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外伝 -虎- 01

 暗き夜空にたくさんの星が瞬き、繰り抜かれたように二つの月が地上を睥睨するように見下ろしていた。

 二つの月が瞬きするかのように薄い雲が覆い、月光が遮られて地上の闇が深くなった。

 寝転がって見上げれば、夜空という海に小島が複数あるような、そんな夜空の下に一匹の獣が居た。

 小さな丘の上。

 辺りは潅木がまばらにあるが、その獣の周囲には人の手が加えられたように何も無かった。

 唯一、墓石のように立つ大きな巨岩があり、その上に腰掛けているのだ。

 獣は獲物を狙うように息を殺すのでは無く、周囲に己の存在を教えるかのように気を放っている。

 獣の周囲に赤い光が集まっていた。闇から滲み出すように現れた赤い瞳が巨岩を見上げている。

 獣の眼にはこの光景がどのように映っているのか。

 夜に発光する赤い花畑のような、幻想的な風景に見えているかもしれない。

 もしくは、闇に蠢く亡霊が集まった、地獄の風景に見えているかもしれない。

 状況は後者が一番近いのだが、獣の取った行動は──。


 口吻を上げ、牙を見せた。


 威嚇では無い。今の状況を本当に楽しそうに笑ったのだ。

 いや、足元に蠢くモノ達を嗤ったのだろう。

 獣はのそりと巨岩の上に立った。

 ──雲が晴れ、二つの月が改めて地上の獣を見下ろした。

 月光を浴び、それでも微動だにせずに立つ獣。

 頭部は密林の王者と呼ぶ虎そのものであり、黄色い体毛に白と黒の線が入った毛皮に覆われていた。

 陰影による錯覚では無く、狩り捕った獲物の毛皮でも無い。

 その場に居ればその姿に平伏すかもしれない。

 二つの月を背にした虎は後光が差しているようにも見え、少し前に動いていたにも関わらず、精密な彫像の如き姿だった。

 巨岩と同等の巨躯を持ち、腕、脚、胴回りとそれぞれが人間を凌駕する太さを持っている。だが、その巨躯を持っていても鈍重さが微塵も無かった。百人見れば百人、千人見れば千人が同一のイメージを持つだろう。

 鉄の棒を束ねたような筋肉が、はちきれんばかりの巨躯を形作っていた。

 獣は頭虎族と呼ばれる人外の種族だ。

 頭虎族はガルゼルク大陸の西方に領土を持ち、《義と戦士の国》と名高いトラッド国を治める者達だ。

 生来から黄色と黒と白の毛皮を持ち、肉体の頑強さ、持久力、膂力等の潜在能力は人間を軽く超える。

 鍛え上げられた肉体を誇る人間は居るだろうが、頭虎族の前では子供のようなものだ。


 頭虎族は嗤いながら背負った一対の剣を抜き放ち、両手に一本づつ剣を握る。

 人間であれば、鍛えた者が両手で振り回すグレートソードを頭虎族は片手で持っていた。

「さて……行こうか」

 誰ともなく呟いた言葉は、そのまま周りを取り囲むモノの死刑宣告でもあった。




 大都市は当然として、小規模の町や大規模な村などになれば傭兵御用達とも言うべき宿が必ずある。

 世間から弾かれた者も多い傭兵は、一般的な人々が使う宿には合わないのだ。

 一部ではあるが、精神的な部分や常識、良識な部分が欠けたり、かけ離れているためである。

 一番大きな理由は命を狙われる事も多い傭兵家業の者が居ると、罪も無い人が巻き込まれる可能性があるからだ。

 どこにでもある小規模の町。その中にある一軒の宿に滅多に見ない客が訪れた。

 虎頭で中に人が居ると思ってしまうほどの巨躯。

 頭虎族の男は二本のグレートソードを背負った姿で現れたのだ。

 店主は慣れた様子で頑丈な椅子のあるカウンターに座らせた。

「仕事の途中か? 終わったのか?」

「……終わりだ」

「そうか」

 ぶっきらぼうな問い掛けと返答。

 店主は目の前に居る頭虎族を何度か見ているが、それ以上の会話をした事が無かった。

 確か、名前はエルとか言ったはずだが、名前を知ったのは三度目に宿に訪れた時に小耳に挟んだだけ。

 本人の口から聞いたわけでは無いので、正解かどうかは分からなかった。

 頭虎族は義と戦士と冠されるほど、義に厚い種族という認識がある。

 史実に残っている逸話には、一宿一飯の礼だと言って単身で数百に及ぶ魔物を倒し、怪我の手当てをしてもらった礼として、ランクAの魔物を討ち、換金部位をそっくり置いて去っていったと言われる。

 頭虎族はその美談を残した先祖、英雄を尊敬し、目標としている。

 そして、その頭虎族の一員である男が目の前で木製のジョッキに注いだ強めの酒を一息で煽り、二杯目を要求している。

 店主は二杯目を渡しながら、じっと見ていた。今まで出会った頭虎族とはどこかが違う、そう思えたのだ。

 どこが、それを探し当てるためにじっと見ていたのだが……。

「……なにか用か」

 目の前で隠す様子もなく観察されるのは、さすがに苛立たしいのだろう。

 本人はちらりと視線を向けただけなのかもしれない。

 だが、人間には恫喝されているも同然だった。

 心に宿るのは恐怖という鎖。

 海千山千の傭兵達を相手に商売をしている店主ではあったが、頭虎族の視線に絡みつかれて身動きが出来なくなった。

 それでも大なり小なりトラブルに巻き込まれた事がある店主だ。身体は動かなくなっても、薄くなり始めた頭はずっと回転していた。そして、口も動く。

「……傭兵の世界では個人的な事は聞かず、語らず……とは言うが、好奇心が旺盛なのも人間の性だと俺は思うのだ」

 何の事だとは聞かない。会話をするために発した前置きだ。何か聞きたいという意図はすぐに伝わった頭虎族も慣れた様子で返答した。

「好奇心は猫をも殺す。人間達が使う戒めの言葉だそうだ。店主が知りたいと思う事は自分の命を賭けるほどの価値があるのか?」

「銅貨一枚のために命を落とす者も居れば、金貨百枚を捨てて命を拾う者も居る。傭兵の命ほど価値に変動があるもんはねぇな。

 あんたから見て、俺の命はどっちだと思う?」

「度胸は良いようだが、命知らずの若造と同じだな。安くもなり、高くもなる。……それで何が聞きたい?」

 興味を引けたという事なのだろう。恫喝していたと思っていた視線に柔らかさが滲んだような気がした。気がしただけで今も身体が竦んで動けないのだが。

「頭虎族は無手を──素手で戦う事を誇りとした種族だったと記憶している。背負った武器は何のためだ?」

 店主の言葉を聞いて、頭虎族が一瞬だけ震え、瞳を閉じた。

 それは、言い辛い事に対してどう誤魔化そうかとしているようにも見え、触れてはならない事に触れられてしまい、怒りを堪えているようにも見えた。

 一つ大きな変化があるとしたら、視線を伏せて返答を考えているように見えるが、捕らえて離さない気配がぐっと強くなった事だろう。

 それが殺意なのか、敵意なのか判断できない。

 店主の背には冷たい汗が噴出しては流れ、背中だけ水を被ったように濡れてしまっていた。

 額からも汗が流れ、時間がもどかしいほどゆっくりと過ぎていく。

 精神的に耐えられるものでは無かった。だから、店主は口を開いた。

「すまな──」

「誇りを捨てた。それだけだ」

 謝罪の言葉を断ち切るような返答。

 それ以上は言葉を紡ぐ事は無かった。

 中身はともかく、これほど言葉を交わしたのは初めてだった。

 そして、店主は思った。目の前に居る頭虎族は何か壁にぶつかっているのではないだろうか。

 義を重んじるよりも戦士としての力を強く欲しているように思えるのだ。

 無言で空になったジョッキを掲げるので、店主は黙って酒を注ぐしかなかった。



 重い空気に押し潰されそうになった出来事より、数日。

 店主は店の掃除をしていた。

 掃除をしながら毎回考える事があった。

 手伝いを雇うか、一生涯共に店を支える伴侶を探すか。

 そう考え、すぐに大きなため息を吐き出す。

 手伝いを雇えるほど収入は無く、共に過ごす伴侶を探す暇が無いからだ。

 さらに客が無頼漢の多い傭兵相手なので、仕事を失う事は無いが、危険はどうしても伴う。手伝いは雇ってもすぐ辞めてしまい、伴侶にしたい女性はセクハラに耐えかねて出て行く。

 どうにかしたいと考えて、どうにもならないという答えが背中にずっしりと圧し掛かる。

 何度目か考えるのも億劫なため息を吐き出し、次は料理の仕込みかと思った時だった。

「あの〜……」

 か細い声だった。

 恐る恐るといった感じで扉を開き、中に居る店主を見つけて頭をちょこんと下げた。

「なにか?」

 知り合いの娘だろうか、いや、近所だけでなく小規模な町とは言うが、町の人間であれば一度は見た事があるはずだ。目の前に居る娘は見た事が無い。

 何か悩んでいる素振りの娘を上から下まで見る。店主からすると娘でもおかしくない年頃で、そろそろ早い子だと嫁に行くだろう。

 突然の来訪に驚き、店主もそれ以上何を言えば良いのかまったく分からなかった。

 女傭兵が相手であれば、もう少し扱いも反応も出来ただろう。

 どうすればと悩んでいた店主だったが、意を決したように娘が口を開いた。

「あの……このお店で働かせてもらえないでしょうか……」

 店主はますます混乱するしかなかった。




 物怖じしない娘で底抜けに明るい娘だった。

 あの出来事より数日、働いてもらったが、店主は驚きを隠せなかった。

 明るく、人当たりも良い。酔っ払った傭兵が通り過ぎ際に尻を撫でて行くが、それも笑顔で拒否するだけでは無く、触った分を代金に上乗せしてみせるほど逞しい。

 最も驚いた出来事は、先ほど仕事が終わったらしく、久しぶりに訪れたグレートソードを背負った頭虎族に対しても、まったく自分のペースを変えなかった事だ。

 無愛想を絵に描いたような面構えの虎を見ても怖がる様子もなく、暗いですね、と言いながら背を叩くのだ。

 それを頭虎族本人が不思議そうに眺めていた。

 頭虎族の男は極力一人で居たかった。余計な事に神経を使いたくなかったのだ。

 だから、女子供には逃げ出されたり、泣かれたりしかされた事がない。さらに同業者にすら遠ざけられてきたのだ。

 興味本位で勇気を出して話しかけてくる者も居たが、強引なまでに会話を終わらせる姿勢に結局近寄らない方が良いと判断して去って行く。

 そんな孤高を目指し、無愛想な態度しかしない頭虎族を娘はまったく気にしない。

「変わった娘だ……」

 呟きを耳にして店主は驚いていた。

 柔らかい響きがあったからだ。それが笑顔なのか、苦笑なのかは分からないが、初めて明るい声を聞いた気がした。

「……あの娘はどうした?」

 店主は声を掛けられた事にしばらく気づけなかった。頭虎族の言葉が店主に向けている事が信じられなかったのだ。

「……あ、あぁ、少し前に働かせてくれと現れてな。人手が欲しかったから雇ってみたんだ。良い娘だろ」

「そうだな……。珍しい娘ではあるな」

 口吻を上げた姿は獲物を捕食しようとしているようにしか見えなかった。だが、それが目の前に居る頭虎族の笑顔だと思えた。

 大きな手がジョッキを持つと一息で飲み干し、威嚇にしか見えない笑顔で空の杯をかざす。

 自然と店主も笑顔でお代わりを差し出したのだった。



 娘が働いて一ヶ月ほどだろうか。

 噂が流れたのか、町の住人も時々顔を出すようになり、訪れる傭兵の数も増えてきていた。

 あの頭虎族も半年に一度顔出す程度だったのが、一ヶ月に数回になっている。楽しいと思っているのか、面白いと考えたのか、前の時のように命を賭けて会話する必要はすでに無くなっており、込み入った話は出来ないまでも、仕事の進捗状況や噂話を話すようになり、さらには娘を交えて三人で話をするようになった。

 看板娘が一人居ただけでここまで変わるのかと、店主は今月の売り上げを眺めながら思っていた。

 ふと窓を見て今日もそろそろ娘が来るかと思い、苦笑した。

 いつの間にか、娘が来る時間帯を身体で覚えていたからだ。

 ここしばらく、店主は酷い妄想を浮かべるようになっていた。

 店主である自分と支えてくれる娘。疲れた表情を浮かべながらも通ってくれる頭虎族。時々、店で喧嘩をする傭兵を頭虎族が収め、そのお礼に酒を一杯奢る。世間は物騒だと愚痴をこぼして二人で苦笑いを浮かべ、娘が二人を辛気臭いとからかう。

 そんな生活を。

 もう少し時間が経てば、そんな生活が出来るかもしれない。

 他愛も無い事を妄想していると自覚しながらも、もしかしたら……、そんな事を考えてしまう自分に再度苦笑を浮かばせた。

 そんな時だった。

 外が騒がしい事に気づき、店の外へ出ようと扉に向かうと、体当たりとしか思えない勢いで扉が開き、何度か見た事がある町の男が飛び込んできた。

「大変だッ! あの娘が連れ去られた!!」

 その声は店主の思考を空白にするのに十分な言葉だった。

 たちの悪い冗談だと思いたい。

 だが、目の前で咳き込んでいる町人を見ると冗談を言うようには見えない。そもそもどんな理由があって、これほどたちの悪い冗談を言うのだろうか。

 町の認識では店主の酒場は傭兵が立ち寄る店で、ちょっと大きな町にある盗賊ギルドが管轄する酒場と大差無いと考えている。

 実際は様々な規則と同業者同士、傭兵と盗賊の間には暗黙のルールがしっかりとある。

 小規模な町では傭兵も盗賊も関係無いのだ。酒に酔って悪さをするという点に関しては同意しても良いとは思う。

 それを考えると問題を起こすと報復されかねないと考えている町人が必死の形相で冗談を言いにくるはずは無い。

 ならば……。

 店主はすぐさま店の奥にある部屋へ飛び込み、昔に使っていた大斧を持って現れた。

 何度か素振りをして、舌打ち。

 現役から退いて十年。十年という月日は筋力だけでは無く、感覚も鈍らせるようだ。身体に染み付き、手の延長のように扱ってきた愛用の武器が、まるで初めて手にした武器のように重く、身体がその重さについていけない。

 様々な経験という武器も現場から十年離れて錆付いている。

 おそらく、店主が現役のまま使えるものは何も無いだろう。

 暗澹たる思いは身体に重く圧し掛かる。だが、嘆いているだけで事態が好転する事は無い。

「場所はッ!」

 大斧を持ち出して怒鳴る店主に町人は震える手で方向と場所を口にしたのだった。



 町の外れにある森の中央部に猟師が使う小屋がある。

 数年前まではこの森を縄張りにした腕の立つ猟師が居たのだが、身体を壊し、跡取りも無く放置された小屋だ。

 簡易的な宿泊施設とはまったく違うが、一日二日泊まる程度であれば十分な物はあるために、町の若い男女が逢引きするのにちょうど良く、朽ち果てる様子は無い。

 店主は大斧を両手で構え、周りに人の気配が無い事を注意深く確認しながら、慎重になりつつ急いで近づいていた。

 辺りは枯草を踏みしめる店主の音しか無く、とても落ち着かない気分だった。

 新人同然に小さな音に反応して振り返り、舌打ちをしそうになってしまう。風に吹かれた草花を接近する敵だと勘違いし、枯れ枝が揺れるのが命を奪いに振られる武器に見える……。

 昔、大斧を手に戦友と旅をしていた頃もこうだったかと自問自答したくなるほど、情けなかった。

 森を抜けた先に人間の手が加えられて広々とした空間が見えた。

 真ん中にぽつんと小屋が建っている。目的の場所だ。

 急がなければ、しかし見つかるわけにいかない。

 相反する気持ちを抑えつけながら、小屋の正面に回ると、見張りと思われる傭兵らしき男が一人退屈そうに座り込んでいるのが見えた。

 町人の話では四人居たと言っていたが、残り三人は小屋の中に居るのだろうか……。

 救出は傭兵がやる仕事の中でも神経を特に使う仕事だ。

 雇い主の意向に無理難題が多いのも理由の一つなのだが、一番大変な事は連れ去られた被害者がどこまでを己の死と同等と取るかによるからだ。

 連れ去られた時点で悲観し、命を捨てる女性も居れば、服を脱がされて肌を見られて精神を壊す女性も居る。

 救出しに行く傭兵からすると、その時点で生きる事を諦めてしまっている場合は例え成功しても報酬を受けられない事が多かった。

 乱暴されても気丈に振る舞う女性は助け出す側としてはありがたい存在である。

 乱暴している最中が最も気が散る瞬間であり、そこが一番倒しやすい瞬間だからだ。

 ただ、それを店主は良しとはしなかった。

 あの娘が乱暴されていると想像しただけで、今すぐ駈け出して殺してしまいたい衝動に襲われる。

「くっ……」

 堪え切れずに苦悶を洩らす。

 通常であれば裏や側面に回り込み、中の様子を窺った上で行動しなければならない。

 町人が四人と言っていたが、実行犯が四人であって、ここで他の仲間が現れる可能性もあるからだ。

 町に戻って誰か知っている傭兵に手を借りるか……。

 そう考えていた瞬間、小屋から誰かが叫ぶような声が聞こえたような気がした。

 店主は反射的に大斧を握る手に力を入れて飛び出していった……。


 小屋の入口に居る男は突然の襲撃に声を上げる暇すら無かった。

 恐ろしい形相で大斧を構えて走ってくるおっさん。

 仕事であれば冷静になれたかもしれないが、遊びで若い娘を連れ出したのだ。気構えはまったく無く、早く順番が回ってこないかと考えていただけなのだ。

 声にもならない驚きと共に立ち上がろうとして、小屋と大斧に挟まれ、胸に少し錆びた刃が深く突き刺さる。

 重量武器に分類される大斧が肋骨を砕き、肺を押し潰す。口腔から吐き出した血塊はどす黒く、他の内臓も衝撃で破裂しているのかもしれない。

 まったく止まる様子が無い血塊が喉を上り、外へ。

 反撃のためか、命乞いなのか分からないが、空中を掻くように手を動かし、力尽きた。

 久しぶりの実戦で高揚しているのを感じた。だが、それよりも助けなければならない娘が居る。

 奇襲で一人殺したが、残りは三人。

 どたばたと音を消すつもりも無かったので、中に居る者には何があったのか分かっているだろう。

 店主は扉の正面で呼吸を整えると、渾身の力で蹴りつけた。


 扉は手入れもせずに朽ちていたのか、蹴りの衝撃で四つほどに砕けた。

 中に居たのは三人の男と娘。

 見張りの男を殺した時の音がさすがに大きかったのか、三人はそれぞれが武器を持って待ち構えていた。三人が立ちはだかる背後に娘が居た。

 汚いシーツと思われる布の上に寝かされ、両手両足を縛り上げられている。左の頬が青く腫れ、殴られたのだろう。店主の姿を驚いた表情で見ていたが、助けに来てくれた事に気づいたのだろう。涙を流して声を上げている。だが、娘は猿ぐつわを付けられ、理解出来るような声は出せなかった。だが、それでも良い。服は連れ去られた時に破けたと思われる程度で、最悪な状況では無い。

「て……てめぇらぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁ」

 救出に来たのだ。

 娘が無事である事も確認した。

 三人を生かそうが殺そうが娘を助け出せれば良いと考えていたのだ。

 だが、薄くなった頭が沸騰していた。現役時代でもここまで感情を露骨に表に出した事は無かった。

 たるんだ腕の筋肉が締まった──。

 浮き輪のように張り付いた腹の肉が引き締まった──。

 長年、付き合ってきた腰と膝の痛みが消え去った──。

 ──気がしただけだが、腹の底から力が漲ってきたのだ。怒りが痛みを消し去り、現役時代の力が戻ってきた。

 三人の男は店主の怒声に含まれた黒く、熱い殺気を浴び、怯え竦んだ。

 手に握る大斧が羽のように軽くなった。

 何かにぶつかるのも気にせずに振り上げ、渾身の力を込めて振り下ろす。

 右に居る男の左肩に噛み付く錆びた刃が、力任せに身体を抉り、肋骨を噛み砕き、背骨を叩き割り、右のわき腹から抜けた。

 錆びた刃は中央の男に襲い掛かった。左のわき腹から侵入し、肋骨を圧し斬り、内臓を圧し潰し、右の腰から抜け出した。

 左に居た男に錆びた刃が牙を向く。左の腰に噛み付き、内臓を圧しつぶ──。

 ──せなかった。

 右に居た男と中央の男が、苦悶の表情を浮かべながら、血を撒き散らしながら倒れこんだ。

 大斧という重量武器を用いて二人の鍛えた肉体を破壊出来た事は驚嘆に値する。特に店主のように現役から退いて十年も経つのにだ。

 だが、さすがに鍛え続けてきたわけでも無く、衰えているのだ。

 身体を気力で騙すも限界である。

 店主はまったく動かなくなった大斧を圧して斬ろうと力を込めるが、まったく動かない。ならば、もう一度振り上げて、と思ったが、さきほどまで羽の如く軽かった大斧が元の重量に戻ってしまっていた。

 支える力すら失った店主の手から大斧が落ちた。

「ジジィがッ!」

 わき腹を押さえた最後の一人が店主を蹴り倒した。

 痛みに顔を顰めながらも、蹴りを放ったのであれば、傷は浅い。

 小屋にあった縄を拾うと、店主の脚と腕をきつく結んだ。

「くそがッ、仲間を三人も殺しやがってッ!」

 男が動けない店主に向かって蹴り付けた。すでに反抗する体力が無くなって横たわっているだけ。

 浮き輪の如き腹の肉が波打つ。

「今に仲間が来る。その時にジジィの目の前であの娘を犯してやる」

 下卑た笑みを浮かべた男。

 再度怒りに身体が熱くなったが、さきほどまでの力は蘇らなかった。

 芋虫のように身体を動かして娘の寝転ぶベッドの脇へ。

 身体をもぞもぞと動かしてベッドを背に座り込む。

「十人くらいだ。飽きたらジジィと一緒に殺してやるよ。悲しい思いはさせねぇよ。ヒャーハッハッハッハッ」

 勝ち誇った男がゲラゲラと嗤う。

 店主はそれを聞いても睨みつけるだけだ。それがまた男の嗜虐心を煽っているのだろう。笑いながら店主の腹を何度も蹴った。

 ふと、店主の耳に騒がしい声が聞こえた。

 当然、男も聞きつけたのだろう。

「もう少しで楽しい楽しいショーの始まりだ」

 両手を広げ、客を煽るような宣言。

 店主はそれでも男を睨み続けた。今はそれしか出来ない。だが、それでもほんの少しでも隙が出来れば何か反撃の糸口が見つかるかもしれない。最後の拠り所はそんな奇跡のような一瞬なのだった。


 騒がしい外の声が消え、男が首を捻った。

 声が聞こえたという事は、それほど遠い場所ではないだろう。

 それなのに一向に仲間が近づいてくる様子が無い。

 不思議に思った男が扉を抜け、周りを見渡そうと首を左へ向けた時だった。

 ぐっと腹に圧力を感じ、身体が縫い付けられたように動かなくなった。

 そして、目の前には黄色と黒と白と赤の文様。

(いや、毛皮か……?)

 そう思った時には世界が回転していた。


 店主は驚いていた。

 扉を抜け、左を向いた途端、男の腹から剣が生えた。

 そう思った瞬間に首が飛ぶ。

 男の腹に刺さった剣が男の身体を持ち上げ、首が飛んだと思われる場所へ投げ捨てられた。無造作としか思えないほど、雑に引き抜いた結果だ。

「……無事か」

 扉から現れたのは頭虎族だった。両手に血塗られたグレートソードを持ち、所々に返り血を浴びて凄みを増している。

「……遅いぞ」

 店主が口に溜まった血を吐き出して、辛そうに笑顔を向けた。頭虎族は偶然この場に現れたわけではなかった。

 賭けだったのだ。あの呼びにきた町人に銅貨を渡して店に居てもらったのだ。頭虎族が着たら助けに来させてくれと頼んで。

 事前に頭虎族のスケジュールを知っていたために出来た芸当である。

「……あまり早いとありがたみが無いだろ?」

 シニカルな笑みを浮かべ、腰にある短剣を抜くと、店主と娘の縄を切った。

「良い性格してやがる……」

 呟いた店主が頭虎族にもたれて気を失ったのだった。




 あれから数日後。

 店主は娘の看病を受け、やっと仕事に復帰した。

 あの出来事があったので、娘は仕事を辞めると言うだろうな〜と思っていたが、看病しながら頬を赤くしながら言うのだ。

「また何かあれば助けてくれるんでしょ?」

 そう言われて助けないと言える男は居ないだろう。しかし、あの妄想に近い環境になりつつある……のだろうか……。

 今もカウンターに座る店主を背にした娘がテーブルを拭いている。店主は腹に鉄串でも刺したような痛みが残っているので、本当ならばもうしばらく安静にしていなければならないのだ。

 だが、さすがに店番を娘と頭虎族に任せてられない。娘のおかげで客足が遠のく事は無いが、頭虎族の用心棒が居るために落ち着かないと見舞いに着た町人が報告していくのだ。

「はぁ〜……」

 なんともいえない状態にため息を吐き出す。

 そこへ頭虎族が大きな紙袋を持って帰ってきた。仕入れを頼んだのだ。

「無理するな。お前が居なくても店は繁盛するぞ」

「その店がお前に乗っ取られそうでゆっくりしてられんよ」

 すでに二人は軽口が言えるほどだった。最初の頃のイメージはともかく、今は義に厚いのも理解出来た。用心棒代を払おうとしても受け取らないのだ。

 理由を聞くと娘が心配だからと言う。

 その言葉を聞いた時、どこかニュアンスが異なる気がしたので聞き返した。

「理由はそれだけか?」

 店主の訝しげる表情に、虎が笑った。

「お前と娘が上手くいかなかったら、俺の嫁にしようか、とな」

 こんな性格だったのだろうか……。


「おい、コレはどこに置けばいんだ?」

 物思いに耽っている暇も無いようだ。

「あ、あぁ、それはここで……そう言えば名前、聞いた事あったか?」

 そういえばと頭虎族が肩を竦めて頭を振った。苦笑しているようだ。

「俺はエルーム・トラッド・ガイゼム。エルと呼んでくれ」

「俺はダルデスだ。あんたが……エルなら俺の宿はいつでも、どんな理由があろうと受け入れる。俺が出来る事ならば何でも言ってくれ。あの約束以外ならば、だけどな」

 まだ見慣れない笑顔と思われる顔と共に大きな手が差し伸べられる。

 ダルデスは内心怯えていたために引きつった笑顔にしかならなかったが、大きな手に両手を重ねたのだった。



溜め込んでた話ですわ〜。

第二部の繋ぎです。

次は第二部開始になるはずです。

これからも間に外伝的なもんいれてこうかなと思ってます。


それとなんか拙作が40、000アクセスですって奥さん!

皆さん本当にありがとうござ〜る(・∀・)ノシ

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