束の間
こんかいもなんざいでした......
日が昇るまで、一睡もすることが出来なかった。せめて体裁だけは日常を取り繕おうと、朝ごはんを作り出す。
ふと、リビングに置かれている立て鏡を覗いてみた。血が付いていないかとか、目が充血しているのではないかとか、そういうことが心配で。念入りにチェックしたけれど一切異常はなく、安心する反面、少し嫌になる。
膝を抱えて朝を待っている間、いっそ鈴に全部話してしまおうとも思った。僕は吸血鬼で、危険な存在で、もしかしたら鈴を襲って、殺してしまうのかもしれないと。
……それを言って、僕はどうしたいのだろう。襲ってしまうかもと思うなら黙って出て行けばいいし、家にこのまま居座りたいとしても、黙っていればいいだけだ。
結局、自分が楽になりたいだけだ。出来るだけ自分が罪悪感を感じない形で、限界が来るまで、束の間の幸福に浸っていたいって。
或いは鈴が、今まで僕に都合の良い存在として騙されていたのだと思って、ここから追い出してくれたら、この幸福を諦めて、鈴を危険な目に合わせる前に消えることが出来るのかもしれない。
料理をする手が止まる。
今さら、なのかもしれないけれど……僕の中で鈴が、どんどん大きい存在になってしまっているのに気付いた。
どうして、こんな気持ちになるんだろう。そもそも初対面の印象は最悪だし、ここに住み着いたのは他に選択肢が無かったからの筈なのに。
そこで、ぎゅっと心に蓋をした。もし、この感情の正体に気付いてしまったら、取り返しのつかないことになってしまう気がした。そうしたら、きっと僕は、正しいタイミングでここを離れられなくなってしまう。
「緋彩~?」
「ひゃい!!!!!?!?!?」
突然後ろから声がして、口から心臓が出そうなほどビックリする。
慌てて火を止め、声の方に振り返る。そこには、顔をきょとんとさせた鈴が立っていた。念のため時計を確認してみると、やはりまだ早朝の時間帯だ。
「い、いつもより起きるの早いね?」
「なんだか昨日、いつもより早い時間に眠っちゃったみたいで、目が覚めちゃった。えっと、驚かせてごめんね?」
「だ、だいじょうぶ……」
ばくばくと鳴り響く心臓を宥めながら、それだけ口にする。明らかに動揺してしまっているのを押し隠す間もなく、鈴は寝室のドアを閉め、リビングに入った。
鈴がそのまま僕の隣まで移動してきて、思わず俯く。誤魔化す様に料理を再開すると、ひょいっと手元を覗き込まれた。すぐ近くから、ご機嫌そうな声で話しかけられる。
「いつもありがとう。なにか手伝えることある?」
「……じゃあ、もう出来上がるから、お皿出しといて。あと、飲み物もお願いしていい?」
「任されました」
そう言うと鈴は、軽い足取りで離れていった。その背中を見て、いろいろと複雑な感情が湧き上がってくるのだけれど、そっとそれを見ないようにする。
……そういえば、鈴は朝に弱かったと思うのだけれど、余程すっきり眠れたのだろうか。いつもの朝より、テンションが高い気がする。疑問を、そのまま口に出す。
「なんだか元気そうだけど、よく眠れたの?」
「そうみたい。緋彩は、あんまり眠れなかったの?」
見事に言い当てられて、表に出さないようにしつつも、内心とても驚いた。再びさりげなく立て鏡をのぞき込んでみるけれど、やはり目が充血したりはしてなくて、そんなに顔に出ていたかなと思う。
「そ、そんなこと、ないと思うけど……」
「そう?なんだか元気なさげだったから。緋彩は顔に出やすいから、そうなのかなって思ったのだけれど……気のせいなら、それでいいんだけどね」
丁度全ての料理が出来上がり、火を止めたタイミングで、鈴が二人分のお皿を持ってくる。僕のすぐ脇にそれを下ろした直後、いきなりふわりと甘い匂いに包まれる。
鈴が、半分抱き寄せるかのような形で、空いた手で僕の頭を撫でていた。否応なしに鈴の匂いが強く感じられる。不意打ちに身体を硬直させていると、頭の上から、鈴の囁くような声が降ってくる。
「私でよければ何でも聞くから。しんどいことがあったら、遠慮せずに話してほしいな」
「っ!!!」
その優しい声に、自分の身体が震えるのが分かった。身体が勝手に動いて、背中に手を回して抱き着く。こんな事をしたらまた、衝動に襲われるのかもしれないのに。駄目って分かってるのに。
僕からこういうことをすることが少なかったからか、鈴は驚いているみたいだった。なにか言われる前に、震える息を押し殺して、ゆっくりと吐き出す。
なるべく匂いを意識しないようにしながら、ぎゅっと目を閉じた。熱くなる目頭をごまかす様に、肩口に押し付ける。鈴の体温と、頭を撫でられる感覚が心地よくて、ずっとじわじわと感じていた頭痛が少し和らいだ気がした。
もう全て言ってしまいたくて仕方がなかった。けれど、喉は弱弱しい吐息を吐き出すばかりで、何一つ言葉にはならない。それでも涙だけは何とか抑えて、身体を放した。
「ありがとう。でも、大丈夫」
「本当?体調が良くないんだったら、お仕事は休んでもいいんだからね?」
「うん、分かった。でも平気だから」
僕が今できる、精一杯の強がりを込めた。自分で聞こえた分には、多分、完璧に言い切れたんじゃないかなと思う。顔を上げて、しっかり鈴と視線を合わせた。
なおも心配そうな鈴に向けて、笑顔を見せる。上手くできたかは定かじゃないけれど、鈴も笑い返してくれた。
会社を出て、昨日の記憶を頼りに同じ道を辿り、場所は異分子殲滅隊基地。
門番さんは僕の顔をしっかり覚えてくれていたらしく、すぐに青崎所長へ取り次いでくれた。隊員証があればわざわざこんなことをしなくてもいいらしいのだけれど、僕のはまだ発行されていないので仕方ない。
そんなことを門番さんと話しながら待っていると、今日は刀香が出迎えてくれた。連れられて、基地の中に入る。
昨日は緊張とかで全く心に余裕が無かったのだけれど、今日は昨日ほどの緊張は無く、刀香の纏う雰囲気も心なしか柔らかくて、しっかり周囲を伺う余裕がある。
隊員証が届いたら、自分だけで指定された部屋に行くことになるのだし、道もしっかり覚えておかないといけない。地図は防犯上の都合だとかで、簡単に渡せないらしいから、なおさらだ。
「えと、お邪魔します」
「今日は私と貴方だけですよ」
案内された部屋は、会議室として使われているのだろうか、ホワイトボードと沢山の椅子が等間隔で置いてある部屋だった。壁沿いに本棚も並んでいて、何やら小難しいタイトルが書かれた書籍やフォルダが並んでいる。
僕が何をするのか質問しようとしたら、ホワイトボードに一番近い椅子をすっと引かれて、条件反射で席に着く。対面に座るのかな、と考えていたら、刀香は本棚から迷いない動きで何冊かフォルダを抜き取る。
それを、僕の前にドサッと山積みする。それらの表紙に書かれたタイトルには、魔力という単語や、異分子という単語が散見される。
ここまでくると、流石に僕でも今日何をするのか察しがついた。視線を上げると、刀香は自身も一つフォルダを持ちつつ、ホワイトボードの前に立って、こちらに振り返るところだった。
「今日は、青崎所長は別件でお忙しいということで、この二人で勉強会です。何せ貴方、試験を飛ばしている関係上、必須の知識に乏しいでしょう?」
「てなると、今日は刀香先生?」
「そう呼んでもらっても構いません。ともかく、今回は貴方がどこまで知識があるのかも分からない状態なので、幾つかテストを持ってきました」
意外とノリが良い刀香……いや、真面目なだけかもしれないけど。とにかく、刀香は手に持ったフォルダから何枚か紙を抜き取ると、シャーペンと共に僕の目の前へ置いた。
過去問、か何かなのだろう。ここしばらくお目にかかることのなかったそれは、マークシートのテストだった。シャーペンを手に取ると、やけに懐かしさを感じた。
久しぶりのイチャイチャ。というか毎回あとがきに書こう!って思いついていたことをあとがき書く時だけ忘れるんですよね。




