11 初恋2
それから私たちは宿の人に馬を預けて、出来たてぬくぬくのご飯をたらふく食べてから、各自部屋をもらった。
王様とリューンが一部屋ずつ、私がその隣、騎士達は二人で一部屋ずつ。
部屋に入る前にリューンがひょっこり顔を出す。
「ルーラ様、お湯を使わせてもらえるよう頼んでおきましたから、宿の人に案内してもらってくださいね」
わーい、お風呂だお風呂だ。
早速私はその辺にいた宿の人をつかまえて案内してもらった。
「こちらです。中のカーテンを閉めてお使いください」
それは大きなたらいにお湯を張っただけの簡単なものだったけど、ひさかたぶりのお風呂はとっても気持ちが良かった。
これぞ極楽よ。ふぃー。
しっかり堪能して疲れを落とし、髪をワシワシ拭きつつ部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、渡り廊下の先に人が立っていた。
あんまり会いたくなかった人なんだけど。
王様はこちらに気付く様子はなく、手すりにもたれて星なんぞを眺めている。
一人で何をたそがれてんのかな。
髪がしっとり濡れているところを見ると、どうやら彼も風呂上がりらしい。
性格は憎ったらしいけど、こうして夜空を背に物思いに耽っている様子は、まるで物語の絵か何かのように、ため息が出るくらい綺麗だ。
そうなんだよね。やたらめったら顔はいいし、背は高いし脚も長い。
正直言って私、向こうの世界でこんな美形は見たことない。
こっちの世界って美形の宝庫なんだろうか。
リューンといい、アルファさんといい、ルイリーン陛下もそうだし。
それに彼は身に纏う雰囲気が普通の人とは違う。
さすが王様と言おうか、気品があるのだ。
仕草の一つ一つが洗練されている。
少女たちの夢見る王子様か騎士みたい。あ、王様なんだから元々は王子様か。
でもなんか変なのよね。
普通王様ってお城にいるはず。たくさんの人にかしずかれてさ。
それなのに彼はわざわざ自分で国境までやってきて、魔物と戦って、みんなと同じように野宿したり、旅人用の宿に泊まったりしている。
宿の人の反応を見ていると、どうやら身分は隠しているようだけれど、それにしたってこういうことに慣れているみたい。
どうしてだろう。
まあ、いいや。立ち止まっていた足を再び踏み出そうとしたその時、突然、月を覆っていた雲が切れて私の上に光がさしてきた。
ほのかなその明かりは庭の木々の間を越えて、彼の端正な横顔を照らし出す。
憂いを帯びた瞳にまつ毛が黒く影を落とし、どこからともなく吹いてきたそよ風が彼の黒髪を軽くそよがせる。
トクン
自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。
不意に時が止まったかのような感覚に襲われる。
吸い寄せられるように視線を離せない。
何かに魅入られたように。
何故?
(あ………)
まるで金縛りにあったようだ。
この呪縛は何?
孔雀石色の瞳が立ちすくむ私に気づいた。
怪訝そうな顔をして振り返る。
「いつからいた?」
「…………」
いちゃあ悪いか?
ついさっきまでの不思議な感覚が一気に冷めた。
「ついさっきよ。通り道なんだからいたって変じゃないでしょ」
刺々しく言ってやったら、王様はがっくりと肩を落とした。
「そういう意味で聞いたのではない。まったく、お前は扱いづらい奴だな」
呆れるよ、とため息をつく。
「どうしてそんなに俺を毛嫌いするんだ。理由を聞いてもいいか?」
「身に覚えがないっていうの?」
首をすくめてわからないという仕草を見せる。
開いた口がふさがらないとはこのことだ。
「あんた、さんざん私を馬鹿にしといて、忘れたとは言わさないわよ」
「馬鹿にした?」
なんのことだかわからないと言った様子だ。
「最初の日!平凡だの馬鹿だの信用できんだの、あんなふうに言われて怒らない人がいたらお目にかかりたいわよ」
王様は腕組みして首を傾げる。
「そういえば、そんなことも言ったような」
お、おい………
「お前はほとんど事情を聞かされていなかったそうだな。悪かった。てっきりリューンが全て説明していると思っていたのだ」
おや?意外にあっさりしている。
「それに、あのまま帰られたら俺は皆に顔向け出来なかったのだ。許してくれ。本当に俺達は進退極まっているんだ」
「そんなにひどいの?」
おそるおそる尋ねると、彼はつらそうな顔をして頷いた。
「実際、魔物の侵略は着実に進んでいる。初めに西の砂漠が謎の黒い霧に包まれ、オアシスの民が死に絶えた。村々を魔物が襲う事件が相次ぐようになって、とうとうひと月ほど前から都に接する森が枯れ始めた。
これ以上は多分もたない。ついこの間、王宮にも一匹出た」
「…………」
「民は疲弊してきている。魔物に襲われ全滅した村も少なくはない。なのに、何もやってやれぬのだ。国の軍隊でももう対処しきれない」
悔しそうに手を堅く握りしめている。
「みんなを他の国に逃してあげるのは?」
私がそう言うと、彼は苦い笑みを見せた。
「お前は幸せに育ったのだろうな。甘い考えだ」
甘い?どうして?
「国を捨てることは可能かもしれない。俺は王位に執着していないし、別に支配したいとも思わない。だが、この国はこの国の民が作り上げたものだ。ここには彼等がこれまで積み上げてきたものの全てがある。土地も財産も全て捨てて逃げて、そこで楽に暮らせる者は少なかろう。所詮は他国だ。どんなにイスターラヤーナや他の国が保護してくれたとしても限界がある」
なんとなくわかる。
私は平和で豊かな国で育ったから、簡単に逃げるなんて言える。
でもここは違う。アメリカやヨーロッパに移住するような感覚では通用しない。逃げたくてもそう出来ない環境なんだ。
王様の声は強く、そして優しい。
「王である以上、俺には彼等を守る義務がある。なにより皆この国を愛している。失いたくはない」
彼は自分に言い聞かせているようでもあった。
「あの、鏡はお城にあるって聞いたけど本当?」
「ああ、風の丘の神殿の中だ」
「お城の中に丘があるの?」
「ああ、城壁で囲まれた中だから、城の一部であることには違いない。王宮や後宮、離宮に兵舎、諸々を集めて城と呼ぶんだ。まあ、行けばわかる」
そこで顔を少し曇らせる。
「鏡のある神殿には今は誰も入れない。魔物の強力な結界が張られている。奴らもあれが俺たちにとっての切り札であることを知っているんだ。鏡を戻すにはまず、あの結界を破らなくてはならない」
「私に出来る?」
彼はなんともいえない顔をした。
「わからない。これまで結界を破ろうと挑んだ者は多数いた。が、試みて生きているのはリューンだけだ。あいつも全身に酷い傷を負って幾日も生死の境をさまよっていた。アルファーディが治療に駆けつけて来なかったらどうなっていたかわからない」
強い瞳に苦しみの色を瞬かせる。
「俺は………お前に『やれ』とは言えない」
彼はいくつもの死を見つめてきたのだろう。国の上に投げ出される命を、引き裂かれるような思いで見てきたのだ。
だから、みんな私を疑うのね。
救国の乙女は風を纏う不思議な力の持ち主。あの噂はただの幻想ではない。
そうでもなければ不可能だとみんな知っているからなんだ。
私が普通の女の子だったから、風の精霊を見ることもできない、魔物に対しても何も出来ない子だったから。
「でも、私がやらなければ、他にできる可能性のある人はいないんでしょう?」
「………ああ」
なら、やるしかない。
アルファさんは言った。水鏡が私の姿を映したと。
その言葉を、この背中の翼を信じるしかない。
いまだに自分の意思で広げられないんだけど。
風の精霊………私は本当に風の乙女なんだろうか。
精霊の声を聞いたのは、翼が生える前のあの時だけだ。
リューンはいつでも声が聞けるし、姿も見えるらしい。
それだけでなく、ルーンで風を操ることもできる。
そのリューンにできなかったことが、果たして私に出来るんだろうか。
風の精霊達は私の呼びかけに答えてくれるんだろうか。
そもそも精霊って一体どういうものなんだろう?
「あんたは精霊を見たことある?どんなのか知ってる?」
「いや、見たことはない。普通のものには見えないのが当たり前だ。だが、存在は知っている」
「精霊ってなんなの?」
「簡単に言えば万象の要素。風の精霊ならば風そのものだ」
風?
「意志を持つ風、風を操る風」
「よくわからない。風は風じゃないの?」
「世界は必然と偶然から成っている。つまり、創られたものと出来たもののことだ。創世主によって創られた風が精霊であり、諸々の要因で自然に出来たただの気流を一般に風と呼ぶ」
うーん、なんとなくわかるようなわからないような。
混乱している私を見て、王様がクスリと笑った。
「他に知りたいことはないか?」
そういえば、ずっと気になってきたことがあったんだ。
「ねえ、イスターラヤーナに来る時何かあったの?遅かったからリューンが精霊を使って探したけど見えなかったって。どうして?」
そう尋ねると、王様はとてもいいにくそうな顔をした。
あまり聞かれたくなかったみたいだ。
「ごめん、答えたくなかったらべつに………」
「いや、かまわない」
私の言葉を遮って、王様は話し始めた。
「精霊の力は俺には効かないんだ。小さな結界を張り巡らせているように、風の精霊が俺に触れることはない。一行の中に俺がいたから見えなかったんだろう」
どう言うこと?
「俺は神官じゃないんでよくわからないが、風の力が俺に効かないのは、俺が風に背かれているからなのだろう。風の守りのない者は、風の精霊も見ない。管轄外だと無視するそうだ」
「なんで?王様なのに?」
「俺は本来王位を継ぐ者じゃない。俺の名はレンディルム・イル・ビスラ。イルとは第四子につける名だ。俺はいわば王位簒奪者なのだ」




