74
夕食の時間になり、みんなで食堂へ行った。
食事を人間の血から花の蜜に変えてから、メーラは毎日一度、食べるようになった。人間の血とは違って、花だと腹持ちが悪いのだ。
でも、それが嫌だとは思わなかった。食事の時間は楽しみでもある。誰かと一緒に食べるのもいいし、一人で食べるのも良い。
今夜の食事も美味しく、そして、楽しかった。
しかし、やはりクレイの様子が気になった。
最近、食堂にパッパース村から食材が届いたようで、クレイの夕食は見たことのあるメニューが並んでいた。人間用のメニューが珍しいジャムやジャミン達に、あれこれと食材の説明をしながら、クレイは食事していた。
いつもどおりのようで、いつもと少し違う。
クレイに元気がないような気がする。
ご飯は全部食べていたし、笑顔も見せているのだが、違うのだ。
(なんなんだ?今朝はいつも通り元気だったよな。昼も・・・、いや、昼頃からなんか元気がないんだ。フクロウ便が来た頃から・・・)
送って貰ったマフラーや手袋に大喜びした後からだ。昼御飯を終え、三時間目が始まりそうになったとき、クレイの表情にふと暗いものがよぎった気がした。それは一瞬のことだったが、気のせいではない。
夕食を終えると、クレイは談話室には行かず「今日は部屋で勉強する」と言って、階段を上っていってしまった。
クレイだけではなかった。
今夜はいつもと違い、談話室に集まる子供の数が少ない。そして、いつも騒がしい面々が妙に大人しい。
(? ? ?)
メーラは、いつもと違う空気に落ち着かず、談話室中を見回す。
何かがおかしい。
クレイも含めて、仲間達の様子が変だ。
(なんだ?何かあったのか?でも、俺は今日、クレイとずっと一緒にいたし・・・)
何かあればメーラだって気づくはずだ。
メーラは今日のことを朝から順に思いだしたが、いつもと違うことはフクロウ便が来たことくらいだと思い出す。
教材やノートをいれているリュックを手に取り、マフラーや手袋が入っていた、麻の袋を取り出す。中にはメーラにあてた手紙が入っていた。内容はクレイのとほとんど同じだ。寒さに気を付けて、風邪を引かないように、と、村のおばちゃん達とジェナからの短いメッセージが書かれている。
(寒さ・・・風邪・・・)
ふと、思い出したのは、クレイが風邪を引いたときの事だった。
去年の春先、野球が終わった後にいきなり体調を崩したクレイ。ついさっきまで興奮していたと思ったら、急に静になり、そして・・・
「あいつ、まさか!?」
突然そう叫んで立ち上がったメーラを見て、周りにいた子達がビックリした顔をする。
「どうした?」
ジャムが聞いてくるが、メーラはそれには答えず談話室を飛び出す。
二階へ上がり、クレイの部屋の前に立つ。
ノックをしようとして、少し迷い、扉に耳を当てて中の音を聴く。嘔吐しているような苦しげな声は聞こえなかった。
「何してんだ?」
ジャムが声をひそめて聞いてくる。
「クレイ、俺だ。入っていいか?」
メーラは扉をノックした。少し待って、中から返事が来た。
「なに?」
クレイの声のはずだが、くぐもっている。
変だ。
嫌な予感に突き動かされて、メーラは許可もなしに扉を開いた。
扉の向こうにはクレイがいた。
口許をマフラーで覆っていた。いきなり入ってきたメーラを見て、目を丸くしている。
そして、その目は涙に濡れていた。
(やっぱり具合が悪いのか!)
メーラはクレイに歩みより、口許を隠していたマフラーを奪い取る。
前回吐いたときも、クレイは苦しさに涙を浮かべていた。メーラは予感が当たったのだと思った。
しかし、マフラーに汚れはなく、床のどこにも吐瀉物は見つからない。
「クレイ、どうした?泣いてるのか?」
ジャムが驚いた声で言った。
そうじゃない、気分が悪くて泣いているんだと、メーラは心の中で思ったが、ジャムの言葉で顔を真っ赤にしたクレイを見て、自分の方が間違っているのだということがわかった。
「な、なんで、いきなり、入ってくるのさ!」
クレイが叫ぶ。
必死で涙を隠そうとしているが、鼻水と震える声がまるで隠せていない。
部屋を見回すと、ベッドの上に物が散らかっていた。いつもきれいに掃除して、整理整頓しているクレイからは考えられない状態だ。
ベッドの上にあるのは、今日送られてきた手袋と毛糸の帽子、それに、パッパース村から届いた手紙、村の友人達から貰ったお守りや木彫りのおもちゃ。花で作ったしおり・・・
全て、クレイの大切なものだ。
「こ、これは、その・・・」
メーラが見ているものに気づいて、クレイはなにかを言おうと口を動かすが、なにも言えず、そのかわりなのか、目に涙が盛り上がってきた。
「な、なんで扉開けるんだよ!メーラのバカ!!な、泣いてるとこ見られたくなかったのに!!」
クレイはそう叫ぶと、マフラーを抱き締めたまま床にうずくまって大泣きし始めた。
突然のことに、メーラは固まってしまった。
クレイの体調が良さそうなことには安心したが、心の方は不安定なようだ。
そして、恐らくその理由は・・・
「クレイ、家に帰りたいのか・・・」
ジャムが後ろでぽつりと呟く。
そして、何故か鼻をすする音が聞こえる。
ぎょっとして後ろを振り向くと、ジャムの目にもみるみる涙が盛り上がってきていた。
「な、どうして、お前まで!?」
「お、オレも帰りたい・・・母ちゃんと父ちゃんに会いたい!」
ジャムはそう言うと、堪えきれなくなったようにクレイに突進して、抱き合って泣き出した。
「お、俺も、パッパース村に、か、帰りだい・・・」
クレイがわんわん泣きながら、言った。
(こ、これは、俺には無理だ。誰か連れてこないと・・・)
メーラはクレイとジャムの様子を見て、大慌てで部屋から逃げ出した。
エーテ先生がいい。先生ならきっと二人を泣き止ませてくれるはずだ。
そう思って先生の部屋に行こうとしたら、談話室からも誰かが泣く声が聞こえてきた。
(え!?こっちも!?)
メーラは驚いて、談話室を覗き込む。
さっきまで大人しく勉強していたはずの同級生達が、何故かほぼ全員泣いていた。
「おうち帰りたいー!」
「ママとパパに会いたいー」
「一人で寝るの、もうやだ!」
全員、ホームシックにかかっているようだった。上級生とエーテ先生が、そんな一年生によりそっている。驚いたことに、『霧の人』であるサマーンまで、静に涙を流している。『霧の人』は感情の起伏がほとんどなく、泣いたり怒ったりすることがとても希な種族だと聞いていた。実際に、この4ヶ月一緒に過ごしてきて、彼はいつも静に微笑んでいるか、眠そうにしているか、実際に寝ているかのどれかだった。
そんな彼が泣いていて、おまけに一年生のほとんどが泣いているということは、何かある。
メーラはピンときて、寮の外へと向かった。
冷たい風が吹いていたが、寮の周りは静かなものだった。
キョロキョロと見回し、見つけた。
寮の屋根の上に、泣き虫魔族、パンジーがいる。しかも子供だ。大人のパンジーは誰かの死を告げるために泣くが、子供のパンジーはただ悲しいときに泣く。自分達だけ泣けば良いのだが、彼らが泣くと、近くにいる子供達も泣き出すのだ。
パンジーの悲しみを我が事のように感じてしまうらしい。
メーラはコウモリの姿になり、屋根に飛び上がった。
「おい、なんで泣いてるんだ?」
メーラが聞くと、子供パンジーは一瞬泣き止んだが、すぐにまた泣きはじめた。
「ま、ままがいないの!」
「かえってこないの」
「さがしにきたの!」
三人の子供パンジーは舌たらずな口調で事情を話してくれた。
「そっか。わかった、俺も一緒に探すよ。だから、ここから離れよう」
パンジー達を移動させれば、寮の中の大騒ぎも収まるはずだ。
パンジーを屋根の上から下ろしていると、そこへケビンが来た。大人のパンジーを連れていた。
「まま!」
「まま、さがしたのよ!」
「どこいってたの?」
三人の子供パンジーは大人パンジーにかけよって、更に大泣きし始めた。
その泣き声につられるように、メーラの鼻の奥がつんとしはじめる。
(ううう、やばい・・・)
メーラは、母親に抱きつきながら泣くパンジー達から距離をとる。
「良かったですね。すぐに見つかって」
ケビンは大人パンジーにそう声をかけている。どうやら、大人パンジーの方も子供パンジーを探していたようだ。それに、ケビンもつきあっていたらしい。
大人パンジーはケビンとメーラに礼を言って、子供パンジーを連れて森へ帰っていった。
「偉いなメーラ。迷子を助けたんだな。パンジーのママさんが、子供達は子供の集まる場所に行くっていうから、ここに当たりをつけてきたんだけど、正解だった」
「ああ、俺も助かったよ。ケビン、助けてくれ。クレイとジャムが大泣きしてるんだよ。あのパンジー達のせいで」
メーラはケビンの手を引き、寮に連れ込む。
「クレイが?ジャムも?」
「そう。他の一年生も、みんな泣いてる。俺じゃあどうにもできないから来てくれよ」
寮にはいると、いまだに談話室から泣き声が聞こえる。しかし、上級生や先生も来ていて、泣く一年生達に寄り添ってくれている。
普段はコミュニティにいる魚人の上級生達が、ジャミンやサミアの肩を抱き、背中を撫でていた。獣人達は狼や狐、狸の姿で、暖かい暖炉の近くに陣取って身を寄せ合うようにしている。
サマーンの隣にはハーモニー先生がいた。話をしているようには見えないが、ハーモニー先生の手はサマーンの背中に添えられていた。サマーンの涙は止まっていたが、まだ少し鼻が赤かった。
「なるほど、ホームシックか・・・」
ケビンが子供達を見て、呟く。
「クレイもだ。今日、このマフラーが村から届いたんだよ。たぶん、それが原因だと思う。昼くらいから元気がなかったから」
「お!オレのところにも届いたぞ。ミレッタ婆ちゃんが編んでくれたんだ。婆ちゃんのマフラーはあったかいんだよなあ」
ケビンは、首に巻いたマフラーに触れてそう言った。ケビンのマフラーも、クレイとメーラのと色違いのものだった。
「もう、4ヶ月だもんな。今までよく頑張ったよ。慣れない場所でクレイも、メーラも・・・他の子も」
クレイの部屋にはいると、クレイとジャムはベッドに移動して泣いていた。
クレイの膝には、キキもいる。
「クレイ、ジャム、帰りたくなったって?」
ケビンがそう聞きながらベッドに腰かけ、二人の背中を撫でる。その声は、とても優しかった。
「ち、違う。帰りたくなんか、ない・・・ただ・・・」
クレイがケビンの顔を見て、虚勢を張るが、涙は止まらない。
「会いたくなったんだろう?ミックとローワンとジャックに。ジェナとマーテルにも」
「・・・・・・」
「ミレッタ婆ちゃんにも、ジェロームさんにも、モラン爺ちゃん、ジェペットさん、フィオナ、ココちゃん・・・」
ケビンがパッパース村の人たちの名前を挙げると、クレイは顔をくしゃくしゃにして、またもや大泣きし始めた。
「ちょっ!!なんで、そんなことするんだよ!」
メーラはケビンをぐいとひっぱり、クレイから離す。
「俺は泣き止ませてほしくてお前を呼んだんだ!なんで更に泣かせるんだよ!」
「いいんだよ、泣かせて。ホームシックは誰にも止められない。どうしようもなく悲しいもんだよ。なにせ、あと2週間は帰れないんだから」
帰れないという単語を聞いて、ジャムもクレイも泣き声が大きくなる。
ケビンは、そんなジャムの背中を撫でて「ジャムは誰に会いたい?母ちゃんか?」と話しかける。
「か、母ちゃんと、父ちゃんと、兄ちゃんと、姉ちゃん・・・隣の家のザムザのおじさんとおばさん・・・」
「そうか、会いたい人がいっぱいいるんだな。どんな人たちだ?」
ケビンの質問に、ジャムは途切れ途切れに家族や隣人の事を話し始める。しかし、話の途中で悲しみが盛り上がってきてしまい、ベッドに顔を埋めて泣き出してしまう。
「これでいいんだよ。帰れないなら、泣くしかない。会いたい人たちの事を無理に忘れようとしなくていい。会いたいって大声で泣いていいんだよ」
ケビンの言葉を聞いて、クレイとジャムはもう遠慮などしないとばかりに泣きはじめた。
メーラは二人の気持ちがわかった。泣くことを許されたと感じたのだ。
誰も禁止などしてはいないのに、今の今まで泣くわけにはいかないと思っていた。
自分達でマーリークサークルに来ると決めたのだ。寮生活も覚悟の上だった。
ホームシックで泣くなんて、自分が許せなかったのだ。
「ほら、メーラも来い。お前だってメイヤーさんとタロルさんに会いたいだろう?我慢しなくていい」
ケビンに手を差し出され、メーラはずっと我慢していた涙腺が決壊した。
しかし、ジャムとクレイのようには泣けず、ケビンの背中に隠れるようにして泣いた。
「お前はどこに帰りたい?」
ケビンは、器用に腕を回して、メーラの背中を優しくたたく。
「・・・魔界の家・・・」
「そうか・・・年末の休みに入ったら、メイヤーさん達に頼むといい。親子三人水入らずで過ごしてこい。楽しいぞ」
メーラは声に出さずに頷いた。