8.ともだち
「よし、じゃあメッセのID交換しよ。ほら友達だから。あたしとまっつーは友達だから」
佳花が自分のスマホをいじりながら催促する。やたら友達を強調するのは照れ隠しか何かだろうか。
ID交換ってどうやったか、と久しぶりの行為に手間取りながらも無事に連絡先を交換した。登録名は『よしか』。久しぶりに増えた個人名の連絡先である。
クラスメイト達はその様子をうらやましそうに眺めていた。
世界が滅ぶまであと一年となった今も学校に来ているのは、他にやることがないか、学校に来る特別な理由があるかのどちらか。魅力的な少女とお近づきになりたいというのは、思春期としては至極まっとうで重要な理由かもしれない。
さらに言えば友人が多い咲希と違い佳花の連絡先を知っている同級生は珍しい。男子となればなおさらだ。連絡先を交換しようと誘って「スマホの充電切れちゃった」とか適当に断られた男子は数知れない。
それだけに佳花の連絡先を、それも佳花から提案されて手に入れる秀人はうらやましかった。
連絡先を交換してご満悦の佳花はリズミカルにスマホの画面をタッチする。
秀人のスマホがぺこんと鳴った。佳花からのメッセージである。
『これからよろしくね』
と、端的な一文がばっちりデコられた状態で届いていた。
余談ではあるが、この日の夜に佳花は「なんでいきなりあんな浮かれ丸出しのメッセージ送ったし」と自分にキレながら布団をかぶることになる。
口で言えばいいじゃねえかと思いながら佳花を見ると、佳花はスマホで微妙に顔を隠しながら、何かを期待するように秀人をじっと見ていた。
……メッセージに反応すればいいのか。
この距離なら絶対に口で言った方が早いよな、と思うがそこまで無粋ではない。秀人も『こちらこそよろしく」とメッセで返信する。ただし佳花と違って顔文字やキラキラした記号などは使っていない。そもそもデコり方を知らない。
今度は佳花のスマホがぺこんと鳴った。佳花は画面を見たままのにやけ面で「よろしくね」と小さな声で言ってきた。
送った文章がそっけないかと少しだけ不安だったが杞憂らしい。
「まっつーのアイコン、松の写真なんだ。登録名も松だし、シンプルすぎない?」
「なんとなく本名で登録するのに抵抗あったんだよ。でもクラスの連中とかと連絡取り合うこと考えたら分かりやすい方がいいだろ」
「クラスの人と連絡取り合ってるの!?」
佳花の声が大きくなった。それほど衝撃だったらしい。
秀人は手のひらを下に向けて『抑えて』と伝えなら静かに首を横に振った。
連絡先を知っているクラスメイトは佳花を除けば健治と咲希の二人のみ。クラスという概念が崩壊している今、クラスのグループもなく圧倒的に孤立していた。
アプリを入れた時にはクラスの連中とこれで連絡を取り合うのか、と考えていただけのこと。
あっ、とすべてを悟った佳花は『なんかごめん』とメッセをよこした。『気にするな』と返す。
「そういう相沢のアイコンは……なんだこれ、クマか」
「うん、ヒグマ。かわいーでしょ」
「かわ……?」
佳花のアイコンは歯茎をむき出しにしたヒグマの写真だった。
ものすごく好意的に解釈すればクマの笑顔と取れないこともないかもしれないが、秀人の頭の中にはマルカジリとかイタダキマスといった言葉が巡る。秀人が知る限り、ヒグマは本州で最大の肉を食べる野生動物だ。牙も露わな写真を見ても可愛いという単語とは結び付かない。
人それぞれだよな、と疑問符でいっぱいの心を誤魔化して無理やり納得する。
「それはそうと、相沢の登録名は名前そのままなんだな。俺よりシンプルじゃないか」
「っ、そ、そうなの。……まっつーもよかったら、」
「うーし待たせたなー、お前ら席につけー」
佳花が何か言いかけたところで担任が教室にやってきた。
他の生徒もだらだらと席に着き、授業を受ける準備を始める。あと一年で世界が終わるというのに学校に来て、わざわざ授業を受けようとする連中は根本的にまじめだった。
これから授業が始めるという状況で話し続けるのは憚られ、秀とも佳花も黒板に向かい座りなおす。
秀人は佳花が何か言いかけていたことに気付いていたが、佳花が前を向いてしまったので追及しない。気になるようなら休み時間にでもまた聞けばいい。
そういえば朝に話しかけてきた理由を聞いていなかったな、なんて考えながら授業を受ける。秀人には「友達との会話を楽しむために話しかける」という行動様式が備わっていなかった。
授業を受けるうちにそんな思考は隅に寄せられていく。
無闇に高度化した授業は余計なことを考えながら受けていたら一分で落ちこぼれる。教師も生徒も受けたい者が授業を受けるという認識になっているため集中していない生徒に対する救済措置はない。そしてその授業形式に異議がない者のみが受講する。
授業を聞き、内容を咀嚼し、忘れないようにノートにメモを取る。この工程をひたすら繰り返すことは嫌いではない。少しでも確実に自分の視野が広がっていると感じられるし、授業が終わった後には充足感がある。
あっという間に授業が終わる。いつもより時間がたつのが早いと感じたが、実際に授業時間が短かった。いつもの一コマ程度の時間しか経っていない。
担任に来客があるらしい。教師が私用で授業を早く切り上げるなんて公立校にあるまじき所業だが、咎めるものはいない。そもそも授業自体受けたところで何ら役に立たないものである。どれほど受験勉強したところでその前に世界が終わる。
授業が終わったところでやることは特にない。商店街に行って買い物をするのもアリだが、健治たちに会う可能性を考えると気が引ける。寝不足の状態で山に遊びに行くのは危ない。早々に帰宅しても暇を持て余すことになる。慌ててするような何かがあるならそもそも学校に来ていない
「ねえまっつー、この後とか、時間ある?」
「あるある。授業が早く終わるとは思ってなかった」
この後どうするかと考えていた秀人に佳花が声をかけた。
渡りに船だった。暇を持て余していることもあるし、何より幼馴染以外のクラスメイトに誘われるなんて初めてのことだ。まるで漫画の登場人物になったようで心が躍る。自分の非日常が一般にはありふれていると考えると憂鬱になりそうだったのでそこは忘れることにした。
「どこか行くのか? 荷物持ちでもなんでも付き合うぞ」
「なんでも…………?」
乗り気であることを、表情で伝えるのは難しいので言葉で伝える。
すると佳花はぽそりと呟いて黙ってしまった。
なんでもは言い過ぎだったか。それとも時間があるか聞いただけで何かに誘ったわけではないとかそういうオチなのか、と予防線を張ってみる。
佳花ははっと小さく首を振った。
「あ、や、なんていうか、どこか行こうとか考えてたわけじゃなくて、もうちょっと話したりできないかなーって。まっつーとこれまで友達と思われないくらいしか話してなかったし、急にヒマになっちゃったし、……いかがだろうか」
「願ってもない話である」
口調が変になった佳花に合わせて返してみたが、一秒後には何言ってんだ俺はと激しい後悔に襲われた。突っ込まれないうちに二の句をついだ。
「場所はどうする? どこかの店にでも行くか」
先ほどからクラスメイトがちらちらこちらを窺っている。急に空いた時間なら佳花を誘っても断られづらいと考えている連中だろう。
聞かれて困るような話をしなくても盗み聞きされるのは気分が悪い。
「んー、お昼にはまだ早いし、どこかの空き教室でも使う? だいたい空いてるし」
「その手があったか。だいたい空いてるもんな」
宣告以前と比べると生徒数は激減し、授業もクラスも減った。校舎内の部屋は半分以上が空き教室になり、今は使われていない。二人で駄弁る場所くらいいくらでも確保できる。
連れだって教室を出るが、誰もいない空き教室が見つかったのは校舎の端っこだった。同じようなことを考えている生徒がそれなりにいるらしい。
佳花が先だって微妙に埃っぽい教室に入り、秀人がドアを閉める。こんなところまで追いかけてくるクラスメイトがいるとは考えづらいが、めざとく佳花を見つけて話しかけてこられても困る。鍵をかけなかったのは佳花への配慮である。
空き教室では机と椅子が教室の後ろに追いやられており、黒板側の半分は何も置いていなかった。佳花は窓を開けてその下に座り込んだ。ぺしぺしと自分の隣の床を叩いている。来い、ということらしい。
逆らわず佳花の隣に向かった。座るのには抵抗があったので立ったまま柱に背中をもたれる。
佳花は秀人が座らなかったことが不満げな様子だったが、勘弁してほしい。佳花のような体育座りは似合わないし、狂犬だの暴力装置だの言われる秀人があぐらをかいたりヤンキー座りをしていたら即チンピラ認定される。すでにされている、と言われたら秀人は内心で泣く。
ふいに佳花が深呼吸を始めた。すー、と大きく息を吸うと同時に埃まで吸ってしまいげほごほとせき込んだ。
「大丈夫か」
「う、うん、大丈夫……」
背中をさすってやろうかと思ったが、今日友達と認識した女子にいきなり触れる度胸はなかった。
佳花は佳花で息を整えて、何事もなかったように口を開いた。
「今朝さ、まっつーにあたしが話しかけるの珍しいって言ってたけど、学校に来るのがまっつーだけっていうのも珍しいよね」
「ああ、なんだかんだ健治も咲希も毎日学校に来てたからな」
健治は学校に来れば咲希に会えるから。咲希はよく分からないが、二人とも学校を休むことはなかった。秀人も同じである。常に幼馴染三人で固まっていたわけではないが、学校に来るのが一人だけという状況は初めてのことだ。
「風邪ならお見舞い行こうかなって咲希にメッセ送ったんだけど、返信ないんだよね。まっつー何か知ってる?」
「あの二人ならデートしてるよ」
「でぇと!?」
秀人が答えると佳花がすっとんきょうな声をあげた。