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 マーリークサークルの見学は、数日のうちに実現した。

 「いやー、今の校長は話が速くて助かる」

 オレ達を迎えに来たマデアは、楽しそうにそう言った。

 「……理事の力を使って、ごり押ししたんじゃないだろうな?」

 「何を言っている。今の校長は頭の固い年寄りではない。変化を好み、柔軟な思考を持つ御仁なのだ。クレイの話をしたら、一番に食いついたんだぞ」

 「ホーニョル先生……校長先生か。あの方にお会いするのは久しぶりだな」

 ステアがそう言って、襟を正した。

 その様子を見て、クレイとメーラは顔を見合わせて、少し緊張した面持ちになる。

 ホーニョル校長とやらに対するステアの緊張は、マデアに対するそれとは違うようだ。

 オレ達は今、箒に跨り、空を飛んでいる。オレはステアの後ろに乗せてもらっている。

 「マデアさんが出入りしていた黒い穴じゃダメだったのか?」

 足の下に何もない状態でいることに慣れず、オレはついついそう口走ってしまった。

 「あれは、吸血鬼専用の道なのだ。人間にはちょっときついぞ」

 マデアの返事を聞き、「そうなのか……」と肩を落とす。

 ステアの背中に捕まっているしかない自分が、少々悲しい。クレイとメーラは一人前に箒を操っているというのに。マデアなど、箒ではなく、ソリを飛ばして優雅に腰かけている。

 「もうすぐ、転飛地点だ。我慢しろ」

 ステアがそう言って、腹に回しているオレの手を軽くたたく。

 人里は既に遠く、今は黒い森の上を飛んでいる。

 しばらく行くと、木々が途切れ、大きな湖が現れた。

 「さあ、お前たち、覚えているな?怖がらずに突っ込むぞ」

 ステアがメーラとクレイに声をかける。二人は箒を掴む手に力をこめ、ぐっと体勢を傾けた。

 「え?突っ込むって?」

 オレがそう聞くも、箒のスピードは落ちない。マデアが一番に湖に飛び込み、クレイとメーラが続く。

 「ちょ、ちょっと……」

 「よし、行くぞ!」

 ステアも湖に飛び込むように、箒を傾ける。

 「おいこら待て!」

 「喋ると舌を噛むぞ」

 「むぐ……」

 ステアはスピードを落とすことなく、湖の中に飛び込んだ。

 オレは目を閉じ、一瞬息を止めたが、覚悟していた水の感触は無く、呼吸も普通にできた。

 「クレイ!箒から手を離すなよ!」

 「はい!師匠!」

 クレイの苦しそうな声が聞こえ、オレは慌てて目を開ける。 

 空が足元に、地上が頭上にあった。

 一瞬混乱状態に陥るが、天地がひっくり返ったわけではなく、自分たちが逆さになったのだとすぐに気づく。

 クレイは必死に箒を操り、姿勢を正そうとしている。メーラは慣れているのか、余裕の表情で半回転した。マデアは言うまでもない。

 全員が姿勢を正し、空が上に、地上が足元に来ると、オレは心底ほっとした。

 「さすがケビンだ。初めての奴は混乱して泣き叫んだりするんだがな」

 ステアが笑いながら言った。

 「先に言っとけよ!」

 怒鳴るオレの声は少し震えていた。

 「それじゃあ、つまらない」

 ステアの言葉に、クレイとメーラがにやりと笑う。

 「なかなか肝が据わっているなあ、ケビン。魔界のびっくりには慣れているのか?」

 マデアが笑いながら隣に来た。

 「まあな。冒険者時代はこういう事はしょっちゅうだったし……」

 「冒険者!そうだったのか。ならば、きっと教師生活も楽しいぞ。マーリークサークルにはびっくりが詰まっている」

 マデアはそう言って笑う。

 マデアはクレイの事だけでなく、オレの事もその気にさせようと勧誘してくる。しかし、人間の楽しみと魔族の楽しみにズレがあるのか、オレが不安になりそうなことばかり言ってくるのだ。

 (びっくり続きじゃ、心の休まる時が無えじゃねえか)     

 冒険者時代の記憶が蘇る。

 魔界の森に入った後は、緊張の連続だった。休憩の時も睡眠をとるときも、必ず一人は見張りに立ち、警戒を怠れなかった。

 魔界で一番厄介なのは植物と自然環境なのだ。気が付いたら天地がひっくり返っている事などザラにある。歩いていたら、いきなり木が弾けたり、毒のある木の実が落ちてきたり、気が付いたら迷路に迷い込んでいたり……。

 もちろん、魔獣も手ごわい。魔獣のほとんどは警戒心が強くて、滅多に出会わないのだが、出会ってしまった時はこちらを殺す気満々だ。

 何度も死にかけ、大怪我も負った。

 (あ……なんか緊張してきた……)

 久しぶりに嗅ぐ魔界の空気に、腹の底が冷えてくる。頭の一部がびりびりと緊張し、背筋が伸びて肩に力が入るのがわかった。

 自分の視線が座り、昔の感覚が戻って来たことを感じる。

 「そう、緊張するな。何かあったら守ってやる」

 「お前はクレイとメーラを守れ。オレは自分を守ることで精いっぱいだから」

 昔の癖で腰に手を伸ばすが、そこに剣は無い。その代り、ステアの魔法がかかった防具を身につけている。耐火、耐水、耐衝撃機能付きというかなりの優れものだ。

 クレイも服に同じ魔法をかけてある。

 「怖がる必要はない。びっくりを楽しめばいいのだ。ここで暮らせばそれが日常になる」

 ステアがそう言って笑った次の瞬間、目の前に巨大な魚が現れた。

 マデアのソリが急ブレーキをかけ、ステアが両手を伸ばしてクレイとメーラの前に魔法の壁を作る。

 魚はオレ達の前すれすれのところを通過して、空に現れた魔法陣に消えて行った。

 「……今のは何だ!?」

 「あれは、脱走者探索魔法の一つだな。誰か抜け出したか?」 

 マデアがきょろきょろと辺りを見回す。

 すると、すぐ近くにまたもや魔法陣が出現した。また、魚かと思って身構えるが、現れたのは紺色のローブを纏った老人だった。

 「お待ちしていましたぞ、クレイ君!やあやあ!初めまして!私はマーリークサークルで生物学を教えているコッコメットです」

 老人は目を輝かせてクレイに歩み寄り、クレイの手を握りしめてぶんぶん振り回した。

 老人の手には魚の鱗が見えた。

 (半魚人?)

 ローブの裾の下から、尾ひれらしきものが出ている。

 「コッコメット先生、どうされたんですか?今は授業中のはずでは?」 

 マデアが飛んできて、クレイをそりに乗せてくれた。さっきからクレイはコッコメット先生とやらに両手を握られ、足の力だけで箒に跨っていたのだ。

 「おお、マデア様!これは挨拶もせずに失礼しました。いえね、どうやらまた5年生の一人が脱走したようでして……」

 ふと、コッコメット先生とマデアが頭上を仰ぎ見る。そこを、黒いローブを着た子供が箒に乗って駆け抜けて行った。

 子供を追うように巨大な魚が現れる。

 魚は大きな口を開け、子供を飲み込もうとする。

 「捕まるかよ、バーカ!」

 箒に乗った子供は、笑い声を残して魚から逃げ切った。

 「おやおや、学校の結界を崩したんですか?」

 「ほっほほ。まだですよ。あの魚から逃れないと、本当に結界を崩したとは言えません」

 「素晴らしい!5年生でもう、結界破りを成功させつつあるのですか!?」

 マデアとステアは感心したように、魚から逃れて飛び回る子供を見ている。

 子供は鋭い箒捌きで、魚から逃れると、空に魔法陣を描いた。

 「ほお、外の世界に出るつもりだ」

 ステアが身を乗り出す。

 しかし、魔法陣が完成する前に、魚の数が増えた。あっちこっちから巨大な魚が現れ、子供に向かって突っ込んでいく。

 「ちっくしょー!卑怯だぞ!」

 子供は必死に逃げ回るが、数には勝てず、一匹の魚に食べられた。

 「く、食われたぞ……」

 「大丈夫」

 コッコメット先生は、いまだにクレイから手を離さずに、にっこりと笑って言った。

 「ところでクレイ君、生き物は好きかな?魔界の動物をどれくらい知っているかな?」

 「ええと……は、半魚人は知ってます」

 クレイは目の前の半魚人を見ながら、そんな答えを返す。

 失礼になるかと思ったが、コッコメット先生は嬉しそうに頬を赤くした。

 「そうかい。私達の事を知っているんだね。嬉しいなあ。私も君たち人間の事を知っているよ。水の中では呼吸できないんだよね?鱗も無いんだ。本当に無いね」

 遠くで爆発音が鳴り響いた。

 見ると、子供を食べた魚が、内側から弾け飛んでいる。そして、中から子供が飛び出してきた。

 「負けねえぞー!」

 子供はまた、魚から逃げ始めた。

 「コッコメット先生、私達はそろそろ」

 マデアの言葉に、コッコメット先生は残念そうにクレイから手を離した。

 「そうか、今日は見学だものね。またお話ししようね、クレイ君」

 「は、はい」

 コッコメット先生に見送られ、オレ達はその場を離れた。

 いまだに子供と巨大魚の戦いは続いている。

 「今のは生物学のコッコメット先生だ。低学年の担当だから、生物学はあの先生から習うことになるだろう。あの通り、生き物大好きな先生だ。人間の事について色々と聞かれるぞ」

 「……はあ……」

 クレイはぼんやりと返事を返す。

 気持ちはわかる。

 いきなり巨大魚が現れ、半魚人が目の前にやって来て、おまけに空中では子供が戦いはじめた。

 情報量が多すぎる。

 新しいものに出会って感動する時間も、恐怖する時間も無い。

 せめて、どれか一つだけにしてくれれば、もっと余裕を持って対処できるものを……

 (でも、これが魔界では当たり前なんだ)

 魔界の森では、こういう「びっくり」が次から次へとやって来る。どんどん対処していかないと、気が付けば命の危険にさらされてしまう。

 (慣れるまでが大変なんだ。慣れてしまえば、余裕は出る)

 冒険者時代は、そこが通過点だった。

 慣れることができた者は、生き残り、先へ進めた。慣れることができなかった者は、死ぬか脱落だ。

 メーラは魔界育ちなだけあり、余裕だ。しかし、クレイは既に飲まれてしまっている。

 (あー、心配だ……)

 ステアはどう考えているのか、涼しい顔で普通に箒を操っている。

 だんだんと地上が近づきてきた。

 行く先に、大きな城が現れる。

 巨大な城だった。縦にも横にも長い。

 そして、その城を取り巻くように、魔界の森が広がっている。森の先には小高い山もある。

 「……なあ、あの山、山頂から煙が出てるんだけど……」

 「ああ、活火山だからな。ここには温泉もあるんだ」

 「風向きによっては硫黄の匂いが酷いがな。時々灰も降ってくる。まあ、気にするな」

 硫黄の匂いよりも、いつ爆発が起きるかの方が心配だが、おそらく言ってもしょうがないので言わずにおいた。

 「あの城が我が母校、マーリークサークルだ」

 ステアが誇らしげにそう言った。

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