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クレイたちはゆっくりと、水の中を進んでいく。時々、魚が前や横を泳いでいるのが見える。
「なあなあ、沼魚いない?」
すっかりと元気を取り戻したジャムは、ジャミンの手を放して、水の中を泳ぐ魚を目で追いかけている。
「沼魚は沼にいるの。ここにはいないわ」
ジャミンは呆れたように、そう言った。
他の生徒たちも、すっかりと安心したようで、あちこちでおしゃべりが始まっている。
不思議な形の岩、灌木のように群生している水草、手のひらに収まりそうな小魚、カニやエビのような小さな生き物が時折砂の中から顔を出しては、隠れて行く。
湖の中は、森の中と比べて、とても穏やかだ。
しかし、クレイはそう簡単に安心できなかった。ジャミンの手も放せない。
コッコメット先生が操る膜は、ゆっくりと水の中を進み、どんどん暗い方へ、太陽の光が届かない方へと移動している。
後ろを振り返ると、明るい場所がはっきりと見える。すでに、クレイたちは、あそこよりも暗い場所へ入り込んだのだ。
行く先はさらに暗い。
進むにつれ、お喋りが減り、ジャムも傍に戻って来た。ジャミンと手をつなぎ、メーラのローブも握る。
「暗いな……」
「暗いね……」
なぜか、声を潜めてしまう。
それだけ、湖の深い所の暗さは、怖いものがあった。
「……二人とも、一旦、手を放して」
ジャミンに言われ、クレイは放した。放したくはなかったが、ジャムがあっさりと手を放していたので、怖いから嫌だとは言えなかった。
ジャミンはローブの中から魔法の杖を取り出した。
呪文を唱えて、杖を降る。
クレイの知っている呪文だった。
(あ、これは……)
小さな光球が杖の先から現れた。
しかし、呪文に一部間違いがあったため、その光は一瞬強く光った後、すぐに薄くなってしまった。
「あ、あれ?」
ジャミンが慌てたように呟く。
しかし、笑う者はいなかった。
ジャミンが光を出してくれたことで、ようやく、皆自分が魔法使いであることを思いだしたようだった。
クレイもそうだ。
(そっか。暗くて困っているなら、明かりを出せばいいんだ)
あちこちで、光の呪文を唱える声がする。
クレイも唱えた。メーラもだ。
薄紅色の膜の中が、柔らかな光で明るくなる。
「おお!クレイ、メーラ。お前ら上手だなあ!」
ジャムが手を叩いて褒めてくれた。(ジャムは杖すら出していない)
クレイとメーラが出した光球は、他の子が作った光球の中で、一番強い光を放っていた。
「なによ!できるならやりなさいよ!私、下手くそなんだからね!」
ジャミンが、クレイとメーラに怒る。
「ゴメン。怖くてそれどころじゃなかったんだ。ジャミンが魔法で出してくれたおかげだよ」
「オレは別に、平気なんだけど、ジャムがひっついて来るのが鬱陶しいんだよ」
すっかり明るくなったおかげで、みんな元気が出たようだ。
「さあさあ、皆さん、そろそろ、目的地に着きますよ」
コッコメット先生がそう言った。
先生の目が、薄暗い中ぼんやりと光っていた。
「うひっ!?」
「あ、驚かせてごめんなさい。これは魚人の体質なんです。暗くても周りを見ることができるように、私達の目は、小さな光でも集められるようにできているんです」
よく見ると、ジャミンの目も、うっすらと光っていた。他の魚人の子たちの目を見ると、彼らもまた、うっすらと目が光っている。
「では、皆さん、少しだけ光を弱くしてみてください。大丈夫、目は暗さに慣れます。そうそう、それくらい。周りを見回してみましょう。何が見えますか?」
先生の言葉通り、辺りを見回すと、小さな光がいくつか見えた。星の瞬きのように、時々、それらの光が明滅する。
「あれ、なんだろう?」
「魚のうろこが光に反射してるんじゃない?」
「でも、二個ずつあるよ。それに、ほら、動いてる……」
二つの光が、瞬きながら近づいてきた。その二つの光が、誰かの目である事に気付いた時には、その人はドーンと膜にぶつかって来ていた。
「うわわわわわ!?」
クレイは思わず悲鳴を上げて、ジャミンに縋り付く。
膜は、誰かがぶつかったせいで大きく揺れた。
「大丈夫だって」
メーラの落ち着いた声が聞こえるとも、クレイのパニックはおさまらない。
他の子供たちも、悲鳴を上げている。ジャムは驚きのあまり、獣の姿に戻り、メーラの足の間で尻尾を丸め、身を縮めている。
甲高い笑い声が聞こえてきた。
子供の笑い声だ。
「……?」
光を強くして、目を凝らすと、膜の外側に魚人の子供がいた。
人魚のようで、上半身が人間、下半身が魚の尾ひれだ。年はクレイとそう変わらないように見える。
怖がるクレイたちを指さして、腹を抱えて笑っている。
「ここの住人達です。いたずら好きの困った子です」
コッコメット先生が、穏やかな声でそう言ったが、顔を見ると笑いをこらえているのがわかる。
ジャミンを見ると、彼女も笑うのをこらえている。
「お、おどかすなんて、酷いよ!」
「おどかしたわけじゃないわ。ただ、ぶつかって来たのよ。あの子が」
ジャミンが指さす先に、さっきの子がいて、水の中で宙返りした。
「お前!ふざけんなよ、このやろー!」
怒りで元の体に戻ったジャムが、拳を振り上げて怒る。しかし、膜の中から出てこられないとわかっている子供たちは、舌を出してジャムを挑発する。
しかし、そこへ、大人の魚人が現れて、子供たちの頭に拳骨をくらわせた。
「申し訳なかった。魔法学校の一年生。毎年の事なんだが、子供たちはこの日を心待ちにしていてね」
膜を隔てているためか、声が少し遠くに聞こえる。
気づくと、もっとたくさんの魚人たちが、膜の周りに集まって来ていた。
「わ、わあ……!」
クレイは驚きに目を見張った。
膜の外にいる人たちは、腰から下が魚の人魚だったり、コッコメット先生のような半魚人だ。目がうっすらと光っており、暗闇に見えていた明滅する光は、彼らの目だったのだとわかる。
さらに周りを見れば、そこには、大きなごつごつとした岩が並んでいる。窓っぽいものや、ぼんやりとした灯りが見えているという事は、ここは、魚人たちの住まいなのだ。
「すごい!ここに住んでるの?ジャミンも?」
「まあね。マーリークサークルに来る魚人の学生たちのための家があるの。でも、それ以外にもここに住んでいる人たちがいるわ」
「?ってことは、ジャミンの故郷はここじゃないの?」
「違うわよ。もっと遠くにある海が私の故郷よ。あんたと同じ」
この湖に、すべての魚人が住んでいるわけではないのだ。当たり前だが、ここのような環境が、魔界中にあるのだ。
クレイは、それに気づいて、驚いた。
当たり前のことだが、クレイの中では当たり前ではなかった。
クレイは陸の上の生活しか知らない。
この湖が魚人たちのコミュニティと言う事は、エーテ先生が教えてくれて知っていたのに、ここでどんな生活をしているかなんて、まるで想像できなかったのだ。
そして、更に広い範囲で、クレイの知らない生活がある。
(……世界って、広い……)
クレイは、魚人たちを見て、そう思った。