32
校長先生の祝辞から始まり、来賓の祝辞、保護者の祝辞があり、その後、新入生が一人ずつ壇上に呼ばれ、校長先生から何かを手渡されることになった。
(何を貰ってるんだろう?巻物?)
名前を呼ばれ、壇上に上がった生徒は、緊張した様子で校長先生から巻物を貰い、言葉をかけてもらっていた。
どうやら、校長先生は、新入生全員の顔と名前を憶えているようで、ベーベクラスに通っていた頃の事まで覚えていた。
「変身魔法がうまくなりましたね」とか、「獲物を沢山獲れるようになりましたか?」とか、「昔と同じで、あなたの羽はとても綺麗です」と言うような言葉をかけていた。
子供たちは、やはり、それぞれ、びっくりしていた。
「メーラ・タルダラ・コブリッジ」
メーラの名前が呼ばれた。
メーラは前の方の席に座っていたようだ。緊張した声で返事をして、壇上に上がる。
「メーラ君とはベーベクラス以来だ。人間の世界で生活していたと聞くが、どうでしたか?」
「は、はい、あの……不思議な事ばかりです」
校長先生は面白そうに目を細める。
「今度ゆっくりお話ししましょう。私も人間の世界に興味があります」
「はい」
「ここで、メーラ君の興味のある事が見つかる事を祈ります」
校長先生はそう言って、メーラに巻物を渡した。
後ろの保護者席から、羨ましそうな声とため息が聞こえてきた。
「いいなあ、あの子。校長先生と話せるなんて」
「懇親会は短いから、挨拶くらいしかできないし……」
「うう、羨ましい……」
校長先生は本当に人気らしい。
この学校トップだからだろうか?保護者達の様子を見ると、それ以上の何かがあるような気がする。
(それにしても……校長先生はなんなんだろう?人間っぽいけど、ここに人間はいないはずだし……)
鱗や翼は見えない。
変身魔法の使い方によっては、外見では見分けられないくらい、他の種族そっくりに化けられると聞くが、大抵の魔法使いは、どこかに自分の特徴を残すものだと、ステアが言っていた。
校長先生には、それが見当たらなかった。
(服で隠れているだけかな?)
「モーリス・ウダ」
返事をして立ち上がったのは、巨人の子供だった。新入生の中でも飛びぬけて背が高く、体格が良い。特に足が大きい。きっとケビンよりも大きいだろう。
モーリスは少し身を縮めるようにして歩き、壇上に立った。
「君がここに来てくれて、本当にうれしいよ、モーリス」
「あ、ありがとうございます」
「君と故郷の話ができるのが、とても楽しみだ。君が良い知識を授かりますように」
モーリスは巻物を貰って、壇上を降りた。
(巨人の住んでいる場所が故郷?それじゃあ、校長先生は巨人族?)
あの身長は魔法で縮めているのだろうか?
クレイは首を傾げる。
「クレイ」
クレイの名前が呼ばれた。
慌てて返事をして、立ち上がる。
転ばないように通路を歩き、壇上に上がる。
目の前に立つ校長先生は、遠くから見るよりも大きくて迫力があった。
まっすぐで力強い視線を受けると、自然と背筋が伸びる。
「……人間の生徒が来てくれるのは、100年ぶりだ。マーリークサークルへようこそ、クレイ君」
「お、お世話になります」
会場内の空気が少し変わった。
クレイは自分が注目されていることがわかった。
「君は、他の子たちより、少しだけ大変な思いをするだろう。まずは魔界に慣れ、ここの生活を楽しみなさい」
「はい」
「人間の世界は、魔法の使用が不自由だと聞く。ここは自由だ。好きなだけ魔法を楽しむと良い」
校長先生の言葉は、クレイの心にするりと染みこんだ。
クレイがここで、思いっきり勉強したいという気持ちを、応援してくれていると感じた。
「はい!」
校長先生は、目じりを和らげた。
「まずはベーベクラスへ行きなさい。そこが君の学ぶ場所だ」
クレイは驚きのあまり、声が出なかった。
校長先生から、新入生全員と保護者の前で「ベーベクラスへ行け」と言われてからの記憶があいまいだ。
気が付けば、巻物を手に、自分の席に戻っていた。
「クレイ、もう終わりだぞ」
いつの間にか入学式が終わり、呆然と椅子に座っていたクレイの肩を、ケビンがゆすっていた。
他の子たちは既に移動を始めていた。
みんな楽しそうに、貰った巻物を見ている。
クレイ以外、ベーベクラスで勉強しろと言われた子はいない。
クレイは悔しさのあまり、泣きそうになってしまった。
しかし、ここで泣くわけにはいかないので、クレイは立ち上がった。
「あとは、飯食って寝るだけだってさ。ええと、大丈夫か?」
「……大丈夫」
ケビンはこれから懇親会だ。
さっきから先生の一人が「懇親会会場は二階です!」と保護者達に声をかけて回っている。
「行って、ケビン。オレは一人で大丈夫だから……」
「……わかった。また、明日な。勉強頑張れよ」
ケビンはそう言うと、クレイの頭を撫でてから、二階へと向かった。
クレイは寮に向かって歩き出した。
食堂に行く気にはなれず、一人になりたかったのだ。
外は日が落ち、暗くなっていた。
寮には明かりがつき、生徒たちの姿も見えた。エーテ先生が、新入生の子供たちに、部屋番号を教えている。
クレイは、一人静かに階段を上がり、部屋に入った。
クレイの荷物は明日届くことになっており、今は必要最低限のものしかない。
持って来た手荷物の中に、ジャックたちがくれた餞別のお菓子がある。クレイが大好きな、パッパース村特産の焼き菓子だ。元気を出したいときに食べろと、渡された。
本当はもう少し取っておきたかったのだが、クレイは包みを取り出し、食べた。
元気が必要なのは、今だ。
小麦粉と砂糖と卵で作られたそのお菓子は、やっぱり美味しかった。
お腹が少し落ち着くと、悲しい気分も落ち着いた。
(オレは、ベーベクラスに行かなければいけないんだろうか?)
クレイは困ってしまった。
できれば他の子と同じように勉強したい。師匠の授業だって受けてみたい。しかし、ダメだと言われたら、受けようがない。
「……時間割り……」
入学式の最後で、一年生の担任だと言う女性の先生が、授業について説明をしていた気がする。
クレイは巻物を縛っている紐を解いて、広げてみた。
4枚の紙が束になっていたようだ。
そのうちの一枚に、一年生の一週間分の授業の時間割りが書かれていた。
書かれているのは、古代文字、ここでは魔法文字と呼ばれるものだった。
「ええと……」
書かれている文字の半分以上が読めなかった。曜日はわかるし、時間も分かる。
しかし、何の授業がどこで行われるのかがわからない。
「そうだ!ほかの子に聞いてみよう!」
クレイは紙を手に、部屋の外へと出た。
そして気づいた。寮の中がやけに静かな事に。
「?」
一年生は少なくとも50人はいた。
全員が部屋の中にいるとしても、こんなにも人の気配が無いなんてこと、あるのだろうか?
「あら、クレイ君。どうしたの?お風呂?」
エーテ先生がいた。
「先生、あの、他の子たちは部屋にいるんですか?すごく静かだったから……」
「ああ、たぶん、ほとんどの子はコミュニティにいるわね」
エーテ先生はそう言って、廊下の窓の外を見る。クレイも目をやると、驚きの光景が見えた。
ベーベクラスの建物のすぐ近くにあるこの寮からは、湖が見える。
今、湖のあちこちに、ぼんやりとした光が灯っていた。湖の岸辺ではない。湖の真ん中あたりだ。
「あそこは、魚人や人魚のコミュニティ。学校の屋根裏には吸血鬼のコミュニティがあるわ。森へと続く道の近くにある洞穴は、獣人たちのコミュニティになってるの。実家と同じ環境で寝起きしたいって子たちが多いから、皆、最初の内はあんまり寮に来てくれないのよね」
エーテ先生は、ちょっと残念そうにそう言った。
「それじゃあ、皆、ここにいないの?」
「いる子もいるわよ。あ、ほら」
エーテ先生が指さす方を見ると、廊下を靴がぷかぷかと浮いていた。
この靴には見覚えがある。
「霧の人って、どこでも寝るのよね。ほらほら、サマーン君、お部屋に戻って寝なさい」
「はあい……」
眠そうな声が聞こえたかと思ったら、靴が消えた。
「こうなると、どこに行ったか分からなくなるのよ。風邪ひかないのよ!」
エーテ先生は、廊下に向かって注意する。
もう、返事は無かった。
「誰かに用事があったの?」
「あの、じつは、これ……」
クレイが時間割りの髪をみせて、読めない所があると言うと、エーテ先生は「ああ、それなら……」と、どこからか魔法の杖を取り出した。
「一年生は文字を読めない子がいるから、音声魔法がかかっているのよ。こうして……」
魔法の杖で、月曜日の一時間目の部分をポンと叩くと、コッコメット先生の声がした。
『魔界生物学の授業。ノートと羽ペンを用意してください。場所は二階の1番教室です』
「わ!便利!先生、ありがとう!」
「どういたしまして。でも、クレイ君、先生たちのお話はちゃんと聞かなきゃダメよ。入学式で説明があったはずよ」
エーテ先生から注意され、クレイは「気をつけます」と頷いた。
エーテ先生にお礼を言って、部屋に戻り、時間割りをじっくりと読み込んだ。
明日は月曜日。
一時間目はコッコメット先生が担当する「魔界生物学」、二時間目はジョルジュ先生担当の「魔法陣基礎学」。お昼休みを挟んで、三時間目にファヴァ―ヴァル先生の「魔法基礎学」がある。
ベーベクラスの時間割りも載っていた。と言っても、ベーベクラスは午前中の部と午後の部というものがあるだけで、時間割りと言うほどのものは無い。ベーベクラスには出入り自由であり、いつでも遊びに来てくださいと、ピッティー先生の声が教えてくれた。
(……ベーベクラスに行けとは言われたけど、他の授業に行っちゃダメとは言われてないよね……)
時間割りは一年生の分だけではなく、二、三年生のものも見ることができた。(「一年生用」と書かれた部分を杖でつつくと、変化するのだ)
プリントの端っこには、興味があれば、他の学年の授業に出ても良し、と書いてあった。ただし、低学年が上級学年の授業を受ける場合は、単位取得はできず、見学扱いになる、との事だった。
ステアの名前が、三年生の時間割りの中にあった。しかも、一年生の授業が無い時間に開講されている。
(師匠の授業にも行ける!)
クレイは貰った紙の中で、一番大きな紙を引き寄せた。
それは、この学校の地図だった。
学校の見取り図と、森の地図が書かれている。試しに杖でつついてみると、つついた場所が拡大され、さらに詳細な地図が出てきた。
「ええと、4階の3号室は……」
クレイがそう呟くと、地図がぱっと変わり、4階の3号室が現れ、入り口からの経路が示された。
「うわあ、便利だなあ……」
しかし、階段を上るにつれ、地図の色が赤くなる。
地図は白と青と黄色と赤で色分けされており、この色にも意味がある。
白は安全地帯。
青はほどほど安全。
黄色は注意する地帯。
そして、赤は危険地帯。
ステアの授業がある4階は、真っ赤っかだった。
「うーん……困ったなあ……危険ってどういう意味だろう?」
地図上の森を見ると、安全地帯などまるでなく、全体が赤かった。
前回ここに来た時に、森の怖さは体験した。しかし、学校の中に、危険な動物は入って来ないという話だったはずだ。ということは、この学校自体に、危険なものが潜んでいるということで……
「幽霊はいるぞ♪」
マデアさんの言葉が思いだされる。
二年生の授業に、「霊との付き合い方」という授業があった。
(幽霊がいて危険って事なのかな……?)