合意
難産でした。でも大切な回です
今、僕の目の前には鈴さん……いや、もう鈴でいいや。こんなのにさん付けたくないし。鈴が正座していた。
正直、ぶっ飛ばしてしまった時はかなり焦った。音からわかりきっていたことではあるが、ギャグみたいなぶつかり方をしておいて、それなりに怪我はしていたのだ。
同時に意識もぶっ飛んでいたので、その隙に血の能力を使うことで、無理矢理治療することに成功していた。と言っても吸血鬼の再生能力は自分限定で、他人に使える能力じゃないので、馬鹿ほど燃費の悪いごり押しだったのだけど。
正規の能力に沿った使い方じゃない場合、本当に大量の血を使う。そのせいで刀香の血はほとんど使いきってしまった。流石に見殺しにするわけにはいかなかったので、必要経費ではあるのだけれど。
その助けた本人が、意識を取り戻したあとも邪な考えを抱いていて、見殺しにして良かったかもと後悔した程度には痛い出費だったけれども。
ちなみに、その時げんこつを数回(手加減して)叩き込んでおいたので、今は比較的従順である。
「鈴……正直に答えてください」
「……呼び捨て……はい」
「最初から、そういうつもりで家に誘ったんですか?」
「……はい」
「…………」
がらんとした部屋の中に、冷たい空気が流れ込む。判決を待つ被告人のようなその姿に、最初の頼りがいあるオーラは皆無だった。
これ、下手にナンパ男に連れていかれるより貞操の危機だったのではなかろうかとジト目で思う。出会ってからずっとかっこいいって印象だったのに、もう僕の中ではセクハラの人って印象しか残ってない。
あからさまにしょぼんとした空気を醸し出していた鈴が、うつむいたままぐちぐちと何か言い出す。
「うぅ~いいじゃんちょっとくらい……生活全部見てあげる分私にも役得があったってぇ」
「まだ言うか。他に行くアテもないし、その、拾ってくれたこと自体は助かってるけど……」
「でしょ! 私こう見えてもそこそこ高収入だし、就職先として考えても優良だと思うわよ!」
「勤務内容が気に食わないです」
「そんな……そんなハッキリ言い切らなくても……」
まぁ確かに鈴は掛け値なしの美人ではあるけれども、それとこれとは別なのだ。まだ女性としての自分を受け入れれたわけじゃないから怖いというのもあるし、愛がないそういう行為に忌避感もあるし。
でも鈴に返せる物がないというところを突かれたら、それはそれで強く言えないのも事実で……家事は人並みにできるので、働き口の目途が付くまではそれくらいだろうか。
「その……僕でも家事くらいはできるし、働けるようになったら家賃も払うし……」
「それは、求婚と捉えてもいいかしら?」
「あと三回くらいたんこぶ作ったら、多少は会話が通じるようになるかな」
「ゴメンナサイ」
正座を維持したままプルプルしだした鈴。それをいたたまれない気持ちで見つめる僕。いよいよ誰一人として得しない地獄になってきた。
……あーもうなんていうか、まどろっこしくなってきた。あんまり僕は素直に気持ちを喋れないタイプなのだ、そもそも。
だけれど、あんな下心丸出しの行為をされたりはしたけれど、僕は鈴を困らせたいわけじゃない。だから、言いたいことだけ勝手に言うことにする。
正座している鈴の前に、僕も同じ様に正座した。こちらの方が身長が低いので、鈴の顔を少し見上げる形になる。視線を交わすと、宝石のように綺麗なその瞳に、少しの困惑が混ざっているのが見えた。
声が震えないように、ゆっくり落ち着いて息を吸った。そのまま目を合わせたうえで、心中を悟られないよう、矢継ぎ早にこう言う。
「ここに居させてほしいです。僕は鈴に都合の良いような人じゃないと思うけど、助けてくれたのは嬉しかったし、できることはします。だから……」
そこから先は結局、言葉にできなかった。聞いた鈴はなんだか笑っているような、そんな様子で、それが何を意図しているのかが僕は分からなくて、少し怖い。
しんと、僅かにできた静寂が耳に痛かった。目を合わせ続けることが出来なくて、顔を伏せる。すると頭に、ぽんっと何かが乗る感触がした。
「別に追い出そうとか考えてないから、そんな顔しないの。その、いきなりあんなことした私も悪かったから」
「……うん。反省して」
そう言いながらも、撫でられるのは嫌いじゃなかった。僕が嫌がる様子を見せないからか、鈴も暫く、僕の髪を手でなぞっていた。
「ところで、シャワーどうする?」
「……浴びてくる」