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「むむむう……どういうことだ?」
ステアは首を傾げる。
授業の初日が終わった。
ステアの授業は午前中だけだったので、午後の一年生の授業をこっそり見学しようと、ステアは二階の教室へ行ったのだ。しかし、クレイはいなかった。メーラはちゃんと出ていたのに。
どうしたのかと、校内を探し回っていると、イゴー先生から手紙が届いた。クレイが森の危険地帯に入ろうとして、ムラサキバイツに襲われかけたという。
ムラサキバイツは、肉食獣で、とても狡猾な魔物だ。
昔から、城に近い場所に縄張りを持っていて、子供たちを狙っている。
あの場所には、魔法道具に利用できる木がたくさん生えており、授業の一環で採りに行くこともある。それを知っているムラサキバイツは、不用心な子供が、群れを離れて一人になるところを待っているのだ。
マーリークサークル創設以来、一度もムラサキバイツに食べられた子供はいないが、それでも、ムラサキバイツは待っている。
必ずチャンスは来ると信じて、見張りを続けているのだ。
実際、今日は危なかったらしい。
(いったいどうしたというのだ。クレイは危険な場所に好んで入るような子供ではない。むしろ、森を怖がっていたというのに……)
一緒にメーラと、ジャムという名前の友人がいたとあった。しかし、首謀者はクレイであるとも書かれていた。
ステアは心配になり、つい先ほど使い魔を送ってみた。直接行きたかったのだが、教師が生徒に必要以上に接触するのは、禁止されている。
アドバイスは、必要な時だけ。
まずは子供たちを困らせろ。そこが学びの始まりである。
これが、マーリークサークルの教師たちの行動理念だ。
生徒たちには平等に贔屓無く接することを心掛けたいが、魔界初心者のクレイの事を思うと、今にでも飛んで行って、あれこれと世話を焼きたくなる。
その時、使い魔が戻って来た。
どういうわけか、ぼろぼろになっている。
「どうしたのだ!?」
話を聞くと、クレイの傍に強力な魔物がいるという。そいつに食われかけたらしい。
ステアは大慌てでコウモリに化けて、飛んでいった。
寮に着くと、クレイは既に眠っていた。怪我一つなく、元気そうだ。そして、枕元に猫のような狐のような魔物がいる。
魔物はステアに気付くと、瞳をきらりときらめかせて、小さな声で呪文を唱えた。
ステアは寮の外に吹っ飛ばされた。
(こ、コーテャー?)
攻撃魔法をまともに身に受けるなど、何十年ぶりだろうか?止めることも、避ける事もできなかった。ステアは夜空をくるくると飛びながら、驚きと感動を感じていた。
(随分、強いコーテャーがついたのだな……それだけ、クレイに見どころがあるという事だろう)
空中で姿勢を戻しながら、ステアは思う。
(しかし困った……)
コーテャーが付いたということは、クレイの師であるステアは、クレイに近づけなくなる可能性が高い。
ステアはコーテャーを出し抜く方法を考えた。
クレイについているコーテャーは強い。
クレイを育てる身としては、喜ぶべきことなのだが、クレイに会わせてもらえないのは辛い。
授業中にも悩んでしまい、ついつい、生徒たちに質問してみた。
「ところで、君たち、コーテャーを出し抜くには、どうしたらいいか、案はあるか?」
生徒たちの数人は、「またか」という表情になる。
「コーテャーに任せるのが一番だと思います」
「子離れするいい機会だって、本には書いてありますよ」
「陰からそっと見守るのも、親や家庭教師の役割です」
「……正論だ」
ステアはぐうの音も出ずに、授業に戻った。コーテャーに手を焼く教師は、ステアだけではなかったようだ。
しかし、クレイの事を一番心配しているのは、自分だという自信がある。
少しくらい、会って話すくらい良いじゃないか。私にだって、手取り足取り教えるのではなく、適切な助言に留めるくらいの事はできるのだ。
ステアは諦めきれず、必死に策を考えた。
そして、思いついた。
クレイが帰ってくる前に、寮の部屋に忍び込んで待っていよう。
いきなり吹っ飛ばされるかもしれないが、一瞬だけでも、言葉を交わすことができるはずだ。
ステアはそう決め、寮母であるエーテ先生に許可をもらうために手紙を書いた。
エーテ先生からは、「コーテャーがいる以上、あまりお勧めはできませんが、許可します」という返事を貰った。
そして、授業が始まって三日目の夜、ステアは寮のクレイの部屋に入り、クレイの帰りを待った。
クレイは、パッパース村にいた頃のように、部屋を綺麗に使っていた。服もきちんと手入れをしているようだった。勉強机の上には、村から持ってきた本が並び、壁には時間割りが貼られている。
「ふふふ、懐かしいな。小さな机だ」
ステアが学生として、この寮にいた頃と、あまり変わっていない。(ろうかがキノコと苔に覆われている事も、そう珍しいことではない)
もうすぐ夕食の時間となった頃、クレイの声が聞こえてきた。歌を歌っているようだった。
♬ 小人はお酒がだーいすき
ミモザと松の実
苔とすもも
匂いを嗅いだら わっくわく
…………
どうやら、ベーベクラスで教わった小人の歌を歌っているようだ。階段を守る小人に苦戦しているのかもしれない。
(そうか、それで授業に出れないでいるんだな。クレイはまだ箒無しでは飛べないからなあ……)
パッパース村にいる間に、もう少し魔物について教えておくべきだったと、ステアは後悔した。魔界に住む子供たちは、生活の中やベーベクラスで、それらの知識を得るが、クレイにはその機会が無かった。この城の中にも、危険ではないが、厄介な魔物は沢山いるのだ。
知識が無ければ、それらを躱すことは難しいのかもしれない。
廊下で、何かがどさどさと落ちる音がした。
「ああ、しまった!」
クレイの慌てた声がして、ステアは思わず扉に近づいた。拾い集めるのを手伝おうと、扉に手をかけた時、大きな魔法陣が目の前に現れた。
「しまっ……!!」
気が付けば、ステアはどこかへ飛ばされていた。
「くそ!!コーテャーめ!!」
部屋の中にいるステアに気付いたらしい。
なんて耳聡い奴だ。
ステアは、騒がしい森の中にいた。
遠くに、城の尖塔が見えるということは、ここは学校の敷地内の森のようだ。
ちょうど日が暮れた時間。森の中は、生き物たちの活動で、一気に騒がしくなる時間だ。
耳のすぐそばを、何かが高速で駆け抜けて行く。遠くで、木の幹を叩く音がする。茂みや枝葉の間から、小動物の鳴き声が聞こえてくる。
そして、すぐ後ろから、足音が……
魔法で灯りを出すと、そこに剣を構えたケビンがいた。