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「お前たちの仮説は正しい」
マデアはそう言った。
ステアが用意した椅子に腰かけ、お茶の香りに目を細めながら、そう言った。
テーブルの上には、お茶とお菓子が並べられている。
マデア以外の吸血鬼たちも、椅子に腰かけ、お茶とこの村のお菓子を楽しんでいる様子だった。
「白魔法には、傷や病気を治そうとする体の力が必要、という事ですね?」
メイヤーが目を輝かせながら、質問する。
「そうだ。私達吸血鬼の体では、その力がとても弱い。だから、人間が簡単に使える白魔法がなかなか使えない」
「やっぱり!」
メイヤーは謎解きを終え、すっきりしたような顔で呟いた。
しかし、それでは疑問が残る。
なぜ、吸血鬼の七官というお偉方は、こんな簡単に理解できるものを隠したがったのか?
オレが首をひねる隣で、メーラも同じく首をひねっていた。
「ここまでは良いのだ。私たちが恐れたのは、この結論が出た後の展開だ」
「なんですか?」
「理屈を理解できれば、今度は使ってみたくなるだろう?」
「そりゃあ、もちろん!」
「昔、人間の白魔法が確立され、その情報が入って来た時に、魔法の研究者たちはこぞって新しい魔法に飛びついた。かく言う私もそうだった」
「まあ、マデア様も研究していらしたの!?初耳ですわ」
「当然だろう。研究したからこそ、禁止したんだ。身をもってその危険性を体験したからな」
危険という言葉に、メイヤー、タロル、ステアの三人は身を乗り出す。クレイは吃驚したように目を見開き、メーラはいぶかし気に唇を曲げる。
「怪我や病気を治す力、人間はこれを免疫力と呼ぶが、白魔法にはそれが必要だ。しかし、我々、吸血鬼はその力が弱い。白魔法を使うには免疫力を上げる必要がある。そのためにはどうすればいい?そう、わざと怪我をして、あるいは病気にかかり、黒魔法を使わずに治すのだ。人間のように」
マデアは銀のナイフと、薬草を見る。
「使っていいのは、薬草や清潔な水やお湯や布、それに消毒が期待される火のみ。人間が考えて編み出してきた知恵を借り、我々研究者は自らの体を傷つけて、免疫力を高めようとした。当然、もともと免疫力の低い事を知ったうえで、その危険性は予測していた。なので、準備した。もしもの時に備えて、徹底的に。しかし……」
マデアは小さく嘆息して呟いた。
「多くの同胞が死んだ」
マデアの言葉に、部屋の空気が重くなった。
「…………死んだ?」
「…………」
「…………」
メイヤー、タロル、ステアは言葉を失ったようにマデアを見ていた。
「一年という短い間に、我々の半数が死んでしまった歴史があるのを知っているな?」
「も、もちろんです。しかし、あれは、あの原因は病原菌で……」
「そうだ。タイミングが悪かったのだ。とても」
マデアはショックを隠し切れない三人の顔を見て、静かに話を進める。
「免疫力を高めようとする実験の最中に、あの病原菌が猛威を振るいだした。いや、我々がその状況をおぜん立てしてしまった、という方が正しいだろうな。あの病原菌は、免疫力の少ない吸血鬼の体という、恰好の餌場を見つけたんだ。沢山の同胞が死んだ。黒魔法さえ使い、初期に手を打っていれば死ななかったであろう、熟練の魔法使いたちが」
「…………」
「気づいた時にはもう遅く、病に倒れた仲間たちは、黒魔法を使っても治せないほど悪くなっていた。すべては発見が遅れてしまったせいだ。免疫力の低い我々は、病気にかからない事、怪我をしない事が最善手なのだ。毒を体内に深く取り入れてしまう前に追い出す事。できるだけ皮膚や鼻や口に入った時点で見つけ出し、それを追いだすか、殺す。体内で戦う力の無い我々には、それしか身を守る術が無いのだ」
「いや、ちょっと待てよ。お前たちは魔法が使えるんだろう?少しくらい菌が体の中に入ったからって……」
オレの言葉に、マデアは皮肉な笑みを浮かべた。
「そこが我々吸血鬼と、お前たち人間の違いだ。お前たちは免疫力が強いおかげで、免疫機能と病原菌が体内で戦っている間でも、体は動くだろう?呼吸ができ、心臓は拍動し、睡眠を取ることができる」
「……え、まさか……」
「我々は違う。我々脆弱な免疫機能が、病原菌と闘い始めると、我々はショック状態を引き起こす。熱が出るなんて時間は無い。戦おうとしてもあまりに弱すぎて、すぐに全滅してしまうのだ。その結果、体は動かなくなり、呼吸が止まり、心臓が動かなくなる。いくら魔法が使えると言ったって、体が動かなければ使えない。病原菌を倒す呪文を知っていても、それを唱えられなければ、集中する力が無ければ、なにもできない」
「…………」
「古代竜という存在を知っているか?人間」
マデアがオレに質問した。
「ああ、この世の始まりから生きているっていう竜だろう?だいたい眠っていて、何千年に一度目を覚ましては、大地を揺り動かして世の中を騒がせるっていう……」
「そうだ。竜は実在する。そして、その竜は毒を持っている。この世界で一番強力な毒だ。我々の調べではな」
「……へえ」
「この毒に対抗できる魔法や技術は無いと言われてきた。この竜が大暴れし始めた時が、この世の終わりなのだというのが、我々の中での常識だった。しかし、数百年前、その常識を打ち破る魔法使いが現れた。我々の同胞で、当時最高の魔法使いだと言われていた吸血鬼だ」
「ミランダ・トーピーですね」
メイヤーの言葉に、マデアは頷く。
「彼女は古代竜の住処へ乗り込み、そこに咲く花を持ち帰って来たのだ。古代竜の毒が渦巻く住処でも生きる力を持つ花だ。その花を発見できたおかげで、毒に対抗する我々の魔法技術は飛躍的に強くなった。ミランダは毒を打ち負かす魔女として、伝説となった。その彼女も死んだ」
「ウソ!!??」
そう叫んで立ち上がったのは、メーラだった。
「ミランダ・トーピーが死んだなんて、そんな話聞いたことない!彼女はどこかで生きているんじゃないの!?」
「この事実は、隠してきた。同胞たちが知るには、あまりにもショックが大きいという理由でな。ちょうど、病原菌による大量死が始まりかけていた頃だった。同胞の死に動揺する仲間たちに、これ以上ショックを与えたくないという理由からだ」
「そんな……」
メイヤーが呆然とした様子で呟いた。
ステアも、タロルも言葉を失っている。
ミランダという人物については知らないが、強力な毒と闘い、打ち勝って来た人物までが死んだという事実は、かなりショックなニュースだろう。特に、病原菌と闘っている最中の人々にとっては、もう、死ぬしかないのかもしれないという絶望すら感じる内容だ。
現に、既に病原菌の脅威が去った今でも、この場にいる吸血鬼たちは、衝撃で呆然としている。
マデアはそんな彼らを見回し、「これが、白魔法を禁止した理由だ」と、重々しく言った。