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「はっくしゅん!」
大きなくしゃみの音で、メーラは目を覚ました。
体に巻き付けるようにしていた比翼をずらし、部屋の中を見ると、うっすらと朝日が差していた。
(もう朝か……)
少し寝たりない気もするが、起きることにした。
ふと、寒気を覚えた。
体の毛が逆立っている。
昨日は小春日和で暖かかったはずなのに、今日はいきなり寒さが戻って来たらしい。
魔法を使い、体の周りを温かくする。
(さっきのくしゃみは、クレイか?)
ぼんやりした頭で考えながら、人間の姿に化け、服を着る。
また、くしゃみが聞こえた。
クレイはやたらと早起きする。というのも、クレイは人間なので、毎日ご飯を作って食べなければならないのだ。
朝から薪に火を付け、卵やらベーコンやら、時には仕込んでおいたパンやらを焼きだす。
手間暇かけて作って、腹いっぱい食べるくせに、お昼頃になると、もうお腹が空いたと言いだす。
(なんで人間ってのはあんなに何度も飯を食わなきゃいけないんだ?)
週に一度、コップ一杯程度の血液があれば事足りる吸血鬼であるメーラにとって、人間は「食べる」という事に生活の時間のほとんどを取られている、せわしない生き物だ。
彼らの血のおかげでお腹を満たしているメーラなのだが、いくらなんでも燃費が悪すぎると思う。
毎朝、毎昼、毎晩、クレイはキッチンに立ち、野菜を切ったり、パン生地をこねたり、肉を焼いたりしている。
(魔法でやっちゃえばいいのに……)
キッチンの中で立ち回るクレイやケビンを見ながら、いつもそう思う。時には師匠のステアも、一緒になって料理をしている。
何故か魔法は使わない。
どうしてかと聞いてみると、「魔法で料理するのは難しい。今、やり方を考え中だ」という返事が来た。
何が難しいのかさっぱりわからない。
メーラは着替え終わると、部屋を出てキッチンへと向かった。既に、キッチンには火が入っており、温かかった。
「おはよ」
「おう、おはよう、メーラ」
「おはよー」
ケビンとクレイが中にいた。二人とも忙しそうに手を動かしている。
テーブルの上に、白い液体が入った瓶が置かれていた。
「お!」
メーラが目を輝かせて牛乳に飛びつこうとすると、ケビンが邪魔をした。
「まだだ。いただきますをしてからだ」
「えー……」
「ほら、皆のコップを出せ。注いでくれ」
ケビンに指示され、メーラは渋々食器棚に向かう。
メーラだけでなく、ステアもメーラの両親も牛乳は好きだ。血液の一種なのだから当然なのだが、クレイもケビンも意外そうだった。
「吸血鬼が牛乳好きって……なんか変」
クレイたちだけでなく、それを知った村の子供たちまでもがそう言いだした。赤い血を好む吸血鬼が、血液由来の白い液体を飲むことが変だと言う。これが悪口なのか、本気で違和感を感じているのか判断が付かないので、メーラは怒るべきなのか、笑い飛ばすべきなのかわからない。
メーラが人数分のコップを出し、均等に牛乳を注ぎ終わると、クレイとケビンが温かい湯気の立つ皿をテーブルに持ってきた。
今日の朝食は、目玉焼きとスープと作り置きのパンらしい。
吸血鬼の大人三人は朝が弱い。メーラの両親は日の光に弱いので、たとえ起きていても、目が慣れるまでは絶対に部屋から出てこない。
ステアの場合は徹夜のせいだろう。ここ最近、何か新しい実験でもしているようで、部屋に籠っている。
朝食は大抵この三人でとる。
「いただきまーす」
「いっただきます」
「いただきまーす」
人間風の食前の挨拶にも慣れた。
両手を合わせ、美味しい牛乳を運んできてくれたロビンおじちゃんに感謝する。美味しい乳を出してくれた母牛のメーコにも。
牛乳を口に含むと、柔らかな甘みが口いっぱいに広がる。
(うまい……)
メーラは牛乳のうま味を噛みしめながら、ちびちびと飲んだ。
学校での授業を終え、帰宅するとステアがキッチンに立ち、何かを作っていた。
「おかえり、クレイ、メーラ。お昼御飯ができているぞ」
ステアはにこにこと、楽しそうに笑いながらそう言った。
キッチンの中は、今まで嗅いだことのない匂いでいっぱいだった。
クレイとメーラは同時に鼻をつまんだ。
「……師匠?これ、何の匂いですか?食べ物?」
クレイは怪訝そうに聞いた。
メーラも同意見だった。
ものすごく臭い。初めて嗅ぐ臭さだ。
「ふふふ、匂いは悪いがこれはとても健康に良い食べ物なのだ。東の小さな国で生まれた珍味なのだ!」
ステアはそう言って、手元の藁を広げてみせた。中に豆が入っている。大豆だろうか?匂いの元はこれだ。
鼻を近づけると、更に強烈な臭さが襲い掛かって来た。
「師匠、これ、腐ってるんじゃ……」
「そうだ!これは大豆を腐らせて作った、納豆というものなのだ!」
ステアは頬を高揚させて、嬉しそうにそう言った。
ここ最近、温度がどうとか湿度がどうとか言っていたのは、おそらくこれを作っていたからだろう。食べ物を腐らせるには、一定の温度と湿度の管理が必要となる。食べられる大豆をあえて腐らせるとは……
そこへ、ケビンがキッチンに入って来た。
クレイとメーラの顔を見て「おかえり」と言いかけたその口が、大きくひん曲がるのが見えた。
「なんだ!?この臭いは!?動物の死骸でも拾ってきたのか!?」
鼻をつまんでキッチンの床を見回すケビンの視線が、ステアが持つ腐った大豆入り藁で止まった。
「……おい、ステア、それはなんだ?」
「これは納豆だ。東の国でよく食べられている珍味だ。匂いは悪いが、栄養満点の素晴らしい食材で……」
「……これを食べさせる気か?クレイに?」
「そうだ!」
「……そのままで?」
「炊き立ての白米にのせて食べるのが、主流らしい。そうだ、これも忘れちゃいけない。大豆で作った大豆ソースだ!」
ステアはそう言って、瓶を取り出した。瓶の中には、どす黒い液体が入って来た。
「……それ、血じゃねえだろうな?」
「大豆ソースと言ったじゃないか!一口舐めてみろ」
「……う!しょっぱ!」
「このソースを納豆に一たらしして、白米にかけて食べるのだ。一度食べたが美味いぞ~。臭いなど気にならなくなるほど、美味い」
ステアが自信満々に力説した。
ステアの向こうでは、竈の上で、蓋をした鍋が蒸気を上げている。白米とやらを調理しているのだろう。こちらからは良い香りがしてきた。
「騙されたと思って、一口食べてみろ!私もそうしたのだ!そして、新しい味に出会った!」
ステアが目を輝かせながらそう言う姿は、妙に説得力があった。
ステアの味覚は、ケビンも認めているので、「それじゃあ、一口だけな」としぶしぶ頷いた。
いつもなら、ステアの勧めにはすぐに従うクレイだが、今日のこの納豆の匂いは苦手なのか、「俺も一口だけ、もらいます。ごめんなさい、今日は食欲無くて……」と言った。
メーラは学校の荷物をそっと置くと、コウモリの姿になって逃げだした。