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「ゆっくりと深呼吸して」
マックスの声に従い、クレイはゆっくりと息を吸い、吐いた。
まだ、お日様が顔を見せていない早朝。
少し冷たくて、湿っぽい空気を体の中で感じた。
「白魔術は、自然の力を借りることで発動します。己の周りにあるものを、全て取り込み、自分のものにしてみなさい」
「?何言ってんだよ、わかんねーよ」
「こら、メーラ」
メーラが文句を言って、メイヤーがそれをたしなめた。
マックスは苦笑し、「いえ、良いんです。私も同じことを思いました」と言って笑う。
「でも、言葉にすると、そう言うしかないんです。自分の周りにあるものすべてを感じてみてください。白魔術はそれを使います」
「それってなんだよ?わかんねーよ」
「まずは口を閉じて」
マックスの優しげだが、圧のある声に、メーラは口を閉じる。
「ゆっくりと深呼吸して。吸って、吐いて」
クレイはマックスの指導に従った。
メーラと同じく、「自分の周りの物」という意味はさっぱり分からないが、とにかく何か感じ取れるかもしれないと、わかる部分だけ実行してみる。
「五感すべてで感じてください。そうすれば、それが「何」かわかります。何かがわかれば、魔術として使えるようになります」
ゆっくりと呼吸を続けながら、マックスの言葉に耳を傾ける。
肌で感じる空気は、少し冷たい。
少し湿っぽい土の香りがする。
朝もやが漂い、視界は悪い。
遠くから、鳥のさえずりが聞こえてきた。
(ええと、五感の最後は味覚?)
クレイは舌を動かしてみたが、味は何も感じない。
(うーん、難しいなあ……)
ゆっくりと息を吸い込む。
朝の空気は澄んでいて、気持ちが良い。
呼吸のたびに、体の中から綺麗になる気がする。
クレイは目を閉じた。
(肺だけじゃもったいない。体全体に、この気持ちよさを行き渡らせたいな……)
そんな事を考えていたら、少しだけ体の中がポカポカしてきた。
不思議に思って目を開けてみると、マックスが目の前に立っていた。
クレイを見て、嬉しそうに微笑んでいる。
「それが白魔術です。気持ちがいいでしょう?」
「……え?」
「お前、コツ掴んだんなら教えろよ!」
「いや、コツも何も……よくわかんないんだよ」
「嘘つけ!できたんだろう!?抜け駆けする気か!?」
「そうじゃないよ!」
メーラとクレイの言い合いは、だんだんとヒートアップしてきた。
結局メーラは白魔術の片鱗すら掴むことができず、クレイは良く分からない内に使う事が出来たようだ。
黒魔術の方では、クレイよりも良くできるメーラなので、先を越されてかなり悔しいのだろう。
「まあ、白魔術ってそういうものだよな」
メーラとクレイの喧嘩を眺めながら、ケビンは呟く。
「そうですね。一応体系化されているんですが、上手く言語化されていません。使える人間にもよくわかっていない部分が多いんです。人に教えるとなると、かなり難しいのです」
マックスはそう言ってため息をつく。
「私も、師に弟子入りして白魔術を学びましたが、教科書はあてにならないし、師の言葉は抽象的過ぎて、もう、何度も腹立たしくなりましたね」
「……やはり、私たち吸血鬼とは相性が悪いのでしょうか?」
喧嘩するメーラを見ながら、メイヤーさんが残念そうに呟いた。
メイヤーさんも、できなかった。
魔法使い初心者のクレイができて、吸血鬼二人ができないという事は、根本的に合わないということだろうか?
「…………白魔術とは突き詰めてしまえば、自己治癒力の応用なんです。これは、誰でも持っています。人間でも動物でも吸血鬼でも。だから、使おうと思えば誰にだってできるもの、と考えられています。体にできた傷が治ること自体がもう、白魔術なんですよ」
マックスは静かに言葉を紡いだ。
メーラはクレイを問い詰めるのを止めて、マックスの言葉に耳を傾けた。
「吸血鬼は、怪我や病気をしても、黒魔術で簡単に治してしまいますよね?」
「ええ、そうですね。私達は傷や病を治るまで待つという事がありません。一番に予防措置を取りますし、傷が一つでもできたら、すぐに皮膚を再生させます」
メイヤーさんの言葉に、マックスは頷く。
「白魔術は、怪我と病気ありきの魔法です。そして、黒魔術ほど治療が速くありません。完治までにかなりの時間をかけます。ひどい傷だと、熱が出たり、傷口が膿んでしまうという事もあります。その経過も含めて体系化してあるんです。白魔術は自己治癒力を手助けするだけで、怪我を治すのは体の役目なんです」
「……私たちは怪我や病気に慣れていないので、体の機能を高めるというやり方が、未熟という事でしょうか?」
マックスは難しい顔をして「そうかもしれません」と言った。
「じゃあ、怪我をして、魔法で治さなければいいのか?治るのを待てばいい?」
メーラが近くにあった小枝を拾った。
「こら、ちょっと待て、何する気だ?」
「腕に傷作るだけだよ、ちょっとなら平気だ」
「…………」
オレがマックスとメイヤーを見ると、二人は困ったような顔をする。
メーラの仮説は納得できるが、怪我に慣れていない体に傷を作ってしまった場合、メーラがどうなるのかが心配なのだ。
「……小さな怪我から黴菌が入るという事もあります。わざと怪我をするのは、あまり勧めませんね」
「……そう、ですよね……」
心配そうな顔をする大人たちを他所に、メーラは「大丈夫だよ」といて、小枝で腕をひっかいた。
小さな傷ができて、血がにじむ。
しかし、その傷はすぐに消えてしまった。
「あ!しまった!」
メーラはもう一度、小枝を構える。
どうやら、いつもの癖で、魔法で傷を治してしまったようだ。
「ええと、魔法は使わない、使わない……」
「やめなさい、メーラ。ひとまず止めてちょうだい。お父さんと一度話し合ってみましょう。小さな傷でも、私達にとっては危険かもしれないのよ。やるならちゃんと準備してからにしましょう」
メイヤーがメーラを止めた。