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二部 第5話




 外壁を抜けると空は紅茶を流し込んだような夕日だった。そう言えば、戦う事に夢中になっていたが、昼食を食べていなかった事に今更ながら気づくと、抗議するように九十九の腹が鳴いた。

 頭を掻いて照れた九十九だったが、それぞれの腹が呼応するように鳴きだし、全員が笑い出した。

 ランクを落とし、練習のためとは言うが、実戦なのだ。緊張しない方が変だろう。

 泥をかぶり、汚れが目立つ四者だったが、怪我をしている様子無く、老人は九十九の肩を叩きながら無事を喜んでくれた。

「見た目で判断は出来ないとは言え、少年がこの森に入る時は心配なのじゃよ。まぁ仲間を見れば大丈夫なのだろうとは思ったがな」

 侮っているわけでは無い。そう言いたいのかもしれない。

 カウンターに腰を下ろして書類を取り出す。

「して、どのくらい狩ったかね? 換金可能の個体数だけ言うてくれれば良い」

 目の前に九十九が座ったが、はてさてと首を捻るしか無かった。数えていないというよりも、数えようとも思っていなかったからだ。

「ガラドを五十三体。ヴェルテグを二十七体だな」

 エルが顎を擦りながら答えてくれた。

「ほぉ~、一日で終わるとはさすがだな。規定数以上じゃ」

 うんうんと頷く老人。すらすらと羽ペンが動いている。

「……御老人。俺達とは別にもう一組居たが、彼等はどのくらい狩ったんだ?」

 エルが興味本位で問うと、嬉しそうに記載している老人の手が止まり、一瞬で表情が変わった。

 それは驚いているようでもあり、恐れているようでもあった。

「彼等はかなり奥で狩りをしていたようでな。ガラドを百二十、ヴェルテグを六十狩ったと報告していったよ……まぁ、実際に回収しにいってからでないと真偽はわからんがな……」

 エルは怪訝な表情で老人を見ていた。ミルもまた可愛い顔をしかめている。レミュクリュは口をあんぐりと開けたまま止まった。三様の表情を見て九十九はやっと理由に思い至り、納得した。

 九十九、エル、ミルの三者で朝から夕暮れまで狩り続けた数を昼近くの短い間で倍以上狩ったと言うのだ。

 確かに奥へ行けば妖魔達は全方位から襲い掛かるほどに群がってくるだろう。だが、戦ってきたとは思えないほど汚れの無い服を見ているだけに信じられないとしか言えない。

「それが本当だとするとランクS以上だな……だが、それほどの力があって無名とは思えんが……」

 思いだそうとしているのか、唸るエル。威嚇しているようにも思えるが、目の前の老人は気にしていない。

「恥かしがり屋さんなのかなー?」

 虎の耳に掴まり、バランスを取りながら同意を求めるように言うが、誰もそれに反応はしなかった。ただ、律儀に九十九だけは、

(いや、それは違うと思うよ。ミルたん)

 びしっと心の突っ込みはしておく。ミルの小首を傾げる仕草は愛らしくて堪らない。が、天然なのか計算なのか良く解らない発言にはちょっと大変だ。人間相手の対応にはさほど気を遣わないのだ。

 どのくらい気を遣わないかと言うと、ハゲている人に向かって指を差して笑顔でハゲと言うくらいに。

 異種族という違いと言えばそれまでだが、相棒であるエルがきっちり人間世界に精通しているためにギャップがある。

「……まぁ、世の中には強い奴も多く居るって事じゃな」

 老人が吐き出す言葉は含蓄がある。九十九達はただ頷くしか出来なかった。


 一日で仕事を終えて、四者は馬車に乗り込んだ。御者台にエルが座るが、一言街へ戻ると言うとゴウバが歩きだす。音声認識の自動運転だ。燃費は悪いが。

 そして、帰るまでの空いた時間を潰すにはちょうど良い話題もある。

「何だか引っかからなかった?」

 開口一番の言葉。漠然とした具体性の無い単語ではあるが、その〝何か〟が解らないのではどうにもならない。戦士側の者、魔術側の者、年長者であり、経験豊富な者の三者がその言葉に適切な語句があるか思案する。

 すぐに返答があるかと期待していた九十九だが、一向に返ってこない事に驚いていた。

「えっと……聞き方が悪かったのかな?」

 狼狽える九十九だが、それを頭に乗った白竜がポンと叩いて落ち着かせる。

「確カニ疑問ハアル。九十九ガ感ジタ事ハ、我等モ感ジテイル。ダガ、ソレヨリモ気ニナル事ガアルノダヨ。明確ニ答エラレル確証ガ無イノダガ」

 気になる言い回しだった。

「……えっと?」

「うむ。おそらくツクモが感じたのはあの男の雰囲気ではないか? 御老人の言葉通りであればランクSほどの強者だからな。ランクS以上の者は皆総じて身に纏う雰囲気が違う。ランクSになるとそうなるのか、ランクSの素養があればそうなるのかは解らんがな。

 我等が気になっているのはもう一人のローブを着ていた者の事だ。

 隠しているつもりなのかもしれないが、どこかキナ臭いのだ。それが〝何か〟解らないのだ」

 腕組みをして考えるエル。膝の上でごろごろと喉を鳴らしてミルが転がっていた。答えが出ないと諦めた様子だ。魔術師は探求者、研究者などと言われているとどこかで聞いた事があるが、ミルには当てはまらないようだ。

 だが、逆にレミュクリュは九十九の頭を掴んだり叩いたり、翼を広げたり頭を揺らしたりと忙しく動いていた。出そうで出ない答えに悶えているようなのだ。

 頭を揉みくちゃにされながら九十九は思っていた。

 ローブを着ていた人は女性ではないかと。

 歩き去る時に煽られたローブが身体の線を浮き彫りにしたように見えたのだ。大きめの膨らみが。腕組みをして歩いていた可能性もあるが、膨らみ方が違うと思う。

 そして、これを言うべきかどうか……。

 恐る恐る手を挙げる。

 諦めた灰猫はともかく、頭上の白竜と虎の視線が続きを促した。

「黒ローブの人って、たぶん女性だと思う……」

 呟く九十九。

 灰猫の目が細められ、頭上のプレッシャーがぐっと強まった。

「どうしてそう思ったのー?」

「……ソウダナ。ナゼジャ?」

 予想はしていたが、さすがに不味かったか……。

 どうしようかと打開策を模索しようとしたが、秒単位で息苦しい。ミルのジト目には嫌悪が交じり、頭上からはプレッシャーと共に白竜の爪が血を求めるようにわきわきと動いている。

「え~と……。目の前を通り過ぎる時にローブを内側から押している物体が見えましてですね……」

「へ~……。ツクモは近くにこんなに可愛い子が居てもそっちに視線が行くんだぁ~……」

 嫌悪と共に殺気までもが混ざる視線を向けるミル。さすがに逃げ出したくなるが、馬車の中では逃げ場が無い。

(だって、可愛いけど……猫じゃん……)

 思い浮かぶ突っ込みはあったが、それは口にしてはいけないと理性が訴え、それに九十九は同意した。身の危険を感じたのだ。

 首にぐっと力が加えられ、軽くなった。

 レミュクリュはホバリングしながら九十九の目の前に浮かび、何も言わずにじっと見つめる。

「れ……れみゅさん……?」

「………………デハナイカ……」

「はぃ?」

「イツモ我ガ抱キシメテオルデハナイカッ!」

「レミュの場合は鱗じゃん!」

 反射的に思わず口にしてしまった突っ込み。だが、それは口にしてはいけない地雷だった。

 ぐっと口を紡ぐとレミュクリュは外へ飛び出し、ゴウバの頭に座る。ゴウバが慰めるように鳴いた。

「いや……えっと……」

 盛大な怒号をもらうかと覚悟していたが、予想を裏切る反応に何も出来なかった。

「腕組みしてたかもしれないのに?」

「いや、形が丸くてさ……腕組みには見えな……」

 灰猫の頬が膨らむ。毛も逆立つ。

「なんだよッ! 人間のおっぱいなんて二つしかないじゃん! ボクは六つあるんだぞッ!」

「いえ、数がどうこうって話では……」

「ツクモのバカーッ!」

 ミルは九十九の横を走りぬけ、ゴウバの頭に陣取る。ゴウバが慰めるように鳴いた。

 疲れ切った表情で前方に視線を向けると、二頭のゴウバにレミュクリュとミルが乗っかっているのが見え、御者台に座っていたエルが苦笑を浮かべて馬車の中へ戻ってきた。

 九十九の隣に座ると頭をポンポンと叩くように撫で、慰めてくれた。

「そんな悪い事言った? どう考えても俺は悪く無いと思うんだけど……」

「ツクモ。男には言わなくて良い事もある。そして、悪くなくても頭を下げねばならぬ時があるのだ」

「釈然としないんだけど……」

「それでもだよ」

 苦笑を深めたエルが大きな肉球が付いた手で優しくポンポンと頭を叩いた。




 夕暮れ。

 地雷を力一杯踏んでから、馬車の中は重苦しい雰囲気に包まれ、その日のキャンプも無言で黙々と準備が進む。

 食事の時は木製の食器を使っているためにカツカツとぶつかる音を立てたが、それが一番大きな音だった。

 ほとんど喉に飯が通らない九十九。

 ガツガツと乱暴に咀嚼するミル。

 あぐあぐと目の仇のように肉を引き千切るレミュクリュ。

 優雅に普段通り食事をするエル。

 ミルとレミュクリュは大変立腹していた。他人が見れば元気良く食事している風景にしか見えない。

 九十九が謝ればこの場の空気が変わるかもしれない。だが、九十九もまた理不尽な理由で怒られた事に立腹しており、自分からは折れないと心に決めていたのだ。

 狭量と取るか、若いと取るか……。

 一番落ち着いたエルは何も言わなかった。中に入って取り持っても良いとは思うが、もう少しこのままにして互いに歩み寄るのを待つ事にしたのだ。

 重要な出来事であれば中に入るが、どう考えても他愛も無い意地の張り合いであり、怨恨や殺意がある事態でもない。むしろ互いに友人として好意があるためのぶつかりなのだ。

 自ら解決出来るようになってもらいたいと思い、黙っている事にしたのである。


 食後はそれぞれがギクシャクとしたまま日課の鍛錬へと移る。

 レミュクリュとミルは座禅のように座って瞑想。

 エルと九十九は互いに型を。

 エルが三者を気にして視線をそれぞれに向ける。

 レミュクリュは瞑想に集中しているかと思ったが、片目が薄っすらと開いて九十九へ視線を送っていた。が、九十九がレミュクリュの方向へと顔を向けると目を閉じるのだ。

 長年の友人であるミルは背を向けて座っているが、耳が九十九の方へと向けられている。

 なんとも言い難い態度で、おそらく九十九から謝罪をすれば許すという事だろう。だが、当の本人は目を閉じて黙々と型を繰り返す。

 虎が苦笑を洩らすと、いつもの半分ほど身体を動かしたところで終えた。離れて見守り、いつも通りにしようとは思っていたが、漂う空気に影響されて集中出来ないのだ。

 俺もまだまだだ、と呟いて瞑想しているように見える仲間の元へと歩いて行った。


 型をいつもの倍繰り返していた九十九は瞳を閉じて行っていた。それはどうしてもミルとレミュクリュが視界に写り、居た堪れないような気持ちとなぜ俺がと憤りが混在し、集中が出来ないからだ。そして身体を動かしている間は何も考えないで済むという部分もある。

 エルは見抜いていたが、九十九もまた薄っすらと目を開け、灰猫と白竜を盗み見ていた。だから、レミュクリュが何か言いたそうに片目を開けていた事も、こちらの反応を待つミルの耳も確認してある。

 それを見て、九十九から謝罪の言葉を出せば問題が解決するであろうとは何となく理解はしていた。 ただ、やはり自分から歩み寄るのは負けた気がしてどうしても一歩踏み出せないのだ。

 エルの言う通り意地の張り合いなのだ。

 鋼棍を振った。淡々と、黙々と、余計な思考を追い出すように激しく。

 ちらりと視界の隅に焚き火に当たる三者が座っているのが見えた。談笑でもしているようでギクシャクした様子も無い。だが、おそらく九十九がその場に行けばまたも拒否反応で空気はずっしりと重くなるだろう。

 謝罪を口にしようか……。最初にどう切り出すべきか……。

 孤立という言葉が思い浮かび、やっと折れる準備に入ろうとする九十九。

 だが、

「ほぉ、また会ったな」

 声が響いた。

 即座に眼を見開いて見渡す。鋼棍はいつでも振れるように構える。

 遠くからの呼び声でも無ければ、囁くものでも無い。

 見知った人に声をかけたような気安さがあり、すれ違い様とも思えるほど近くから聞こえたのだ。だが、姿が見えない。

 聴覚が九十九以上の三者も焚き火のそばで構えていた。

 鍛錬で流した汗は一瞬で引き、今は背中に冷たい汗が流れていた。

 今居る場所は起伏の少ない所で遠くが見渡せるように考えた場所である。

 九十九の視界には壮大な景色しか写らない。遠くには丘、まばらな木、足首ほどまでしかない雑草。規模の小さな森もあるが、それは九十九の背後にあり、一番近いのはレミュクリュ達である。しかし、どれも声のした距離には無い。

 ゆっくりと後ずさり、仲間に合流しようとしていた。

「ふむ。良い集まりだな。個々でもそれなりに強そうだ」

 楽しげな声のする方向は正面……にしか思えない。だが、姿が見えない。背後の森からするのであれば、木の陰にでも居ると考えられるのだが、目の前は隠れられるような場所が無い。

「《姿隠し》カモシレン、皆気ヲ付ケロ」

 レミュクリュの警告に納得した。そういう魔法があるならばそれしかないのだろう。

 最大限警戒していた三者が焚き火から前進し、九十九と合流を果たす。即座にエルと九十九が正面を警戒し、左右をレミュクリュとミルが担当する。

 気配は何となく感じる。正面の空間のどこかに。

 獣の感覚を持つ三者でも確実に捉えられないのだろう。エルは肉食獣の本能からか喉を鳴らしている。

「隠して無いけどな」

 その言葉は苦笑交じりだと察する事が出来るほどに軽く、逆に四者の心臓が止まりそうになるほど重い衝撃を与えた。

 目の前に気配があると確信したばかりだったのだ。だが、声が背後から聞こえた。

 振り向く先。焚き火に男が手をかざして温まっている。隣には黒いローブを着た者が居る。

 声の主はあの森で一度出会った男だ。一つの気配しか感じられなかったが、実際は二人。見た目では敵意が無いように見えるが、行為も態度も警戒してくれと言わんばかり。

 温まる男は黒髪黒瞳で黒革のジャケットに黒革のズボンという全身黒尽くめ。目を引くのは腰に下げた白鞘の長剣。

「……ツヴァイ。あなたがどうしてもって言うから付き合ったけど、無意味に警戒させるのは止めましょうよ」

 隣の黒ローブはやはり女性のようだ。少し申し訳なさそうな声色で優しく落ち着ける声。

「まぁまぁ。面白そうな集まりだからちょっと興味が湧いたんだ。笑って許してくれや」

 黒尽くしの二人が頭を下げた。警戒は必要だが、悪そうでもない……のか。

「何か用なのか」

 エルがまだまだ警戒を顕に問いかける。十分伝わっているツヴァイは苦笑を浮かべる。

「まったく理由も無くこんな事は……」

「あなたはやる人よ」

 取り繕う言葉を黒ローブの女性が遮った。さすがに笑顔が引きつったツヴァイは唸りながら睨んだ。だが、迫力はまったく無く、悪戯を叱られた子供が最後の抵抗とばかりの睨み。尻に敷かれているとしか思えない。

「……まぁ、あんたに興味があった」

 指差す先はエルだ。指名された本人は何の事か解らず、首を傾げるしかない。

「ちょっと前に白虎の知り合いが出来てな。あんたはどのくらいの実力なのか興味が湧いたんだ」

 白虎という単語にエルが身体を震わせて驚いた。目は見開き、口を開けたまま閉じない。だが、何とか絞り出すように声を吐き出した。

「それはフー様の事か?」

 頷くツヴァイ。エルはそれを聞いて唸る。どう判断して良いのか解らないのだろう。フーという白虎はそれほど特別な存在なのだろうか。

「誰なの?」

 九十九が脇腹を突いて問う。エルはグレートソードを下ろした。

「頭虎族が治める国がいくつかあるのだが、そのうちの一つ、名はトラッド国。そこで宰相だった方で近代では最強と言われるフー・トラッド・バクラッド様。数年前に引退されて大陸を回っておられる。俺の師匠でもある人だ」

「エルがいつも言ってる人だねー。でも、知り合いとしか言って無いし、敵だったのかもよ?」

 ツヴァイを疑っているミルはレイピアを下げず、むしろレイピアに青白い光が纏わりついた。魔力を練っているようだ。

「他には言うなよ? 俺と友人はとある国に世話になっててな。そこに表敬訪問って名目で遊びに来たんだよ。可愛い子四人引きつれて。良いおっさんでな。手合わせとかもしたんだ。あの白い毛皮も触ったが、いやぁ頭虎族の毛皮は手触り最高だな」

 九十九が頷く。何度かエルの毛皮を触っているために気持ちが解るのだ。

 なんとなくだが、悪そうに思えない九十九はひょこひょこと近づいてツヴァイの隣に座る。

 警戒心ゼロと言わんばかりの行動にレミュクリュが念話で怒鳴るが、ツヴァイはにっこりと笑うだけだ。しょうがないとばかりにエルも焚き火に近づき、ミルもまたレイピアを戻しながら近づく。

『ドコニ信用出来ル部分ガアッタノダ?』

 念話で九十九に抗議するレミュクリュに苦笑を向けた。

『感かなぁ。性格はねじれてそうだけど、悪い人じゃないよ。たぶんね』

 根拠の無い九十九の返答にギャワギャワ抗議し続けるレミュクリュだったが、とうとう折れた。

『何カアッテモ責任ハ九十九ダカラナ』

 ミル、レミュクリュ、九十九の三者が抱える小さな懸案事項は目の前の大きな問題を前に自然消滅する事になった。


 まだまだぎこちない空気だったが、なぜか九十九が率先して色々と話題をツヴァイに投げていた。

 レミュクリュに答えたように、ツヴァイという男はねじれた性格だった。

 直球で帰ってくる返答もあれば毒舌で曲解したような言葉も返す。

 それを楽しむ九十九を見て、ミルはさすがに諦めたのか普通に会話に加わり、エルは火にかけた鍋をかき回し、レミュクリュは不服そうに後頭部で干し肉をばりばりと噛みちぎっている。

「それじゃ、これから商業連合に向かうの?」

「行って来た帰りだからな。色々あってこっちまで来ちまって、面倒ったらありゃしねぇよ。頼まれなかったら、途中で帰ったな」

 面倒だと言いながらも嫌がっているわけでもなさそうだ。

「出身はどこなの?」

「……ん~。ものすごく遠い場所……かなぁ」

 その質問の時だけ歯切れが悪い返答だった。確かに何か理由があるのだろうが、隠す必要があるというよりも本人が理解出来ていないような……。

 ふとツヴァイが鍋の番をしている虎へ視線を向け、

「そう言えば、あんたは〝はぐれ〟なのか?」

「部族の中ではすでにそうなっているかもしれん。剣を選んだ異端者ではあるからな。それにフー様の弟子なのに武器に頼った者として毛嫌いされているだろうしな」

 肩を竦めた。その動作に合わせて背負った二本のグレートソードが、返答するようにがしゃりと鳴る。気にするなと言っているようにも、だからどうしたと答えたようにも聞こえた。

 自嘲にも思える様子にツヴァイは特に気にする様子も無く、

「強けりゃいいだろ。それでも弱いなら問題あるかもしれないが」

 ツヴァイの感想は簡潔だ。それは戦士と言うよりも傭兵の考えだ。

 頭虎族の誇りを無視し、異端者と言われるようになって弱いのであれば、確かに目も当てられないほど憐れである。だが、頭虎族の戦士として最低だとしても、異端でも傭兵として強いのであれば良いだろうと、ツヴァイはそう言っているのだ。

 少し救われたような気持ちはあるが、素直に表情には出せない。苦笑を浮かべたエルは神妙に、

「それで……。あの人は……?」

「息災も息災。手合わせ中にちょっとテンション上がってな、腹の肉抉られたよ。こっちも右腕斬り落としてやったがな」

 ニヤッと悪い笑みを浮かべた。悪戯が成功した子供のような、腹黒い計画が成就したような笑み。

 その言葉にエルの手が止まる。

「あぁ、フーの怪我は心配いらねぇよ。仲間が治療して元通りになってる」

 安堵のため息をしつつ、ツヴァイから視線が外せなくなっていた。

 今現在のエルでも敵わない師匠に目の前の人間は拮抗したようなのだ。それは隣に座る九十九のような特別な理由がなければ無理だと思っていたのだが。

 目の前の人間を信用して良いのかどうか、また揺らぐ。


 二人の話を聞きながら、九十九は思う。

 エルが勝てないと言う師匠を相手に健闘したという男が目の前に居る。しかし、見た目と雰囲気からはまったく伝わらない。気が抜けているような言葉、態度。九十九のイメージでは強い人間は無口で無愛想、頑固で融通が利かないというものだった。だが、まったく逆に位置する目の前の男は強いようだ。

 本当に人間なのだろうか……。


 さらに他愛も無い話を重ねていると、ミルが首を右へ左へと傾げている。

 首の調子が悪いのか、何か考える時の仕草なのか……。

 コテンコテン傾げていたミルが突然、眼を見開いた。

「やっぱり気のせいじゃない。ボクの鼻は誤魔化せないよ。あんた闇の者だね」

 今まで燻っていた疑問に対する答えが出て来た。即座にレイピアを抜き、ツヴァイの隣に居る女性に向けた。

 突然の行動に誰もが動きを止めた。

 肩に乗るミルがナイフよりも長めのレイピアが淡く輝く。

 普段の間が抜けた言葉遣いでは無く、真剣な眼差し、猫族特有の瞳が細められた。

「最初にすれ違った時に違和感があったけど、やっと解った。血の臭いが濃いのは傭兵ならよくある事だけど、それに混じって闇の者の臭いが混じってた。人間と一緒に居るし、勘違いとも思った。

 でも、近くに居てはっきりと感じた」

「お~。やっぱり人間と違って感覚が鋭いみたいだな。まぁ、俺は隠すつもりは無いんだが、こいつは気にしてね」

 明確な敵意を見せるミルを見てもツヴァイは慌てない。そして苦笑を浮かべながら黒ローブを見る。

 息を飲むような、ため息を吐き出すような仕草を見せ、肩を落とすとローブを払った。

 中から出てきたのは思考を止めてしまうほど美しい女性だ。紫紺の瞳はアメジストのように美しく、銀の光沢を放つ線を寄り集めたような銀髪。身体の線は九十九が気づいた通りメリハリがしっかりと自己主張している。

 街を出る時に出会ったベサイアよりはボリュームに欠けるが、美しさでは同等かそれ以上だ。滲み出る雰囲気は色気では無く、清楚というイメージに近い。

 ベサイアに言い寄られた場合、周りの者は危険だと忠告してくれるだろう。

 だが、目の前に居る女性に言い寄られた場合、周りの者は嫉妬するだろう。

 それほどの差。だが、ある一点だけ問題がある。

 彼女の特徴は褐色の肌と銀髪からにょっきりと突き出た笹の葉のような耳。

 ダークエルフと呼ばれる眷属である。

 エルフ族とは相対する種族で、古の争いで聖なる神々に力を貸したエルフ族に対して、邪悪の神々に手を貸したダークエルフ族。

 両種族とも魔力の扱いに長けているが、肉体的な能力はダークエルフ族の方に分がある。

 互いに敵視しながら、エルフ族が負ける事無く存在出来ているのは、今の世の中には光に属する味方が多いからである。

 今も姿を現したダークエルフ族に対し、レミュクリュは翼を広げて威嚇し、エルとミルがバックステップで焚き火から離れると、武器を抜いて間合いを測っている。

 三者の対応を見てもダークエルフは動かなかった。少し、悲しげな表情を浮かべている。

 そして、今まで会話にそれほど熱を入れていないツヴァイが、


「個人的に恨みでもあるのか?」


 ただ聞いただけだ。

 だが、力の抜けた雰囲気が鳴りを潜め、存在感が増す。

 風は吹いていない。だが、ツヴァイの方から体温を下げるほどの冷気が吹いた気がした。実際には吹いていないはずなのだ。頬は風を感じていない。のだが、焚き火が風に煽られたように動き、九十九は動けなくなった。

 何かした様子はまったく無い。ただ、やる気を出したとしか思えない。視線が身体を縛る。

 おそらくこれが本当の殺気なのだろう。歯の根が合わず、カチカチと歯を鳴らし、身体が震える。

 九十九の身体が、心が大音量で警報を鳴らす。逃げ出したいが、気配に縛られた身体の制御が出来ない。

 その力に抗おうと九十九よりも実力がある三者が呻いているようだが、成功していない。

「闇の眷属と共に居るおまえは何者なんだ」

 歯を食いしばり、搾り出すようにエルが声を出した。

「どこにでも居そうな気の良いお兄さんだ。そして、こいつは俺の嫁だよ。本人は……」

「違うわよ」

「……と、否定しているが」

 何なんだろうこの二人は……。

 隣に居る九十九は夢を見ているような気分に陥る。

 九十九よりも強い三者が敵意を向けて戦闘体勢に入っているのだ。

 だが、隣の二人はそれを眺めながら普通に会話している。危険な余裕だ。あの森での出来事が本当ならば、抗えないほどに腕が立つのだろう。それは理解しているが、九十九を抜いた三者を相手にしてまでも届かないというのだろうか……。

「ここらで活動するダークエルフという事は、ゼルシムの者か?」

「それは古い情報だな。ダークエルフ族はゼルシムに反旗を翻して隣国のレダに移住した」

「ならば、貴様はレダの者か?」

「……そうだ。レダの客分で寄生してる傭兵みたいなもんだ」

 問答は続くが九十九にはさっぱりだった。三者はそれぞれが色々と思うところはあるようだが、それを察してやれない寂しさがある。

「フーとはレダで会った。あいつも色々と考えたようだが、認めた話だ」

「それが真実だと証明出来るのか?」

「出来るわけがねぇだろ。真実を知りたければお前らで探れ。金と時間と労力を使ってな。俺からはそれが真実だとしか答えられんし、それ以上は面倒だ」

 どこまでも舐めた話だろう。疑いを晴らそうという努力が面倒だと言うのだ。

 三者は動けない。そして、質問が無ければツヴァイもまた黙ってみているだけ。重く縛りつける圧力だけは変わらず放ち続けていた。

「……ふむ。仲良く飯食ってさよならってわけにゃいかねぇようだ。行くか」

 ツヴァイの言葉にどこか寂しげなダークエルフは立ち上がり、森へと入って行く。

 立ち上がったツヴァイが九十九の頭をポンポン叩いて、またな、と呟くとダークエルフを追う。

 ふと、立ち止まったツヴァイが振り返り、

「もし、困ったことがあったらレダに遊びに来い。知りたい事を誰かが話してくれるかもしれねぇから。直接城へ来るならレオタードを着た変態か、角刈りに会いに来たと言え、無事に面会が出来たらツヴァイの紹介だと言えば力になってくれるかもな」

 そう言い残して去っていく。

 姿が消えた途端に空気が正常に戻った。時間を止められたような重苦しい空気が流れ去り、新鮮な空気が吸えるような気がして、全員が大きく呼吸をしていた。

「なんだったんだ……」

「わからないよ。ボクだって初めての経験だもん……」

「我ガ動ケナイホド……人間トハ思エン……」

「ダークエルフってそんなに邪悪なの?」

「ウム。刃ニカカッテ命ヲ落トシタ者ハ数知レズ、表ノ世界デモ裏ノ世界デモ恐怖ノ代名詞ニナルホドダ。特ニぜるしむ国デノ活躍ハ誰モガ知ルダロウ。敵対スル組織ハ潰サレ、国外ノ重鎮ハ暗殺ヤ誘拐ニ恐レテイルホドニ」

「でも、今はレダってとこに居るみたいだね」

「それが本当ならばな」

 エルが全身に掻いた脂汗を拭う。精神を冷やすほどに冷たい汗だ。

「傭兵のようなって言ってたけど、あの強さはランクSかな?」

「ランクSでもピンキリだからな……。ただ、あの強さで無名はあり得ない。かといってツヴァイという傭兵名を聞いた事は無いな。ベサイアならばミルとツクモが居れば抗えると思う。レミュ殿であれば単体で倒せるかもしれんのだが、あのツヴァイは……」

 そこでエルの言葉は消える。ダークエルフと二人、実際は一人の気配だけで動けなくさせられたのだ。戦う以前の問題のような気がする。

 そのまま誰も言葉を発しなくなった。


 いつもならば食事も終わり、鍛錬も終わっているので後は眠くなるまで雑談という流れなのだが、ミルが黙って座って瞑想を始め、エルがグレートソードを振り回し、レミュクリュが人間型になって剣を振っていた。

 レミュクリュの美しい姿をじっくりと眺めていても良かったのだが、弱音としか思えないそれぞれの感想を聞き、九十九は荷台に横になり、考えていた。

 強さに関して考えるのであれば、他の三者と同様に少しでも鍛えるのが普通だろう。付け焼刃ですぐに結果は出ないが、繰り返せば身になるはずだ。だが、それよりも九十九は引っかかるものを感じていた。

 たぶん、ダークエルフに対する認識の差だとは思うが、ツヴァイとダークエルフの二人が単純に悪だとは思えなかったのだ。話をした感覚を信じるのであれば信頼に足る人物だと思える。

 荒々しい雰囲気を持つ者は傭兵で探せばいくらでも居るだろう。だが、何か違う気がするのだ。それが解らずにもやもやとした気持ちが燻り続ける。

 実は、九十九が最初に二人に出会った時に感じたのが今のものだ。

 エルが、ランクSであるためにそう誤解したのでは? と言った時、曖昧に頷いてはおいた。

 だが、違うのだ。強さは当然感じていたが、それは挙動や身のこなしで感じ取っていた。それとは別種の感覚を得ていたのだ。

 ミルの言葉を借りると同じ〝匂い〟を感じたのだ。成分的なものでは無い。今は雰囲気としか答えようがない。

 それを確信した言葉はツヴァイの言い淀んだ唯一の返答。

『……ん~。ものすごく遠い場所……かなぁ』

 同じ質問をされれば九十九も同じように答えたかもしれない。その時の気持ちがなぜか一番解った気がしたのだ。

 外を覗いて三者の様子を伺い、明日でも良いかと考えた九十九はとりあえず寝る事にした。





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