変異
硬くてザラザラした、コンクリートの感触。
そんなもん滅多に顔面で味わう機会はないけど、どうやら今、その機会に恵まれているらしい。
普段なら呻き声と共に洋画のゾンビのモノマネを披露する僕の寝起きだが、今回ばかりはどうにも、記憶に違って寝床は硬いわ、やたらと身体は軽いわで、すんなり起き上がれた。
「...........何処だ、ここ」
...........?今、僕の心の声を誰かに代弁された気がしたのだが、周囲には人は見当たらない。と、言うより......。
頬に突きあたる冷たい夜風に、意識が一気に覚醒させられる。上体を起こして辺りを見渡すが、周囲は全く身に覚えのない場所だった。
ビルの屋上。それ以外に、この場所を形容する言葉はないと思う。
ご丁寧に周囲を柵で囲まれた、コンクリート床の屋上。しかし、ここに繋がっているように見える階段の類は一切見当たらない、のっぺりとした場所だ。梯子も見たところ無く、自分がどうやってここに居るのかすら見当もつかないような場所だ。
というかそもそも、僕は病院で意識を失ったハズだ。あのあとまだ生きていたとしても、次、目を覚ました時もあの白一色の部屋にいるのが道理というものだろう。
異分子発生を警告するサイレンが遠くで響くのを呆然と聞きながら、全く欠片も理解が及ばない現実を眺める。正確な時間は分からないが真夜中のようで、光源の少ない現状も、不安に拍車をかけた。
というか寒い!思わず自身の体を抱き締めて......妙な感触に行きあたる。
「......は?」
再び聞こえる聞きなれない声。
恐る恐る顔を下げてみると、まず目に入ったのは、やたらと意匠が凝らされた、薄手の真っ赤なドレス。この時点で理解を放棄して意識を手放しそうになるが、ここは根性と寒気で耐える。
露出している腕は、男性にしては綺麗な......とかいう範疇で収まりきらないほど華奢で、その先にある手は、最後に見た自分の手とは似ても似つかぬ小ささだった。
そして決定的なのは、間違いなくドレスを押し上げている胸部。大胸筋なんてものにも元々縁はなかったが、それよりも縁遠かったはずのモノがそこに鎮座していた。
「は...........えっと......あーあーあー」
そして薄々気づいてはいたが、喉を震わせる度に出てくる高音の声。特に意識することがなくても出てくるそれは、両声類だとかの一発芸には程遠い地声だ。
聞き慣れないことを除けば。
「───おい、そこのてめぇ」
「ひぃ!?」
飲み込めない悲惨な現状に持っていかれていた意識に、不意に野太い声が届く。飛び上がるほどビビってそちらに顔を向けると、流行の最先端でも自重するような服装をした男が、いつの間にか立っていた。
「誰だ......てか、何処から」
「は?てめぇ同族が分からねぇとでも言うつもりかよ餓鬼。あんま舐めてっとスッカラカンにすっぞ?」
威圧的にそう言い放った目の前の男は、肉食獣がそうするように、此方へ向けて歯を剥き出しにして見せる。闇夜にも関わらず輝く両眼が、紅の残光を映し出した。
そして何より、剥き出しにした異様に長い双刃の犬歯。
ハッと今更になって、先程から鳴り響いていた異分子警報のことを思い出す。それは、人に害を及ぼす明確な怪物が、都市に紛れ込んだことを知らせるものだ。
「いい加減時間がねぇからよ......じっとしといてくれると助かるわ」
その中でも最悪の一角、『吸血鬼』が僕の目の前に居た。