姉様
折角色々インスピレーションが湧いてきた直後に今まで使っていた執筆ツールが使えなくなるとかいう酷い目に遭いました……
青崎は回想する。
姉が、戦場へ出るようになった。
妹は訓練を経て、戦士としての才覚を示しつつあった。だが、魔力保有者として力を伸ばせば伸ばすほど、自分が姉と比べればどれ程矮小なのかを実感することになった。
戦士としての戦闘センス、魔力を操る能力、保有する魔力総量、そのどれもに於いて姉は他を隔絶する力を発揮した。妹は、姉こそが『英雄』であるとより深く想うようになった。
しかしそれは、心のどこかで自らが立てたあの日の誓いをないがしろにすることだと、気が付けなかった。
「……ふう」
妹が、額に浮かんだ汗を拭う。成長期らしく、稽古へ参加するようになった頃とは比べて随分と背は伸び、全身にしなやかな筋肉を纏った姿。纏う気迫も戦士らしい冷たく鋭いものだが、だからこそ傷はおろか、手にタコ一つすらない白磁の肌がアンバランスに見られた。
時刻は既に夕暮れ過ぎ。がらんどうの稽古場で一人稽古を続けている訳は、近々帰ってくる姉に一早く出会える屋敷内の施設がここだからだ。無心で鍛錬を続けるうちそれに気付いた妹は、ここで鍛錬を続けながら姉の帰還を待つのが日課になりつつあった。
そうして一息ついた時、ぽつりと妹の頬を濡らすものがあった。
「……雨、ですか」
鍛錬に夢中だった妹は気が付かなかったが、いつの間にか上空は重い暗雲に覆われていた。日はまだ辛うじて沈んでいなかったが、辺りは既に夜同然の暗闇に包まれつつある。
夜は、吸血鬼の時間だ。気分的にも、体温的にも肌寒いものを感じながら、妹は雨を避けるため屋敷内に入る。そして少し思案した後、傘を持って再び稽古場に戻った。区切りもいいので鍛錬は切り上げることにしたのだが、いつもの場所に自分が居なければ姉が僅かばかりに寂しい想いをするかと思ったからだ。
雨に濡れていく地面を眺めながら十数分程経つと、正門の方から車の到着する音が響いた。妹は魔力保有者らしい聴覚でそれを聞きつけると、早足で正門の傍らに向かう。
正門が開き、笑顔の姉が姿を現す。普段通りなら。
「お帰りなさい……あの、姉様?」
「……ああ」
しかし今日の姉は、笑顔の代わりに暗い陰を纏っていた。声を掛けられてからようやく自分の方を見た姉を訝しみながら、妹は従者の代わりに自分の傘へ招き入れる。
「どうか、なされたのですか?まさか、何処かお怪我でも?」
「いや、な。そう、少し今日は疲れたんだ」
張りの無い声でそう答えた姉は、段々と追いつかれつつある身長の妹に身体を寄せる。妹は姉を濡らさないようにしっかり傘を掲げると、どうにも様子のおかしい姉の顔を見上げた。
「何か、お仕事に差し障りでもありましたか?私がお力になれるようなことなら是非お聞かせいただけませんか?」
「……すまない」
妹は、それは何の謝罪なのかと聞こうとして、やめた。姉が自分に聞かせたくないと思っているのなら、それが正しいのだと思ったからだ。代わりに、努めて明るい声で提案する。
「今日は、姉様の部屋に泊まってもいいですか?最近、少し肌寒くなってきましたので」
「ああ、助かるよ……今日は、眠れそうにないんだ」
妹の露骨な気遣いに、姉が力のない笑みを見せる。そして、妹と反対側の手に持ったなにかを、そっとポケットに仕舞い込んだ。
その日から、姉は稽古を寝坊しないようになった。
まるで別人のように鍛錬へ打ち込むようになった姉は、ただでさえ高かった実力を更に凄まじい勢いで伸ばすようになった。父はこの変化に満足そうだったが、妹はそれが悪い兆候にしか思えない。
姉が鍛錬している時の表情は苛烈そのもので、誰もが妹のような顔付きになったという。しかし妹だけは、それが自身と同じような真面目さから来たものでは無く、焦りを含んだ危ういモノにだと気付いていた。
何に焦っているのかは妹にも見当が付かず、本人に直接聞いたとしても姉が答えてくれることはなかった。妹にとってはそれが何よりも辛く、何もできない自分を変えようと今まで以上に鍛錬へと打ち込む。
だが妹に出来たことは、更に広がっていく姉と自分との実力差を眺めることだけだった。そして、事件が起きる。
「───残っているものは直ちに武装しろ!結界の起動はまだか!」
それは、妹が夕方の鍛錬に励んでいる最中だった。父が怒声に近い声を張り上げて、屋敷中の人間に指示を飛ばしながら稽古場に飛び出してきた。
父は妹の姿を確認すると、周りの護衛として屋敷に滞在している者達に手振りで指示を出す。妹は訳も分からないままに戦闘態勢の人々に囲い込まれて、屋敷の奥へと向かわされた。
「お父様!一体何事ですか!?」
連れられて行く途中、妹が随伴してきた父に対してそう問う。すると父は普段から厳めしい顔を更に厳しくして、低い声で答えた。
「信じられんことだが、吸血鬼が徒党を組んで侵攻してきた。奴ら、偶然かどうか分からんがまだ日が高いからと警戒が薄かった場所を突いてきたらしい。とっくに防衛線は破られて、吸血鬼が結界内に侵入してきている」
「そ、そんな!」
あまりにも唐突な、今の人類が初めて遭遇する、徒党を組んだ吸血鬼の襲撃。対吸血鬼の最前線として、北壁が最も恐れていた事態。
吸血鬼は、魔力が高い者を優先的に狙う。異分子殲滅隊が抑えられていないのなら、その矛先は貴族家へと真っ先に向かうだろう。となると、この屋敷は既に死地も同然だった。
「ここの戦力も、吸血鬼複数体を相手に取れる程ではない。結界も時間稼ぎにしかならん。とにかくお前は隠れていろ!次世代の始祖の血筋だけは失うわけにはいかん!」
「姉様は、姉様はどうなったのですか!?」
「それも分からん。だが、今頃最前線だろう。とにかく、お前は自分の心配だけしていろ!分かったな!」
父はそれだけ言い残すと、自らも刀を手にして屋敷の外へと向かっていった。現当主が刀を握る。その事実が否応なしに妹に現実を理解させる。
姉は怪我をしていたりしないか、どうしてこんなことが起きてしまったのか、これからどうなってしまうのか。様々な考えが荒波のように渦巻く妹の手に、護衛役の一人が一本の刀を手渡した。
「最悪の場合もありえます。お嬢様も、念の為にこちらを」
「……ええ、そうね」
普段鍛錬で振るうよりも重く感じるそれを、妹は深呼吸の後に受け取る。
その時、けたたましい音と共に一室の壁が吹き飛んだ。
「───!!!げほっげほっ!」
一瞬で室内が砂ぼこりに塗れる。妹や護衛らは咄嗟に魔力で自身を防護していた為飛び散る破片で負傷はしなかったが───追撃で、鮮明な赤が部屋に浮かび上がった。
「お嬢様、逃げ」
先ほど刀を妹に手渡した護衛役が咄嗟に叫ぶが、言葉を言い切る間も無く、背後から赤い何かに胴を貫かれて命を絶たれる。反応も出来ずに、妹の頬を護衛の血飛沫が染めた。
直後に、その赤の発生源へ護衛全員が刀を抜いて飛びかかる。すると最初に胸を貫かれた護衛から溢れた血が隆起して、一瞬で硬質化する。即席の赤い盾は、いとも簡単に全ての剣撃を受け止めた。
それでも怯まず、護衛らが一度下がって陣形を立て直そうとするが、赤い盾を自分だけは無視して通り抜けた吸血鬼が、不意を突かれた一人の首を刎ねる。
あっという間に、人が二人も死んだ。悲惨な光景を目の当たりにして、妹の身体が硬直する。吸血鬼は周囲に切っ先を無数に突きつけられる中、それを意にも介さず妹を見た。
「ひっ」
「お嬢様を守れ!」
護衛のうち、最も身分の高い者がそう叫んだのを合図に、皆が魔力で身体能力を限界まで強化して吸血鬼に切りかかる。再び吸血鬼は血の盾を展開したが、一人がそれを飛び上がって乗り越える。
「ちっ、この!」
初めて声を上げた吸血鬼が、咄嗟に作り上げた血の剣で乗り越えてきた護衛の剣を受け止める。その瞬間緩んだ血の盾を、他の護衛らが真正面から穴を開けて抜けてくる。
そして一人の護衛の剣を受け止めるのに手一杯な背中を貫こうとした時───もう一人の吸血鬼が飛び込んできた。
「なっ───あが」
目の前の一人目の吸血鬼しか見えていなかった護衛達が、容易く血の槍で次々貫かれる。そして最後の一人が倒れても尚……妹は、刀を抜くことさえ出来ていなかった。
吸血鬼二人の視線が、無防備な最後の獲物に向けられる。
「おい、私が先に来たんだ。そこの特上の魔力持ちは私の獲物だぞ」
「死にかけてた癖によく吠える」
自分達の脅威を全て排除したと思った吸血鬼達が余裕を見せた瞬間───暴力的な魔力の奔流が部屋に吹き込んだ。
「……ねえ、さま」
あっという間の出来事だった。
流星のように飛び込んできた姉が、二度刀を振るった。それだけで、妹の目の前に迫っていた危機は、全て片付いていた。
真っ赤に染まった部屋の中心に、最前線に居る筈の姉が、まるで幽鬼のように立っていた。身に着けている隊服はボロボロで、血に塗れていない場所を探す方が困難なほどだった。
「姉様……どうして、ここに……?」
目の前で起きた一連の出来事に心が追い付いていない妹が、呆然としてそう零す。すると姉が、ぎこちない動きで妹を見た。
ふらりふらりと、覚束ない足取りで妹の傍に歩み寄る。そして強引に傷一つ無い妹の身体を抱き寄せると、震える声で言った。
「良かった……無事で……」
虚ろに、繰り返し何度もそう言う姉を、妹も、震える手で抱き返した。
一話で収めるつもりだったんですがちょっと長くなったので二話に分けます




