第10話
九十九の定宿である《竜の吐息》。買い物に行くと行ったきり深夜の帰宅になり、ダルデスは少しだけ心配していた。
店に入るなり、空いているカウンターに座ると、いつものと注文する九十九に若干の違和感を覚えて手を止めて良く考えていた。定番となりつつある料理と生肉を皿に入れ、九十九の前へ置く。
苦笑を浮かべた九十九を見てやっと気づいた。
「白竜はどうした?」
「散歩」
ふぅ〜んと納得したような、しないような返事を返し仕事に戻る。別に確認を取ろうとしたわけでは無いが、視線が九十九へと向けられた。その返答は肩を竦める動作のみだった。
「あぁ、服屋から色々届いてたから部屋に入れといたぞ」
片手を挙げて感謝を示しつつ、減りすぎて音が煩い腹を宥める作業に取り掛かった。
食事を取り、少し動いていたためにぐっすりと眠れた。
翌日は少し早めに目覚め、首を起こすと当然のように腹の上にはレミュクリュが丸くなって寝ていた。
「はい。お帰りレミュ」
喉を撫で、頭を撫でる。
『九十九ノ悪知恵ニモ困ッタモノダ。ヨモヤ、アノ状態デヨクモマァ思イ付クモノダ』
「生活の知恵と言ってもらいたいね」
悪びれる様子は皆無だった。
九十九が男爵と対峙していたあの時。
「金貨二千枚。一枚も譲歩しねぇ。即金で払うなら譲る」
と条件を付きつけた時、九十九は同時に念話でレミュクリュに話し掛けていたのだ。『悲しそうに鳴いててくれ。ここまで付き合わせられたんだから、それなりに対価を払ってもらわねぇと割に合わねぇ』と。
つまり、そういう事だ。売る気も無いし、レミュクリュを裏切ったわけでは無い。その場の思い付きに等しいのだが、計画的と言えば計画的でもある。
「飯でも食うか」
顔を洗い、寝癖を直すと頭にレミュクリュを乗せ、階下に下りる。
ちょうどダルデスも起きてきたので、朝食を頼んだ。
──朝食後の紅茶を飲み、レミュクリュは八枚目の生肉と奮闘していると、店の前に馬車が急停車する。
出てきたのはカルウェだ。早朝でも執事服はきっちりと着込んでいる。
目の前で戦っても表情を変えなかった完璧な執事が表情を強張らせて九十九に迫ってくる。
「ツクモ様!」
「おはよう。カルウェ? だっけか」
「今朝方、当家の白竜が逃げ出しました……」
「へ〜。そりゃご愁傷様。その報告を朝早くから伝えてくれるとは律儀だね〜」
「それで、折り入って相談が……」
「昨日」
人差し指を立て、カルウェの言葉を遮った。意地の悪い笑みを浮かべながら。
「条件を付けた。男爵も了承し、あんたを証人とした。それに反しない話なら聞く」
「……そこを何とか……」
「男爵家の誇りを捨ててまでする事か? 馬車の中に男爵が居るだろ。聞いてくれば?」
彼等にしてみれば購入した商品が一夜で消え去ったのだ。当然、売った相手に問い合わせするだろう。
それも明らかに利用するために買ったようなので、他人に確かめさせるだけでは落ち着かないはずだ。
カルウェは視線を泳がせ、意を決して馬車へ戻る。やはり居るようだ。
中からこれぞ貴族と言わんばかりの煌びやかな格好のアルザハッドが出てきた。
「私はお前を疑っておる。本当にそこの白竜は双子なのか? そもそも騙す気で持ちかけた交渉だったのではないか?」
「……白竜が逃げ出せない檻に入れたって言ったけど、出したのか?」
九十九の問いにアルザハッドは答えない。代わりにカルウェが口を開いた。
「九十九様が出て行かれた後、食事を準備しに目を離した隙に檻を破壊していなくなっておりました……」
申し訳なさそうに答え、アルザハッドへ頭を下げる。
鬱陶しそうに手を振って頭を上げさせると九十九を睨み付けた。
「幼竜の力では壊せない檻だが、成竜以上となれば話が変わる。お前……あの白竜が幼竜では無いと知っていたな?」
忌々しげに顔を歪めるが、それに答えるのは平然とした九十九。
「あの時、再三確認を取ったはず。それに同意したのはあんただ。今更それを反故にしたいと? 男爵自ら誇りを捨てる真似までしてか? 交渉を持ちかけたのは俺だが、そもそも強硬手段を取ったのはあんたらだ。それを正式な手続きで、後腐れなく譲り渡した俺に何の落ち度があるのか教えてくれ。
ちなみに俺は一度たりともあの白竜を幼竜などと言って無い。勝手に見た目で判断して、それが誤っていたから俺が悪いのか? 幼竜ならば破壊出来ないと誰が言ったんだ? 責任転嫁って言葉知ってっか?」
矢継ぎ早に疑問点を列挙する九十九の言葉に唸るアルザハッドは拳をぷるぷる震わせる。
アルザハッドに答えられるわけが無いのだ。確かに見た目だけで幼竜だと決め付けていたし、九十九の確認も金貨二千枚を吹っ掛けて手を引かせようとしていたとしか思えなかった。さらに熱耐性があり、幼竜では壊せないと豪語して商品を売ったのはいつものお抱え商人では無かった。信用も実績も無い行商人だった。
怒りに任せて何をしでかすのか少し楽しみだった九十九は、まだかまだかと口元を緩めながら見ていた。
が、予想に反してそれ以上の変化が無かった。というよりも落ち着かせるように嘆息を吐き出すと口元を悪意に歪ませた。
「……大事の前の小事。私にはやらねばならぬ事がある。そのためには今は非道と呼ばれても、後に英雄と呼ばれるようになるのだ……」
ぶつぶつと言い聞かせるように呟き、右手を上げる。屋敷の時も椅子に座りながらその合図で兵士がかけ込んできたが、今回は人種が違う。
どこから入ったのか、そしていつから居たのか、二階の階段から音も無く二人降り、出入り口からも二人、部屋の隅から三人、裏口から四人。ダルデスの戦場である厨房から三人。カウンター内にも一人現れ、ダルデスの首にナイフを当てている。
全員が黒衣を身に付け、表情も見えないように布で覆われていた。それぞれが剣やナイフで武装していた。
周りを見渡して九十九が思ったのはまるで忍者に囲まれているようだと言う感想。あながち間違いでは無いだろう。おそらく彼等の職業は暗殺を主とした密偵と予測出来る。
「……何て言うか、見苦しいな」
今の状況を考えて出た言葉だ。
「その軽口は今の状況をまったく考えていないな。先日は不覚を取ったが、今回は違うぞ」
余裕の表情だ。確かに手持ちの兵士達とはまったく違うだろう。同じ部屋に居て気配を感じさせない連中なのだ。兵士と比べれば天と地ほど身体能力に差がある。
雰囲気も静かで感情を殺していると言うよりも元々持ち合わせていないかのようで、寒々としている。
九十九はアルザハッドの勝ち誇った表情を笑顔で返しながら、実は背中に冷たい汗を大量に流していた。表情に汗が浮かばないのは僥倖と言わざるを得ない。
焦っている事を悟られないように、様々な想定を頭の中で繰り広げていた。
どれほど考えても良い答えは出ない。九十九単体であれば何とかなるのかもしれないが、今回は今までと状況がまったく違う。
ダルデスが人質に取られているのだ。
ダルデスの首にナイフを当てている男。九十九の背中を見つめ不審な動きが無いかを縫い付けたように凝視している。
九十九も背後にダルデスが居るため、行動するにはどうしても“振り向く”という動作が必要となる。振り向きながら攻撃する事は考えるが、九十九以上の手練れだと死角へ二歩でも動くだけでダルデスを殺すのに十分な時間が稼げるし、逃げる事すら可能だろう。
それを考えると身体を動かすわけにいかなかった。
どうするか……。
笑顔が若干引きつり、時間だけが無駄に過ぎる。刻、一刻と状況は悪化しているのだ。
覚悟を決めて動くか……。
拳に力を入れ、動こうかと考えた時、トンと九十九の頭に乗る者が居た。
当然、レミュクリュである。
「くわぁ〜……」
緊張感の欠片も無い鳴き声は部屋に充満した重く黒い空気を振り払おうとしたわけでは無い。
その鳴き声を驚きの表情で聞いた九十九が身体の力を抜いて苦笑する。
「白竜を渡す気になったか?」
九十九の苦笑を諦めたと思ったようだ。
だが、
「お前らの相手をうちの相棒がするってさ」
レミュクリュがその言葉を合図に自らの牙を一個だけ引っこ抜くとカウンターに投げ捨て、さらにもう一個引き抜いてアルザハッドの足元へと投げた。
何が起こるのかと後ずさって牙を見ていたが、一向に変化も無く、周りに居る黒衣の連中も一瞬身構えて緊張が走ったが、何も起こらなかったので、身体の力を抜いた。
「は、ハッハッハッハ。素晴らしい反撃だ。最強と名高い魔獣の攻撃は度肝を抜くな。まるで……まるでェ……?」
まるで、と言う単語が好きなだけでも無く、ネジを巻く必要があるわけでは無い。アルザハッドの言葉を遮ったのは目の前にある一本の牙だ。
床に転がる牙が震え、それが徐々に質量を増やし、形状を変えていく。白い牙が拳大から魔獣の卵ほどになるとひび割れ、中から何かが出てくるかと思われたが、子供が粘土で作った人形のように形を変え、九十九以上の背丈まで大きくなり、人型になる。見た感じ胸板の厚い筋骨隆々な姿で、九十九は映画で見た液体金属の暗殺者のようだと思った。
それで変化が終わったかと思っていたが、最後に細かい造形が作られた。
それは白い甲冑を着込んだ騎士のようだった。
竜を模した兜。竜鱗の鎧は分厚く頑強。盾は大きなカイトシールドと呼ばれる形状を取り、細緻に及ぶ模様は美術品の如く。手に持つ剣は刀身まで真っ白のシャムシール。割り、砕くための剣では無く、斬り裂く事に特化した武器。
勇者を象った彫像の様で見る者を圧倒する姿。
彫像にしか見えないのだが、妙に生々しく今にも動きそうなほど精密な作り。
神殿や城にあれば誰もが見たくなる造形美がある。
だが、この《竜の吐息》には場違いだ。
「場違いで、悪かったな」
人質のダルデスが言う。最後の言葉はつい口にしてしまったようだが、首の刃の冷たさを感じながらも突っ込むその姿勢は凄い。目の前の状況を冷静に見ているのだろう。
細部の変化が収まったのか、白騎士が振り向いた。白騎士の顔は面貌に覆われ人相はまったく解らないが、青いサファイアのような瞳が見えた。意思の強さが見て取れるほど力のある視線は職人の如き頑固さも垣間見え、孫を相手にする老人のような優しさも感じられた。
九十九へ向き直ると、膝を付いて頭を下げた。騎士礼である。自らの主へ忠誠を誓う姿だ。これほど絵になる光景は見られるものでは無いだろう。
現実感が無いのは肌と思われる部分も全て石膏の如く白く、生命力をまったく感じない事だ。
人間の身体を石膏で塗り固めれば目の前に立つ騎士のようになるだろうか。
威風堂々とした姿に見とれていた九十九もどう対応すれば良いのか悩んで立ち尽くしていた。
が、レミュクリュが動いた。
ふわりと頭から飛び立ち、頭を下げ、同色の騎士の前へ。
レミュクリュが口を動かして何かを呟く。耳障りな音は魔法言語。
自らを抱いて震えた。悲しんでいるわけでもなく、苦しんでいるわけでもなさそうだ。
レミュクリュの背中がぼこりと膨れ、それが腕、足、首、尻尾と連鎖していく。九十九はこの光景を懐かしく見ていた。
初めて出会った時に自らを縮めた光景を逆回しにしているのだ。
だが、懐かしんで見ていたが、ふと思い至る。出会った時の姿はそれこそ家一軒で納まる大きさでは無い。正確な大きさは解らないが、アルザハッドの屋敷以上なのは確かだ。
つまり、あの時の姿になるのであれば、建物を壊してしまう。
「レミュっ! ちょっ……と…………?」
止めようと手を伸ばし、それ以上言葉を出せなかった。
膨れる身体が予想する大きさよりも小さい。立ち上がると九十九くらいの大きさで、目の前で畏まる白騎士よりも頭一つ分は小さいだろう。
人型の水風船のように落ち着かない白い塊が、徐々に硬くなっていく。石膏が固まる様子を早送りしているようだ。
微調整でもしていたのか、大きさが決まる。そして白騎士同様に細部が明確に決められていく。
現れた姿を評するならば戦女神の彫像。
装備は白騎士と似たもの。だが、鎧は白銀で肌との境界線がはっきりとしている。胸鎧は湾曲し、くびれがはっきりとしており、腰部分も丸みを帯びて女性らしさがある。兜は大きな角があしらわれた実用性よりも見た目を重視したように煌びやか。首元からは腰まで伸びた銀髪が揺れている。
手に持つのは波型の刀身、フランベルジュ。竜の頭部をあしらった鍔元に炎を吐き出すように刀身が伸びている。装飾過多でこれも儀礼用にしか見えない。美術品としては最上級品だろう。
九十九からは正面が見えないが、後ろ姿だけで美しいと感じた。綺麗と思った。正面を見たいという衝動に襲われる。
だが、傅く白騎士が女騎士──レミュクリュの手を取り、甲に口付けをすると立ち上がって黒衣の男達に剣を向けた。
ここまで誰もが魅入っていた。あまりにも現実離れした現象でもあり、現れたのは吟遊詩人が謳う物語でしか出てこないイメージ通りの誰もが憧れる白騎士の姿。
美人という単語が浮かぶが、その言葉だけでは足りず、他の言葉では明らかに表現しきれないほど幻想的で美しい女騎士が目の前に居るのだ。思考が追い付かないのも当然だろう。
カルウェが思わず膝を付いて祈りの体勢になり、椅子を倒してしまった。
静寂し、神聖な空気が流れていた空間に、椅子が倒れた音が響き渡る。
「……人質が居るのだ。黙って私に従え……」
アルザハッドが思い出したように呟いた。
もう少し、悪意に満ちているか、声を張ればさま様になっていたが、思い出したようにやっと搾り出した言葉にまったく強制力が無い。
しばらく睨み合いが続くかと思われたが、九十九の背後で呻く声が漏れた。
ダルデスの安否を考えるよりも早く、衝動的に背後を振り返った。
「あっ」
反射的な行動に思わず声を上げた。
が、予想に反して事態が好転していた。ダルデスはカウンターの端へと移動し、首に刃を当てていた男は小柄な男が羽交い絞めにしていたのだ。
新たな敵かとも思ったが、姿形を見てすぐに誤解だと気づき、さらにレミュクリュが最初にカウンターに投げた牙だと思い出した。
小柄な男もまた白い装備に面貌。こちらは琥珀色の瞳を楽しげに細めて居る。黒衣の男が邪魔だが、簡単に言うと黒衣を白く染め直したような装備だ。防御よりも動き易さを重視した盗賊系の装備なのだろう。
白騎士と白盗賊を従える女性騎士。
九十九の頭に浮かんだ言葉は冒険者だ。パーティーバランスは微妙だとも思ったが。
羨望と憧憬の眼差しでレミュクリュ達の動きを追う。
人質を失い、優位性を完全に無くしてしまったアルザハッドと黒衣達。
ここで逃げ出せば見逃したのだが、どうしても白竜を、今は女騎士となったレミュクリュが必要なのだろう。黒衣達に攻撃を指示してしまった。
黒衣達が忠実に刃を向けた。懐から取り出すのは様々な刃。
一人はナイフ数本を様々な角度から投擲。一人はショートソードによる剣撃、一人は腰に下げた手斧を投げ、一人は鎖付きのナイフを。
白騎士を襲う刃は避けられない。背後にはレミュクリュが控えているからだ。下手に避けられない。
剣を巧みに動かして避けるのかと想像したが、白騎士は動かなかった。
よほど鎧の硬度に自信があるのか、一切動こうともせず、鎧もまた襲いかかる刃を当然のように弾いた。
さすがにまったく動かずに弾くとは予想出来なかったのか、近距離で斬り伏せようと近づいた黒衣は動きを鈍らせた。
その隙を白騎士が無造作にしか見えない動作で頭頂から股間まで白い刃を振り下ろした。どれほどの斬れ味を持っているのか、どれほどの膂力を発揮したのか、抵抗を感じさせずに人間を二つに割り、勢いが余ったのか床にシャムシールが噛み付いている。
投擲武器は無駄と悟った黒衣達は手持ちの武器を抜いて迫る。扱い易さと様々な状況でも対応しやすさを考えているのか、全員がショートソードの二刀流だ。
鎧の硬さを最大限利用した白騎士の動きは安定している。相手の武器が何であれ、身体を揺らす事すら出来ないのだ。白騎士は刃を無視し、ただ剣の間合いに入った敵を力の限り振り抜けば良い。迷いの無い愚直な攻撃は鋭く強い。
逆に黒衣達はどうすれば倒せるのか、どうすると傷を付けられるのか、何とか避けなければと想像と迷いを抱えたままの攻撃。それは当然精彩を欠き、無用心に近づいた者には白い刃が問答無用に斬り裂く。
圧倒的な実力差に魅入っていた九十九の背後でも闘いが始まっていた。
白盗賊は正反対の戦闘技法だった。
カウンターの中という狭い場所で襲いかかる刃をダガーで逸らし、身体を反らし、近寄りすぎた黒衣を掴むと膝を腹部へ突き刺し、身体を曲げた黒衣の顎を掌底でかち上げ、浮き上がった身体を横蹴りで吹き飛ばし、援護しようとしていた黒衣へ叩き付けられた。
黒衣は投擲しようとナイフを構えると、事前に察知していたかのように刃まで白塗りのナイフを先に投げている。
それも柄には白い鎖が繋げられ、黒衣の手に刺さると、鎖を巻き撮って手元へ戻す。
白盗賊の武器が投げて戻すという使い辛い武器を所持していると認識した黒衣達が一斉に補助武器である投擲用のナイフを引き抜いた。
それに対応したのは当然白い鎖付きのナイフ。一人の黒衣の手を縫い付け、投げさせない。だが、その瞬間を他の黒衣は狙っているのだ。数本のナイフが空気を裂き、白盗賊へと迫る。
が、黒衣と白盗賊の中間ほどでナイフが弾かれた。鎖付きのナイフを手首の動きだけで蛇の如く操る。うねる蛇がナイフを弾いたのだ。そして白刃を使わず、鎖を撓らせる。空気を弾く音と共に、黒衣が壁まで吹き飛ぶ。
空気を弾くのは鞭のような使い方も習得しているため。
全てが思い通りに描いているのか、その動きに迷いが無い。流れるように、何ヶ月も同じ動きを練習したように動き、攻撃全てが冗談のような威力を与えている。
瞬く間に黒衣が床に転がる。黒衣全てが床に伏せるまで数分もしなかっただろう。
レミュクリュは悠然と見ていた。いや、見下ろしていた。女王然とした姿勢はものすごく絵になる。
白盗賊と白騎士は黒衣が全滅したのを確認してレミュクリュの後方に控えた。
「ば、ばかな……」
アルザハッドは笑えもしなかった。目の前の出来事が夢にしか思えなかった。そして……。
白目を向いて倒れた。カルウェがそれを支え、キッと睨み付けるが、レミュクリュの視線を感じて顔を背ける。
「私の価値が金貨二千枚程度だと。私の意思を考えずに従えるつもりだと。その者に伝えよ。いつでも来いと。我を従わせるだけの力を見せられるのであればいつでも力を貸そう。
だが、力及ばない場合はどうなるか……。良く考えよ」
レミュクリュの言葉にカルウェはただ頭を下げるだけしか出来なかった。
アルザハッドを支え、足取りがおぼつかないままに馬車まで歩きだす。
が、最後の抵抗なのだろう。レミュクリュに対しては何を言われても頭を下げるしか出来なかったが、カウンターに座る九十九を見て、
「このまま男爵家を敵に回して無事で済むと……」
「あんたのその捨て台詞がすでに八つ当たりになるんだが。今回の顛末を他の貴族が聞いたらどういう反応するのか楽しみだね」
「…………」
「そっちが何もしなければそれで良いよ。今回の事は口外無用でよろしく」
九十九の微笑を浮かべながらのお願いだが、実質拒否出来ない命令である。
舌打ちをしそうなほど顔を歪めながら、アルザハッドを支えてカルウェは去って行った。
「さて、九十九には謝らないといけないな」
振り向いて九十九に向き直る。苦笑を浮かべたレミュクリュは騎士と盗賊を従えた姿は絵画のようだった。
「《伸縮》じゃなくて……《変身》とかそんな感じか?」
苦笑を浮かべる九十九に驚くレミュクリュ。魔術の概念を話したが、細かくは説明していない。
「なぜ……?」
「説明の時に躊躇したし、伸縮なのに小さくなると翼が生えるのは変だろ。後は……まぁ、大まかに言うとそんなとこだね」
口篭る九十九に訝しげに思う。だが、九十九の洞察力は驚くべきものだ。
「この者達はかつて英雄と呼ばれるほどの力を持った者だ。死の間際に契約し、魂を牙に封じ込めた。有能な者だ」
名は明かさない。その理由も言わない。ただ、少し寂しそうな紹介だった。
すると、白騎士と白盗賊が九十九の前に立ち、肩にぽんと手を置く。言葉は一切無く、何か特別な事も無い。だが、唯一現実味のある瞳が、サファイアと琥珀の瞳が九十九へ伝えるものがあった。
がんばれと言っているようにも思える。
よろしくと言っているようにも思える。
手を離す間際、憂いに満ちていたような気がした。慰め……だろうか。
二人は互いに視線を交わすと、レミュクリュを見て頷く。レミュクリュもまた頷いた。
見る間に細部が淡くなり、子供の粘土細工に。床に染み込むように質量が縮み、牙の姿へ。
レミュクリュは牙を拾うと剣の鍔元に彫られた竜の口に二つの牙をはめ込む。
もし、今のレミュクリュの装備にある牙全てが白騎士や白盗賊並に一線を画した手練れだとすると一人で一個大隊の戦力を持つ最強の部隊になる。
レミュクリュが瞳を閉じると白銀の鎧が光に包まれ、消えた。
中から現れたのはビキニの水着にしか見えない布。
ダルデスと九十九が目を点にして釘付けになっている姿を見て、訝しげに思ったが自分の今の姿に気づいて叫んだ。
「み、みるなーっ!」
顔を赤くして叫ぶ姿にダルデスは頬を赤くしながらも咳払いをして視線を外し、九十九は手で顔を隠す。
が、興味津々の少年が律儀に隠すわけもなく、指の隙間からじっくりと見つめている。
「つ、九十九! 部屋に買った服あるだろ。いくつか貰うぞ!」
九十九の返答も聞かず、お尻を隠しながら走り去った。
思わぬサービスタイムに和んだ男二人だったが、九十九は上を見上げ、ダルデスは店の惨状をため息交じりに眺めた。
足音がして、降りてきたのはレミュクリュである。
ジーンズぽいズボンに青いシャツ。足元はさすがに女性用の靴が無かったので、黒革の靴を履いていた。腰まで伸びた銀髪は後ろで纏められて邪魔にならないようにしている。
「すまぬ……。騒ぎすぎたか?」
頬を赤らめて纏めた髪を弄りながら呟いた。
ダルデスは肩を竦めるだけで返答し、厨房に近い場所の遺体を片付けている。
後で騎士に連絡して引き取ってもらわなければならないが、部屋中に篭る血臭は何とかしておきたい。
今日の営業にも差し支える。
と、やっと落ち着いたレミュクリュは九十九の隣に腰をかけた。
九十九は上を見上げたまま眼を閉じている。
「九十九?」
気遣わしげな言葉に九十九はゆっくりと視線を合わせる。
翡翠のような瞳と黒い瞳が合う。
呼んでみたものの翡翠の瞳が揺れ、伏せ、落ち着かない。何か言おうとするが言葉にならないのか、言葉にして良いのか悩んでいるようだ。
それを力無い笑みを浮かべる九十九だが、顔が蒼い。座って事の顛末を見ていただけにしては汗も流し過ぎであった。
九十九はレミュクリュを見て、周りを見回す。おびただしい血臭が辺りを包み込み、黒衣に包まれた肉塊が転がる。切断面からは湯気を立てた臓物がはみ出し、今まで循環していた血液を吐き出している。
見てはいけないと理性は言う。だが、興味なのか、好奇心なのか何度も何度も視線を向け、そのたびに天井を見上げる。
部屋に充満する血臭が九十九を酔わせているのか……。
恨みがましい虚ろな瞳が九十九を見つめている……。
誰のものかも分からない、千切れた腕と脚が、散乱することで不幸だと主張し、
強制的に独立させられた首が、断面を見せ付ける事で九十九の罪なのだと非難し、
床に広がっていく血が、泥濘で九十九の心を繋ぎ止めた……。
九十九の脳裏に様々な単語が浮かんで──消えない。
目に映る景色と単語は一致すると消え去るが、それ以上にまったく関連性の無い単語が脳裏に浮かぶとへばり付き、思考を黒く染めていく……。
「つ、九十九……?」
レミュクリュの呼び掛けは耳に入っている。視線は向けている。
今まで白竜だった。
白竜が人型になり、見目麗しい女騎士となり、配下を二人従えている。
理解はしている。
しかし、それよりも目の前の状況だ。
そして、景色と頭の中が食い違い、気持ちがそれに追い付いて来ない。
九十九は蒼いを通り越して土気色にまでなった。そして溢れ出す滝のような脂汗。何度も喉を鳴らして飲み込み、呼吸が荒い。
腹部が蠕動し、口元を手で覆う。
レミュクリュは黙っていた九十九を見て、怒っていると思っていた。ただ、冷静に考えれば、ほんのちょっとした嘘で九十九が黙るほど怒る事では無いと気づいたはずだ。
それを踏まえ、九十九の変化を見て違うと確信する。
次に考えた事は黒衣の誰かによって毒でも盛られたかもしれないと言う事だ。だが、さっきまでレミュクリュが竜の姿の時に一緒に食事をしている。生肉だけを食べていたわけでは無く、九十九の皿にある料理も少しづつ口にしているのだ。毒があればその時に違和感があったはず。
色々と巡る思考を漂う間に九十九の様子が悪化する。さらに呼吸が荒くなり、全身に汗を掻き、口を覆う手も震え、空いている手が喉を掻き毟る。
苦しげに唸ると堪りかねた九十九が体を折り曲げて床に胃の中身を吐き出した。
繰り返し吐き出して胃の中身を全て出しきった。だが、それでも足りず、白い胃液のみになっても嘔吐を繰り返した。まるで内臓までも吐き出そうとしているかのように何度も。
「どうしたのだ? どうしたのだ? 九十九! 九十九ッ!」
着替えて来たばかりだが、吐瀉物が付くのもかまわず背を摩り、床に転びそうになる身体を支えた。
「……だ、だい……じょ……」
九十九は何とか声を出そうとするが、嘔吐感が遮る。
目が虚ろになり、意識を失ったのはすぐだった……。
あと二話で一部終了予定です。
後書きの追記です。
レミュクリュの身体的特徴をもう少し表現した方が良いでしょうか。
それともこのまま読み手の妄想……否、想像に任せた方が良いですかね?
読み手の意見という餌があると作者の私が服を脱ぎながら喜びます。