16
クレイは家出した次の日の夕方には帰って来た。
「飛び出して行っちゃって、ごめんなさい」
クレイはオレ達の顔を見ると、そう謝ってきた。
「いいや、クレイ。私も済まなかった。お前はこの村にいたいとずっと言っていたのに、私はまた勝手にお前の行動を決めるような真似をしてしまった」
ステアは帰って来たクレイを抱き締めて、何度も済まないと口にした。
「師匠が俺の事を考えてくれたことは、わかってます。ジェロームさんが教えてくれました。俺の方こそごめんなさい」
ステアを抱き締め返して、クレイが泣きそうな声で呟く。
初めての喧嘩、家出で一番不安だったのはクレイだろう。
(あとでダーパッドさんとジェロームさんとマギーさんにはお礼しに行かないとな)
クレイの家出を叱らずに受け入れてくれて、食事と寝床の世話をしてくれた。
クレイが怒っている理由を聞きだしてくれて、オレとステアに説明してくれた。
クレイが魔界へ行くこと、この村から遠く離れてしまう事に不安を感じていることを知ると、ステアは「また私はやってしまったのか!」と嘆いていた。
「良い師匠と弟子だな」
マデア(まだ居る)が抱き合う二人を見て、微笑みながら呟いた。
クレイが家を飛び出して行ったあと、「このままじゃ、気になるから」と言って、城に泊まったのだ。今朝はキッチンでお茶を飲みながら「魔力の薄い土地というのも悪くないな」と呟いていた。そして、メイヤーとタロルにくっついて、農業に使う魔法を見学して回っていた。一応人間の姿に化けてもらったが、村人たちにはすぐにバレた。
「私はお前を無理やり魔界へ行かせるような事はしないぞ。たとえマデア様の提案であってもだ」
ステアはクレイの顔を見て、きっぱりと言った。
クレイはステアを見て、安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます、師匠。でも、あの……」
クレイは言いにくそうに口ごもった後「どんな所か、聞いてもいいですか?」と言った。
「そ、それは、魔界の学校について知りたくなった、ということか?」
「はい。俺みたいな子供がいっぱいいるんですよね?皆で集まって、魔法の勉強をするんですよね?」
「そうだ。沢山の子供たちが集まる場所なのだ」
「……ちょっと、興味がわきました」
ステアはクレイの言葉が嬉しかったらしく、水を得た魚のように、マーリークサークルについて喋りだした。
マーリークサークルは魔法を勉強したい者ならば、誰でも入学することができる学校だ。通う者のほとんどが子供だが、中には大人になってから入学するものもいるらしい。
最高学年は5年生だが、進級するにはテストに合格する必要がある。大抵の者は一年で学校を去る。2年生、3年生と学年が上がるにつれ、仲間の数は減っていく。
「これは、別にテストが難しくて落第者が出るという訳ではない。魔界の子供たちの中にも、魔法の研究がしたい者もいれば、基本的な魔法だけを覚えて帰りたいという者もいるのだ。魔界の様々な場所から子供たちが集まってくるという場所でもあるので、社会勉強のために入学させるという親もいる」
学年が上がるにつれ、勉強の内容は難しく、専門的になっていく。5年生になれば、学校の先生の助手を務めるものも出てくる。
「ちなみに私は、四年生の時に助手に指名されたのだ」
ステアは胸を張って言った。
メーラが「すげえ!」と目を輝かせている。
学校では沢山の分野について学ぶことができる。基礎魔法からはじまり、魔界に住む動植物学、移動魔法、魔法薬学、魔法道具技術学、エトセトラエトセトラ
興味のある授業を受講し、その理解を深め、自分の将来に役立たせるのだ。
「正直、5年で卒業するのはもったいないと思う。できることなら留年して全ての授業を受けたかった」
「そうしなかったのか?」
「できなかった。当時の教授に、やりすぎると死ぬぞと言われて諦めた」
「……どういう勉強の仕方をしてたんだ?」
「やりだすと止まらなくてな。寝食を忘れて何度か倒れたせいで、顔を見るたび「食事はしたか?」「ちゃんと寝ているか?」と沢山の人から聞かれるようになってしまって、自分でもまずいなと思って、全部に手を出すのを止めた」
「そうそう。ステアのいた頃は、吸血鬼の子の食事に注意しろって、職員全員が目を光らせていたな」
マデアがそう言って笑った。
学校の敷地は広く、山あり谷あり湖ありで、魔界全土で見られる環境をできるだけ再現してある。各地からやって来る子供たちが、自分の慣れ親しんだ環境に触れられるようにという配慮らしい。
「ただ、人間の世界のような環境は……あったかな?」
ステアがマデアを見ると、「一応ある。一時、人間の子供たちが入学していたから、そのために、作った場所があるはずだ。今はどうなっているかわからないが……」と、マデアも首を傾げている。
敷地内には当然ながら魔界の動植物だらけだ。ほとんど世話されることなく自由に生きている。そのため、慣れていない内は怪我や事故も多い。
「これも勉強のうちなのだ。魔界全土の動植物を一か所で見て、体験することができる。魔界に住む子とはいえ、山に住む子は平地の環境を知らないし、水中に住む子は、陸については無知だ。学校という場所で、教師の指導の元、安全に色んな環境の魔界を勉強できるのだ」
ステアが何か思いついたように、ぱっと顔を明るくした。
「そうだ!見学に行こう!学校内の見学は無理だが、庭は有りでしたよね?マデア先生?」
ステアの言葉に、マデアはにっこりと微笑み頷く。
「ベーベクラスも見学できるぞ」
「そうでした!見れる場所を見に行こう。どうだ?クレイ?」
「行きたいです!」
クレイは嬉しそうにそう言った。
「わかった、学校の方へは私が申請を出しておこう。ただ、その前に一つ聞きたい。クレイ君」
マデアが立ち上がり、クレイを見る。
「今すぐではなくとも、マーリークサークルへ入学したいという意思は、あるのかな?」
マデアの視線を受け、クレイは考えるようにうつむいた。
「……わかりません」
「迷っているということかな?」
「…………」
ステアが何か言おうと口を開いたが、マデアに視線で止められる。
「……俺はこの村にいたいです。でも、魔法も上手くなりたいです。ジェロームさんが、学校っていうところは、勉強するには一番の場所だって教えてくれました。師匠が勧めるのなら絶対に間違いないって」
クレイはマデアの目を見て、続ける。
「今日、ジャーマン君に会いました。ジャーマン君は野球の上手い子で、将来プロになるために、強い子たちと一緒に練習しているそうです。ここから遠い村にお父さんと一緒に通っているって。すごく勉強になるって。一人で勉強するよりも、沢山の人たちと一緒に勉強する方が良いのかもしれないと思ったんです。前に師匠がライバルがいると、勉強に身が入るって言ってて、本当だったし……」
クレイはメーラを見る。
「でも、その……どんな場所かもわからないし、一人で行くのはちょっと怖いし……どんな所かは気になるけど……迷ってます」
クレイは最後の方でうつむいてしまったが、マデアは嬉しそうに満面の笑顔になった。
「うんうん。素晴らしい。やはり、子供は素晴らしいな。迷って当然だ。君は良く考えている。うんうん」
マデアは嬉しそうに頷いて、クレイの頭を撫でまわしている。
ステアもそれに加わりたいようだが、ぐっとこらえていた。
「クレイ君、私はなんとしてでも、君をマーリークサークルに入学させたくなったぞ。今度の見学で、できるだけ君の不安を取り除けるようにしてみせよう。そして、もう一つ朗報だ」
マデアはそう言って、懐から一通の手紙を取り出した。
「ステア。君にだ」
そう言って、手紙をステアに渡す。
「なんです?」
「マーリークサークルの教師の席が一つ空く。リッツ先生が引退されることになったのだ。そこで、ステア、君に教師として来てほしい」
「!?」
「そして、ケビン君。君にも来てほしい。人間の世界を教える教師として」
マデアの紫の瞳が、オレをまっすぐに射抜いた。
「……へ?」
「クレイ君には、大人の人間の助けが必要だ。魔界の学校という場所に慣れる間だけでも来てくれないだろうか?」
「い、いや、ちょっと待ってくれよ。教師っていったって……」
「もちろん、いきなり教壇に立てとは言わない。教科書も無い、学習計画も曖昧状態では、生徒に教えるどころでは無いだろう。そう、教師と言うよりは特別講師かな。人間社会に興味のある生徒に話をしてやってくれ。まあ、興味津々なのは子供よりも大人かもしれないが……」
マデアは楽しそうに笑いながらそう言った。そして、クレイの方を見る。
「クレイ君、よく考えてみてほしい。マーリークサークルへ来るとしたら、君は一人じゃない。君の師匠とパパもついて来る。怖くは無いぞ」
「パパじゃねえ」
「三人でよく話し合ってくれ。時間はかけていいぞ。今年の入学に間に合わせる必要はない。間に合ってくれると嬉しいがな。それでは私は帰るとする。泊めてくれてありがとう」
マデアはそう言うと、来た時と同じように、魔法で黒い穴を作り出して、そこに入っていった。
オレとステアとクレイは、しばし言葉もなく呆然とマデアが消えて行った壁を見つめていた。
「それで?行くのか?マーリークサークル」
メーラの質問で、オレ達は我に返る。
メーラはオレとステアとクレイを見回していた。
オレ達は顔を見合わせる。
三人とも困惑中だった。
「……ひとまず見学だな。それから考えよう」
オレの言葉に、ステアとクレイは頷いた。