したいだけなのにぃ~」
だが、ベサイアはしなを作って悔しがるだけだ。二者による攻撃はどう考えても本気交じりで避けられるとは思っていても当たればただでは済まない。それでも余裕が消えないし、冗談にようにしか思っていないようだ。
それを見て九十九の頭に浮かんだのは甘い蜜で虫を誘い、捕食する食虫植物……。ぴったりだ。
手練手管で誘い、自らの領域に入れば最後。骨が残るかどうか……。
「ちなみにどんな人だったのですか?」
「黒い男だったわ。髪も瞳も服装も。背丈はお姉さんくらいかしら?」
ありきたりと言えばありきたりな格好だろう。だが、ランクAを退かせるほどの手馴れで黒尽くめとなると一人心当たりがある。口にして良いのかどうか……。
「見かけたら知らせてやっても良いが、手を組むのは断る。我々とて他の仕事があるのでな」
エルは言わない方が良いと判断したようだ。
「そう……。残念ね」
どうにも不安な表情を浮かべる。紡ぐ言葉と表情が一致しないのだ。残念と口にしながらも不敵な笑みを浮かべるのだ。身体から発散される気配も重く鋭い。
そして扉を抜けて外へ。
充満していた気配が薄れ、やっとまともな呼吸が出来た。ベサイア以上の気配を経験して、いつも通りに対応出来たとは思うのだが、おそらく無理をしているという事はばれているだろう。それでも無難な返答は出来たはずだ。
ギルド内の空気が清浄され、職員が奥から顔だけをひょっこり出している。
緊急避難でもしたのだろうが、もう少し気概があっても良いのではと思う。
苦笑を浮かべて受付に戻ってきた女性に仕事完了の報告をした。報酬は予想以上で、四者で分配してもかなりのものだ。それほどあの仕事で得る換金部位は高値なのだろう。
そんな大人の事情はさておいて、エルとミルはお菓子購入のため、九十九とレミュクリュは宿へと向かうために別れた。
馬車の寝床はさすがに硬く、柔らかい場所でゆっくりしたいと思っていたのだ。それは誰もが考えていた事らしく、四、五日休養してから次の仕事を探そうとなったのだ。
それまではそれぞれ自由行動。といってもコンビで行動になった。
九十九はとりあえず露店通りを目指した。レミュクリュが念話を用いて、生肉よこせ、とどこかのスローガンのようにしつこく騒ぐため、行く事にしたのだ。
『ナッマッニクッ! ナッマッニクッ!』
うんざりとしつつ、露店通りに辿り着く。観光客やら小腹の空いた人々が通りを埋め尽くし、表通りとは違った喧騒が響いている。
前回、露店制覇を掲げて突進したのだが、途中で襲われるというイベントに遭遇し断念せざるを得なかった。今回は何も起こりませんように、とこっそり祈る。
この世界に来てから、どうにもトラブルメーカーになっているような気がしてならないのだ。
『突撃ッ!』
ふわりと飛びあがったレミュクリュが近くの屋台に飛び込む。忙しく料理をしている店主の叫び声と順番待ちしている客が悲鳴を上げる。
当然だろう。突然の事で驚く上に飛んできたのが白竜で、さらに食材を探してうろうろしているのだ。誰だって悲鳴を上げる。
頭を抱えながら九十九は駆け寄り、横から屋台の中へと脚を踏み入れ、レミュクリュの首を掴んで頭を下げると、ちゃんと最後尾へ並ぶ。
今までのイメージは、年長者であり、落ち着いた大人の雰囲気とミルと騒ぐ時の子供のようなはしゃぎ様が愛くるしいというもの。だが、空腹が獰猛な獣としての本性を顕にしているようだ。
小脇に抱えられたレミュクリュは歯をガチガチ鳴らしながら身体をよじっている。
「れ~みゅっ! 落ち着かないと買わないぞ?」
お腹を掴んで揺する。今のレミュクリュには酷な言葉なのだろう。首を振り、イヤイヤしながら大人しく待つ事を選択した。ただし、口元から涎が流れるために後頭部には置かない。ちょっとした荷物のように小脇に抱え直しただけだ。
とりあえず一食を口にさせるといつものレミュクリュに戻った。
買い逃した店を最初に巡り、それぞれを食す。
満遍なく回るとレミュクリュは妊婦級に腹を膨らませ、満足そうに撫でていた。九十九の頭に仰向けに横になっている。
これが数千年も生き、過去にはこの国の建国に助力し、神と崇められた白竜だとは誰も思わないだろう。
ふと、仰向けになっていたレミュクリュが起き上がり、指を差す。
「なんか前にもこんな事なかった?」
うんざりとしながらレミュクリュに問いかける。
『今回ハ違ウゾ』
何気ない一言では無く、抑えるような言葉に九十九は自然と足音を消すように移動した。
レミュクリュが指差す方向は前に襲われた通りよりもさらに奥。三つほど通りを横切って目の前に現れたのは廃墟の大群だった。
スラム。その言葉がすぐに浮かぶ。どう見ても幽霊屋敷の大群にしか見えない場所で、通りには大人、子供、老若男女問わず、力尽きたように倒れている者、それをよそに元気良く遊ぶ子供。こそこそと人が近づくとびくりと震えて怯える大人など、今まで見てきた世界とまったく違う。
ブリューラドは近隣にも豊かな王都だと知れ渡っている。だが、やはり大きくなると弊害も大きく、多くなるのはどこでも同じようで、人通りが多い場所は活気に溢れているが、人目が少ない場所は極端に治安が悪くなる。
新たに召喚されて別世界に現れたような気分だった。だが、レミュクリュが指差す方向にある、崩れ落ちた建物から、子ども達が遊んでいるような甲高い楽しい笑い声が聞こえていた。
どのような環境でも何か楽しい事を見つけて楽しむのは子供の能力だと思う。
少し緊張感のあるレミュクリュに合わせ、なおも足音を消しながら近づくと、小さな広場のような場所に子ども達が走り回って遊んでいた。
頬が緩む九十九だったが、その奥。
どこからか拾ってきたのか、盗んできたのか解らないが、ベンチが一つ置かれており、その中心に女性が座っていた。左右に子供が座り、膝の上にも少女を乗せ、優しい慈愛の微笑を浮かべている。
服装は場違いなほど扇情的で性的な印象しか無い。集まる子ども達は雑巾を寄せ集めたようなもの。それは両極端だ。
社会の不平等を知る者が見れば鼻で笑うか、激怒しているかもしれない。
偽善だと。
だが、その場に居る子供はただただ無邪気な笑顔を彼女に向けて纏わり付いているだけだ。
「ふふっ、ちょっと待っててね」
微笑みを絶やさず、膝の上の少女を立たせ、ゆっくりとした足取りで向かってくる。
九十九はその場から逃げ出そうかどうか悩んだ。
別に犯罪に関わる事では無さそうだが、本人は他人に見られたくない姿だとすると怒るかもしれない。
どうしようか悩んだ末に、タイムアップ。
「そこで見てないでこっちにおいで。ボウヤ」
やはり、気づいていたのだろう。
先ほどギルドで見せた性的な想像を働かせるほど妖艶な笑みでは無く、殺気や闘気すら無い。修道女と思えるほど柔らかな笑みを浮かべている。本当に同一人物なのかどうかすらも怪しいほど別の雰囲気を纏っていた。
壁際から背を離し、姿を見せるとふんわりと笑って見せた。
「何をしてるんですか?」
「子ども達と遊んでるのよ。将来良い男になりそうな子は特に可愛がってるわ」
雰囲気は別人だが、吐き出す言葉の内容は似たり寄ったりだ。
「ここの子ども達は親を亡くして子だけが集まった集団よ。今はゴミの中から食べ物を探して全員で分ける生活をしているけど、もう少ししたら盗賊のような事をすると思うわ。そして裏の世界で使い捨てのコマになるのよ」
頬に手を置いて眉根を寄せる。
「それで?」
「少しだけ他の道を教えて上げてるのよ。傭兵という道、商人という道。人から奪う事だけじゃ悲しいじゃない。だから、奪うのでは無く、汗水流して貰う方法もあるのってね」
どうにも頭に言葉が入ってこない。〝凶獣〟が人道を語っているのだ。悪魔が愛を語るようなもので、どうにも心に響かないのだ。
「ナルホド、美談ダナ」
レミュクリュが口を開く。どこか困惑しているようにも思える。
「お姉さんにはそんなつもりは無いけどね」
「ナラ、自分ヲ差シ出セバドウダ? 賞金首ノ額ハ異常ナホド高イダロウ。ソノ子達ガ成長スルマデ養ウ事ガ容易ニ出来ル」
不信感を拭えないのか、レミュクリュは意地悪な事を言う。暴論ではあるが、一つの方法ではあるだろう。
「そのお金が本当に子供だけに使えるならね。この子達に莫大な金があると解れば襲われるわ。手元に銅貨一枚も残らないでしょうね。今も笑顔なのはお姉さんが出入りしてるからよ。身売りの商品として狙ったなら、お姉さんが取り返しに行くの。けど、お姉さんが掴まったら、このグループは消滅するわ」
ランクAの傭兵であり、賞金首でもある名声によって子ども達の命が守られている。
ただ、説得力が無い。九十九が耳にしたのは狂っているとしか思えない逸話。その人物と目の前に居る人間が同一だとは思えないのだ。
「ただ、今回でこの子達に会うのが最後かもね……」
振り返って呟く言葉。どんな表情をしているのかは全く解らない。ギルドで会った時のように表情と顔が一致していないとも思ったが、なぜか今は違う気がした。今の表情を見せないために振り返ったような……。
「俺に話した依頼に関係してるんですか?」
ここで、そうですか、と言って立ち去るのが一番無難だっただろう。だが、つい口にしていた。半歩でも踏み込めば面倒に巻き込まれる。そう意識はしていたが、口が勝手に言葉を吐き出していたのだ。
「……そうね。とある依頼者は名前を伏せるけど、貴族よ。詳しい理由は聞かなかったけど、たぶん何かしらの利権を守るためだったのでしょうね。余り断れない相手だから今回行ってきたのだけど、話した黒尽くめの男に邪魔されて失敗。彼の、貴族の裏を知るだけに失敗は許してくれそうもなくて、子ども達と一緒に殺してやるなんて言われちゃった」
茶目っ気のある語尾ではあったが、内容は深刻だ。ランクAのベサイアを殺す事は難しい。だが、目の前に居る子ども達を人質にしているのであれば容易な事かもしれない。
「疑問がある」
九十九が言葉にするとベサイアはじっと微笑みながら促した。
「あなたなら守りながらでも戦えるのでは? もしくは子供の護衛を雇って、その貴族へ反抗するって事も出来るような気がするんだけど」
「不可能ではないかもしれないわ。でも、確実じゃないのよ。お姉さんが信用してもお金の力は絶大なのよ。信用して、信頼しても裏切る人は居るものよ。いつ裏切られるか分からないじゃない……」
「俺が子供達を守る、と言ったら?」
「ボウヤは気に入ってるわ。だけど、それは信頼には結びつかない。結べない。ボウヤ達の力で子ども達全員が確実に大丈夫だと。無傷を保証出来るの?」
「確かに、証明は出来ないね。結果論でしか証明は出来ない」
「前にも同じように言ってくれた子は居たわ。言うだけは簡単なの……。
それでもボウヤは不確かな状況で子どもの命を掛けられるの? 絶対大丈夫なんて言えるの?
お姉さんでもさすがにそこまでは出来ないわ……」
力の無い笑みと呟き。それ以上は何も話そうとしなかった。柔らかな視線を目と鼻の先で戯れる子ども達へ。
弱みだとも認識していた。だが、おそらく生きる強さにもなっていたはずだ。
枷でもあり、何物にも代え難い大切な存在。
それを守りたいがために蛮行を重ねたのだろうか……。
関わりたくない九十九はそれ以上聞けない。聞けば引き返せない。
「ま、ボウヤ達が嫌なら別に良いわ。元々お姉さんがやる仕事だしね」
先ほど、ベサイアの膝の上に居た少女が走り寄った。ベサイアはしゃがみ、待ち受けるとぎゅっと抱き締めた。そのままベンチへと歩いていく。
これ以上話すことは無い。そういう事だろう。
九十九は踵を返して帰る。九十九は何も言わない。レミュクリュも何も言わなかった。
困惑しているのだ。第一印象は完全にアウトだ。奇人変人で狂人、触れてはならない相手だと一瞬で分類した。
だが、スラムでは子どもを愛する女性である。どちらかが本当なのか、それとも相反する両方を持っているのだろうか……。
特に逸話の部分が引っかかる。
ゆっくりとした歩みで竜の吐息を目指す九十九だったが、ふと足を止めた。
「どう思う?」
『我ニモ判断出来ナイナ。キナ臭イノハ事実ダ』
ふむ、と唸ると振り返って来た道を戻る。
『ドウスルノダ?』
「関わりたくは無い……けど、このままでも良いとは思えないってとこかな」
『ソウカ』
少しだけ、柔らかい同意を得た九十九は頬を緩めた。