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今日は野球の練習の日だ。
メーラは一足早くグラウンドに行き、一人でバッドをふりながら、子供たちが集まって来るのを待った。今日は隣村の子供チームと練習試合なのだ。
初めての試合の相手だ。
とても強いバッターがいるという話を聞いている。
(どんな奴かなー)
バッドが、風を切る。
この村に来て、一番よかったのは野球というゲームを知った事だ。
特にバッティングが楽しい。
ボールを投げるのも、守備をするのも楽しいが、やはり、この棒で、向かい来る球を叩くのが異様に面白い。
ピッチャーによって、球の速度も、変化も違う。投げる相手の癖を探りつつ、3アウトになる前に球を打たねばならない。
「これは、単純そうに見えて、かなり難しい遊びだね」
父親のタロルが、初めて野球をやった日にそう言っていたことを覚えている。
投げて、打って、走る。
やることはそれだけなのに、ボールが飛んだ一瞬で、的確な判断をしないといけない。
バッドを振るのか、振らないのか。
走るのか、止まるのか。
どの塁に球を投げるのか。
試合中の一場面一場面で、誰がどう動いたのかさっぱりわからなくなった時があった。
しかし、監督を務めるゴメスさんは、全部が見えているらしく、ミスプレーが出れば注意し、ファインプレーには手を叩いて褒めていた。
メーラには見えていないものが、ゴメスさんや他の大人たちには見えている。
視線の先にあるものは一緒なのに、経験の浅いメーラや子供たちには、見えていないものがある。
(オレもはやく、あんなふうに全体を見回せるようになりたいな!)
まさか、人間を尊敬する日が来ようとは、夢にも思わなかった。
しかし、嫌な気分ではない。
野球が好きだし、チームメイトも好きだし、監督も好きだ。
今、この村にいて、とても楽しい。
(魔法の方も頑張んないといけないけどな……)
メーラは魔法を使い、手の中でバッドをくるくると回してみる。
魔術の師匠であるステアがいないところでは、基本魔法は禁止となっているので、大っぴらな魔法は使わない。
魔法使いの弟子で、修行中なのに、どうして日常生活の魔法を禁じるのかと不満に思ったが、それもすぐに理由がわかった。
この村の人間たちは、魔法に慣れていない。
この村で生活を始めた当初、いつもの癖で、落としたものを魔法で拾い上げたら、それを見ていた子供数人が吃驚していた。
怯えた様子は無かったが、メーラにとってはなんでもない魔法が、彼らにとっては驚きに値するものだとわかり、メーラも吃驚した。
メーラにとって、日常で魔法を使う事は、驚くことでも何でもない。
しかし、魔法を使ってこなかった人間にとっては、未知のものなのだ。
メーラは一度、この村の人たちを、魔法で襲ってしまった。
メーラは謝罪し、村の人たちは許してくれたが、それで、メーラの罪が消えたわけではない。
魔法を怖いものとして、見せてしまったのはメーラだ。
怖いものを勝手気ままに使って見せていては、村人たちの心も休まらないだろう。
(オレ達吸血鬼がこの村に馴染むまでは……魔法は控えよう)
メーラはそう心に決めた。
でも、誰も見ていないときは、こうしてこっそり使っている。クレイもだ。時々、こっそりと使っている。
魔法は、体の機能と一緒だ。
使い続けることで、その精度は上がる。使わないとどんな魔法使いでも、鈍る。
しかし、魔法を使うのを止めてみてわかったこともある。
魔法を使わない代わりに、体を動かさないといけなくなったわけだが、日常生活の中で、自分の体が思うように動かない場面がある事に気付いた。
もっと幼いころ、魔法を覚えたての頃は簡単にできていたことが、「あれ?どうやるんだっけ?」と一瞬考えなくてはならなくなっていた。
高い所にあるものを取るために、つま先立ちをする時。
扉を開くために、ノブを回す時。
缶のふたを開ける時。
そういうちょっとした動作がスムーズにできない。全て、魔法に頼っていたせいだ。
クレイはそれを難なくやる。
当然だ。クレイは今まで、すべて体を動かすことで生きてきたのだから。
吸血鬼の大魔法使いになると、指一本動かすことなく、何もかもを魔法でやってしまう。メーラが以前出会った爺さんは、椅子に腰かけたまま、ほぼ動かずメーラと遊んでくれた。その魔法の使い方は老練で、的確で、多彩だった。魔法を覚えたてのメーラは感動した。
しかし、今思いだしてみれば、あれは、体を動かさなかったのではなく、動かせなかったのかもしれない。ゆったりとした衣服の下にあった体は、細く痩せていた。
体の機能は、魔法と同じだ。
使わなければ鈍るだけ。
(魔法は上達させたいけど、体が動かなくなるのは嫌だなあ……)
メーラは自分の体を見下ろしながら、そう思った。
体を動かせなくなってしまったら、野球ができなくなる。
その日の練習試合は、10対2でぼろ負けだった。
散々の結果だったにもかかわらず、チームの子供たちの表情は輝いていた。
「すごかったね!あっちの4番!」
「ホームラン二本だぜ!」
「スイングの音すごかったねー」
みんな、興奮冷めやらぬと言った表情で、相手の4番バッターを褒めたたえている。
悔しい顔をしているのはピッチャーとキャッチャーと監督とメーラくらいだ。
応援に来てくれていたおじさんたちも、おばさんたちも、「あの子すごかったわねえ」と口にしている。
クレイなど、顔を真っ赤にして「かっこいい!」を連発している。4番バッターが打席に立った時から、妙に興奮状態だ。試合が終わった後も、いつもより口数が多い。
「お前なあ、負けたんだぞ!ちょっとは悔しがれよ!」
「でも、すごかったよ!あんなふうに打てるなんて格好いいよ!」
クレイは腕をぶんぶん振り回して、力説する。
力説されずとも、わかっている。
でも、負けてしまって悔しい中、それを認めるのは癪だ。
あの4番はすごかった。しかし、相手チームの他のバッターもすごかったのだ。4番が必ず打ってくれると信じての、バッティングの仕方だった。
4番が打つ前には、必ず一人以上が塁に出るようにしていたし、それが成功していた。守備を見て打つ方向を決め、転がし方も上手かった。どうやったらあんなふうにボールを捌けるのか、教えてほしいくらいだ。
(そうか、大きいヒットを出せるバッターが一人いるだけで、あんなふうに戦えるんだ)
パッパース村の子供チームのバッティング力は、みんな同じくらいだ。メーラも上手い方にはいるが、ホームランなど打てたことも無い。
あの4番は、メーラより背が高く、体は大きく、がっしりしていた。きっと、これからまた大きくなるのだろう。
「俺もあんなふうに打てるようになりたい!ゴメス監督!どうすればいい?」
クレイが監督の服を引っ張って教えを乞うている。
「うーん……それがわかれば苦労しねえんだよ」
監督は難しい顔でうなっている。
「素振り100本じゃねえ?」「腕立て伏せじゃない?」「いやいや腹に力入れなきゃ。腹筋だよ!」と、子供たちは思いつくままに提案しだした。
「こらこら。やりたいのはわかったが、今日はストレッチしてお終いだ。体を労わるのも大事だぞ。じゃないと痛めちまうからな」
監督にそう言われ、子供たちは渋々柔軟体操を始めた。数人は今にももう一ゲームやりたくて仕方がない様子だった。
ちょうどお日様も、地平線の向こうに姿を消そうとしていた。
メーラたちはストレッチした後、グラウンドを整備してから帰路についた。
帰り道もうるさかったが、家に帰ってからもクレイは今日の試合がいかにすごかったかを、ステアにまくしたてていた。
「そうかそうか。そんなに格好良かったんだなあ」
ステアはクレイの話に相槌を打ちながら、戸惑った表情をみせた。
クレイがかつてないほど興奮しているのだ。こんな姿を見るのはメーラは初めてだったが、ステアも初めてらしい。
これまでも、嬉しいことがあったり、ステアに話したいことがあれば話すクレイだったが、一通り話してしまうと満足して、勉強をやりだすのがいつものクレイだった。
しかし、今日は興奮状態が長い。
「ただいま。帰ったぞ~。あー疲れた」
隣村の子供たちを送っていったケビンが、戻って来た。
試合が少し長くなったこともあり、ケビンと他数人の男たちが護衛としてついていったのだ。
「ケビン!ケビン!あの4番のジャーマン君、俺達の事何か言ってた?」
クレイはケビンに抱き着きそうな勢いで話し始めた。
興奮したクレイを見て、ケビンも不思議そうな顔をする。
「随分興奮してんな、クレイ。そんなに楽しかったのか?まあ、すごかったもんな、あの4番君」
ケビンはそう言って笑いながら、クレイの額に手を当てた。
「うん、ちょっと熱っぽいな」
「え?」
「何?」
クレイがきょとんとした顔をして、ステアが立ち上がった。
「熱があるのか?クレイが?」
「ああ、試合で頑張りすぎたんだろう。子供ならよくある。めっちゃ声出してたもんな」
ケビンはそう言って微笑んだ。
「風呂には入ったか?え?着替えもまだ?それじゃあ、体暖めてこい。風邪ひくぞ」
ケビンの言葉に、クレイは素直に従い、風呂場へと向かった。
いつもなら帰ってすぐ着替えをするか、風呂に入るのに、今日はそれもせずステアに話しまくっていたのだ。
そう言えば、家に着いてからも顔が赤かった。興奮しているせいだと思っていたが……
「氷を用意するか?あ、それよりもウォルバートン先生を呼ぶか?」
ステアが不安そうな顔でケビンにそう聞いた。
「うーん……もう少し様子を見よう。一時的なものかもしれないし……あ、でも、今朝咳をしてたな……うーん、どうすっか……」
ケビンも難しい顔で考え始めた。
(熱って、アレだよな。具合が悪くなった時に、体温が上がるってやつ……)
吸血鬼でも発熱はあるのだが、滅多に起きない。メーラも赤ん坊の時に一度だけ熱を出したらしいのだが、それ以来一度も無いはずだ。
「ただいま~」
そこへ、メーラの両親のメイヤーとタロルが帰って来た。今日は二人して遠出していたのだ。
「あら、どうしたの?」
「どうやら、クレイが熱を出したようなのだ」
「まあ!大変!人間は熱を出すとすぐに死んでしまうっていうじゃない?」
「薬を作ろうか?」
メイヤーとタロルも慌てだす。
「待った待った。どこ情報か知らないが、人間はそう簡単には死なねえよ。クレイの熱は興奮のし過ぎのせいだろうし、落ち着けば熱も引く」
「え?興奮で発熱?」
「子供ならよくある。大人だってある」
メイヤーとタロルは「へー」と、口をそろえて呟いた。
「とりあえず、飯だな。いつも通り沢山食べるなら心配いらない。食って寝れば、体は回復する」
「そうか!では、腕によりをかけて、納豆料理を……」
「体調が悪いときは、食べ慣れたもんが一番だ!」
ケビンはそう言って、メニューを具だくさんスープと魚の塩焼きに決めた。