戴冠式とそれから……
戴冠式が始まる。
今朝は早くから王宮全体が慌ただしく動き回っている。
いつも朝の挨拶に来るリューンの姿もない。
彼も相当忙しいに違いない。
襟と袖口に金糸の刺繍が施された白の長衣に黒のズボン。赤いサッシュを締め、黒の革のブーツを履く。
白の毛皮が裏打ちされた、深い緑のベルベットのマントを羽織る。
腰に宝石で彩られた銀の剣を刺して出来上がりだ。
着付けを担った女官達が、出来栄えに満足したように、ほうっと溜息をついた。
「威風堂々とされて素敵ですわ、陛下」
女官長が合格の言葉を掛けた。
「ああ、ありがとう。神殿の方の準備は?」
短く礼を言って、進行具合を尋ねる。
「リューン様はもうお待ちですわ。風の乙女も」
『風の乙女』とは、魔物に侵略されたこの国を解放した救国の乙女だ。
先の神官長と隣国の王女の間に生まれた娘で、今は異世界に住んでいる。
今回は不在の神官長に代わり、戴冠式で王に冠を与える役目を頼んでいる。
昨夜は久しぶりの再会を喜ぼうと部屋を訪ねたが、戴冠式の練習だといって神殿に籠って、リューンと何やら特訓していたらしく逢えなかった。
覗きに行こうかとチラッと思ったが、やめておいた。
邪魔をしてはいけない。
何やら、こんなの覚えられない、とか、ミスったら恐怖、とか色々叫んでいたようなので、かなり緊張しているだろう。
想像すると少し面白かった。
ルーラと俺の出会いはあまりよいと言えるものではなかった。
風の乙女を連れてくる、そう聞いていた俺は、てっきり神の使いのような女性を想像していたのだ。
リューンが連れて帰ったのは、姿こそ普通に美しかったが、ルーンも知らず精霊も見えない無力な少女だった。
迎えに行った俺も騎士達も、大丈夫なのかと不安になった。
なんせ神殿の結界はこれまで何人もの生命を奪っている。
リューンですら死にかけた。
こんな無力な少女が結界を解くなど、いくらアルファーディが鏡で見たと言っても信じられない。
無駄死にさせるだけではないか?
そう尋ねた事がひどく彼女を怒らせた。
大人しそうな外見とは裏腹に、彼女はとても気が強かった。
かなり激しく言い合いになった。
なんとか言いくるめて王都に連れて戻ることになったが、しばらく俺は彼女にとって『嫌な奴』だった。
その旅の中で俺は彼女の強さを思い知る。
言葉も違う異世界で、彼女は底抜けに前向きだった。
王である自分に向かっても物怖じせずものを言う。
野宿にも文句を言うでもなく、楽しいと言い切った。
この自分より年若い少女が、危険のない平和な世界を離れ、魔物の闊歩する国に連れてこられてどんなにか不安であろうと思ったが、彼女はこの国を救うのだという。
他にできる者がいないのならば、必ずやると。
まだ、それらしき力も見えないのに。
父王を、そして兄王子を殺し、偽りの玉座に座る自分の目に、彼女の姿はどこまでも眩しく映った。
彼女に惹かれるのに、そう時間は掛からなかった。
救いを求めていたのかもしれない。
あの眩しい魂の輝きに。
神殿に入ると少し薄暗くて、目が慣れるまで時間がかかった。
神殿の中にはすでにたくさんの人々が立ち並んで待っていた。
ビスラの重臣・騎士達の他、他国の王族・使者等々。
ルイリーンとアルファーディの姿も見える。
俺は彼等を一瞥し、正面の祭壇に向かってゆっくりと歩を進める。
祭壇には、植物を模した枠の大きな鏡が据えられており、その左隣に白い衣装の少女が立っている。
首元はレースで覆われ、手にも手袋をして、ドレスの裾は長くトレーンになっている。
白いベルベットのマントを羽織り、少し俯きがちに立っている。
真っ白のはずなのにキラキラと輝いているのは、一面に銀糸で細かく刺繍がされているからだった。
艶やかな漆黒の髪は綺麗に編み込まれ、首の後ろで白いリボンで纏められていた。
露出が少ない衣装、その細い首筋はレースに隠されているのに妙に艶かしい。
伏せられた黒い睫毛が細かく震えて、その下の漆黒の瞳も揺れている。
これはかなり固くなっているな。
普段の彼女からはかけ離れた神妙な様子に、思わず唇がほころんだ。
彼女の前へたどり着くと、俺は片膝をついた。
ルーラは小さく息を吐くと、風鏡に手をかざす。
聞こえるか聞こえないかというほどの声で、複雑なルーンを唱え始めた。
ふふん、これが覚えられないと叫んでいたやつだろう。
無事に間違えずに呪文が終わり、鏡に差し伸べた彼女の手が触れるか触れないかの時、鏡の表面が自ら光を発した。
その一瞬確かに風鏡は俺の姿を映しだした。
周囲の人間にも見えただろう。
精霊にそむかれていると思っていた。
魔物を払った後、特に精霊達が騒ぐこともなく落ち着いていたので大丈夫だろうとは感じていたが、もしかしたら、という不安があったのは否めない。
正直、肩が落ちるほど安堵した。
「精霊はこの国を導く王に、レンディルム・イル・ビスラ陛下を選びました」
ルーラが緊張した声で宣言する。
リューンが王冠の乗ったクッションを両手で持ってそばへ来た。
うやうやしく彼女に捧げるように差し出す。
「ビスラの新王に精霊の祝福を」
そうっと震える手が王冠を受け取り、俺の頭上にゆっくり確認するように乗せた。
俺の髪に触れた彼女の指先が、ピクリと跳ねたような気がした。
俺は立ち上がって、みんなの方へ振り返り宣誓する。
「新たなビスラ国王として、この国の平和と繁栄に尽力することを誓う」
臣下達は皆、こうべを垂れて待っている。
俺が祭壇の上から降りようと、一歩を踏み出そうとしたその時だった。
びゅうっと風が神殿内に吹く。
そよ風と呼ぶには激しすぎるその風は、重いマントを吹き上げた。
「風の精霊!どうしたの?」
ルーラの叫びが聞こえる。
神殿の窓が風によって、バタバタと開かれてゆく。
これは精霊達の抗議なのだろうか?
精霊は新王を認めないのか?
ひときわ強い風が彼女をよろめかせる。
俺は慌てて彼女の肩を抱いて支えた。
何故かリューンがあちゃーと言って顔を覆った。
強い風は間もなく止んで、ほのかなそよ風が神殿内にサワサワと吹いた。
その風と共に、天井から白いものが降ってくる。
ヒラヒラといくつも。
「何だこれは?」
手のひらで受け止めたそれは可愛らしい八重咲きの白い花だった。
見上げると、天井のガラス窓から入る光が眩しい。
「精霊達からお二人への祝福です」
リューンが半分困ったように笑って言った。
「花嫁の花だそうです」
「はあ?花嫁?」
ルーラが目をむいている。
「風の精霊達がビスラの王と王妃を選んだようです」
「なぁんですって?」
ふるふると肩がふるえている。
なるほど、精霊達も愛する乙女が逃げないようにたくらんでいたのか。
まだ、いつかの返事は聞けていない。
だが、居並ぶ臣下・招待客達の目前に晒されている今、ここで聞くのはあまりに気の毒だろうか。
リューンをみやると、じっと俺を見つめている。
あの顔は俺に催促する顔だな。
さあ、外堀は埋めてやったと言ったところか。
俺が断られたらどうするつもりだ。
少し呆れて頭が痛くなったが、この場をおさめるためには仕方あるまい。
ルーラの耳元で囁く。
「諦めて俺のものになると言ってくれ」
ルーラの頬がみるみる赤く染まっていく。
ふるえる唇が何かを呟いていたが、今?だの、ここで?だのと言っているようだ。
追い詰められたウサギのようで、少し嗜虐心をそそる。
口をパクパクさせる彼女の腰を抱き寄せて、自分の正面に向かせる。
いつも強気な彼女がわたわたと戸惑っているのが楽しい。
「返答は?」
低く尋ねると、彼女は目を伏せて、しばらく後に小さく『はい』と返事をした。
精霊達も聞いていたのだろう。
俺達二人を中心にして、くるくると渦を巻くように風が踊った。
もう逃しはしない。
ニヤリと笑って、彼女の細い身体を抱き締める。
俺は皆の見ている中で彼女に口付けた。




